これからの僕を君にあげる

ひたすらに妙な夢を見ている。
私が製作したヒーローコスチュームに身を包んだヒーロー達が一斉に私の大嫌いな食べ物を投げつけて来るのでそれから逃げる夢だ。

そして最早逃げ切るすべを無くした私が嫌いな物を食べさせられそうになっている時に間一髪でヒーローが救けてくれた。救けてくれたのは超がつくほどの人気ヒーローで、その名前を呼びたいのに何故か呼べないっていう…そんな夢。


「………………ショート……。」


呼べなくて、呼びたくて必死にもがいていた夢の中。その名前を呟いた瞬間、気づけば朝になっていた。

あいにくの曇り空がカーテンの隙間から見える。まだ覚醒しきらない脳を起こしながら、今は何時だろうかと時計を見遣った。




7時25分
「……やっばい!!」

まさかのこのままでは遅刻確定時刻でした。普段より30分ほど遅い起床だ、何時もならとっくに朝ごはんを済ませている時間だし。今日は午後から轟さんとの約束があることも尚更拍車をかけて私を焦らせる。


手ぐしは私の得意技だ、それから早化粧も。
恒例というわけではないが慣れた手つきで素早く身支度を整える。今日の服はどうしようか、クローゼットを漁りながらそんなことを考えているあいだに時計の長針は8を指そうとしていた。

ああ、まずいぞ……今日に限って大事な約束があるのに。以前の私なら考えられない事態である。

恐らくだけど、最近の私は側から見ても弛んでいるんだと思う。




9時ジャスト。始業のベルより30秒ほど早く私はデスクにたどり着いていた。

所属する商品開発部のスタッフは私以外は既に全員揃っている。各々忙しそうに電話をかけたりスケッチに炎が出そうな勢いで描き連ねていたりそんなことをしている。

昨日と違って本日の所属部署は平常運転だ。


何だかんだ激務なので幾ら同僚がショートのリデザを勝ち取ってきて部署内が浮き足立ったところで、片付けなければならない仕事は待ってくれないのだろう。昨日散々質問攻めをしてきた隣席のこの同僚も今日はといえば設計図を必死に仕上げている真っ最中。


(まあ、今日も同じ目にあってたらかなわないしなぁ)なんて呑気に安堵のため息をつきながら自身のデスクへと着席する。


パソコンを立ち上がればディスプレイには「轟氏面会 14時〜」と付箋アプリが表示された。面会ではあるが、実際のところ彼の日常風景を観察するというのが真の姿である。

さて、どういう風に立ち回って観察しようか、なるべく個性とか戦ってるところに立ち会いたいけど規制されるかな、そもそもどうやって立ち会えば…?というか轟さんは今日何をしているんだろう。等面会とは程々思えない思考を巡らせ私はスケジュール帳を取り出し予定を書き込んでいった。

気分は未だ晴れない。




ーーーーーーーーーーーー
13:50
某都市部近辺

エントランスから受け付けの電話を鳴らし前回通り轟さんを呼びだす。奥の通路から現れた轟さんはなんとテレビでもお馴染みのヒーローコスチューム姿だ。おっ、と思わず少し感動してしまった。

形式的な挨拶を交わす。先日よりは少し緊張が無くて、私も轟さんも纏う雰囲気がいくらかマシになっている気がする。気がするだけかもしれないけれど。



「今日はコスチュームをお召しなんですね。お仕事ですか?」


あぁ、と小さく頷く轟さんは腕の体温管理を担うリストバンドをぐるりと捻り位置を直している。


「最近この辺で強盗ヴィランの出没が相次いでるからな。」

「なるほど……」

「この街に事務所を置いてるプロヒーローが持ち回りでパトロールを担当してる。今日は俺の担当だ。」

「パトロールでしたか……ヒーロー同士って結構連携がとれているんですね。」

「そうでもないと本当に危ない時に救けらんねェだろ。」



確かに、と頷く。ヒーローがヒーローたる所以は人救けである。華やかな面ばかり捉えられがちだが本質はあくまでそれなのだ。
やはり人気ヒーローともなると本人の強さや華やかさもそうだが、根底の部分において秀でているのだろう。

轟さんがふと壁の時計を見上げた。

14時ちょい過ぎだ。まだ到着して幾ばくかも経っていない時間。時計を見上げた轟さんはそろそろだな、と呟く。

そろそろ…?そろそろとはパトロールの時間が迫っているということだろうか?



「あの、これから出動でしたらお時間改めますけれども。申し訳ないですし。」



これはもしかするとタイミングと運がある意味悪かったかもしれない。活動しているところこそ見たいとは思っていたが、パトロールとなると話は別だ。

周囲の異変に気を使っていなければならないはずの状況で自分を見つめメモを取りまくる人間が傍にいたら落ち着いて対処も出来なくなるだろうし、普通に考えれば面会は延期が必須になるだろう。


事前に連絡いただければ日程調整したのに。
いや、多忙過ぎて連絡する暇すら無かったのかもしれないな、それなら尚更申し訳ない。


これはどうしたものかと轟さんの反応を伺っては見たが、何故か当の本人は理解できない、という顔をしていた。


「……?、何の話だ?」

「えっ、さすがにパトロールにご一緒させていただくのはお邪魔になるのでお時間改めようかと思ったのですが…」


何か変なことでも言いました?そう目で伝える、実際おかしなことは言っていないつもりだった。何ぶん私はヒーローではなく一般人だ。個性はあるけど見栄えしないし強くもない。自衛の策を持たない一般人なのでもしヴィランに遭遇なんかしたら人質にでもされるのが関の山だと思う。

これはまた日程調整することになるなぁ、なんて頭の片隅で考えながら、立ち上がろうと椅子を引く。


「いや、みょうじさんが良ければ俺は構わねェが…」

「えっ」


瞬きの音が聞こえた。私の目が勢い良く瞬きをしたお陰ではっきりと自分でも瞬きの音が聞こえるくらいの音だった。
何度も言うけれどこれがこの人相手でなければ多分喜んで快諾しているんだろうな。と最近混乱しやすい頭の中にしては、比較的醒めた思考をしている。

轟さんは相変わらず綺麗な顔で何も問題ありませんと言わんばかりの顔だ。問題あるのは私なのか??いや……絶対そんなことは無いはずなんだけどな…



「えーーーーっ、と……」

「もしヴィランが襲ってきても絶対に怪我はさせねぇし、大丈夫だ。」



大丈夫と言われましても、私は絶対に大丈夫ではないのだが。

なんだろう、もしかして轟さんってものすごくコスチュームにこだわりがある人なのかしら……いや、でももしそうならデザイン機能全ておまかせで!なんてことになる訳ないな。ミステリアスなんだろうな、うん。そういうことにしよう。

もうなるようにしかならない。デザイナーとしてやるべきことを全うすることにしよう。私はプロジェクト開始3日目にして思考を破棄することにした。





私は普段オフィスと自宅とを往復する毎日を過ごしている。激務なのでたまにオフィスに寝泊まりすることもある。

取材や打ち合わせで各方々へ向かうことは数あれど例えばこんな昼下がりの街中でゆったりキョロキョロしながら歩いたことは記憶の中では未だかつて一度もないのであった。

少しだけ先を轟さん、いや今はショートかな。ショートさんが歩き、端正な顔つきで細い路地や死角を眺めながら颯爽と巡回してゆく。
ヒーローが街中を見回っている現場に居合わせたことは何度かあるが、ヒーローが街中を見回りその後ろを大名行列の様に女性ファンが着いてくる様というのには出くわしたことはない。今の現状をノートに書き写せる範囲で書きながらリデザインにおいて何かのアイディアになりそうな部分にマーカーを引いた。



「見回りは良くしてらっしゃるんですか?」

「たまに要請があって行くくらいだ。」



疑問はなるべく話が聞けるうちに解決したいとパトロールに同行しながら思っていた。

無言で二人歩いているのもなんだか時間が勿体ない気がして。ショートさんはあまり口数が多い方ではなかったので私から都度話しかけるよう心がけるようにしていた。

パトロールは要請があった時にしているらしい。それ以外だとメディア出演やら取材やら、緊急要請やら自主訓練やら会食やらで忙しくしているので自然とパトロールの回数が減っていったようだ。先程からショートさんがスマホを取り出しメッセージへ返信しているのを私は見ている。それから街をゆくヒーローに声をかけられているところも。多分全て仕事関連なんだろう。


「でも見回りの度にこんな感じになっちゃったら都度大変なのでは?」


卒倒している女性ファンが視界の端に見える。


「.......……まあ被害範囲が広がるのは避けてぇな。何でか極秘ミッションでの居場所も全部ネットで拡散されてバレちまうし。」

「あ〜、それは確かに…危ないですね。所謂ショート症候群にやられたってやつ…。」

「そんな病気あんのか」

「えっ、」


天然なのかふざけて和ませようとしてくれてるのか。真面目な顔でショートさんが振り向くものからこちらまで呆気に取られてしまった。


「ショート症候群、ご存知ないですか?」

「聞いた事ねェ。」


あっ、これはマジなやつだ。
知らないというならば知らないままにしておいた方がいいことを言ってしまったな。にこりと笑みでそんなに重篤なものじゃないらしいです、と誤魔化しておいた。ショートさんがショート症候群についてググらないことを祈る。




気付けばさっき通った広場に来ている。いつのまに…後を着いてきていた女性ファンも途中で帰ったのか少し人数が減っていた。この感じだと何事もなくパトロールは終わったのだろうか。

少し休むか?と尋ねられた。どうやらこの広場は中継地点であるらしい。あともう少しだけ先の通りを見回って本日のパトロールは終了するとのことだった。


疲れているかと聞かれたら肉体はそんなんでもないと答えるだろうが、精神の疲れは別である。何分後ろをずっとついてまわる女性ファン方の羨ましいという視線が中々に突き刺さり続けていて心労が心労タンクいっぱいまできそうだったからだ。遠慮なく噴水に腰掛けて休ませて貰うことにする。


「少しだけ休憩します。ここでノートをまとめてますので、ショートさんはどうぞ私にお構いなく。再会する時にまた声掛けてください。」


ルーティンのようにノートを取り出し、何気なくその様に伝えた。殴り書きで書いたノートを整理する暇が少し欲しかったのは事実である。ショートさんも少し休んでいいと言ってくれているのでこちらとしても気が軽い。

ショートさんはというと分かった、後で声掛けると私に言って広場から少し遠くに見える建物を目指し歩いて行った。
その後ろを変わらず女性が数名着いていくのを見送って、ようやく視線から解放された安堵感に包まれながらノートを開く。


殴り書きとマーカーの跡を目でなぞってワードを抜き出して頭の中を言葉でいっぱいにしていく、この工程が仕事における必要工程の中で一番好きだ。



目を瞑り噴水の音に耳を傾ける。
今日のショートさんのパトロール中の情景を脳内スクリーンに反芻させてみた。思い返してもイケメンだな…コスチュームと相まって一つの芸術品の域に達してるな……ああ、ダメだやっぱりうまくまとめられないな、思考の海に落ちていくこの感覚にはいつまで経っても慣れない。


ところで今日一日、といっても数時間だけど、ショートさんについていって気づいたことがある。

なんとなくだけど私という色眼鏡を通しメディアから発信されるヒーロー・ショートと実際のショート、轟さんのイメージに若干のズレが発生している様なそんな、なんとも言えない不和感がどうやらあるようなのだ。
まるでヒーローは完璧なものだ、人気ヒーローなら尚更だ、というイメージが勝手に先行して走ってしまっているような。


「よくない、よくないぞ…!」


イメージが強すぎると先入観に捉われて本質が見えなくなってしまう。本質が見えなければヒーロー本人の一部となる様な自然なコスチュームはどう足掻いても誕生しない。


ノートの1文字一句逃さない様に目をさらにして睨めっこをしてみたけれど、一瞬で違和感を拭いされるような強力なワードは、ノートの殴り書きの端からは見つけられなかった。この先轟さんを知っていく中で、その答えを見つけることは出来るのだろうか。


「あれ、そういえば…」


そうだ肝心なことを聞いていないんだ。
何故轟さんはコスチュームのリデザインをしようと思ったんだろう…?

だってあのコスチュームって確か、



「どうかしたか?」

「うわ!」


「……悪ィ、驚かせた。」

「いえ、ごめんなさい!集中してて…」


背後に立たれるのって怖い。イケメンに隣に座られると心臓に悪い。ショートさんは建物の中のコンビニにどうやら用があったみたい。今は緑茶のペットボトルを2本かかえている。すっかり用事を済ませて背後から回ってきたところで私が「あれ、そういえば…」と呟いたので無意識に声をかけてくれたみたいだった。


それはそれとて自分でも驚くほど可愛くない奇声を発したので、もう帰っていいでしょうか。まだダメでしょうか。私としては本日の役割を終えたと思っているのですが。だってこれ以上今をときめく超絶人気プロヒーローと世間話なんかしたらもうこちらの世界に戻って来れなくなってしまう…!



「お、お戻りですか!?もう行きます!?」

「ん、そうだな。」

「ちょっと待ってくださいね、荷物片付けますから…!」

「焦んなくてもいいだろ。あぁそうだ、これ。」

「これ?」

「買ってきた、みょうじさんに。」



差し出された2本のうち1本の緑茶。ペットボトルは結露していて十分に冷えていることを証明している。買ってきてまだ時間が経っていないものだ。轟さんはペットボトルを2本買って帰ってきた。

そして買ってきた、みょうじさんに。という言葉が意味するのは、ただ一つ。


「これは、もらっていい、やつで…?」

「言葉おかしくなってんぞ。」


どんな徳の積み方をしたらイケメン超人気プロヒーローにお茶をもらえるというイベントに出くわすのだろうか。というかお茶代は受け取ってもらえる…よね??


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