地球半周分の物語

乗り越えていくのは簡単じゃないだろう。私にとっては人生最大級の恋で、そして失恋だったわけだし。それでも前を向いて歩いていくしかない。なぜなら人生は留まることなく流れていく雲だからだ。同じ時を共有していられる瞬間なんて、一度過ぎてしまえば再び訪れることはないのだから。

自ら手放したささやかな幸せが戻ることも、きっともう無いのだけれど。彼の今後を考えれば私の苦しみなどなんてことない、私が傷付いて彼が輝くなら…と考えてはみたものの、そんなの献身的過ぎてちょっと古いかなあ、なんて。

まあいいか。過ぎたることはもう、どうせ戻らない。今は焼けるようなこの痛みさえ喉元過ぎれば熱さなんてなんとやら。


大丈夫、時期にいい思い出になるーーー
確証もないのにそんなことを思えるのはやっぱり、このアメリカの雰囲気のお陰なんだろうね。






バスターミナルからハドソンヤードへ。とりあえず一週間程度の荷物を詰めた大きなキャリーバッグを引き従えて歩く。
実に14時間に及ぶフライトの末辿り着いた異国の地は想像もつかないくらいに騒々しくて、慌ただしくて、そして鮮やかだ。


「え、エクスキューズミー?」

英語、もうちょっと学んでおくべきだったかもなぁと、今となってはほんの少し後悔している。何処も彼処も目がくらむ程明るく活気が溢れていて、仕事で来ていることも忘れてしまいそうなほどの熱量に圧倒されつつ私は前を行く快活そうな女性に声を掛けた。


「I want to go for chelsea market.how can I get there?」


会社から支給された旅行英会話ガイドを開いて項目を指差しながら女性になんとか教えてくれないかと頼む。女性は柔らかなまつ毛をぱちぱちと瞬きして「hi?」と一言。うう、流長だなぁ、これ伝わってるのかなぁと圧倒されながらも辿々しく覚えたばかりの英語を再度捻り出す。

「I want to go here.」

地図上にはハイラインの線上にchelseaの文字。そこを指さし困ったように眉根を下げて見せた。

近くまで来ていることは確かみたいなんだけど。うーん、ハドソンヤードとチェルシーマーケットはそんなに遠くないって書いてあったのになぁ、おかしいなぁ。

何を隠そう、私はただ今絶賛迷子中である。

この辺りは相当入り組んでいてとかく分かりずらいことで有名らしい。
立ち並ぶ摩天楼の中心を意気揚々と目的地目指して歩いていたのもつかの間、30分程度近隣を徘徊してみても一向に目的地が見つからない。

故に最終手段に踏み切る決断を下したのは、つい先程のこと。



自分で徘徊する限界を悟り、地元民らしき人に声を掛けてみたが、幸いなことに拙い英語でもきちんと伝わったようで。

ok!と気楽なウインクをひとつくれたその女性は眩い笑顔を振りまきながら「Follow me.」と言って私の手を取った。

ニューヨークは日本と同じ冬で、寒いのに変わりはない。むしろ日本よりよっぽど寒い。私の心中に積もる寂しさが余計にそうさせていたのかもしれないけど、しかしこの女性の手は反してとても温かく感じた。
暖かいのは結局どこの国の人も同じだ、轟くんも本社のデザイナー班も部長も、家族も友人も、今こうやって言葉は通じなくてもにこにこ笑ってハイラインを共に逆走してくれている彼女も。

油断すればすぐ「轟くん、どうしてるかなぁ」「私からの手紙、見てくれたのかな…」「お歳暮の蕎麦、気に入ってくれたかなぁ」と脳内を轟くんで埋めてしまっていた私の心。すぐに変わるということはないだろうけど、それでも沈み切っていた重いものがわずかに取り払われた様な気がした。




空は何処までも快晴だ。いいにおいをさせた有名らしいブラウニーショップの前のベンチに腰掛けて一息つく。それなりの量の荷物をベンチの下に置いて自分用に買ったチョコレートベーグルを齧った。
こんなところで食べるなんて、はしたないって言われても気にしない自信があった、だってお腹が空いてるんだもの。


「あと、何が必要だっけ?」

事前に用意した凄まじい量の買い出し品リストを眺める。ざっと半分くらいはクリアしたところだった。

今日は仕事に取り掛かる前の最終休暇で、約3日間の猶予が与えられていた。暫くはホテルを会社が取ってくれていて、それ以降は社宅となる。

新たに過ごすための家財や衣服を一通り揃えてからまずはアメリカに慣れるのが先決かなと思ったのもあって、こうしてマンハッタンの中でも特に最先端のハドソンヤード周辺からハイラインを歩いてみた訳なのだが……。

(素敵なところだなぁ)

友人なし、言葉も通じない、オマケに全く知らない土地だったとしても、案外人間適応力だけはあるらしい。







どれくらいベンチに腰掛けて呆けていただろうか。立ち上がるには気力が足らず未だ座って騒めく胸中と押し問答をしている。

ベーグルは半分になっていた。


私はこの街でなんとか変わっていかなきゃならないんだと、思っていた。でもそれは少し間違いだったんじゃないだろうか。

実際にアメリカに降りたってみて、ようやくこれからどうするのが正しいのか、やっと分かった気がするーーー、


「そっか、」

この街を楽しんでいけばいいんだ。

仕事も失恋も何もかも。轟くんのことを無理に忘れようとしたって無理なんだから。好きでいていいんじゃないか、自分の中で折り合いつけて諦めがつけられる日まで。

ここは真っ新なはじまりの地、誰も私を咎めない。ここはニューヨークのマンハッタン。再出発には丁度いい。誰も私を知らない土地で私はゆっくりと羽根を伸ばして好きなことをして、しばらくの間楽しませてもらおう。


だから、泣くのは今だけ。
半年後か一年後日本に帰った時、笑って轟くんを純粋に応援出来るようになる為に。


「………っ、ふ……」


気がつけば大粒の涙が溢れて止まらなくなってしまって。途端轟くんにさよならをしたあの時、なんとか泣かずに済んでいたのは今の今までずっと気を張り続けていたからだったからだと自身の虚勢に気付く。

ぼろぼろと打ち晒しコンクリートの床に落ちていく滴。それを静かに眺めながら、ただ何も出来ずほろほろと涙を流していた。


(好きだった、なぁ)

私はやっぱり紛れもなく本気で恋をしていたんだろう。彼は直向きに真っ直ぐで、そして優しかった。たまに見せる気の抜けた一面が実に彼らしくて素敵だと思えた。

名前を呼ぶ声に一喜一憂して、守る為の力は気高くて美しくて。存在の全てが好きだと誰かに対して思うのは、多分これが最初で最後になる。

きっと自分が思うよりも素敵な恋をさせてもらっていたんだろうなぁ。だって考えて悲しくなる時以上に、思い出す度に微笑みが溢れることの方が多いから。どちらにせよどの道辛い道を選んで来ている身、どうせ泣くなら忘れるより糧に出来るようにならなくちゃ、ね。



「よし…もう行こう」

涙を拭ってようやく立ち上がる。今だけ、と決めたならその通りにしなきゃ。いつかあの人が好きだったと泣かずに誇れるようになる為にも。


気を取り直して歩き出した先には施設の西部出口があった。そろそろ出て、一旦ハドソンヤードに戻ろうかな。支給地図を取りだしてハドソンヤードのページを開く。
最先端のショップからインテリア、食料品までほぼなんでも揃うのがハドソンヤード、とあった。


やっぱりハドソンヤードに戻ろう、まだ買い物は半分程度しか終わっていない訳だし。


……そう言えば3日も休みがある…!とか思ってたけど、結局荷解きも含めて準備期間は3日しかないんだった。休みも何もあったもんじゃない。無駄に浪費してたらそれこそ瞬く間に部屋中段ボールの海になるところである。

傷心中だろうが仕事に追われる毎日に今後も変わりはないようで。何だかんだ日本と大して変わらない毎日がまた始まりそうだ。



空は何処までも青空だった。雲ひとつ無い快晴で、寒さの中に切なさを覚える。日本の天気はどうですか?と心の中である人に語り掛けてはみたけれど、一向に返事はなかった。空の青さに泣きそうな日が来るなんて、流石に思わなかったな。

轟くんも同じ空を見ているだろうか。

今も戦っているのかな。
私の作ったコスチュームが彼を守らんことを、離れた地でも思いを馳せながらおもむろに歩き出す。空は、無垢に何処までも青空だった。









“ショートさんへ、
突然驚かせてしまってすみません。“

“みょうじ なまえです。
この度は新コスチュームのお披露目、本当におめでとうございます。
…って、私が言うのもなんか変ですね。“

”色々書きたいことも伝えたいこともいっぱいあったのですが、こんな形でしかお伝え出来なくてごめんなさい。頑張ってぽつぽつと思い出を振り返りながら書いていきます。”

“今、多分丁度着てらっしゃる頃かなとは思いますが、新しいコスチュームの着心地はいかがでしたでしょうか?気に入ってもらえたなら嬉しいです。“

“実はコスチュームの色決めをしてた時、徹夜続きだったのですが、そんな中で最後に見た朝焼けがとても綺麗で、そんな夜明けを背負って欲しいなという願いを込めてその色にしました。“

“さて短い間でしたが、ショートさんは本当に素晴らしいヒーローなんだと思っています。今更過ぎてちょっと恥ずかしいけど。私の中で、最高のヒーローは、紛れもなくショートさんただ一人でした。“

“だからどうか胸を張ってこれからも強いショートさんでいてください。それだけが私の願いです。“

”本当のことを言えば完成したコスチュームを着てるショートさんの姿が見れないというのが心残りではありますが。“

“きっと何処にいても助けを求めれば、貴方は直ぐに駆けつけてくれるだろうと信じています。“





“最後になりますが、貴方のようなヒーローのコスチュームを任せてもらえて私は本当に幸せでした。”

”轟くんにはろくにさよならも言えなかったけど、離れていてもどこにいても、そのコスチュームが轟くんを守ってくれると信じてるので。“

“私も私で更に夢を追いたいと思います。“

“短い間、本当に楽しかった。“

“友人より愛を込めて感謝の言葉を記します“


“p.s またどこかでもし逢えたなら“

“その時はまた友達になってくださいねーー、“



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