世界にも秘密、二人だけの恋のこと

あの時、もし仮に好きだと伝えることが出来ていたとして。なまえさんはきっと困ったように笑うしか、出来なかったんじゃないかと思う。

そしてあの凛と澄み渡った声で「…ごめんなさい」と告げられてしまうんじゃねぇか、そんな結末に恐怖した。

それを思えばこそ、自分のこれは、ただのエゴだったのかと後悔して傷つくよりはいくらかマシだったのではないだろうか。結果を知ることはもう二度とないとして、思い込むしかない。今の俺はそうして保つので精一杯だ。

間違っていない、自分の選んだ選択は何一つ。そう思い込んでねぇと今この瞬間も、まさに晴天の霹靂の精神を隠して、振る舞い立たせることなど到底出来そうになく。

ただ時間だけが無駄に消費されていった。





今頃、あんなに好きだった人は一体何処にいるだろう、とどうするでもない空虚な気持ちを抱えてタクシーに乗車する。

どちらまで、との問いには空洞のような声色で約束していたスタジオを指定し、あとは流れゆく景色をひたすらに眺めた。

空は清々しいまでの青空。

雲の合間には飛行機が白線を吐いて飛んでいる。悠々と仰ぐ鯨のようなその姿を視界に入れた途端、収めていた鬱屈とした気持ちが再浮上した。あぁ、最悪だ。

今日はなまえさんが作った俺の新コスチュームについてインタビューに答えるという、現状生き地獄のような仕事がこれから待ち構えているというのに。
膝に抱えたケースは冷たくて重い。考えるのをやめようとしても、ふとした瞬間に嫌でも湧き出す暗い思考がなまえさんと最後に会ったあの日からずっと俺を縛り付けている。


(せめて近くにいてくれたらな、)

ああやって前みてぇに近くにいることを許されていたなら、心境は違っていただろう。


何を間違えなければこんなことにならなかったのか、どうすればあんなにも泣きそうな笑顔をさせずに済んだのか。この2日間片時も忘れることなく考え続けていたが、その答えは彼女以外知り得ない、ということを再認するばかりだ。

隠しきれない溜息が続く。

たとえ真っ白な関係になっても、友達でいられるもんだと思ってたんだけどな。



“実は私、アメリカでの長期開発企画に参加することにしたんですよ。……明後日から。“


聞けば一年程度掛かる超圧縮技術の開発企画で、相当大規模なものらしく悩んだ末に自ら志願して行くことに決めたそうだ。

半年は帰れない。折角友達になれたのにごめんなさい、と結局なまえさんが困ったように眉を下げて笑うもんだから、俺もそこから先は理由も聞けなくなってしまって。


「なまえさんなら大丈夫だ、元気でな。」

そんなことを思ってもいねぇのに声に出して。取り繕った平常心でなまえさんに向き合った時、彼女は再び泣きそうな表情で頬を緩ませグラスを仰った。






ーーーーーーーーーーーーーーー

「ブイ明けまでーー、5、4、3、」


スタジオの照明が降り注ぎ、眩しさに若干の煩わしさを感じながら、ゆっくりと向けられるカメラに視線を合わせる。


一体どこで調べたのか、納品されてから僅か2日しか経っていないのにVTRには俺の新しいコスチュームの機能デザイン解説が映し出されていた。伴わない心のまま映像を眺めていると、脳裏になまえさんの顔が浮かんでくる。彼女の声がすぐ傍で響いて、まるで隣にいるみたいだ。


「日本でもあまり出てきてない超圧縮技術を応用した特殊プロテクターって、発想が凄いですよね。」

「そうですね。」


アナウンサーの明るい振りに答えてから、自身の着ているコスチュームを見下ろす。融点の高い金属で出来た生地が、丁度サンドイッチの要領で表地と裏地の間に挟まっているらしい。先日の機能説明でそんなことを言っていた様な気がする。


「タングステンってかなり重い金属ですけど、タングステン紡績生地が挟まってても軽いんですか?」

「はい、軽いです。」

「最新技術が搭載されているんですね…!表地は以前のものと同じでアラミド耐火素材ですが、更に氷結にも耐えられるように伸縮性もプラスした、とのことでーーーー、」

「………。」

「なんといっても凄いのは、縦列配置に敷き詰められた圧縮タングステンチップが、強い衝撃を感知した瞬間生地内でプロテクターの様に展開するというーー、」

(これ、そんなに凄かったのか。)


なまえさんから聞いていた時には、彼女があまりにも当然の如く言いのけるもんだから実感出来なかったが、今こうやって仕組みから全て説明されると、その凄さが沁みてくる。………超圧縮技術、そういえば親父のコスチュームにも使われてるんだったか。



「以前のものから、デザインなどはほぼ変更なしとのことですが…色合いが変わってるんですね、とても綺麗な青紫…これはオーダーしてこの色にされたんですか?」

「いえ、デザイナーの方が俺のイメージで選んでくれました。」

「へぇ〜、それはまた……デザイナーさん、ショートさんのことかなり考えて、良く理解されてるんですね。」

「そうなんですか?」

「ファンの方々からはまさにイメージ通りの色だと凄く評判ですよ。あっ、そうだ本日はショートさんに実はこんなメッセージが届いてまして……、ご覧下さい。」


再び画面に映像が映し出され、快活な女性2人組が現れた。過去撮りのVTRらしい。

画面の端には“新コスチュームについて一言”とある。レポーターが簡易的な新コスチュームの説明パネルを持って2人組にマイクを向けた。
はしゃぎながら右側に映る女性が「元々カッコイイけど、色がいいと思います。」と話すなり、隣に並ぶ友人らしき女性も「落ち着いた印象になったよね。」と同意する。

どうやらファンからの一言メッセージを放映してくれているようだ。


続け様に数名の男女が映り思い思いの感想を述べては画面が流れていった。

肯定的な意見で埋められたVTRを眺めているうちに改めてなまえさんというコスチュームデザイナーの凄さと、俺に対して注いでくれた情熱の高さを思い知る。

初秋に初めて対面した時から既に、プロのデザイナーだったんだな、なまえさんは。




「ショートのコスチューム作ったデザイナーの人、かなりのヒーローファンだと思う。」


「戦闘機能面が充実したことで、ショートが危ない時には彼のことを守ってくれそうよね。」



最後に出てきた老齢の女性が、上品に笑う姿を収めてVTRは終わった。 


「………。」

プロデューサーの合図が入っていたにも関わらず映像の余韻に浸りきって、カメラに物凄い呆顔を晒してしまったような気がする。
カメラスタッフが目を大きくして驚いている顔が視界の端に見えたことで、ようやく我に返った。

……やっちまった。


「如何でしたか?」

「え、」

「ファンの声も非常に好意的なものが多かったですが、どう思われますか?」

「あ、あぁ……。そうですね、作ってくれた人の情熱とか、ファンの人達の期待とかが伝わってきました。……期待に応えねぇとなって、思います。」

「うわぁ、流石トップヒーロー。デザイナーさんと一緒で素晴らしい熱意をありがとうございます!」


まるで自身に言い聞かせるように、アナウンサーの問いかけに答えたのはけして偶然じゃない。なまえさんの気持ちや凄まじい程の熱量が俺のファンにも伝わったという事実に、思わず襟を正したくなった、というのが本音だった。

そうだよな、こんなんじゃ駄目だ。


なまえさんはもう居ない。今頃本場のヒーロー社会に身を投じている頃だろう。

俺も、このコスチュームに見合うくらいに頑張んねぇと…合わせる顔が見つからなくなっちまう。


「ファンの人達には、俺のこれからを見ていて貰えると嬉しいです。」


ここ数日の中で、一番響く声で捻り出した決意。今までの自分の落ち込み振りを考えると何とか持ち直せた方ではないだろうか。膝の上で組んだ腕を解き、カメラを真っ直ぐに見据える。


スタジオの灯りがストレートに目に入ってきて眩しさに目を細めたが、不思議と今度はその明るさが逆に俺の背中を押してるように感じた。



「ファンの方々はショートさんの今後から目が離せないですね。」

「いや、偶に見てくれるだけでいいです。ずっとは皆疲れちまうだろうし…。」

「へ……?あ、そういうことではなく、比喩と言いますか……。」

「比喩?」

「いえいえ!ショートさん本日はありがとうございました。最後になりますが、実はある方から応援メッセージを預かっております。読ませて頂いてもいいですか?」


インタビューも終わりを迎えるかと思いきや。最後にもう少しだけ収録は続くらしい。
メッセージ…?誰からだ?と思わず素っ頓狂な表情になってしまうようなことをアナウンサーが告げた。ある方、とどうにも誤魔化した物言いに疑問符が次から次へと浮かんでは消える。

この状況で更に個別で応援メッセージ?
ヒーロー仲間の誰かだろうか。


俺の訝しげな様子を察したのか、アナウンサーは笑いながら、俺の目の前にシンプルな便箋と封筒を差し出してくる。


しっかりとした筆跡が残る封筒にはハリネズミのデフォルメアイコンが書かれていた。

そこに刻まれた名前には、酷く見覚えがあって。


「ーーーーーっ、」



こうやって、少なからず俺が落ち込むことを最初から見越していたかのように届けられたその手紙には、筆跡から、便箋から何から何まであの人らしさが溢れている。

手紙に縫い留められてしまった俺の心中を知ってか知らずか、温かな雰囲気で読み上げられていく文面。

「ショートさんへ、突然驚かせてしまってすみませんーーーーー、」




行ってしまった後ろ姿が残り香に重なって、胸がきつく締め付けられる。あの日レストランで最後に彼女はなんと言っていただろう。

「……は、」

思い出して、溢れる笑み。

俺の中であんなふうに泣きそうな顔をさせてしまったことが、ずっとわだかまっていた。何故あんなにも寂しそうに笑ったのか、
その答えが、こんなにも簡単だったとは。


“そういえば、明後日新コスチュームの取材があるらしいですね”


分かっていたんだ、あの人は。俺がインタビューを受けることを。その理由は、恐らくこの手紙を書くことになったから。

そして手紙を書きながら、もし俺と、同じように彼女も寂しく思ってくれていたんだとするなら。




(なぁ、なまえさん。)


やっぱり諦めなくてもいいか?

この気持ちだけは、やっぱりなまえさんに本気で伝えたいと思えたんだ、その為なら何年だって待ってやるから。

だから、もう一度だけでいい。あの深い海のような瞳に俺を写してくれないだろうか。

諦めた思いが加速する。
俺と、彼女が再び出会うその日まであとーー、



補足:
深海(マリンブルー)…

緑がかった青色。深海の色とも称される。水兵や水夫の制服の藍染に使われたことからマリンブルーと名前がついた。抑制、自律、真面目などの色印象を持つ。

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