僕らに足りない感情のひとつ

冬晴れの仕事日和。電話口から聞こえる明らかな怒り声に、怒ってるなぁ…当たり前かと苦い顔をしながら電話相手、発注担当者の怒声を受け止めていた。とにかく謝罪の一択しか無い。そんなことは電話を掛ける前から覚悟していたが、いざ全力でキレられると人間萎縮してしまうもので。


「困りますから!」

電話がプツリと切れる。あ、と受話器を意味もなく二度見して、私はため息を吐いた。手元の発注リスト担当者部分にバツを引いて、もう一度ため息を吐く。リストはバツで埋まっていた。

今日掛けた電話先の担当者には皆一様に呆れられて電話を切られた。当たり前である、納期直前の発注物変更と再発注をやらかすというプロとしてやってはならない最低な行為をおかしていたのだから。


「流石に発注物のキャンセルのみならず、他の発注先がNGだったマテリアルも一緒に全て3日以内に再手配、なんて受けてくれる人居ないよね…。」


無茶振りが過ぎるということは頭を下げている私自身、痛いほど理解していた。仮に私が発注担当者なら、私もキレて電話切ってると思うし。それでもなんとかめげずに電話し続けているのは、他の誰でもない轟くんの為なのだけど。


少しだけ休もう。
回った時計の針を一瞥する。ああ、もうこんな時間なのね。急がなきゃ……デスクに貼った付箋を見遣り、その下に埋もれている雑誌や新聞の切り抜きを眺める。

先日起きた人質事件のニュース記事、それから同僚から教えてもらった轟くんの雑誌記事を自身の尻叩き用にデスクに貼ったのは昨日のことである。


同僚が見つけてきた雑誌の中には“どんなデザイン?”とか“サポートアイテムは付くのか?!”等、コスチュームに対する期待度を窺わせるもの、ファン予想のコスチューム投票やファンの声は?といった見出しが所狭しと踊っていた。

「ショートらしさを失わないで欲しい」
「今でも十分かっこいい」
「なんか寂しい」
「どんな風になるのか凄く気になる」


といった類の感想が大半。

一昔前の私なら、きっと適度に流し読んで終わりにしていただろう。しかしここまで深く彼を、ヒーローというものを知った今、私に自身の立場と役割を思い知らせるのにその雑誌は充分過ぎて。


今思えば1番目に入りやすいカレンダーの下に切り抜きを貼ったのは、我ながらいい案だったかもしれない。

これで最後まで決心が揺らがなくて済む。



「さて、どうにかしないと。」

同じ体勢で下げ続けた頭を持ち上げ肩を回す。ゴキ、と聴いてはいけなさそうな音が肩周りからした。もう身体中バッキバキで色々とやばい状態まできてる、ここまで忙しいのは今まで経験したこと無かったかもしれないなぁ。

……頑張らなきゃ。
他でもない、私の為に。そして彼の為に。


私は昨日遂に私の役割を全うすると腹を括った。それは、自分の恋心と決別するということを指していた。

私の役割、それは轟くんに最初で最後の贈り物としてショート、ひいては轟焦凍という存在の全てを守れるコスチュームをつくることだ。


それなのにいつの間にか仕事の分別をつけられないくらい彼のことが好きになっていた。同時に彼を想いながらこうやってデザインをして仕事をしているこの瞬間が悲しくて、そしてとても楽しいと思えた。それが間違いであることは分かっている。最大限の愛は必要だけど、邪な恋心など要らないのだから。

みんなのショートだからこそ、最高のヒーローだからこそ、想いを拗らせて穿ったコスチュームを作ってしまうくらいなら、

引くことで最大の恩返しになるのならば
潔く引くべきであると思えたんだ。


失恋には慣れていないから暫くは辛いかもしれないけど、でもまあ、きっと大丈夫だろう、一応準備も整えたし。

あとは最後まで完璧に走り切るだけ。



さて、もうひと踏ん張りだと自身を鼓舞し再び電話機へと向き合う。何とか必要マテリアルを揃えないと家には帰れないかなぁ、と独り言めいた独白を吐いて、受話器を取った。

……出来れば三徹で済ませたいな。

この後すぐに幸運にもショートの隠れファン
であるという別の受注先から何とか無理して間に合わせます。との申し出を受けることになり、大喜びで飛び跳ねて電話口で謝り倒した拍子に足をくじくことになるとも知らずに。
社畜根性に喝を入れ直して、少しだけ伸びた髪の毛を結ぶ。

今世紀最大の失恋まで残すところあと16日。






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今日は緊急出動もなく、パトロールと警備依頼を何件かこなし、久しぶりに自身の事務所へと戻れた貴重な日だった。

事務所に帰り事後処理の為に慣れないパソコンに向かって画面を無言で見つめる。
普段こういう事務作業は他にも多数のヒーロー事務所を掛け持っているベテランの妙齢女性事務員に任せていたのだが、あいにく今日は出勤していない。

事務作業はあんま得意じゃねえけど、他に頼める奴が居ない以上は自分でやるしかないだろう。

そうして不慣れなタイピングに僅かに苦戦すること数十分。漸く終わりの兆しが見え始めた時、不意に来客を知らせる内線が鳴った。


「………、誰だ?」


高らかに響くコール音に自然と眉間にシワが寄る。来客の約束をした覚えがなかったので何故呼び出されているのか分からなかったからだ。
こんな半端な時間に一体誰が。
もし仮に緊急の通報なら内線なんか鳴らさねぇだろうし、知り合いが訪ねてきているとしても同じく内線は鳴らさないだろう。


とりあえず、呼ばれている以上は応答しなければならなかった。受話器を取り、僅かな沈黙を挟んだ後に「…はい。」と答える。驚くほど低いテンションの声色に我ながら少しやっちまったと思ったが、過ぎたことは深く考えないようにした。
ややあって、電話口の主の息を飲む音。

それから昨日聞いたばかりの意外な人物の声が耳に飛び込んでくる。


「あ、こんばんは轟くん。突然すみません、みょうじです。」

「……なまえ、さん?」

「スマホに連絡入れたんですが、既読にならなかったので…事務所に寄ってみたら電気付いてたから、つい来ちゃいました。」


突然すみません、と聞き心地のよい声。
それは思ってもいなかった想い人の声だった。

流石に驚いて「どうかしたのか?」と問う。なまえさんは「ちょっと聞きたいことが…今少しお時間大丈夫ですか?」と落ち着いた態度で呟いた。

無論断る理由などあるはずも無いのでパソコンをシャットダウンもせずに閉じて足早にエントランスへ向かう。通路の窓ガラスに映った俺の顔は存外分かりやすく浮かれていた。


「轟くんこんばんは。」

たどり着いてみれば、なまえさんはエントランスで鼻を赤くして佇んでいた。仕事帰りだろうか服装はシンプルなブラウスにテーパードのスラックスという出で立ちで、目の下に暗い控えめな隈をつくってはいるものの、それなりに元気そうだ。

「こんばんは。」

挨拶もそこそこにとりあえず奥に、と促したが、「すぐに済むので大丈夫」と彼女は遠慮した。無理に勧める気もないのでそのままなまえさんの話に耳を傾ける。彼女はどことなくそわそわしながら目線をあちこち漂わせた。……何か今日のなまえさんはちょっとテンションが高い気がする。


「それで、どうしたんだ?」

「あぁ!本当忙しいところすみません…どうしてもいても経っても居られず。あの、轟くんって金属アレルギーとかあります?」

「………アレルギー?」


とりあえず気を取り直して聞いたは良かったが、改めて帰ってきた彼女の返答に面食らった。仕事に関することで来たんだろうとは想像していたが、それにしても金属アレルギー……そんなことを聞きにまさかわざわざオフィスからここまで来たのだろうか。


「ねぇ、けど。」

「そうですか、それならよかった!」


バッグの中からいつもの手帳を取り出して、なまえさんはまるで何事も無いかのように手帳に書き込んでいく。些かトーンが上がった声で、にこやかに笑いながら「じゃあこれは大丈夫、と」呟いた。

「…それだけの為に、来たのか?」

「え?」

「忙しいだろ、なまえさん。なのに何でわざわざここまで来たんだ?」


メッセージでも済んだことだったんじゃないか。何で多忙な彼女が、それこそ一昨日ヴィランに人質にされたばかりの人がわざわざ俺に会いに来てくれたのだろうか。聞きたいことは山ほどあったが一番シンプルな疑問を投げ掛ける。勿論会いにきてくれたことに対して嬉しくないといえば嘘になるが、それとこれとは話が別だ。


「なんで、…ですか?」

「あぁ。」

「なんでと言われると…ちょっと恥ずかしいんですけど、顔を見て直接話したいなぁと思ったので、来ちゃいました…。」

「は、」


あぁ!ごめんなさい、連絡はしたんですけど突然でしたよね!忙しいのは轟くんの方なのに!と直後、それまでの爆弾発言など気にも止めていなかった彼女が打って変わって慌てふためく。

「直接………」


オウム返しでしか反応を返せないほど今の自分には余裕が無かった。きっと製作の為に直接会いたかった、という意味で彼女はさっきの言葉を吐き出した、という理解ではいた、…が、それにしても爆弾過ぎるだろ。つい、真顔になっちまった。

言葉が足りないだけで、別になんの変哲もない言葉だが、なんでもないやつから言われるのと想い人から言われんのじゃ、全くニュアンスが違う。
会えるだけで心境穏やかで居られないというのに。今に始まった事じゃねぇけど、やっぱりなまえさんは、本当に手強い。


「もう直ぐ完成するんです、コスチュームが!だから直接お話しして最終調整に臨もうかなって……。もう、帰るんでお邪魔してすみません!」

「いや、今日は落ち着いてる方だから俺は別に平気だ。それより、用事はもう済んだのか?」

「い、一応…?」

「何で疑問形なんだよ。」

「いや、肝心なことを確かに聞き忘れてたので…ひとつだけ聞いても良いですか?」


そしたら本当に帰ります。とだけ告げてなまえさんは手帳を鞄にしまう。別に急ぐことねぇのに、と少しだけ残念に思ったものの口には出さなかった。まあ、会えただけでも良しとするか。

ひとつと言わずいくらでも聞かれれば応える
つもりで彼女の次の言葉を待つ。なまえさんは目に僅かな光を宿して、控えめに口を開いた。


「いつか、轟くんのイメージカラーを聞かれた時があったじゃないですか。私は轟くんのことを群青って例えたけど、」


ーーーーー轟くんが自分で思う色って結局なんだったのかなって。




「…そういえば、そんなこと聞いたな。」


彼女との想い出が短期間のうちに比較的早く積み重なったせいか、記憶の彼方に忘れそうになっていたそんな出来事を思い出す。そういえば自分を色に例えると?って取材を受けて一度メッセージでなまえさんに意見を聞いたことがあったな。鮮やかにあの時感じた柔らかな記憶が一斉に振り向きはじめる。

どうやらイメージカラーを聞くために、わざわざここまでなまえさんはやってきたらしい。まあ確かに仕事熱心で、真っ直ぐな彼女らしいと言えば彼女らしいが。

それにしても唐突過ぎる。


「そうだな…」

逡巡し、顔を伏せた。自分なりの答えは何だったか。あの時、俺は同じことを高校のクラスメイトにも聞いて回っていた気がする。そしてなまえさん含めそのほとんどが青系の色を示してきた。その中でも一番腹に落ちた色は、確か


「俺も、俺の色は群青だと思う。」

「え、」

「なまえさんの喩えてくれた色が、一番すっきりした。」

「ほ、本当…に?」


一緒に送ってもらった色見本を一目見て、勝手に思ったことではあるが、“俺みたいな色だ”と、感じたのは本当の事だ。それこそお世辞じゃなく本気で。赤と青の狭間、夜明けの力強い色と喩えられて嬉しかった、というのもあるかもしれない。


「あぁ。炎も氷も、俺の力だからな。」



「そっ、か………ありがとうございます、なんか、やっと…まとまった気が…」


思ったことをそのまま告げるなり、彼女の顔が初めて見るような笑顔に染まった。「ありがとうございます、やっと…やっと分かったかも…!」と感極まった勢いで不意に俺の手がなまえさんの手に包まれる。ふわりと普段彼女がまとう凛とした香りが再び舞い降りた。

自然と俺も今までしたことの無いような笑顔になる。少しずつ汲み取っていたものが、いっぱいに満たされたような、そんな感覚だ。

ありがとう、とそう言うけれど、
それはこっちの台詞だと思う。


「俺の方こそ、なまえさんに頼んで良かった。あと少しの間、最後まで頼む。」


(……最後、か。)

何気なく口にしたそれだったが、ふと実感と共に虚しさが湧き立った。そう言えば納期まで残り2週間か。

この関係が終わるのもあと少しの期間なんだな。
そうしたらそこから互いに正真正銘友人になる。

仕事相手という関係を取っ払った後の何も無いその先が恐ろしかったから、俺は、なまえさんと友人になったのに、気付けばそれさえ物足りないと感じる自分がいた。




「それじゃあまた来週、お邪魔しました。今度は最終サンプル持って来ます!」

「ああ、またな。」


にこやかに手を振って事務所を後にするなまえさんの後ろ姿を細めた眼差しで見つめる。街角に吸い込まれて後ろ姿が消える直前までずっと眺めていた。

切なさが鎌首をもたげて突き刺さる。その心には覚えが全くなくて新しい感情ばかりだ。好きだと伝えればこの切なさから開放されるだろうか。

分からない。
ただ分からないなりに前に進むしかない。

期日は目前まで迫っていた。
俺が、この想いを打ち明けるまでも、あと僅か。


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