揺らぐシンメトリー

轟くんの左腕から放たれた炎が、ごうと火花を散らして巻き上がり、武器を構えて向かってきていたヴィランの姿をあっという間に覆ってみせた。圧倒的なスピードと力でねじ伏せられるその様はまさに見事という他なくて。


まさかこんな近くで見ることになろうとは。

ただただ見惚れるばかりの鮮やかな手つき。彼が目の前に現れてから1秒もなかったはずなのに何とも早い対処に感服せざるを得ない。彼の戦う姿はあまりに圧倒的で、そして無駄がなかった。


というかこの一瞬の間に轟くんは一体何処から現れたのだろうか。目を瞑っていた所為でよくわからない。


呆気に取られながら放たれた炎の柱を茫然と眺めていると、ごうごうと燃える柱が暫くしてから空に消えた。炎の勢いがおさまったのち、私の視界に飛び込んできたのは哀れなヴィランのなすすべなく立ち尽くす姿のみで。

その姿は同情するくらいに哀れな状況だ。
ややあって黒い煙と共に沈黙し、男は地面に倒れ込んだ。どうやら気を失ってしまったようだった。




しかし問題はもう一つ残っている、氷壁で隔てられた向こう側のヴィラン達だ。向こう側でもヴィランとヒーローが交戦しているようで、こちらと同じく怒号と叫喚が入り乱れていた。爆発音やら何かがぶつかり合うようなただ事ではない音がそちらから響いていて、耳に入る音すべてが嫌な予感を思い起こさせる。

一体向こうはどうなっているのだろう。

戦闘中なのは理解出来るけど、にしてもこの目で直接見ることができない為不安だけが積み重なっていく。せめて誰も怪我せずヴィランの制圧が完了してくれればいいんだけど…。耳が拾った音を頼りにただただ祈るしかできない。


だが、そんな心配も僅かな間だけの出来事だったようで。少しだけ笑みを浮かべた轟くんから「大丈夫だ、なまえさん。」と声が掛けられた。

私の知っている、優しい彼の笑顔。その声に、小さな笑顔に不思議と身体の震えがおさまる。

そうだ、私の好きなヒーローが
あんな奴らに負けるはずがない。


私は白い息を長く吐き、抱えられた状態で押し黙った。心臓は変わらず激しく鼓動を打ちまくっていてやけに落ち着かない。深呼吸を意識し、続けて浅い呼吸と深い呼吸を繰り返しているうちに、気が付けば壁の向こうの音がおさまっていた。


(ヴィランは……)


これ以上の苦難はもう要らないから、どうかもう終わっていてくれ。

祈るような目で透き通る壁の向こうを凝視していたその時、辺りから反響音が消えたと同時に壁の向こうから「ヴィラン制圧完了!」と高らかな声が響き渡った。

それを聞いた轟くんが立て続けに一言「人質は無事だ!」と叫ぶ。

轟くんの声が私の身体を反響し広がっていった。それと共に実感も現実味を帯びる。

彼が言ったのは、私を取り巻いていた悪意がこの瞬間をもってその全てがヒーローによって排除されたという事実。


「あ……、」



人質の無事が現場に知らされ、壁の向こうから歓声が聞こえてくるのと、私が脱力し思わず長い長い安堵のため息を吐いたのは、図らずともほぼ同時で。

現実から剥離した意識で、ゆっくりと自分の身体を眺めてみれば膝やら腕やらは擦り傷や打身痕が数多く並んでいる。

ああ、本当に酷い目にあってしまったなぁと、思った。しかし助かったことに対する様々な気持ちを飲み込むだけで今の私は精一杯。張り詰めた顔で同じく安堵のため息を漏らした轟くんの胸に勢いよく顔を埋め、恥ずかしいくらい盛大に泣き喚き始めるまで、さほど時間はかからず、


「ううぅ…よかっ、た…!助かって…ほんとに良かった!ーー、わたし今日…、死ぬかもって…っ、」


とうとう溢れ出す思いに私は蓋をすることができなかった。現状轟くんの胸を借りて、傍から見ても引かれるくらいに大泣きしてる状態。本当にお恥ずかしい話だけど良い歳してめちゃくちゃに涙が止まらない。だって、本当に怖かったんだもの。


でも、そんな私でも轟くんは「頑張ったな、なまえさん。」と優しい言葉をかけてくれる。控えめに抱き寄せて安心させるように何度も背中を叩いてくれた。

「遅くなって、悪かった。」

謝っても謝りきれねェと悔しそうに呟いて、私の頬に出来た切り傷に轟くんは指先で触れた。顔に出来てしまった傷は軽くはあったけど、それでも多少痕が残ってしまいそうなものだった。

傷はいつか癒える。

しかしそれとは別に彼の悔しげな顔が心中を物語っていて、それが杭となって痛いほど心に突き刺さる。


そんなふうに謝らないで欲しかった。
だって最後には来てくれたんだから。


「でも、…っ、来てくれた…!轟くんが、来て、くれなかったら…わ、私…はっ、」


笑っちゃうくらいひどい顔をしているんだろうなぁ。嗚咽でいうことを聞かない口が伝えたいことすらまともに喋ることを許さなかった。普通なら見せられないレベルの醜態だ。

でもまあ別にいいか…。何かもう、感じていた恐怖も苦しみも、何もかもが彼の傍に居るだけでこんなにも癒されていたし、

またこうして二人で話すことが出来ていることが既にかけがえのないものなんだと私はもう気付いているのだから。


「助けてくれて、本当にありがとう…っ!」


せめてありがとうを言わせてください。私の中の最大限のありがとうを。貴方と会えたことに、貴方の様な最高のヒーローのコスチュームを任せてもらえることに。

轟くんは僅かに眉を下げて今までに見た表情のどれにも当てはまらないような顔をしながら「無事でよかった。」と言った。
彼が私の泣き顔を見て何を思ったのかは分からない。未だ喧騒の残る現場ではあるけれど、私たちを囲む空間だけは何故かほんのりと柔らかくて。泣いてもいい、と私に促すようにまた背中を軽く叩かれる。


かくして事件は、私という人質をヴィランから解放したことで無事終息を迎えた。




ーーーーーーーーーーーーー

すこし前、と言ってもあれからひと月ほど経っているけれど。以前まだ私が恋心を完全に自覚する前。轟くんのことをまださん付けで呼んでいた時、今回のヴィランの件で心配してくれた轟くんが家まで送ると申し出てくれたことがあった。

その時の申し出は部署の懇親会に参加中だったこともあって辞退させてもらっていたのだが、今再び縁あって同じ状況が私の元に舞い降りてきている。

なんと警察の聴取に呼ばれた私を、聴取が終了するまで轟くんが署の外で待ってくれていたのだ。

「………えっっ、」

疲れ果ててへろへろのまま署から出るなり、いつからそこに居たんですかと言わんばかりの轟くんから「心配だから今度こそ送ってく。」と聞き覚えのある申し出を受けた。

立ち尽くし目を丸くする私とは対照的に、彼は堂々平常運転らしく「どの辺に住んでるんだ」と一言。
いや、送ってもらうつもりはないんですけど…とは、まあ言えなかったわけで。




私の住むマンションは、待ち合わせしていた街から電車で三駅ほど更に降った静かなベッドタウンに居していた。

出来てまだ間もない新築マンションのその中、30階建ての20階フロア角部屋が私の部屋だ。
それなりに高いマンションのそれなりに高い階の部屋を借りている。十分に立派すぎる外観のマンションだが、何故そんな所の部屋を借りたかといえば、未だかつて類を見ないほど仕事が立て込んでいて、そのストレスを発散させるための何かが欲しかったから、である。


よくよく考えれば周りはファミリーばかり、エントランスには常にイベント毎の飾り付け、そして一人で住むには広すぎる2LDKと寂しい女心を更に荒ませる条件が一通り揃っていたのに、このマンションに決めてしまった私の当時の判断は浅はか極まりない。




と、そんなこんなで申し出を断ることが出来なかった私と轟くんは、マンションのエントランスを現在進行形で並んで歩いている。

(最寄りの駅まででいいって言ったのに。)


どうやら彼には今回だけは“送らない“という選択肢がなかったらしい。いや、嬉しいよ?嬉しい…けど。嬉しさと申し訳なさとその他色々な感情が私の胸中をひしめき合ってうまく言い表せない。


エントランスにはきらびやかな電飾のクリスマスツリーが相変わらず中央に大きく鎮座していた。
轟くんには更に譲歩してとりあえずマンションの入口までで大丈夫と伝えてみたものの、部屋まで送ると言って聞かなかった。

本当に頑として聞いてくれなかった。あんなことが起きた日でもあるしその気持ちは分からなくもないけど……いや、あまり深く考えない方がいいのかもしれない。黙って送ってもらうことにしよう。

そう思った矢先、彼が不意に口を開いた。



「今日、予約してもらったレストラン…あるだろ?」

「レストラン…?あ、はい……ある…あるけど、それがどうかしました?」

「また、近いうちに行こう。」


エレベーターが到着したので会話しながら乗り込む。階層ボタンを押そうとした時に限ってそんなことを言い出すものだから、思わず「えっ」とボタンも押さずに聞き返してしまった。

「えっ、でも」

動かないエレベーターに隔離され、取り残される私達。遮音された空間が互いの声をはっきりと響かせる。


「あと、なまえさんが一緒に行きてぇっつってた本屋…?もだな。今日する予定だったことは全部やろう。」


「ありがたい…ですけど…、でも轟くんは忙しくないんですか?」


「……忙しくても、折角なまえさんが俺と行きたいって言ってくれたからな。」


轟くんと行きたい…とは正確には言っていないんだけどなぁ。本心はといえば、そりゃその通りなんだけどなんか間違って捉えられててまずいことになってる感が否めなかった。とりあえず平静を取り繕いながら20と表示されたボタンを押すと同時にゴウンとエレベーターが上昇を始める。


私が慕っていることを悟られたくなかったからこそ、この前は「変わった大きな本屋が隣町にあるんですよ、轟くん本とか読みますか?よかったら一緒にどうですか?」と周りくどく聞いたのに。


「無理に空けなくてもーー、」


「いや、俺もなまえさんと一緒に行きたいんだ。………もうひと月もねェし。」


爆弾発言は彼にとってはいつもの事だと分かっていたけど、でも今日だけは別だ。

ひと月もない、というのは多分この仕事の納期のことを指している。でもひと月もないからなんだと言うのだろうか。

返答する余裕すらなく、目を大きく見開きゆっくりと視線を向けて轟くんの表情を伺えば、じっと私の目を真っ直ぐ見据える二つの双眸と目が合う。どこまでも透き通った瞳と目がバッチリ合っていようものなら、普通赤面して直ぐ目を逸らしてしまうはずの私だったけど、何故か今この瞬間だけはどうしても目が逸らせなくて。

17 18 19 …

階層は無言でいる間も滞りなく進み、もう時期20階へと到達する。そしてさよならの時間も直ぐにやってくるだろう。

答えを聞く勇気が出ない。
私はただ明確な答えを聞くことが怖くて仕方ないだけだった。だって聞けば壊れてしまう。それが恐ろしくて。轟くんにもしこの気持ちが伝わってしまったら、そして轟くんの心境を聞いてしまったら。私は満足いくような彼のコスチュームを作れなくなってしまう。


エレベーターが到着し、内部に外の冷たい空気が流れ込んできた。二人同時に吐き出した息は白い。もう夜になると大分寒くなってきたなぁと独りごちる。

結局私は轟くんから目を逸らすことでしか
逃げられないのだ。

胸が締め付けられるように痛い。
切ないなぁ、もう子供じゃないのに。

こんな胸の痛みを全国の恋する人達は耐えているなんて。みんな凄いなぁ。自分にもそんな時期がきっとあったはずなのに、どんな風に恋していたかすっかり忘れてしまってもう思い出せそうにない。



ひと月もない、のならーーーー、

無言を貫き目を逸らした私の意図が通じたのかは定かではないが、ややあって轟くんがぽつりと「着いたな。」と顔を伏せた。急ぎエレベーターを降りる間際に彼から小さく「また連絡する。」と投げかけられる。

あらゆる思考を巡らせつつ、依然何か言いたげだった彼の視線には見て見ぬ振りをして。

どこか吹っ切れた笑顔で「ありがとう、また今度。」と私は閉まりゆくドアの隙間から僅かに見えるその姿に向かって笑いかけた。


コスチュームの納期が近づいている。

私と彼の奇妙なつながりが終わるのもあと少し。





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