私は自慢じゃないけど人生の大半を平和に過ごしてきた。危険とは無縁に過ごしてきた。それはこの先もずっと続くと思っていた。
のになんで今こんなことになっているのだろう。涙さえも引っ込むほどの恐怖に身体の芯から震えが止まらない。
こめかみに当てられた冷たい金属を男が突き出して、私に歩くように強引に示してくる。脳髄を直接叩かれているような衝撃に目眩がした。まっすぐ立ってるだけで精一杯だった。
パトカーのサイレンが既に遠くの方から幾つか鳴り出していて、時期にここに集結することが予想できる。けど予想できたからと言ってそれが何になると言うのだろう。
私を荷物を抱えるかのように乱雑に掴んだ厳つい男が集まりだした聴衆に向かって叫ぶ。
「それ以上近付くなよテメェら!ショートの女がどうなってもいいのか?!」
「きゃあ!!」
威嚇とほぼ同時に頭上で聞いたこともないような爆音が響いた。途端炸裂音が光と共に放射状に宙に広がっていく。咄嗟に頭を抱えて体勢低くしゃがみ込み、目を瞑る。ヴィラン達の雰囲気はまさに興奮状態そのもの。見るなり戦くヒーロー達と警官が、パトカーの中へと慌ただしく戻っていく。
「これは虚仮威しじゃねェぞォ!」
男のもう片方の腕に繋がったランチャーからの威嚇射撃だったと気づいた頃には大粒の涙を流して蹲ることしか出来なくなってしまって。当たり前だ、だって生まれてこの方こんな至近距離で銃を乱射された経験なんて、あるはずなかったのだから。
恐怖のあまり腰が抜けた私のことなど気にもとめずヴィランが腕を引いて無理やり立ち上がらせてくる。
「おい、立て!何倒れてんだ!!」
私がくず折れた足で立ち上がったすぐ後、下品な怒号が飛び交い、再び銃弾が乱射される。
みるみる手出し出来なくなるヒーローたちがあちこちへと電話をかけていて、あちら側との境界からさらに切り離されていくのがわかった。
目の前が暗くて、よく見えない。
(いやだ、まだ…死にたくない!!)
涙を流して俯くとガラス玉の様な涙が地面に吸い込まれていく。小さな呻き声でさえもあげようものならば、気が立ったヴィランのあの銃に撃ち抜かれ次の瞬間には蜂の巣にされた自分の姿を見る羽目になりそうだ。
声を殺してとにかくヴィランの言う通りにしなければ。立てと言われれば立って、泣くなと言われれば死ぬ気で泣き止む。それしか私には許されていないのかもしれない。
「要望は二つだ!まず、この場から俺たちが逃げるまで追ってこようとするんじゃねぇ!追ってきたらその場で人質を殺すぞ。」
「…………っ、」
大人しくなった包囲網に対し、ヴィランが叫ぶ。強盗というよりゲリラだと言わんばかりの蛮行をこちらに見せつけていたが、要求はきちんとするらしい。高らかに殺すと宣言されてはいよいよ生きた心地がしなくなってきた。
ヒーローや警察からしたらそろそろこいつらをお縄に着かせたいだろうに。私の存在が本格的に奴らの逮捕を阻むことになっているのが悔しい。
双方の沈黙と睨み合いがしばし場を支配した後、男は二つ目の要求を叫んだ。
「それからもう一つ!先週捕まった俺達の仲間が二人いるよな?あいつらもついでに釈放してもらおうか!」
「なんだと、馬鹿なことを言うな!」
「馬鹿で良いんだよ!それよかテメェらコイツがどうなっても良いのか?!」
にじり寄っていたヒーローの一人が武器を構ながら大声で同じく叫んでいる。抵抗するように呼応して男の声も大きくがなった。ガチャ、と鋼鉄が変動する音とともに超圧縮技術で応用されたハサミが飛び出して私の首筋にあてがわれる。あまりにも暴力的な造形だ。背中と額を冷た過ぎる汗が流れた。
「やめろ!分かった…お前らの仲間は近くの刑務所に収監されている。もう20分ほどあれば釈放可能だ、だから人質には手を出すんじゃない…!」
人質に再び武器が突き付けられたのを見るなり、警察官が拡声器を片手に慌てて要求への対応案の提示をする。ヴィランの顔色が突如として変わり、激しい感情の起伏が見え隠れしていた荒々しい表情から一変、下卑たにやけ顔になった。
身体の奥底から震え上がるような笑み、子供が見たら大泣きするレベルの恐ろしい形相だ。いや私でも今号泣寸前だから、大の大人だとしても誰でも泣くと思う。
20分もこのまま膠着状態を続けなきゃいけないなんて。無理だ、無理に決まってる。救出より先に私がおかしくなる。
(誰でもいいから助けて…。)
顔面蒼白で、冷や汗が全身に滞りなく流れた頃、突然しゃがめと指示をされた。いきなりの命令に心臓が壊れそうになりながらも、とりあえず素直に素早く体勢を低くする。直ぐに足が動いたのは生存本能という他ないだろう。
しゃがんでから少しの間だけ、何故か男は私の方向斜め後ろ上空を睨み、次いで自分の後方までをぐるりと見渡した。まるで何かに警戒しているかのように。
(……何見てるんだろう。)
つられて私も辺りを見回す。特段先程と何も変化はない。変わらず地面や建物に銃弾の無惨な跡があいている。私がいる位置からおよそ25mほど離れた場所に警官やヒーローが数名待機して、皆一様に閉口し顔が緊張感に引きつっていた。
(あれ?)
一通り見回して、私はふとある事に気付く。
(人質にされてから結構経ってるのに、なんだろう。違和感が……。)
突如として違和感が頭の片隅にふっ、と鎌首をもたげてきた。一件何も変わりないような光景。しかし無視出来ないおかしさがそこにはあって。…なんだろう、何か変だ。
私はその違和感の正体を見つけようと辺りの観察を始めた。人間の頭は危機に陥るとリミッターがやっぱり外れるのかも知れない。自分でも驚くくらい普段なら行きつかない部分にまで目が届いてちょっと不思議に思える。
(おかしい、)
体勢低く屈みながらも眉を顰めて今現場にいるヒーローを数えると、ようやくその答えに辿り着いた。
やはり違和感の正体は気のせいではなかったようで。どうやら人質事件という非常事態の割に明らかに現着しているヒーローが少な過ぎるのだ。
ここは強盗ヴィラン出没回数の多い地区である。その上ヒーロー事務所も食い合うくらい乱立しているような街だ。
それこそ現着までに秒も掛からない程の優秀なヒーローも、サイドキックもこの街には両手に収まらないくらい居る。
それなのにこの人数っておかしくないかな。見る限り5名もいない気がする。
ほかの事件と被って指示系統が混乱してるのだろうか?いや、だとしてもヴィランが銀行を襲ったすぐ後には既に警官が駆けつけていたし…。
そしてやはり轟くんがこの騒ぎに居合わせていないことに、私は大きな違和感を覚えていた。彼の事務所はこの場所から大して遠くない。しかも確か轟くんはこの強盗ヴィランを捕まえようとしていたはず。それなのにあの轟くんが、出没に際して駆けつけるまでにここまでの時間を要するだろうか。
かぶりを振る。いや、そんな訳はない。だってそもそも私達はこの銀行のすぐ側の広場で待ち合わせをしていたのだから。それももう時期約束の時間になる、という時に。
近隣まで来ていないわけがない。
あの人が、近くにいないわけが無い。
となれば近くには到着してるけど。顔を出せない理由があるのだろう。私が人質になっていることが関係してるのかな。
(そう言えばヴィランがさっき言ってた…)
はた、と再び気付く。
男が銃を乱射する前、なんて言ってただろうか。“それ以上近付くなよテメェら!ショートの女がどうなってもいいのか?!“と言ってなかっただろうか。
いや、確かに言ってたと思う。
ショートの女…というのは語弊があるけど。
でも、私がショートの関係者だと知らしめるには十分過ぎる言葉。
しかもヴィランはといえば轟くんの本名の方までも知っていた。男らが持つ彼の強さへの警戒振りが伺える。
仮に包囲してるヒーローからしてみれば、人質がショートの関係者だと知ったとき、そんな所に本人が顔を出せば火に油を注ぐ結果になると考えるのは当然の結果で。
人質が私だから、
私が轟くんと知り合いだから、
ヴィランに電話をかけたのがバレたから、
改めて向き合う事実に心を抉られる。
(私の所為でやっぱり心置きなく出てこれない……んだ。)
と、愕然とした顔つきで包囲網を眺めていたのもつかの間。どうしようもなく人質という状態に辟易している私のスマホが不意に振動した。
え?取り上げられたはずじゃ、と思わず自身の感覚を疑ったが、あの時取り上げられたのは社用スマホの方で、轟くんに連絡を取ったのも社用スマホの方だったことを思い出す。音信不通事件の折にどちらのスマホにも電話番号を入れさせられたのだ。
最後の希望のような私用スマホはとにかく長く揺れている。ただの通知にしては長いような雰囲気だ。着信が入っているのだと無意識に理解した。
振動に呼応するように勢いよく顔を上げ、目だけを動かして見回してみるが、求める姿は見当たらない。しかし画面を確認することすら今は叶わないけど、誰からの着信か、画面を見なくとも私には分かっていた。彼はこの着信を使って、確かに存在を教えてくれているのだ。
(どこかにいるの…?)
轟くん以外に電話の主は考えられない。
一度振動は途切れたものの、再び間髪入れず震え始めるスマホ。スマホからは私が顔を上げて彼の姿を探す度に見てるぞ、と知らせているような着信がなり続けていた。
やっぱり来てくれていたのだろう。安堵から、堪えていた目に思わず涙が滲む。そうだった、あの人は私の知りうる中では最高のヒーローだった。助けを求める声にいつだって答えてくれるような強い強いヒーローだった。
折れかけた心に希望が灯る。そうだ、泣きわめく事も諦めることもいつだって出来るけど、今はまだその時じゃない。第一轟くんにコスチュームも作っていないのに死んでたまるか。
依然不確定なタイミングで震え出すスマホだったけど、今はその頼りない振動が心強い。こんなにも勇気づけられてしまうなんて。
私の顔つきが少し変わったことに包囲しているヒーローが気付いたのか、途端向こう側の雰囲気も変わり始めた。
信じ続けるしかない。轟くんが、ヒーロー達が絶対助けてくれるって。大丈夫、ここには他の誰でもない轟くんが居るのだから。