シザー・ステップ

夢を見ていた。
暗い街並みを一人寂しく歩いている夢を見ていた。外は一面真っ白な雪で、ちょうど現実とリンクしている。寒々しい自身の周りだけが暗くて、道を挟んだ向かい側を歩くカップル達は皆幸せそうな、花咲く笑顔だ。

それなのに、

自分の周りには何故か光さえも差していない。夢の中の私は傘を差しているけれど、傘をすり抜けて雪が肩に降り積もってくる。なんで?と疑問に思う心はあれど夢だから、とどこか醒め切った思考で仕方なく道を歩いていた。

夢の中なのに寒い。そろそろ帰らなきゃ、無表情で帰る場所などない知らない街を歩きながら帰路を急ぐ私の、そんな寂しげな背中に突如傘が差し出される。

顔を上げればそこには人知れず想いを寄せるかの友人。マフラーを片手に、私の背丈に合わせて屈んでいる。

「え?」と素っ頓狂な声を上げると彼はほんのりと笑った。「風邪ひくぞなまえさん」と傘を私の上に持ってきて、首に直接マフラーを巻く。マフラーはいつまでたっても巻き終わらなくて顔中ぐるぐる巻きにされる。
「えっ、ちょ?」と困惑気味にマフラーの隙間からなんとか様子を伺うと、視界の真ん中に鼻を僅かに赤くしたその人。先程以上に綺麗に笑って彼は一言「迎えに来た」と言い切ったのだった。






今日の夢はそんな取り留めのない夢だった。夢に理由を求めること自体野暮だけど、それでも意味を問わずにはいられない。

欠伸をひとつして、白い息を意味もなくぼうっと眺める。街は本格的に年の瀬で浮き足立っていて。そんな風に様相が変わった街の中で夢同様に雪の降る街中、カップルの行き交うクリスマスツリー前の広場にて、今日見た不思議な夢を振り返りながら、待ち人を待っていた。

約束の時間より幾らか早い時間帯。まだその人は多分事務所すら出ていない。ここは私の職場と轟くんの事務所から数えてちょうど中間地点に位置する街である。


先日午後休とかいう大変貴重な休みをとった私は午後休確保と同時に轟くんに連絡をとっていた。心配かけたお詫びに…と建前を貼っつけてランチに誘い出したのだ。向こうの返事も快諾で、何処へ行くとか何をするとか待ち合わせ場所もスムーズに決まって、そして今に至る。


終業時間が少し早かったので一足先に待ち合わせ場所付近でも散策して待っていようかとやってきた広場。いやはや年の瀬だからかクリスマスが近いからか行き交う人が皆慌ただしくも輝いて見えた。

しかしそんな華やかな街並みとは無縁に思える今日の私の服装。見慣れた普段通りのカジュアル。ホワイトのカットソーにベージュのトレンチ、デコルテを飾るのは申し訳程度のワンポイントアクセと言った変わり映えしない装い。やっぱりもう少しだけおしゃれして出社しとけば良かったと後悔した。

化粧もしてるけど、ナチュラル気味だし。折角純粋な仕事に関係しない食事が出来るのに華がないかなぁ。どうしよう。

ふと時計を見る、予定時間の凡そ一時間前。あたりはショッピング施設に溢れている。そうだ、どうせなら彼が来る前に少しだけ買い物しちゃおうかな。自分用にひとつ可愛いパンプスが欲しかったところだし。

思い立って、クリスマスツリーの側から離れる。トップスとパンプスを新調して、その場で着替えてしまえばちょっとおしゃれもできるし、自分用のご褒美も買えるし、いいじゃないか。悩むことも無くこの余った時間の活用方法を実行に移すべくヒールを鳴らす。

とりあえず行こう、まずは銀行行かなきゃ。向かいの路地の先に確かあったはずだと思い出し、歩き出す。私の顔も例に漏れず街を行く人々同様に輝いているのだろうか、きっとそうだろうな。足取りを弾ませながらそんなことを独りごちて、私は銀行を目指した。




銀行へたどり着くと、窓口には長蛇の列が出来ている。昼時だし当たり前か、とその列を眺めながらその列より少しこぢんまりとしたATM列へと加わった。不意に目の前のおばあさんが鞄の中から取り出した封筒をばさりと床に落としたことに気づく。あっ、と小さく声を上げて封筒を凝視するおばあさん。


「取りますよ。」

「あら、ごめんなさいね。」


ゆったりと膝を曲げて封筒に手を伸ばすおばあさんに声をかけ、私は素早く封筒へと手を伸ばした。流れるように拾い上げた封筒を手渡す。再びゆったりとした動きで上体を起こしたおばあさんが申し訳なさそうに笑った。

「ありがとうございます。」

「いえいえ、お昼時は混んでますね。」

とても上品に笑う人だ。綿毛のような効果音が似合いそう。思わずこっちまで笑みが溢れてくる。見れば上品な革製の鞄のハンドル部分にカラフルなヒーローマスコットがぶらさがっていて。


「そのマスコット素敵ですね。」

「ふふ、孫に貰ったものなんですよ。」

「わあ、お孫さんから!良いですねぇ。」


マスコットを揺らして女性が微笑む。本当に誇らしく思ってるのか愛しむ目が柔らかい。そういうの良いなぁ、私はおばあさんにそこまで大したことはしてなかったけれど、そんな話しが聞けて良かったと思う。

気分も軽やかになったところで、おばあさんがATMへと歩いていく。順番が回ってきたのだろう、名残惜しい気持ちもあるが、「どうも、」とにこやかに会釈をしておばあさんに別れを告げる。微笑み再び前を向き直して私は鞄を持ち直した。

さて、どこのお店に入ってみようかな。広場前の華やかなショップ郡を振り返る。好みの店が記憶が正しければ噴水公園の辺りにあったような気がしていた。そうだ、あのフェミニン系のお店にしよう。ウィンドウのマネキンが履いてたネイビーのパンプス可愛かったし。

時計は正午を差している。まだ大丈夫だ、と再確認もそれなりに、ふと入口の方を振り返る。

その時、私の目は視界の端に
小さな飛来物体を捉えた。


(ーーーーーん?)


おばあさんの後ろ姿を見送ってから飛来物へと視線を移す。コロコロ、と灰色の物体が入口の自動ドアの隙間から転がって来ている。

なんだろあれ。

考えるより先に動きを止めた飛来物の形状を認識した瞬間私は青ざめた。なぜなら転がってくるものにしては有り得ないものが寄りにもよって銀行に、転がり込んできたからだ。


それは、無機質な鉄製の手榴弾で。



「……伏せーーー!!」

声の限りに行内の人間に向かって叫ぶ。
刹那激しい音と共に、入口側の大きなガラスが勢いよく吹き飛んだ。



(……うそ、そんなことって…)

さっきまで平和な昼過ぎの緩い空気で満ち満ちていた空間は今や、泣き叫び混乱の渦中に放り込まれる一般人と、喧しく騒ぎながらドタドタと足音鳴らして入ってくる招かれざる客達の騒乱で埋め尽くされている。

何か叫んでいるけれど悲鳴が凄くてよく聞こえない。ただろくでもないことを叫んでいるということは予想出来た。

私はこいつらを知っている。
こいつらは、銀行や宝石店、大型金庫を徒党を組んで襲う最近被害急増中の強盗集団。

俗に言うヴィラン強盗集団。


今回の標的は今私がたまたま来ていた銀行、といったところか。騒音と共に数名のヴィランが何か叫びながら次々と突入してくる。



突如入口で爆発した手榴弾とは別の丸い物体から白い煙が噴出され始め、辺りは瞬く間に濁って見えなくなった。おばあさんを庇って床に倒れた私の身体を無慈悲にも覆っていくその煙はどうやら催涙ガスらしくて、

「っげほっ!!」

凄まじい刺激と溢れる涙。
目が開けられなくて苦しい、辺りに私と同じように倒れた人々からの悲鳴が少しずつ嗚咽を帯びはじめる。

(やばい、だれか…)

ヴィランの声がようやく何を言ってるのか判別出来てきたものの、自分の不幸を思わず呪いたくなるような台詞が聞こえる、聞くなり嘘でしょ、と二度目の絶望。咳と嗚咽でひどい状況でもその言葉だけは嫌に鮮明に聴こえてきて、それが尚更最悪の事態を予感させた。


くそヒーロー共、足が早え!
何人か人質にして逃げるぞ!

と聞こえる怒号。銀行にいた一般客はそれどころではないようで地面に伏せたまま怯えきっている。ヴィラン達はどうやらただお金を盗むだけでは済まさない模様。

何が起きているのかまで咄嗟の判断は難しいけれど、自身のやるべき事に対して、とにかく一刻も早く身体を動かさなければ。
霞む視界の中でとにかくなんでもいいから気付いてくれと願いを込めて、スマホの履歴からある人の名前を探す。多分、一番上にいたはず。

必死でコールボタンを押すと呼出音がスピーカーから聞こえ出した。痛む目を無理やり開けてディスプレイを確認すればそこには“轟焦凍”の文字。一番初めに脳裏に浮かんだのが轟くんの顔だったせいか、最近の通話記録のほとんどを彼が占めていたこともあって思い浮かぶ中で最高に強いヒーローへと無意識に私は助けを求めていた。


電話はかけることができている。あとは、祈るだけ。お願いだから気づいて……!




「おい、お前何やってんだ!!」

「……!」

しかしやはり今日の自分は底抜けに運が悪いらしい。数歩先も見えない煙の中にも関わらずヴィランの一人に電話をかけていた所を見られてしまった。乱暴にスマホを取り上げられ、後ろ手に縛られる。

「っ、痛!」

「おい、リーダー!こいつ連絡取ってやがったぞ。どうすんだ!?」

「ほっとけ!どうせもうすぐそこまでヒーロー来てんだからよ!それよか人質にするやつ選ぶ方が先だ!なるべく弱そうな奴にしろよ!」


「ちっ、」

舌打ちと共にヴィランが私の通話を切った。鳴り響くスピーカーからの不通音、絶望的な状況だった。通話履歴は残ってるだろうけど、状況を伝えることはもう出来ない。どうしよう、もう大人しくしてた方がいいのかも。なるべく刺激しないように気を失ったふりをしながら静かに床に伏せる。

ヴィランは依然私の傍から退かずにスマホの画面と私の背中を交互に見ていた。

ヒーローに追われてここまで来たのだろうか?人質を連れてなければならないほどヴィランにとっては切羽詰まった状況ということだが、ヒーローが現着していない現場に取り残されてる時点で無事で済むとは思えない。

早く、誰でもいいから来て。
小さく震えながら祈る私だったけど、神様はやっぱりいないのかもしれない。傍でスマホのディスプレイを確認していたヴィランが不意にあることに気づいてしまったようで、大声でリーダー格の男を呼びはじめる。


「この女、ショートの知り合いだ!よりによってショートに連絡取ってやがった!」

「はぁ!?マジか!!」

(こいつら、轟くんの名前……)


下品な足音を響かせ続々と仲間がやってくる。縛られた腕を掴み上げられて無理やり立たされた。大きな怪我はしていないがキツくひねられた腕が痛い。見定めるように睨まれる。萎縮しきった身体が再び強ばった。


「ショートと知り合いになんてなっちまった自分を恨むんだな。」

「………。」


轟焦凍とだけ表示されていた画面だが、ヴィランは用意周到なことにショートの本名もしっかり把握している。プロヒーローのショートと関わりがある、これほどの人質としての逸材がこの銀行内にいるだろうか。



「連れていけ、そいつ盾にして逃げるぞ。」







お昼時はヴィラン犯罪が増えるらしいと何かの本で読んだ。はたしてそれは何故なのだろうか。

どうにも本によると喧騒に紛れて姿を消しやすく、人々の気の緩みから計画を成功させやすいかららしい。

今この瞬間にも、この銀行以外の日本中で恐らくこういう爆発音や騒ぎが多発しているのだろうか。危険とは些か無縁な人生を送ってきていたからよく分からない。

でもこの剣呑な街で私のような一般人が今まで生きてこれたのは、間違いなくヒーローのお陰であると片隅で分かっていた。

今まで私達一般人が怯えることなく過ごせて、私はといえば轟くんと関わるようになって、更にヒーローを好きになることができて。彼らの為に彼らを救けるコスチューム製作に身をやつして生きることができたのは、そんなヒーローたちの尽力のお陰。

守りたいと思っていた。

しかしそんな願いとは、時として大きな避けようのない不幸に巻き込まれることがある。

例えば忍び寄る霧のように。
例えば突如口を開ける大穴のように。



無情にも先程告げられた人質宣告がまだ耳に残っていた。幾度もエコーがかかって脳内にリフレインする。俯いたまま4人のガラの悪いヴィラン達に囲まれなすすべ無く銀行の裏口に連れていかれる。

扉を開けた先には何名かの警官とヒーローが構えていた。人質あり、という状況が救出する側の顔を曇らせるのか皆一様にその顔は暗い。


「この女を無事に解放して欲しいなら、こちらの要求に応えてもらおう。」

いかにもヴィランらしい台詞を男が吐く。次いで私の頭に硬い金属の塊が当てられた。ヴィランの腕輪らしき装備から炸裂音がして、瞬時に派生したハサミらしき鋭利な武器が頭に突きつけられる。あれは、アメリカ初の超圧縮技術?でもまだ日本には出回って無かったはず。十中八九不正改造の代物だろう。そんなものが頭に当てられて嫌な予感しかしない。背中を冷や汗が伝った。

縋るようにヒーローを見る。助ける、という意思は感じるのに私という人質が彼らを後手に回してしまっていると思うと、どうしようもなく嫌だ。

裏口に連なる大きな駐車場には現在私と私を盾にするヴィラン4名、そしてそれを待ち構えるヒーローと警察が数名。見渡してみても、望む姿が見当たらない。

(あぁ、いない。)

残念ながら今この場に私が一番に助けを求めたあのヒーローの姿は、どこにもなかったのである。

- ナノ -