扉を開けたら世界が終わってた

11月もそろそろ終わりを迎える。
本格的に寒さが存在感を露わにしてきた今日この頃。吐く息の白さが人肌の恋しい季節の到来を予感させた。


「もう直ぐ12月かぁ。」


ホテルの窓から外を眺める。早朝ということもあって通りに人の気配はあまりない。晴れていれば遠くまで見渡せたこの窓も本日は天候不良、どこまでも曇り空が続いている。明日は晴れるだろうか。


10日ぶりにやっと明日は自分のホームタウンに戻れる、そのことにやっと実感が湧いてきた。短い間だったがお世話になったこのホテルともさよならだ。


さて今日は急遽仕事が無くなってしまったし、最後に観光地でも巡ってみようかと思い起こしてベッド脇のサイドテーブルに置いてあるパソコンのキーを乱暴にタップする、起動音ののちに画面が立ち上がった。


「博多、観光、オススメ…と、」



新幹線を乗り継いで同部署内十数名と共にやってきたヒーロー多数輩出名門高校の所在地である福岡県。訪れたのは何気に初めてだったが流石観光地、次から次へと多数の名所がパソコンに表示される。


黙々とキーを打ち込みながら、パソコンは慣れているけどやっぱりスマホがいいなぁ、とぼやいて天井を仰ぐ。ふといちいち正面に座ってキーを入力するのが億劫になってしまったのだ。まあ元はといえば、それもこれも全部私が自分のスマホを自宅に忘れた所為なのだけれど。


初日、同じくこの部屋の中でカバンの中身を確認して絶望して「……スマホ忘れた…!!」と無意識に叫んだのが今となっては懐かしい。

取りに戻ることなんて無論出来るはずがない。ベッドに投げ出していた社用スマホをちらと一瞥、あいつはメールと電話とメッセージアプリくらいしか使えないしなあ、とため息をあの日と同じように吐いて再び視線をパソコンへと戻す。



スマホ依存症が話題になる昨今。現代人は便利慣れしてしまったのか、私も例に漏れずこの10日間、友人とのやりとりや調べ物において不便で仕方なくてストレスが溜まる一方だった。

(せめて轟くんから連絡入ってないといいんだけど…。)

返事返さなくて嫌われてたりとかしませんように……と願うばかりだ。







今回の出張内容は全10日間で総勢30名のヒーロー科生徒の採寸と要望を取り纏め、その個性を実際に見せてもらってデザイン案を立案することだった。

基本採寸や要望取り纏めは各々の学校で行ってもらっていたが、今回だけは異形個性持ちの所属生徒が多いため専門スタッフに任せられないだろうかと打診があったようで。

そうして色々あって今回このようにお邪魔させてもらえることになったのだ。



そうして来る本日は9日目。明日夕方には足並み揃えて帰宅する予定である。

本来は今日まで業務が掛かると見込んでいたが、やはり弊社商品開発部のメンバーらはすこぶる優秀だったらしい。せっかくの出張だと言わんばかりに本気を出して業務に取り組んだ所為か、結局今日は皆一様に揃って非番になった。




昨日の打ち上げの名残で部屋の入り口に脱ぎ散らかしたコートと投げ出されているカバンを片付けながらこの9日間色々あったなぁと記憶を振り返る。

楽しかったと思える素晴らしい経験をさせていただいたものだ。轟くんの案件といい、今回の大規模グループ発注といい、こんなにご贔屓を頂いてしまってなんだかありがたさと申し訳なさが半々同居している。


少しでも経験を糧にして最高のパフォーマンスでお返し出来る様に頑張らなければ。

とりあえずは直近に迫った轟くんのコスチューム期限までに全力投球。目標に対して今の進捗は大体60%くらいで落ち着いてしまっている。まだ肝心な部分において抜け落ちてしまっているので、帰ったら早速連絡させてもらおう。


本当スマホ置いてくるんじゃなかった。



まあ言っても過ぎてしまったことはどうすることもできないことを知っているので、家に忘れたスマホも気になるけれど一旦置いておこう。

どうせこれだけ音信不通が長引けば、今直ぐ帰って返信しようが明日帰って返信しようが、与えてしまった心配と相手の心象なんて変わらないし。




「よっし、」

明日返信します、と心で詫びて、ベッドに横たえていた上半身をよっこいせと起こす。
既に私の意識は観光地へと振り切っていた。

真向かいには大きな鏡とテレビ。そのどちらにも自分自身の随分と気の抜けただらしない姿が映っている。うわ、寝癖結構ヤバい。

時刻はそろそろ9時を回ろうとしているところ。準備をして出掛ければ部屋を10時には出れるだろうか。早ければ早いほどそれに越したことはない。バスタオルを手に取り一週間以上お世話になっているシャワールームへと向かう。





同時刻、都内の自宅のデスクの上に野ざらしに置かれたスマホに3回目の着信が入っていることなど気づきもせずに。

浮き足立つ気持ちを抱えて私は意気揚々と身支度をするのだった。












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ガラガラと一つだけ残したスーツケースを引きずり自宅マンションの通路を行く。エントランスに用意された華やかなクリスマスツリーとは対照的に寂しげに儚く色を湛えた通路。各々の玄関に灯る光のみを頼りに進んだ。

「はぁーーー、」


冬はどうにもやっぱり寂しい。


12月にもう時期なるというのに、仕事に明け暮れ彼氏という存在も居ないという事実が、今年も通路を行く度に突きつけられるようになってきた。

夜、帰宅中にこの通路を通る時は近隣の部屋から響く家族の団欒声が嫌でも耳に入ってきて、毎日胸を締め付けられる気分だ。仕事は大事だけど、後悔がないかと問われればはっきりとYesと言えないのが何とも歯がゆい。

イケメンの友人は出来たけど、出来てしまったけど。根本的解決には何一つなっていない。

そういう存在が欲しい訳では無いと一昔前の私ならバッサリ切り捨てられていたかもしれないが。今の私には多分もう出来ない。残念ながら好きになるべきではない人に恋をしてしまったから。


恋ってこんなに楽しくて美しくて、寂しくて苦しいものだっただろうか。随分久しぶりに恋をするからすっかり忘れていた。






結局この長いようで短かった10日間。相手先の仕事を片付けた後も睡眠時間を削って轟くんのコスチューム精度を上げるためスケッチを描いては消し描いては消しを繰り返していたらいつの間にか朝になっていた日が幾日か発生していた。

プロヒーローのショートにもそして轟くんにも、どちらにも恋してしまっているというのはひどく難儀だなと他人事のように思ったのはまた別の話だ。


さて、直近の進捗は素材も決まっているし、とりあえずのパターン画も製作完了、方向性もほぼほぼFIXまで到達してるのに…どうしても最終的なデザイン画で行き詰まってしまっている…といったところである。



そういえばもうあと1ヶ月しかない。そろそろ本格的に試作品の型取りして試着をお願いしなきゃいけないのに。


「ちょっと急がないとダメか…」


途端再び厳しい現実が襲ってくる。今日やっぱり直ぐに連絡取ろう…。もしスマホがない時に連絡をくれていたようなら、謝って近いうちに予定作ってもらおう。

会いたいと思う気持ちがないと言えば嘘になることくらい分かってる。邪な気持ちは確かにあるんだけど、それでも彼のために最高の作品を作ってあげたい、その気持ちも嘘ではなかった。





部屋の鍵を開ける。自分の家では無いような空気と冷たさが鼻をついた。10日間居ないだけだったのに、しばらく誰にも踏み入れられなかった空間はすっかり世間から隔離されてしまっていたようだ。


(埃っぽ……明日掃除しなきゃ)


やることが溜まっていく。人知れずため息を吐いた。年の瀬は何処も忙しいというのはわかっているけど、それでも好きじゃない。忙しいし寒いし寂しいし。

乱雑にカバンを玄関へ投げ捨て、ヒールを揃えずそのまま脱ぎ捨てる。まあ、トランクの中身を片付けるのは明日でいいや。

一旦カバンはそのまま放置し、机の上に置きっぱなしだった私用スマホをようやく確認した。





「…………。」

思わず目を疑う。
ディスプレイの通知は画面いっぱいに溢れていて、そのどれもが同じ人物からの通知。

簡素なスマホ画面が軒並み轟焦凍 で溢れている。電話連絡も3回ほど。それからだんだんと短文になっていくメッセージが連なって滝のようになっていた。


「なまえさん来週空いてるか」

「忙しいんだな。」

「無事か?」

「生きてるか?」

「心配してる、気がついたら返事くれ」


合間に電話2回のポップアップ通知を含み、そしてまたメッセージ。内容は「何度も悪い、忙しいだけならいいんだが」「無事か?」とのこと。



無言でスクロールを続け、最後に到達したページには着信1件の表示。昨日の朝方にかかっている。留守電メッセージを入れてくれたようだ。留守電メッセージを再生しますか?との選択に私は続けて×ボタンを押した。



「これは、本気でまずいことになってる」



ぼんやりと襲いかかってきていた眠気が気がつけばどこかへ去ってしまっていた。その顔面はまさに蒼白という言葉がふさわしい。

震える手でキーボードをタップする。夜も深けている頃だ、電話なんてしたら迷惑かななんて普段なら思うのだろう。しかし今日だけは、今だけは頼むから出て欲しいと真逆な思いを抱きながら電話をかけた。
まあ大丈夫でしょ、10日間くらい音信不通でも。なんて軽んじて思っていた私を殴りたい。めちゃくちゃ心配されてるじゃないか。どうしよう、今すぐにでも出向いて謝りたい気持ちでいっぱいだ。


(夜だから無理だけどさ…)


せめてこの電話で少しでもお詫び出来ますようにと祈った。電話の向こうの張本人が2コール目にして慌ただしく応答するのは、その直ぐ後のことである。


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