君が君でいられますように

あーーーー、忙しい!年の瀬ってほんとなんでこんなに忙しいの。周りの目も気にせず愚痴を飛ばす。しかし本当に笑っちゃうくらい忙しかった。

チーフデザイナーって大変なんだな、と一昔前に私の先輩デザイナーがいた役職を受け継いで思うのは、そんな感情ばかりだ。

書類の山が素晴らしい高さを誇っている。やらなければならない仕事は山ほどあれど、優先順位をつけることすら未だ出来ず手付かずのまま。ああまた今日が数秒くらいの感覚で過ぎて行くのかな。




来週から行かなければならない地方出張が私には控えていた。

幸運にもメインデザイナーに指名され、同僚がサポートアイテム改良担当としてアサインされた大規模案件で、デザイナー班総出で取り掛かる年の瀬にかけての最後の関門となるものだ。

仕事を勝ち取ってきた営業はいまや社内で英雄扱いされている。そんな大規模案件の出張で使用するレジュメをつくるのに追われながら。私はブツブツと忙しさへの呪詛を吐き出し、書類との格闘を続けていた。



ふいに内線電話が鳴る。
高いトーンの独特なベル音が来客の到着を告げた。誰だ……と一瞬忙しさのあまり忘れてしまっていた来客である。そうだよ、約束してたじゃない、すっかり忘れてた。

ポンコツ極まりない脳内に叱責し時計を見ると、約束をしていた時間ピッタリだ。え、もうこんな時間なの?時が経つのは早いもので。というかこんな調子じゃどれだけ時間があっても足りないような…。


「はい、商品開発部みょうじです。」

鳴り続ける電話を取り名乗ると、何故か向こうからすぐに受付のスタッフさんではなく聞き慣れた轟くんの声がした。


「なまえさんか?」

「……はい…?」


電話越しの轟くんの声は何時もより低くて。耳元で囁かれているような気分に陥った。破壊力が強すぎて恐ろしい。普通来客があれば受付スタッフさんが取り次いでくれるんだけど、どうやって直接電話してきたんだろうこの人。受付のスタッフさんはどうしたの。



「……はい、みょうじです。お待ちしておりました。ただいま参りますので少々お待ちくださいませ。」


なんとか声が上擦らないよう取り繕って、あくまでオフィシャルな対応で挨拶を済ませる。会社でなまえさんって呼ばれてるのを誰かに聞かれたら大変なことになりそうだな、迎えに行ったら速攻口止めしないとね。


「採寸してきます。」


借りますね、と空いている部屋の鍵とキープレートを上司に見えるように振り回して私は席を立った。
私の後ろ姿を隣の席の件の同僚がニヤニヤしながら見つめてきたけど、とりあえず無視。構ってる暇は、今はないんだ。





「どうも。」


今日も変わりなさそうで何よりである。

受付までダッシュで迎えに行ってみれば、受付のお姉さんがもの凄い形相で彼を見ていた。轟くんの手には受付用の受話器。お姉さんは手を空中で変な形に止めたまま完全停止中。二人の間に何があったのかを窺い知ることは叶わない。ただ気にしたら負けだと瞬時に悟った。


「こんにちは轟さん。ご足労いただきありがとうございます、それじゃご案内しますね。」


固まるスタッフさんにアイコンタクトでお詫びをいれ、通ってきた通路とは違う奥側の通路を指してこちらです、と案内する。

先を先導して歩き始めた私のすぐ後ろを轟くんはついてきて、社内を物珍しげに見回している。



「本日はこちらのお部屋で採寸させていただきますね。」


角の一角の部屋に到着し、キープレートを翳して開錠した。
ピッ、と電子音が鳴って部屋のドアが自動で開く。手慣れたその様をじっと観察していた轟くんだったが、部屋を案内した途端にその顔が不服そうな表情に変わった。


「なぁ、何でそんな素っ気無いんだ?」

「え?」

「さっきも、轟 さん って言っただろ。」

「あ、あぁ……そういうことですね。」



部屋に入ってから説明させて貰おうと思っていたのだが、お気に召さなかったらしい。メッセージでは轟くんってちゃんと呼んでるんだから少し多めに見て欲しかった気もするけど、決して悪い気がしなかったのが本当チョロいよなぁと我ながら思ってしまって。

中へ入室を促し扉を閉めた。使用中の札を外へと置いて、さて急いで準備をしなければ。

と、その前にまずは弁解だ。



「社内では一応クライアントですから……ほら、前もこんな感じで誤解されましたし念の為です、念の為…ね?」

「……分かった。」


まだ何か言いたげな顔をしていたけど、とりあえずは納得してもらえたようで。
苦笑いで誤魔化すように荷物を預かって備え付けスツールの上に置く。

小ぶりなカバンは見た目に反して重い。何が入ってるのか気になって中を見ると、日用品に混じって持参いただくよう頼んでいたヒーローコスチュームが小さく畳まれて収納されていた。


今日の採寸ついでに仕様書と現物を持ってきてもらうように伝えていたからか、しっかり持参いただけたようだ。着てる姿は何度か見てるけど、触らせてもらうのは初めてだ。俄然ワクワクしてきた。



「じゃあ早速採寸始めていきます。ちなみに男性社員に採寸頼むことも出来ますので交代した方が良ければ言ってくださいね。」


「いや、なまえさんが気にならなければ俺は大丈夫だ。」


「そうですか、慣れてますから私も大丈夫ですよ。あまり緊張せずリラックスしてくださいね。今日はよろしくお願いします。」



採寸着を渡し奥のカーテンスペースを指し「あちらでお着替えをお願いします。」そう伝えると彼はそろそろとカーテンスペースに吸い込まれていく。


採寸着とは弊社開発の測りやすさを追求しまくった薄着である。身体のラインが出る服なので男性は男性が、女性は女性が測るという暗黙の掟が弊社では定められているが、そんなこと轟くんにはもちろん関係なかった。


「あ、良かったら現コスチュームちょっと見させて貰ってても良いですか?」


カーテンの向こうへと声をかける。この時間を利用して以前のコスチュームの素材や色などを調査しておきたかったんだよね。

程なくしてカーテンの向こうから許可が下りた。カバンに詰められたコスチュームを取り出してみる。うわ…軽っ…。凄いなぁ、何の素材使ってるんだろう。あとできちんと書き取りしよう。


気がつけばカーテンスペースの音が無くなっていた。着替え終わったんだろう。もうじきあのコスチュームに隠されたプロヒーローの美しい肉体美が眼前に惜しげも無く現れる、はず。


大丈夫とは言ったものの、本当に大丈夫かな…私。ちょっと不安になってきた。最近すぐ赤面してしまうから。



刹那レールが走り、カーテンスペースが開いた。ややあって着ていた私服を抱え、採寸着に着替えた轟くんが出てくる。私服をすぐさま受け取りスツール横のカゴへと丁寧に入れる。

この光景なんだかデジャブ……あ、スーツ選びに付き合った時だ。そうだ思い出した。あの時も変な沈黙をしてしまったけど、今の状況も、それはそれで……非常に目に…よろしくない、ことになっている。

ファンが興奮のあまり卒倒して倒れている姿は何度か目撃したことはあるけれど、自分がまさかそんな体験しそうになるなんてこれっぽっちも思わなかった。


「……………おつ、かれさまで、す。」

「おぉ。」




案の定、想像通り…いや以上だった。
身体引き締まりすぎでしょ。今まで散々ヒーローの採寸はしてきたし、みんな引き締まってたし、今更照れることなんてないだろうと買い被ってたのが間違いだったようだ。


あぁー、ダメだ。目のやり場に困りすぎる。




「寒くないですか?」

「あぁ、大丈夫だ。ありがとな。」



取り繕えているかは別として採寸は素早くこなさなければならない。メジャーを首にかけ目線を逸らしつつ轟くんに向き合う。
幾度となく採寸はしてきたけど、こんなに緊張することになろうとは…。



「じゃあ失礼します…。」


やるしかない、もうどうにでもなれ!見慣れて仕舞えば恥ずかしさなんて無くなっていくでしょう。メジャーを首から片手にかけて、
鏡の前に立つ轟くんの元に向かう。
眩しいほどのかっこよさに怯みそうだ。

うっ、本当に良い身体してる…。


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