どうか最期の朝まで抱いていて

涙を拭って呼吸を整える、息をすって、それから吐いて。戸惑う轟さんを後目に、頭の中は至ってクリアだ。再び閉じた目を開いた時、世界は打って変わって見えた。


「大丈夫か?」

「はい、お陰様で。」

ハンカチを即座にしまい、目が腫れてしまわぬよう極力瞼には触らないでおく。
化粧は落ちてしまっただろうか。ハンカチはそんなにアイライナーで汚れてはいなかったからギリギリ大丈夫だと思いたい。


泣くのをやめ、平常心を取り戻す。轟さんはまだ心配そうだ。気持ちオロオロしながら私の様子を伺っていた。


「本当に大丈夫か?……これ、食わなくていいのか?」

「へぇっ?あ、和菓子は大丈夫です!」

「遠慮すんな。」

「いや、本当に大丈夫です!」



何故そんなに和菓子を頑なに推されるのか、私、そんなに今和菓子を必要としてそうな顔をしているのかな。

轟さんの顔は至って真剣そのもので、和菓子を皿ごとスライドさせて押し付けてくるので私も負けじと押し返していた。やっぱりちょっと変わってるよね轟さんって。


「ふっ、ふふ。ありがとうございます。」

「……。」

「…………どうしました?」


思わず笑ってしまう。心から漏れ出た心境が不意に私に笑顔を灯らせた。さっきまで先の見えない泥沼を泳いでいたのに、だ。ああ、やっぱり私、この人を大切に思ってるんだなと実感した。

クライアントとして?人として?

その答えはまだ分からない。
いや、本当は気付くのが少し怖いのかも。

でもまあ、どっちでもいいか。
もう、私の心は決まってるから。



「やっと、笑ってくれたな。」

「あ…………。」



まただ、またあの羽根のような薄い、柔らかな微笑み。轟さんはこちらをしばしじっと眺めたあと少し微笑んでそう言った。



「みょうじさんに契約解除してぇって言われた時、俺はやっと自分のやらかしたことの大きさを理解した。」

「轟さん…。」


俯き気味に視線を落として、彼はそのまま続ける。湯のみを手持ち無沙汰にいじりながら時折私と目を合わせて語った。



「みょうじさんの仕事に対する姿勢に感動したから依頼したのにな。肝心なこと何も言わねェで、都合よくみょうじさんに甘えてた。」



誰が悪いとは言わないけど。
上司の言葉が蘇る。そう、誰が特別悪いとかではなかった。ただ運と配慮が足りなかっただけだ。私達はお互いに今この場でそれを深く反省している。だからこそ轟さんも私も今向き合おうとしていて。


「みょうじさんがどうしてもって言うなら、契約解除でも構わねぇ。ただ……。」



もしこの仕事付き合いが終わっても…、
一人の友人として変わらず付き合って欲しい。

彼は静かにそう言った。




友達になりたい。
仕事ではなく一人の友人として。この仕事が終わっても。一つ一つを大事に拾っていく。

友達……かぁ。
………え、どうしよう、言われたことが上手く頭に入っていかない。仕事が終わっても友達としてつるんで欲しいって言われるとはさすがに想像してなかった。


なんか最近こんなことが続いているなと心で独り言を呟く。轟さんと仕事し始めてから初めてのことが多すぎる。でもいつだってその思い出はけして嫌悪感を覚えるものではなかったけれど。



湯呑みから、もう湯気は上がっていない。ここへきてどれほどの時間が経過しただろう。最初に初めて会った時と同じで時間の経過がやけに長く感じられる。

でも今日のこの感覚が気まずさから起因するものだけでないことくらい、頭では理解しているんだ。



「えっと……。どうしよう。」

「もちろん無理に、とは言わねぇ。」

「あ、ごめんなさい。……そういうことじゃなくて。」

「……、?」



よし、とうなずき深く深呼吸。
大丈夫、決めていたでしょう私。
伝えなければいけないことは二つだけ、
本来とても簡単なこと。大丈夫だよ、と自分を奮い立たせようとするものの、別の臆病な私が勝手に口を出した。

分かっていても難しいだろう、と。

改めて言葉にすると緊張してしまいそうだ。
上手く言えるだろうか。

もう一度余分に深呼吸をする。



「とりあえず、改めて再度ご返答申し上げますとですね、轟さん。この度は身に余るお言葉を頂戴し、本当にありがとうございました。」



今更かしこまってどうするのかと問われたとしても、体裁というものは整えていなければならない。気恥ずかしさに言葉が詰まりそうだ。最初もこうやって物凄く他人行儀に振舞っていたなあ、今考えると不思議だ。随分轟さんと打ち解けることが出来たものだ、と思わずしみじみしてしまう。

対して轟さんの方は私の切り出しが予想の範疇を超えていたのか、ポカンとしている。パトロールの時や活躍している時の凛々しさはないけれど、素の轟さんって多分きっとこんな感じなんだろうと思わせる、そんな表情をしていた。




「結論から申し上げますと、ご依頼いただきました、コスチュームのリデザイン及び機能変更ですが、同意いただけるならば最後まで私が責任持って担当させていただきたいと思っております。」





「配慮が行き届かず多大なご迷惑をおかけ致しましたが、どうかもう一度だけ信用していただけませんでしょうか?

プロとして、一人の友人として…なんとしてでもやり遂げさせてください。」



深々とお辞儀をし、顔を上げまっすぐに轟さんの目を見つめた。そのあとすぐに続けて


「ーー、とお応えするつもりだったんですよ、本当は。」


タイミング間違えましたね、と呟いてバツが悪そうに後頭部をかく。勿体ぶるつもりはなかったのにな、と呟けば、轟さんの丸い目が更に見開かれ大きく丸くなった。


予定では轟さんから私の初期の製作物のお話を聞いた時から、最後まで付き合わせてもらおうと決めていたのだが。

色々重なってしまったから、なんだか変なタイミングで表明することになってしまった。答えはYesだと初めから早く告げておけばよかったなぁ、なんて。そんなことを後から思うばかり。

だいたい答えにYes以外の何があっただろうか。



「それだけ光栄だったんです、私にとって…あ、もちろん友達になりたい、って言ってくれたのも嬉しかったですけど。」


「普通、友達になってくれって突然言われたら戸惑うモンじゃねえのか。」

「…………まあ、確かに。」



言われてみれば確かにそう思う方が普通なのではないかと思える。確かにただの仕事相手に友人としてプライベートなお付き合いがしたいです、なんて言われようものなら間違いなく引いてしまう。

でもそれは所詮一般論に過ぎない。
それこそもう少し前に言われていたら答えは違ったかもしれないけど。私もちょっと感覚が麻痺してきたかな。誰のせいとは言わないが。



「良いんですよ、私が、友達になりたいと同じように思ったんだから。」


結局はどちらもお互いに友人として接することに異議がなければ良いだけの話なのだ。

おもむろに私は手を差し出す。


「どうでしょう。私にコスチューム製作をお任せいただけますでしょうか?」


不意に握手を求めてみれば、轟さんはしばし考え込んだ数秒後に、躊躇うことなく私の手を取った。


「ああ、みょうじさんに任せる。」


固い握手を交わし、どちらともなく安堵のため息をついた。繋がりがまだ、ここにある、それが今はただただ嬉しい。




「お任せください、こうなったらとことん付き合います。だって人気ヒーローの一大コスチュームリニューアルですから。」

「そうか、楽しみにしてる。」

「本日はお時間頂きありがとうございました。お話出来て、本当に良かった…。企画そのものがダメかなぁって正直諦めてました、私。」

「いや、こちらこそだ。来てくれて助かった。みょうじさんにはいつも助けられてんな、俺。」

「そんな、大袈裟ですよ。」




ここから私達の本当の関係は始まるのかもしれない。友人として、信頼できる仕事相手として。そしてそれが素晴らしい奇跡の上に成り立つことを覚えていよう。


二度ともう、こんな思いをしないように。
大切に守っていくのだ。

そしてたくさんのことを聞かせて欲しい、他愛のない日常のことも、ヒーロー活動のことも。轟さんのことなら何でも聞きたいと思うこの心はやっぱり恋、なのだろう。


でも気付いてしまったこの気持ちは隠しておこう。
だって、私は信頼できる仕事相手で、
友人なのだから。




ーーーーーーーーー

とりあえず何とか企画の空中分解を阻止し終え、私の任務は終わった。

さて気をつけて見つからないように家に帰ろう。
気を取り直してそそくさと帰り支度をする。カバンを持ち、通路を見送りに来てくれた轟さんと歩んでいく。室内だけど、部屋の外は異様に寒かった。

裏口まで行きと同じように案内されて、振り返りざまにまたお礼を述べたとき、何かを言いたげな轟さんと再度目が合う。


「なァ、みょうじさん。」

「…はい、なんでしょうか?」

「その……」


なまえって呼んでもいいか?


「……え、?」

今、何て……?


聞き返そうとした刹那強い風が半開きの扉から吹き込む。わっ、と咄嗟に下がって身を翻すも、扉は開けたそばから勢いよく閉じてしまった。軽い扉だったからだろう。まだ軋んだ音を発する扉の向こうは、そんな季節らしい木枯が吹き遊んでいる。腕を挟んだりしなくて良かった、もし挟んでたらあの勢いから想像するに、結構腫れ上がっていたかもしれないし。


「危なかった……。」

「大丈夫か…?怪我は、」

「平気です…、なんとか。」


平気と腕をまくり上げて見せ無事のアピールを向けると、轟さんはにこやかに良かったと微笑んだ。

はた、とこの世の終わりのような真顔になる。


「みょうじさん?やっぱどこかぶつけたのか?」

「いえ、本当に大丈夫です。」


危ない、これは危ない。こんなに破壊力があるなんて…思ってなかった。
顔に熱が集中していくのが分かる。誤魔化すように遠くの道路を見ながら「あ、珍しい色の車が通ってますね。」とわざとらしく呟いた。



そんなふうに自分のことみたいな顔で笑わないでください、お願いだから。

どんな顔して向き合ったら良いのか途端に分からなくなってしまうでしょ。だとして口が裂けても言えるわけの無い気持ち。その消化には時間がかかりそうだ。



(どうしよ…。)


厄介な感情の名を自覚してしまえば、
あとは転げ落ちるように早くて。

胸が苦しい。


(やばい……、顔赤くならないように誤魔化すので精一杯だ。)


やっぱりこの恋心には厳重に鍵をかけてしまっておかなきゃダメなようで。決心新たに一歩を踏み出す。


外はもうすっかり冬の足音が迫っている。早く帰ろう、今日のご飯は何にしようか。
私はさきほど聴き逃した轟さんの言葉のことなど忘れたまま、歩いていく。こうしてあの日の騒動は何事も無かったかのようにひっそりと街の喧騒へと消えていくのだった。






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