デザイナーとして社会に出てから、もうすぐ丸6年が経つ。そんな期間を誰しもが経験していて、そして誰しも一つや二つの仕事の失敗や成功、嬉しかった経験とか忘れられない出来事があるのだと思う。
私にもそんな記憶に焼き付いて離れないことがある、もう4年くらい前の話。入社してやっと少しだけ仕事のことがわかる様になった直後のこと。
それはあるヒーローのコスチューム製作を一から全て任された時のことで。
何故そんなことを今この重い雰囲気の中思い出しているのかと言えば、その時のヒーローの名前を不意に轟さんが口にしたからである。
「何で…その人のこと。」
困惑した。だってそのヒーローの製作に関わったことを、今まで口に出したことがなかったから。勿論弊社HPに記載がある訳でもなく、知っている人がそもそも社外にいる訳もない。何故初対面だった轟さんが数年前の製作物について知っているのか。
「みょうじさん、やっぱ覚えてんだな。」
「覚えてる…?」
「そのヒーロー本人は忘れられてるって言ってたけど、俺は多分覚えてんじゃねえかと思ってた。あんなコスチューム作るようなデザイナーが、当の本人を忘れる訳ねえだろうし。」
「まさか…彼に会ったことがあるんですか?」
私にとってただ特別な記憶というだけのものだったその記憶。しかし口振りからどうにも轟さんは彼に一度会っているようで。
「ああ、直接みょうじさんのこと聞いた。」
轟さんから明かされたのは想像を超えた真実。
まさかそんなこと、とにわかに信じられない。
途端にあの時の記憶が鮮明なビジョンとなって蘇る。
入社して2年が経った頃、デビューしてまだ間もないヒーローがコスチュームの製作依頼をしてきたことがある。
やっと一人前に行動出来るようになった記念でコスチュームを新しく新調したいとの要望内容を会社宛にオファーいただいた。
所属デザイナーが多い弊社の中でも、私に依頼を回してきてくれた当時の先輩から「みょうじさんも一人前になろうか」と全ての工程を一人でやるようにと指示されたことにより、手探りながらも懸命に仕上げることになった。
それが私の初めての独り立ちである。
今でも記憶に鮮明に焼き付いて離れない。
「数年前にそいつとチームを組んだことがあって、そいつがコスチューム新調したって話から軽い世間話になったんだが。」
振り返るように轟さんが呟く。時折じっと私の反応を見るように真っ直ぐ見つめながら。
私は続けてくださいとジェスチャーをして続きを促した。
「あいつが着けてたコスチュームのゴーグル、曇り止め機能が付いてるんだってな。」
「え?ええ、確かそうだったような。」
言われてふと思い出したのは、件の依頼者の個性だった。確か、彼の個性は「涙を結晶化させ、自在に操る」というものだ。
要望以外にも何か気付くことはないかなと動画を漁りまくっていた時に、どうも泣くのを隠しながら戦っているような気がする。と思って急遽旧コスチュームにはない目元を隠せるゴーグルを追加した記憶がある。
しかしそれと私に指名を入れた理由にどう関わりがあるのだろう。話からは先が読めない。
結びつけられずに私は首を傾げる。
轟さんは唇を噤んだ。しばし沈黙した後、思い出すようにぽつり、ぽつりと一つずつ言葉を繋いでいく。
私の脳裏には嬉しそうにコスチュームに袖を通してありがとう、と言ったあの人の笑顔が、今し方起こったことのように広がっていた。
ーーーーーーーーーーー
あの日も今日のような晴天だった。申請を徹夜で通して髪の毛も肌のコンディションも、着るものさえもボロボロのままタクシーをすっ飛ばしてあの人のもとへと完成品を届けにいった。
「お待たせしました!郵送してる間すら惜しくて、届けに来てしまいました。すみません!」
「えっ、みょうじさん?」
目を丸くする依頼人。それも当たり前だ、まだ朝の8時。人が尋ねてくるには早すぎる時間。え?え?と彼は困惑している。慌てる依頼人を前に息切れしながらも大事に抱えていたスーツケースをずいと手渡す。
「開けてください。ついでに、もしお手数でなければ試着も…お願いしたいです。」
「えっ、コスチューム出来たんですか?」
「はい、完成させました!申請に手間取りましたけど、なんとか…。」
ですから、是非見るだけでも見ていただけませんか?続けざまにそう告げると、依頼人は戸惑いながらも期待を込めた目でスーツケースを玄関先で解除してくれた。
綺麗にたたまれた新品のコスチューム。
私にとっては一から仕上げた初めてのコスチュームだ。そして彼にとっても特別な意味を含むもの。1番上にのっていたゴーグルを見て、彼は息を呑んだ。えっ、うそ、何で?と驚いている。
「ゴーグルのフレームから繋がってるチューブが手のひらに付属したタンクに涙を貯めてくれます。ゴーグルのレンズは曇り止め加工と内部ワイパーを着装しました。どれだけ泣いても見えませんし、視界の邪魔もしないものですからご安心ください。」
「え、俺泣いてるのがヒーローらしくなくて好きじゃないって言いましたっけ?どうしてそんなこと…。」
「ヒーローは笑ってなきゃ、と初日にお伺いしていたのが気になりまして。勝手ながらそうなんじゃないかなとゴーグルとタンクを搭載させて貰いました。気に入らなければ変えますが…、この方がいいんじゃないかって思ったんです。」
依頼人は無言でゴーグルとコスチュームを
交互に見ては目を瞬きさせている。
あぁ、喜んでもらえるかな…完成のイメージが想像通りだといいけど、サイズも完璧であってくれ、と私は祈るばかりだ。
「如何でしょうか…。」
少しして、小さく笑いながら依頼人は「いや全くですよ!本当に凄い!イメージ通りだ!いや、それ以上!」と涙を流しながら私の手を取った。
「ほ、本当ですか!?」
キラキラと光る彼の涙が私の手にコロ、と落ちてきた。なんてキレイなんだろう。隠すのは勿体ないかなと最後まで悩んだ末にヒーローは笑ってなきゃと言った本人の意志通りに涙を隠すことにしたけど、間違いじゃなかったんだ…。
「本当にありがとう。」
つられて私も感極まって泣きそうだった。
にこやかに笑う彼の、その笑顔と言葉に。
どれほど助けられただろう。
「ヒーローなのに泣きながら戦うことがコンプレックスだったけど、それを言ってもねえのにその時のデザイナーが気付いてわざわざ申請通して突貫でやってくれたって、そいつが笑いながら話してくれたんだ。」
いかなる時でも私の糧になってくれたその言葉が回り回って今のクライアントから紡がれることになるとは。
轟さんは少し落ち着いた雰囲気でそう告げた。
いつのまにか悲しげな表情は消えている。対する私の方は驚きでだらしなく口を開いたまま、唖然としながら轟さんの話を聞いていた。
数年も前の話だ。そんな時から私に興味を持ってくれていたなんて。あまりにも偶然が重なりすぎて信じられなかったけど、目の前の轟さんの顔がとても真剣だったから。
それが本当のことなんだと理解する。
「そいつのコスチューム見ただけで、何となく作ったデザイナーの凄さがイメージ出来た。どんな考えで、どんな風に作ったらあのデザインになんのかってずっと考えてたよ。そん時はまだみょうじさんだって知らなかったけどな。」
「……えぇ。」
もう数年前の話ですし、と相槌をうつ。
「でも、覚えています。あの人のことは。いえ、あの人だけじゃないですね。私が作らせていただいたヒーローは全員覚えています。」
「だろうな、最初にも言ったけどあんなコスチュームを作れる製作者が、作ったヒーローのことを忘れる訳ねえ。」
だから
「俺も作るなら、絶対この人にって思ったんだ。」
私をいつだって慰めてくれたあの日が、轟さんにとっても意味のあるものになっていた。あの日のコスチュームを見て、私の作ったコスチュームを着たいと思うきっかけになっていたなんて
それを果たして誰が想像出来たのか。
そしてこんな風に思われていたと知ったら、喜ばない技術者なんているだろうか。
こんな最上級の褒め言葉が返ってくるなんて誰が予想しただろう。嬉しさと同時にとめどない感情が溢れてくる。
「みょうじさん……?」
「っ、…」
「泣いてるのか?」
「ご、ごめんなさい…。止まんなくて。」
やってしまった。気がつけば止めることも出来ずボロボロと大粒の涙が溢れていた。
可愛さのかけらもない大号泣となった涙は机にぽつぽつと模様をつくっていく。
止めなきゃ、と思えば思うほど止まらず溢れかえってきて。流石にあたふたしだした轟さんからお茶請けの和菓子が差し出される。
「食うか…?」
「や、大丈夫です。」
丁重に和菓子をお断りして、ハンカチを取り出し流れた涙を拭った。しかし依然止まらない涙。ライナーもシャドウも落ちちゃったかな、今ひどい顔をしていそうだ。
轟さんは私が泣き止むのを静かに待ってくれている。その間の無言の時間がどこか耐えられなくて、目線を合わせられずに下を向いた。
ハンカチが化粧で汚れていないか確認すると、成人祝いのハンカチの中に控えめに刺繍されたデフォルメのオールマイトが今も変わらず歯をむき出しにして笑っている。
(ヒーローは笑ってなきゃ、だって泣いてちゃうまく決まらないじゃないですか!)
同じく歯を剥き出しにして笑ったいつかの依頼人の笑顔がまた脳裏に浮かんだ。
ああ、そうだった。
忘れてはいけない大事なこと。
そう、私はヒーローが好きだからこそ、そのコスチュームが作りたかったんだ。
ヒーローがヒーローらしくいれるコスチュームを作りたかったんだ、私は。
どうして忘れかけてしまったんだろう。