底へ沈むドライフラワーの行き先

熱愛報道、と言われれば大体の人はやはり信じてしまうものだと思う。
その情報が正しいものと限らなくても、人は信じたいものを信じてしまうから。真実に関わる人間が何と弁明しようとマスコミュニケーションの前では無に等しい。



自分は、そんな一般人の中の枠組みに嵌められた一員だと思っていた。ついこの前までは。

私の恋愛について興味がある人なんて実際ごくわずかで、オンラインニュースにまさか自分の姿が載るときが来るなんて思っていなかったんだ。……あの日、スマホのニュースが流れるまで。




足取り重くヒールを鳴らす。
そうだ、一月ほど前も同じように重い足を引きずって同じ場所に出向いたんだ、そう轟さんの事務所まで。あの時も何で私が?って思っていたな。今も何故こんなことになってしまったのか。

ここ3日間の間自問自答を繰り返してはみたけれど、この気持ちを拭い去ることが未だ出来ないでいる。




昨日、轟さんが事務所を通して熱愛報道の否定表明を出した。同日、弊社も内外向けの表明を出し、事態の収束を図った。



ショートと、弊社デザイナーは契約上の提携のみであり、個人的な付き合いはありません。
試写会然り、面談の場としてご厚意になっただけで、一切そのようなことはありません。
といった内容での表明である。

何処から嗅ぎつけたのか、ネットで社名が流出してしまったが故の苦肉の策だったわけだが。
契約書や轟さん側からの援護もあってなんとか大きく騒がれる前にある程度収める事が出来た。ボヤ程度で済んだのは、プロヒーローである轟さん相手のスキャンダルにしては本当に不幸中の幸いだという他ない。


申し訳ないことに直属の上司である部長はもちろん、内外様々な人にも尽力していただいてしまった。今回の事件は社内でも未曾有の事態だったので、本当に様々な人が各所に走ってくれたおかげでギリギリ踏み止まれたようなものだ。





そして昨日私は上司に呼び出され、「誰が特別悪いという訳ではないが、少し君の配慮が足りなかった。」との前置きとお叱りを受けた。


部長のいう通りだ、まさしくその通り。
優しさに甘えて自惚れていたんだよ、私は。轟さんは優しくて、かっこよくて、気遣いが出来て。でも誰にでもそうなのだろうって、理解したばっかりだったじゃない、と後悔してもしきれない。

プライベートと仕事を一緒くたにしてはいけない、これはごく当たり前のことが出来ていなかった私に対する天罰なんだ、きっと。


「各社そこまで大きく取り扱ってないから、否定がまあまあ効いたんだと思うけど、念の為僕から轟氏に連絡しておきます。今後は通常通りの打ち合わせのみでお願いしますって伝えておくから。」

「ありがとう…ございます。」


一応君は自宅待機ね、と言われて昨日は大人しくそのまま帰宅した。そして轟さんと本来約束をしていた日の今日。

引き続き自宅待機となっていたのだが、私は結局眠ることが出来ず、ずっとテレビをザッピングしていた。明け方は試験電波のカラーバーを2時間ほど眺めて、スマホを見ての繰り返しをひたすら。

ようやく夜が明け明るくなり始めた空を覇気のない目で見つめ、再び特にやることもなくベッドの上でスマホいじりを再開したその時、スマホに一通の連絡が入った。



「おやすみ中すみません。轟氏に昨日連絡したんですけども、直接君と話をさせて欲しいと聞いてくれなくて。
悪いんだけど16時に轟さんの事務所に向かってもらっていいですか?」



冷たいものが、喉から身体を降っていく。
例えようのない気持ちが全身をゆっくりと駆け巡っていった。
底の見えない泥沼に叩き落とされた気分だ。


「どうしても行かなきゃいけませんか?」

到底受け入れられず、そうメッセージを返答した。行く意味さえも分からなかったから。

しかしやはりダメだったようで。
即既読になった部長からの返信は

「どうしてもお願いします。」



その一文だけ。
目の前がまた暗くなっていく。
たったの一文、それだけなのに。ただそれだけなのに、この世界そのものから逃げ出したくて仕方がない。







ーーーーーーーーーーー

表から入るのはまずいので、裏口からと指定されていた私。事務所の裏口に回るとそこには既に何時ぞやのように帽子とメガネで変装した轟さんがいた。目が合うなり会釈をひとつ交わす。

お互いどこかぎこちなく他人行儀な対応で、初めてお会いした来客室に通される。
何も言わずアイコンタクトで向かい合って椅子へと掛ける。そのすぐ後に目の前に湯のみの緑茶が用意された。

何も変わらない、初めて会ったあの時と。
部屋の内装も、お茶も、盆栽の位置も。

違うのは私と轟さんの心境くらいか。



「この度は私の配慮が足らず、多大なるご迷惑をお掛けして大変申し訳ありませんでした。」

「いや、謝らないでくれみょうじさん。」


俺の方こそ悪い、と沈黙しながらも一つ一つ紡ぐ轟さん。その表情は暗く、この空間の中で私達だけが世界から取り残されてしまったんじゃないかと、そんな錯覚さえ巻き起こす。


何と言ったら良いのか、分からないのは私も同じで。どっちが悪いとか、そういう謝罪や安心が欲しいわけじゃないんだよ、轟さん。


彼の紡ぐ謝罪の断片を私は途中で中断する。



「轟さん、どちらがどれだけ悪いというのを今お話していても意味のないことですよ。」

「………そうだな。」

「一つ、お伺いしてもよろしいですか。」

「ああ。」

「昨日私の直属の上長より、今後のコスチューム製作について書面でのやり取りを中心にさせて頂きたいとの旨お電話させていただいたかと思うのですが。」


唇が震える。そこで一区切りして深呼吸をした。湯のみを持つ手も震えていて、そして冷たい。この答えを聞くことが怖いんだと思う。

返答次第で、私はこの人のコスチューム製作を辞退させて頂かなければならなくなるかもしれないから。



「それでも今この場にお邪魔させてもらっているということは、今後のご面会について私共の提案にご了承いただけないということでしょうか?」


「………。」



轟さんは答え辛そうに顔を僅かに歪めて沈黙した。私にとってそれは心の中で想定していた反応で。心に鋭い痛みが走る。

沈黙するってことは、多分答えはイエスなんだろうけど、それを口に出したくないということを暗に伝えているのだ、彼は。
多分これに関する質問にも答えてくれないだろう。


私はこれまで何度か轟さんに重要なことを伺ってきたけれど、その殆どが何故かはぐらかされている。

だから今回も、再び騒動が広がるかもしれないリスクをわざわざ要求してくる理由を聞いたとしても、はぐらかされてしまうだろうなとどこかで思っていたのだが。

漏れ出そうなため息を抑え、
沈黙する轟さんに問いかける。



「左様、ですか。」

「ほんと、虫の良いこと言ってるよな。…それでも今まで通りにやってもらいてえと、思う。」

「…何故そこまで私に?」

「…………悪い。」



それより先の轟さんの返答は無かった。


なんで、私なの。
最初に一度だけ聞いたこの疑問が、今になって轟さんへの不信感を芽生えさせることになるなんてあの時からは想像もしていなかったことで。


「最初にお会いした時も、同じことを聞いてましたね……。何故私にお任せいただけるのですか?って。」


今回こんな騒動になって深く後悔したと同時に、もう轟さんに会わなくて済む。凄く傷付くまえに終われてよかったのかもしれないと安心した、私がいた。
心の何処かで私は轟さんに対して並々ならない感情を背負っていたんだ。それほどまでに、彼の存在が大きくなりかけていた。

心の中で3日間溜まりに溜まった負の感情が渦巻いていくのが分かる。ああ駄目だ。底無しに悲しくなってきた。くいしばるように無意識に、私は膝の上に置いた拳を強く握り締めて目を瞑った。今多分眉間のシワが凄いことになってると思う。



「不思議だったんです…、だって私と轟さんって面識が全くないから。」

「……。」

「お願いします、教えてください。どうして私にご依頼されたんですか。何がそんなに気に入ってもらえたんですか。

……私にだってプロ意識はあります。教えてもらえないと、貴方に何を求められているのかがわからない。」


今までは、知らなくてもこの人の所望する全てに応えられればそれでよかった。

でももう無理だ、手探りで底無しの沼をもがいていくのは。生まれてしまった不安は明確な答えを聞くことでしか拭い去ることは出来ない。


ねえなんで、私なんですか。
私はこれからどうすれば良いんですか。


「お答えいただけないのなら…大変申し訳ないですが、ご依頼頂いた件は辞退させてください。」

「みょうじさん。」

「お願いします。」


今度はもう決心は揺らがなかった。強い意志で何か言いたげな轟さんを制する。彼はと言えば依然険しい顔をしていて、そして悲しそうだった。

一瞬瞳が伏せられ、長いまつ毛が覆う。夕陽を反射した両の眼に私と似た強い意志が宿った刹那、轟さんは口を開いた。その様が恐ろしいほどに美しくて。

薄く開いた唇から何が語られるんだろう。
ごくりと私は生唾を降す。

答えを求めておきながら聞くのが怖い、だなんて。虫がいいのは私も同じだな、と嘲笑が零れた。


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