その切符を僕は捨てた

「ふう…、落ち着け落ち着け。」

電話をかけ直すことにこんなに勇気がいるなんて…人生とは驚きの連続だと悠長にそんなことを考えていた。
チキンの私は電話をかけ直すのも一苦労だ。


なんとか気を落ち着けて取り急ぎかけ直す。
数回のコール音の後にその人は電話に出た。




「轟さん、みょうじです。お電話頂きましたよね?出れずにすみませんでした。」

「こちらこそ。いきなり悪いな。」

「そんな、大丈夫ですよ。それよりもどうかされました?」



電話口の向こうでは、人のひしめきが感じられる。ざわめきと歓声が電話越しのこちらでも感じ取れるくらいだった。
轟さん、今どこで何してるんだろう。
ややあって轟さんから切り出される。


「みょうじさんのオフィス付近に今いるんだが、」

「えっ、そうなんですか?」

「出動要請が出たからこの近辺まで来たんだ。前話したことあるだろ、強盗の…」

「強盗ヴィランでしたっけ?」

「あぁ、あいつが出たらしい。」


強盗ヴィラン…パトロールの時に言っていた迷惑な犯罪者のことだ。
とうとう当初出没地区よりいくらか離れているはずの弊社オフィスの近隣にも出没してしまったとのこと。

通りで電話口からショート!と黄色い歓声が聞こえているわけだ。事態の収拾に駆り出されているのか、それとも無事捕獲したのかは伺えないが、あちらからはパトカーのサイレンが響いていた。そういえば今現在、店の中からでもパトカーのサイレンが聞こえている。

近くに来ているのは本当みたい。




「捕まえたんですか?」

「……いや、逃げられた。」

「そう、ですか。」


逃げられちゃったんだ…。

そういえば、強盗ヴィランの事件って確かこの前怪我人が出ていたよね。報道で私と同い歳くらいの女性が怪我をしたと流れていた気がする。嫌なことを思い出してしまった。

ふと頭を過ぎる不安。オフィスすぐそばで出没したなんて聞いたら恐ろしくなるのは当然で。


轟さんは私のそんな不安を感じ取ったのか
若干の沈黙の後にトーンを上げて口を開いた。


「みょうじさんが無事か確認しようと思って電話したんだが、無事みてぇだな。安心した。」


少なからず心配されていたらしい。安心したと言われて思わず赤面した。この人はたまにナチュラルたらしを発動させるから本当に油断ならない。
店に入っていくお客さんが赤面した顔を隠そうと挙動不審になっている私を不思議そうに眺めていく。ちょ、恥ずかしいから見ないでください。

あまり黙っていると怪しく思われてしまうな。今目の前に本人が居なくて良かった。どう見ても不審者な行動を目撃されたら契約解除されてしまうかもしれないもの。

私は赤面を誤魔化すように返答する。


「これからは気をつけて帰宅するようにしますね、怖いですし。」

「ああ、そうしてくれ。」


本当に心配して電話してきてくれただけだったみたいで。
その心遣いに少しほんわかする。こうやって親しく接してくれることが純粋に嬉しい。

というかまだ事後処理済んでいないのでは?

喧騒に紛れて違う人と会話をしてるかのような声がスピーカーからは聞こえていた。

どうやら轟さんは先程から他の人と短い言葉でやりとりをしながら同時に私とも電話しているようだ。

電話の向こうは大分忙しそうで、こんな時に電話までくれるなんて、轟さんは何となく気づいてはいたけど、やっぱりいい人なんだと思う。

ちょっと変わってるけどね!



「わざわざありがとうございました。今日は特に気をつけて帰ります。」

「あぁ、ヴィランが捕まったらまた連絡する。なぁ、みょうじさん。別件だけど今オフィスか?」

「えっとオフィスでは無いですが、駅近くにはおりますよ。」

「そうか、丁度良いから家まで送ってく。」




「……………え!?」


想像を遥かに超える大きな声が出た。


送ってくってどこに?家?家って私の家?
誰が?轟さんが?私をどうする?家に送る?

はぁ!?

完全なるパニックとはこのことを言うんだろう、足が何故か無意識によく分からないステップを踏んでいる、如何にも右往左往してますといった風貌で。理由もなく人気がない場所を求め目的地なく彷徨い始める足が私の不信感をMAXにしている。
さっきから店員さんの変なものを見るような目が痛い。

送るという申し出をされるだなんて。
何かの間違いかと思いたい。
そんなことがあるなんて夢にも思わなければ、もちろん現実でもご遠慮願いたい案件だ。

ともかく私は送ってもらいたいと思ってもいなければ送って貰える状況でもない。

危機感がないと言われればそれまでだがなにぶん部署内打ち上げに参加してしまっている以上は断らなければならなかった。





「迷惑か?」

「迷惑…?!迷惑な訳はないというか、ただ…遠慮しますというか、あの、あのですね!今はちょっとアレなんですよ、その…えっと。」


「みょうじさん?」


「いや!と、その…本日はまだ家に帰らないというかですね!お気持ちは嬉しいんですが!」


と、その時運が悪くも先ほどの面倒な男性社員が超絶上機嫌で私の名前を声たかだかに叫んだ。


「みょうじさーん!皆が待ってるよ!」


通路の奥から手を振っているのが見える。
事態をカオスな方向にしか持っていかないあの人に苛立ちが募る。電話が轟さんに通じていなければ今頃は多分あいつにキレ散らかしているところだろう。


「…?、みょうじさん呼ばれてるぞ。」

「すみません、お気になさらず!……はいはい、今戻りますからちょっとあっち行ってて…!」



最悪だ、タイミングも運も何もかも。
さっきはまだギリギリ保てていたはずのあの人も今は完全体になっている。真っ赤な顔でにへにへ笑いながら近付いてくるので手でしっしっと追い払う素振りをした。
慌てて再度電話に向き合う。轟さんの方は私の様子がおかしい事に気付いたのか無言だ。


「申し訳ないです、本当に!せっかくのお心遣いなのですが今はちょっと立て込んでまして…。」

「いや、こっちこそ突然言われても戸惑うよな。悪い、忘れてくれ。」

「慌ただしくて本当にすみません、また後日!お約束の日時は確実に参りますから。」


「あ、ああ…頼」

「みょうじさーん!」

「うるっさい!!」


あぁもう!どうしてくれるんだこの雰囲気!
口をついて出た私の怒号に轟さんが押し黙った。遠慮がちに「悪ィ…」と呟く。
弁解しようにもあの男が邪魔で、店の迷惑を考えず名前を連呼しまくるものだから立ち行かなくなってしまった。

歪んだ顔で頭を抱えて蹲る。


「いや、今のは轟さんにじゃなくて……と、とにかくまた週明けに!どうぞよろしくお願いします!」


「あ、おい。」


呼び止める轟さんの声も無視して電話を切った。あぁ、最悪だ。なんという切り方をしてしまったんだろう。週明けに全力で謝れば許してくれるだろうか。

後悔しても後の祭りであることはよく分かっているけども。



元凶たるなんとも真っ赤な顔で覚束無い足元をしたあの男の方を振り返る。私は誰が見てもわかるくらい憤慨していた。


「っ、電話中ですしお店の迷惑ですよ!大きい声出さないでください!」

「あぁー、すみません!でも他のみんなが大至急みょうじさんを呼んでこいって言ってたんで。」

「はあ、…大至急?」

「うん、ショートがなんたら〜みたいなことで騒いでたよ。んで、みょうじさん急ぎ呼び戻せー、って言われました。」

「え、なにかあったのかな。」


よく飲み込めない事態だったが、そのことが怒りを鎮火させた。轟さんのことで何か問題が起きているのか、至急戻ってきてという予想外の答えに、私は急遽へべれけ男と席へ向かう。個室の扉をスライドさせると、酔いが回って楽しい雰囲気のはずのこの場所、だったのだが。
それが何故か皆一様に深刻な顔をしてスマホと向かい合っていた。まるで申告漏れや取り返しのつかないミスを犯した時のような社内の雰囲気に似ている。

私が扉を開けると同時に一斉に視線が集まった。



「戻りました。あの、何か?」

「みょうじさん……。」


上司が重そうな口を開く。
退席した時からはまるで想像出来ないような神妙な顔つきをしていて。こちらにも緊張が走る。

な、何かやらかしたかな…。



「さっきね、ニュースが届いて。」

「…はい。」

「みんなでこれはまずいんじゃないかって話してたんだけど。誰が悪いとかそういう話じゃないんだが…。とりあえずちょっとこれ確認してもらえる?」


スマホを差し出され、恐る恐る受け取った。
見出しと記事を目で一句一句緩やかに追っていく。薄暗い室内で、スマホだけディスプレイがやけに明るくて。同時に視界がぐるぐると闇に飲まれていく感覚に苛まれた。


「な、嘘……でしょ…。」


晴天の霹靂、とでもいうような。
背中に氷が投げ込まれたかの衝撃。目の前が真っ白になるとはまさにこのことを指すのだろう。

あぁ、目眩が、する。





大人気ヒーロー・ショート
熱愛発覚…!?お相手は一般女性?
試写会にも来ているこの女性、
かなりディープな付き合いか?


見出しと写真が数枚。轟さんの横に写る女性の姿は顔は隠されていたとしても。
どこからどう見ても、私にそっくりだった。
ここは程よく暖かいのに、酷く寒気がする。

何時だって、後悔してからでは遅いのだと、
ずっとわかっていたつもりになってただけだったんだ。これから来るであろう未曾有の事態を想像して、無性に吐き気が止まらなくなった。




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