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好きの反対は無関心、だなんてそんなことを一体誰が言い出したのか。その言葉を聞く度えも言われぬ不快感に苛まれるその理由を、私はもう随分と長い間問い続けている。
まあ、大概きっと目の前に腰掛けてただじっと私のことを見つめてくる轟くんのような、ポジティブの化身の如き偉人がその場のテンションで適当に言い放ったんだろうけど。……そう考えるとやっぱりどう足掻いても好きなれそうな気がしないのは常だろう。好きになりたいとも思えなかった。偉人もその格言も、クラスメイトの轟くんのことでさえ。


「ねぇ、」
「ん?」

窓の外は晴天一色で。これほど天気がいい日には、昼寝をするのが一番だ。
そう考えた私は気がつけば人目も気にせず机に頬をつけて目を閉じていた。緩やかに上がっていく体温。そして眠気を誘う日差しの暖かさにあっという間に眠りに落ちたのは丁度1時間ほど前の話。時刻は日暮れの少し前。日が傾き始めたくらいの時間にゆっくりと瞼を開ける。割と思い切り寝ちゃったな、なんて変に癖のついた前髪を撫で下ろそうとしたその時だ。

「何してんの」

思わずど低い声が出た。春眠からくるせっかくの心地の良さも、目の前に座り無言で私の顔を見つめていた轟くんが目に入った瞬間何もかもがどん底に落ちた。気分は驚くほど急速に落ち込んで、最早底辺といっても過言ではない。眠りを邪魔されたわけでもないのにこんなにイラッときてしまったのは多分、その優しげに歪められた口角のせいだろう。

彼は「悪い、起こしたか?」なんてまるで悪いとも思っていないような体で不意に私の頭にふわりと手を乗せ、そのまま数回猫でも撫でるように、流れに沿って頭を撫でた。

一度、二度、つむじを擽る細やかな指。壊れ物に触れるみたいな手つきで轟くんが私の頭を撫でている。表情は如何にも慈愛に満ちていて、そういう関係なのではないかと錯覚しそうになるくらいに甘い。しかし生憎そういうものでもなんでもない私達は、敢えて名前をつけるならばクラスメイトという関係でしかなかった。……じゃあどうして轟くんは頭を撫でてきたのかって?

そんなの、私が聞きたいくらいだ。


「何してんのって聞いたんだけど。」今一度聞き直さなければ、轟くんはまた明後日の方向へ言葉を広げるだろう。阻止するためにも、私はしたくもない問いを投げかけた。出来ることならここで会話を打ち切ってさっさと立ち去ってしまいたくもあるけれど。それが出来ないからこその代替案だった。

「寝てんのが見えたから、起きるまで待ってた。」
「なんで?」
「一緒に帰りてぇなって、駄目か?」

聞かなきゃいいことなんて人生のうちに山ほどある。これも多分そのうちの一つであることに変わりは無いのだろうが、そんなことも露知らずといった顔で彼は続ける。寝顔見てたらこんな時間になっちまった、なんて歯の浮くようなセリフを呟く轟くん。さらりと言い退けるその顔が、柔らかさが、私は嫌いだった。

「きみのそーいうところ、本当嫌い。」
「……まだ、帰んねぇのか?」
「帰んないよ。」


とぼけた顔をして私の手に不意に触れたのは先程頭に乗せられていた轟くんの指先だ。それは異様に温かくて、驚くほど大きな掌だった。個性の兼ね合いでもあるのだろうか?普通よりその手が温かいからいつも不思議である。まあ、人より温かい理由を考えたことなんて無いんだけど。

頭に明らかなはてなを浮かべてこちらを見つめるその手を払いのけ、ぴしゃりと一言「駄目、」と言い放つ。先程の問い掛けに対する、明確な答えのつもりで否定した。しかし手を払われた轟くんの方は、さも何も気にしていないという素振りのまま真顔を貫いて払われた方の手を眺めていた。
黙ってればカッコイイ部類に入るであろう人であることは確かなのにそれでも食い下がって「なんでだ」と彼は呟く。

なんでもクソも嫌いな奴と帰る道理なんか無いだろうに。まったく、これだから付き合って居られない。いつもそうだ。私が冷たく突き放してもまるでのれんに壁押しなその態度。本当どうにかならないかな、なんて。考えながら私は素直に「だって君のこと嫌いだもん」と返す。しかしそれに対する返答といえば。

「俺はお前のこと好きだけどな。」
「ハァーー」

これだもん。ああ、本当、毎日毎日嫌になる。

「…………どうした。」
「相変わらずだなぁと思って、本当すごいよね轟くんってさ。」
「そうか?ありがとな。」
「褒めてないけど。」

こう見えて私は轟くんに好かれている。対して私は轟くんのことが嫌いだった。にも関わらずこうやって定期的に絡んではやっぱり嫌いだなぁ、と再確認する毎日。何も生み出さない時間だと自負はしている。だとしても、私は彼のことが嫌いなのだと定期的に自分自身認める為の事由が必要だったのだ。でなければいつかは流されてしまうんじゃないかと恐ろしくて。それがこの奇妙な組み合わせの原因になっている。

好きの反対は無関心だ、なんて言葉が大嫌いだ。それこそ轟くんと同じくらい嫌いだ。だってバカバカしいにもほどがあるじゃない?好きの反対は大嫌いに決まってるだろう。

轟くんからしたら好きの反対は無関心かもしれない。でも、私にとって好きの反対は大嫌いなのだ。それが絶対解なのだ。

だから轟くんも私のことを大嫌いになればいいのに。

「………轟くんなんか大嫌い。」

吐き出すようにして呟く。再び机に顔を埋めて彼の顔を視界に入れないようにしながら呼吸をするように幾度目かの大嫌いを吐き出した。

顔を見るとどうしようもなくため息が出る。声を聞くと思わず耳を塞ぎたくなる。君が他の女の子と喋ってるとものすごく腹が立つ。

これが、この気持ちが無関心なはずないだろう。

「そうか。」
「そーやってどさくさに紛れて顔覗こうとするところも嫌い。」
「ワリィ。」
「欠片も悪いって思ってないところも追加。」


言うや否や「あ、」て顔しながら慌てて身体を離した轟くんに、少しだけ笑いそうになってしまったのはここだけの秘密だ。顔の向きをプイ、と反対方向へ向けて彼から顔を背ける。今度は追ってくる気配は無かった。

「全部、全部嫌いだよ。」

この気持ちだけは確実に本心であってくれといつも願っている。何度嫌いであることを再確認しても、舌打ちまじりに轟くんを突き放しても、不安が拭えないことが私にとって一番恐ろしいことで、そして忌避すべき事象だったから。

我ながら馬鹿馬鹿しいな、なんて思ったところでどうすることも出来ない。分かってる。だから結局のところはこの関係を続ける他ないんだろう。

大丈夫、今日も嫌いだ。

ようやく今日の分の再確認も終えて安堵のため息をついたのも、つかの間のこと。

「ーーーーっ、!」

いざ、立ち上がる気配のない轟くんを放置して帰ろうと閉じていた目を開けると、すぐ側に彼の顔があった。その顔は相変わらず真顔だったが、心無しか少しだけ嬉しそうな表情をしているようにも見えた。

「あっ、」

驚いて飛び上がった拍子に椅子を倒してしまい、誰もいない教室に大きな音が響く。想定外のことをしてしまうと、咄嗟に身体が動かなくなるっていうけど、今の私は丁度正しくその通りで。

「怪我してねぇか?」

僅かに取り乱したらしき轟くんが慌てて駆け寄ってくる。「大丈夫、」すぐさまそう答えると彼は良かった、と自分のことのようにふわりと笑った。微笑みを受け、また苦しくなる胸。無意識に嫌い、と呟いてしまった自分には驚いた。言い聞かせるみたいに、本当に無意識に呟いてしまったからだ。

その声が彼に聞こえてしまったのかどうか、正しいことは分からない。でも多分聞こえたんだと思う。何を思ったのか轟くんは、不意に双方の間にある距離を一直線に詰めてきた。私に逃げる隙はなく、あっという間に近付く身体。目線より高い位置にある彼の顔は涼しげで、それにどうしようもなく腹が立つ。

「でも、俺はやっぱりお前の全部が好きだ。」
「はぁ?」
「そうやって俺のことでいっぱいいっぱいになってる顔も、嫌いだって必死で誤魔化そうとするところも、」


次いで伸ばされる腕。再びふわりと降ろされた掌がやんわりと頭を撫でていく。もう、声すら出そうになくて、ただ呆然と愛おしげに細められる眼差しを見つめ返し、立ち尽くす。やがて頭から頬へと伝った指が輪郭を一撫でした後、それは告げられた。

「俺の机にわざと座ったりしちまうところも、全部好きだ。」

要は、まあ、そういうことで。だからこそ人間の感情は上手く形に嵌められないから面白いのかもしれない。でも、これだけは言える。私はやっぱり轟くんが嫌いだ。鈍感なくせに、そういうことばっか気づくところも嫌いだ。全部、全部嫌いだ。だってそう思わないとやってられないじゃん。

そして、結局私は逃げた。それはそれは脱兎のごとく。背後で何か叫ばれたような気もしたけれど振り返る気は毛頭なかった。思えば、昨日もこうやって見破られて逃げ出したような気がする。日課の嫌い確認はいつも最後こうなっちゃうから大変だ。しかし本当轟くんも懲りないよなぁ、なんて。

後ろから響く「また明日な」の声を聞きながら走ってると、特にそんなことを思うよ。……まあ、私も人のこと言えないんだけどね。


君は知らなくていいことだから

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