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あ、と大きく口を開ける。時計の針がチクタク、チクタクと進んでいた。促されるまま壁に背中を預け、そしてあとには爆豪くんの何を考えているのかよく分からない鋭い眼光だけが残る。彼はまだ何も言わない。ただ、瞳の奥にある何か得体の知れない感情を捉えるかのように、真っ直ぐ私の目を覗き込んでいた。

いつも彼はオイ、としか言わなかった。名前を呼んでくれるわけでもなければ、自身の思惑すら告げずに突然現れる。そして恒例の「オイ、」という呼び掛けの後に私の唇を無理やり摘んでは、貪るようにキスをするのだ。

毎回キスだけでフラフラにされる私をわざわざ抱え直しては、咥内に指を突っ込んでグリグリと弄り倒す爆豪くん。一体どうしてこんなことになったんだっけ、今日も今日とて頬の裏側をなぞられながら考える。最近の爆豪くんはいつにも増して寡黙だった。せめて何か一言だけでも、この行為の理由を教えてくれれば……と思うけど。しかし期待するだけ無駄だということも彼との短いお付き合いの中で知ってしまったので、結局のところ私達は何をどうジタバタしたとして、文字通りどうにもなることは出来ないのだろう。



「オイ、」
「っ、ふぁ……い」
「目、開けろ」

咥内を這い回る無骨な指の擽ったさに思わず目を閉じる。お互いの息遣いだけが響くここは、他の誰でもない彼の部屋。午後、激しい訓練を終え寮に戻ろうとしていた所に、いつものように背後から声を掛けた爆豪くんが足早に私の腕を引いて自身の部屋のドアを開けたのは今から凡そ数十分も前の話だ。

連れ込まれてからこの行為に至るまでの時間は、それほど掛からなかったように思う。声をかけられた瞬間からこうなるであろうことは勿論予期してはいたのだが、それにしても早すぎる。よほど我慢してたのかな、なんて考えて苦笑いが浮かんでしまったのはここだけの話。


そして現在、何度も何度も上顎を擦られてそろそろ限界が近づいてきた、そんな頃。

ふと目を開けろ、と半ば命令に近い言葉を吐き出されて、私は思わず肩を震わせた。相変わらず口の中は爆豪くんの指で埋まっているが、その割に舌を柔らかく摘んで引きずり出したその手つきは意外にも慈愛に満ちている。

恐る恐る目を開けると、なんとも言えない不思議な色を湛えた爆豪くんの顔。すぐ近くに感じる、赤い瞳、それからはっきりとした目鼻立ち。全てが整っていて精巧だ。いいなぁ、羨ましい。他人事のように、そんなことを考える。
不意に目が合ったと気付く頃には心臓がはち切れそうなくらいにうるさく鼓動を刻んでいて。もう付き合いたてと呼べる時期でもないというのに、恥ずかしさのあまり逃げ出したくなってしまうのは仕方の無いことだろう。

彼の顔は、未だに慣れない。



私と爆豪くんが付き合い始めたのは、ちょうど季節が春に変わった頃のことである。その時から無愛想で言葉が足りないのは健在で。だけど、意外にもこの関係の始まりは彼の方からだったのを今でも鮮明に覚えている。

「オイ、付き合え」
そう言えばあの時も開口一番飛び出したのは好きですでも付き合ってくださいでもない、如何にも投げやりな言葉だった。爆豪くんに好意を抱かれている、なんてことをあの頃の私は予想すらしていなかったから、言われたことが理解出来ずに「…………どこに?」と素っ頓狂な顔で返したら頭を軽く叩かれ「ボケてんのか、“そっち”の付き合うじゃねぇよ。」と怒られたのも、最早いい思い出だ。付き合い始めてからの爆豪くんは言動こそ粗暴極まりないけれど、その実意外とマメだった。ただのクラスメイトであったなら、絶対に知るはずのない一面。直接口にしなくても何となく分かるくらいに、私は大切にされているのだろう。それは今もこれからも、きっと変わることはない。



苦しいわけじゃないのに何故か涙が出て、するりと頬を伝う感覚に気が付く。慌てて抑えようとするけれど、爆豪くんがその涙に気付かないはずもなくて。

「な、……に、泣いてんだ」
「ち、が……っ、」
「我慢すんなっつったろ。」

小さなため息をひとつ零して、唾液に濡れた彼の指が途端に引き抜かれていく。あ、と名残惜しげに声を上げると同時に、何故か寂しさが込み上げた。

ずるずるとしゃがみ込んだまま動けない私をまるであやすみたいに、大きな手が背中に回る。意識を腕の方に向けながら、私は彼の名前をそっと呼んだ。すぐ様返ってくる「ん」の一言が普段より柔らかく聞こえた理由も、きっと私にしか分からないのだろう。そう考えると、やっぱり悪くないなって。
息を整えて少し頭上にある彼の顔を再度見つめる。爆豪くんは引き抜いた指を自身の舌で拭いながらも、僅かに眉を顰めやや心配げな表情でこちらを見ていて、

「落ち着いたかよ」

壁に背を預けて惚けている私を労わるように、わざわざ目線を合わせてしゃがんでくれるあたり、彼らしいなと思わずにはいられない。
わしゃわしゃと、そんな豪快な音が似合うような撫で方で、背中にあった腕が頭の方へと回り、暖かな手のひらに包まれる。

「ばくごうくんって、あーいうことするんだ……」
「……あぁ?」
「ゆび、」

舐めたでしょ。そう聞けば、更に深まる眉間の皺。彼の心境をこれでもかと物語っている。今にもあ?何言ってんだお前と口にしそうな顔で爆豪くんが固まっているというこの状況が何だかおかしくなって、少しだけ笑みを零すと爆豪くんがすぐに笑ってんじゃねェよなんて頭を小突いてきた。

「ごめん、意外だったから。」
「随分余裕だなァ、テメェさっきの嘘泣きかよ。」
「違うってば。苦しくないけど何か泣けてきたの。」

辛いとか苦しいとかそういうのでは無い。ただ、言葉にするには難しい一筋縄ではいかない感情が渦巻いているのもまた確かで。要は、私は彼に随分と毒されてしまっているのだろう。でなきゃこんな風に口の中を弄らせたりなんてしないし、ましてや指を引き抜かれて寂しさを感じるなんてことあるはずもない。爆豪くんと付き合って、知らない一面ばかりに出会って、それだけで終われば良かったのかもしれないけれど。生憎それだけで終わらせないのが爆豪勝己という男であるので。

「そんなに好きか、コレ」
「ん、ん…!」

前触れなく再び骨ばった指を唇に押し付けられる。抵抗しようにも壁に背中を預けている所為でこれ以上は下がれない。大人しく指を受け入れる他にどうやら選択肢は無いようだ。

眉根を寄せていたあの表情が、途端に楽しげに歪む。反射的に顔を背けようとした私を阻むように、彼のもう片方の腕が顎を掴んだ。赤い目が尚も月のように爛々と輝いては、捕食者さながらの目つきで私を捉えている。

「なんつー顔してんだ」
「らっ……て、」
「ハッ、とんだ変態じゃねェか。」

誰の所為だ、そう思ったとして言えるはずもなく。大人しくされるがまま舌を引き出される。そのままゆっくりと指で舌の上をなぞられた。それはもう行為の割に、見かけに寄らないほど繊細な手つきで。恐らく私がえづかないように気を使ってくれたのだろう。いつもそうだけど、今回は特に気持ち悪さも嫌な感じも何もない。ただ、ずっと砂糖の海に揺蕩っているような、そんな感覚。

力の入らなくなった身体を不意に爆豪くんが支える。爆豪くんと壁に板挟みになった私には、最早逃げ出すすべも頭を回す余裕も無かった。頭の中はまさにからっぽで、それでも何故か涙が溢れて止まらない。爆豪くんが私の涙に気付き、先程と同じように「だからなんで泣くんだよ」と問い掛けてくる。なんで、なんてこっちが知りたいよ。それも全部、君の所為なのに。それなのに。

「泣いてない……っ、」
「あぁ?どー見ても泣いてんだろ。嫌なら言えや、隠すんじゃねぇ。」
「ちがう、ちがくて」

爆豪くんの目は相変わらず真っ直ぐだった。私が次の言葉を紡ぐまでの間、何も言わず静かに待ってくれているところとか本当に、変わらないなぁと思う。

「やめないで、」

ここまで来たらもう言うしかないのだろう。思えばいつだって、彼の方が一枚上手だった。口の中を好き勝手弄られる、というこんなどうしようも無い行為にすら私を溺れさせるほどに。

やめないでほしい。もっと、もっと続けてほしい。口にすれば存外、楽にはなれた。爆豪くんは目を見開いたままごくりと喉を鳴らしている。珍しいことに少しだけ動揺したようだ。

「っとに、テメェはよ」
「爆豪くんの所為じゃん………」

私だって、言わなくて良いなら言うつもりなんてなかったと言うのに。いくら顔に出ていたとしても、実際言葉にしてしまうのと、黙ったままでいるのには天と地ほどの差があるのだから。しかし言ってしまった以上はもう退けない。聞くなり唇の端を僅かに釣り上げた彼が壁に手をついて覆い被さってくる。次いで、咥内の指が引き抜かれ、柔らかな唇が降ってきた。押し付けられた唇から粘膜が滑り込んでくる。


「おー、そうだな。」
「は、ばくご……く……、」

無性に胸が苦しくなった。長すぎる時間唇を奪われていたから、というのも理由のひとつかもしれないけれど、これは恐らくそういったことに起因しないものだと思っている。

頬に添えられる大きな手のひらが、刺すような眼差しが、存在の全てが。全てが狂おしいくらいに好きだと思えることは、はたして幸福なことなのだろうか。今はまだ、その答えを導けるほど私は大人になり切れていなかった。それでもただ一つ、一つだけ馬鹿な私にも分かることがある。それはきっともう、彼以外を選べないかもしれないということだ。

「責任は取ってやっから安心しろ。」

分かっていて、それでもいいとさえ思ってしまうのだから本当にどうかしている。無論私も、爆豪くんも。“責任は取る“と答えた彼の背中に、返答も兼ねて手を回した。
爆豪くんは何も言わなかったけれど、それでも私は知っている。爆豪くんは、機嫌がいいときほど鼻で笑うのだ。そう、丁度こういう風に。

目覚めてしまった

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