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こんなことになったのは私の不注意の所為もあるだろうし、不運もあるだろう。生憎誰かの所為だ、と丸投げして一方的に怒れるほど私は潔白ではなく、それは鎖で繋げられたその先にいる轟くんも多分同じなはずだった。

とはいってもこんなものを作った発目さんに落ち度がないとは決して言わせたくなくて。
そして何の躊躇いもなく怪しげなサポートアイテムを触り見事に作動させてしまった轟くんにも、言いたいことが沢山あった。

「で、これ、どうやって外すの発目さん。」

「それはですね、提示される暗号を解いてキーワードを割り出すことで外せるようになります!基礎筋力と判断力、そして発想力の向上を目的に開発した自慢のベイビーでしてーー、」

「そっか、分かったありがとう。」


適応力がある方だと我ながら自負していたつもりだったのだが。いざ到底受け入れられそうにない事象に遭遇すると最早笑うしかなくなっている自分に気づく。考えても始まらないのだからとっとと腕に繋がれた複雑怪奇な手錠から能天気に流れる音声の暗号を解読してこの状況からさよならすれば良いのだけど、どうにも当事者であり協力者でもある轟くんの方はと言えば。手錠に搭載されているよく分からないボタンを眺めては「お、」などと能天気極まりない声を上げて驚いていた。

右は私、左は轟くん。無駄に装飾されたよく分からない発目さんお手製手錠が繋ぐのは双方の片手である。

なんでこうなったかは割愛するとして、ただただため息だけが尽きない。どうしようか、と相談の意味を込めて轟くんに問い掛けると、彼はいつもと変わりない表情で「とりあえず帰るか」と呟いた。

ここに居てもしょうがねぇしな、と至極当然なように発した轟くんの顔は何処までもいつも通りで。

顔だけを見たら、まさか私と彼が手錠で繋がれるという事態が起きているなんて、誰も思わなそうだ。
でも、この人自分が言ったことの意味分かってんのかなぁ。心配しても彼のことは彼にしか分からない。から考えたって無駄なんだろう。まだまだため息は尽きそうにない。



「くっ、取れない……」

「無理にやると痕になるぞ。」

「それは分かってるけど、さ!……あ、痛!」


歩きながらブツブツと不満を垂れ流す。日が落ち始めている校舎の廊下をただ歩くだけにしては異様すぎる光景に、すれ違った生徒が思わず目を逸らしていく。好きでこうなったんじゃないよ、と言い訳したくなるのを我慢して私は再び手錠の輪を力任せに引いた。が………やっぱりそう簡単には外れなかった。


「だから言っただろ。」

「いや、だってーー、」

「部屋戻って解けば良いじゃねぇか。」

「そうだけど一刻も早く外したい気持ちが勝ってるんだよ、っと!……おりゃ!あ、痛!」


轟くんは「だからやめろって」と言いながら手錠に繋がれていない方の手で制しようとしている。咎められてもやめようとしない私に戸惑っているようだった。確かに無理に引き抜こうとすれば痛いのは絶対だし、下手すれば怪我するかもしれない。
でも、だとしてもだ。
たとえそうなったとしても、私には部屋に到達する前に外さなければならない理由があるのだ。


なおも手錠から呑気に流れる声。電子音が苛立ちを余計に煽ってくるからなるべく耳に入れないようにしていたんだけれど、どうやら手錠の方は私の事情なんか知ったこっちゃないらしい。
再度スピーカーから本日幾度目になるか分からない暗号が流れてきて、


めだまがひとつ
ながいしっぽをなびかせる
すきまをひとつこえるたび
しっぽをちょっぴりおいていく、

「これな〜〜んだ。」

「分かるかっつーの!!」

手錠を握る手に思わず力が篭る。きっと傍から見た私はすごい顔をしているんだろうな。

子供だましみたいな癖してなまじ難しい問題出しやがって……、こっちは忙しいんだよ。
しかし無機物に怒鳴ったところで時間を無駄にするのは目に見えている訳で。ああもう本当に面倒くさい。

「あ、ごめん……」

「いや大丈夫だ。」

私がいきなり叫んだ所為で、轟くんが驚く素振りを見せる。肩をびくりと跳ねさせてこちらを見るその目は変わらず透き通っていたが、彼にしては珍しく瞬きを数回はためかせて目を丸くしていた。

手錠同士を繋ぐ鎖がやたらと短い所為で近付いていなければならない都合上、綺麗な顔が近くてこっちまで驚いてしまって。お互い若干の気まずさを残しながら無言で見つめ合う。パーソナルスペースを完全無視したこんな距離感なんて、慣れろと言われても無理だろうなあ。後に轟くんの方が先に口を開いた。告げられたのは手錠よろしく能天気な提案だった。


「とりあえず人目もあるし、早く部屋戻ろう。」

「へぁ、……う、ん……いや、でもさ…」

「まだ何かあるのか?」

「いやぁ、何かと言うか……」


問いかけに、そうなんです問題ありありなんです。とはどうにも言い出せなくて。適当に苦笑いで言葉を濁すが、轟くんにそれが伝わったかどうかは分からなかった。

轟くんは、自分が言ったことの意味の重大さをきっと理解していないのだろう。だから、そんなことを軽く言えるのである。

部屋行こう、とは一見ごく普通の提案に思えるが、これには深い深い落とし穴がある。ヒントは二人一緒に繋がれた外れない手錠。
そう、彼は気にしなくても私が気にするのだ。当たり前だと思う。だってこれから向かおうとしてる部屋って自分自身の部屋じゃなくて、轟くんの部屋なんだから。

付き合っても居ない男女が理由なく相手の部屋に二人きりなんて、そんなの絶対まずいって。


しかしそんな思いすら通じているようには見えない轟くんはさも何が駄目なのか分からないといった雰囲気で不意に顔を近付けて私の顔を覗き込む。ひっ、ち、近い!ただでさえ恋人同士の距離感並に近いと言うのに。
突然の出来事に「ヒッ、」と間抜けな声を上げながら距離を取ったが、それが悪手であることに、この時の私は気づくはずもなく。

「あ、おい…!」

「えっ、わあっ!」

手錠から伸びる鎖が途端に突っ張る。ガシャ、と空虚な音がして、次の瞬間轟くんの身体が揺れた。私が無理に距離を取った弾みで手錠が引かれ、バランスを崩してしまったようだ。

ああ、慎重にやらなきゃって、発目さん考案のサポートアイテムは何が起きるか分からないんだからって。確かに思ってたはずなのに。それなのに私はなんて軽率なことをしたんだろう。
状況は残念ながら後悔してももう遅いみたいで。


流石の轟くんも“やべぇ”って顔をしていて、それに少し感動した。まあ、思ってる場合じゃないけれど。
そのまま刻一刻と私の上に彼が迫ってくる。一足先に床に倒れた私は、轟くんが手錠に引かれ追従して倒れてくるのを呆然と見ていることしか出来ない。
このままだと多分色んな意味で大事故だなぁ、なんて呑気に無駄なことを考えている頭。裏腹に、事態は瞬く間に進行していく。


「うっ、わぁぁ、ごめ!ごめん!」

「おま、暴れるとーー、」

「ひゃあぁぁ!」

「っ、おい!」

事件は残念ながら起きてしまった。
パニックになる私を尻目に、轟くんの硬い胸板が全力でのしかかってくる。石鹸のいい香りが鼻を突いた。慌てて下から抜け出そうとする私。そして何故かそれを止めようとする轟くん。それはまさに阿鼻叫喚の絵図としか言いようがない。

「動くなって……、」

「そんなこと言っても、……あ、近い無理!」

手錠の存在が頭から抜けている私は、どれほど制止されても落ち着くことなんか出来やしなくて。勢いよく藻掻く度、轟くんが手錠に引っ張られバランスを崩して何度も私の胸へと顔から落ちた。

お互いの体制が一ミリも動けなくなるくらい雁字搦めに固まって、漸く理性が戻る。しかしその頃には腕は動かせないし轟くんは私の無い胸に顔を埋めたまま無言だし、という兎に角悲惨な状況。
どうしたら良いのか、もうまるで分からない。ついでにこの状況からどうしたら抜け出せるのかも検討がつかない。私の腕は背中側で無理に曲げられ轟くんの左手と繋がれている。そのまま解こうとすれば私の肩が外れるのは明白だ。

「………ハァ」

「ううぅ、」

「だから、動くなって言っただろ。」

「ごめん……っでも、」


尚も胸にガッツリ顔を埋めたままの轟くんは、呆れを含んだ声色でため息をついた。

動くなって言っただろ、なんて言われてもなぁ。
クラス屈指のイケメンとこんなことになった時に動くななんて言われて本当にそのままでいられる女子がどのくらいいるかって話だろう。片手で数えられるくらいしかいないんじゃない?

だから私だって君の部屋に行きたくなかったんだよ、なんてことを考える。まあ、今更それを言ったって後の祭りなんだけどね。

「動くぞ。」

「う、うん。」

「俺が動くから、お前は動くなよ。」

「はい……」

ゴソゴソと衣擦れが起きて、ゆっくりと背中を支えられる。それは轟くんが少しづつ体勢を変えながら立ち上がろうと模索している音だった。
触れられている部分が馬鹿みたいに熱い。彼の指が、手のひらが背中を這うごとに変な気持ちになる自分が情けなくて、目を瞑りながら一刻も早く終わってくれと耐えるしか出来なかった。

優しく触れてくる感触に意識を向けずにいるには、夏服のシャツはあまりにも薄すぎて。辺りには斜陽が差し、ひぐらしの声が響いている。
もうこんな時間か、と押し倒された視界の端に見える時計を見つめながらぼんやりと轟くんが上から退いてくれるのを待つ。不意に彼の吐息が耳に掛かり思わず変な声が出てしまったんだけど、轟くんははたしてその声に気が付いただろうか。




「ほら、」

「ありがとう。」

差し出された手に掴まり、私たちはようやく大惨事を脱する。何だかどっと疲れた……、まだ何も解決出来てないというのに、である。手錠の重さが顕著になった気がして深くため息を吐くと、その時忌々しい手錠から再びあの脳天気な音声で暗号が読み上げられる。

めだまがひとつ、ながいしっぽをなびかせる、
すきまをひとつこえるたび
しっぽをちょっぴりおいていく、これな〜〜んだ?



「ごめん、なんか、本当色々……」

「気にすんな。」

問題を聞くだけで辟易しそうになる胸中。この気の抜ける感じは、本当に何なんだろうか。そしてなまじ問題が難しいのは誰の差し金なんだろうか。

「とりあえず、行くか。」

「……ん、何処に?」

「俺の部屋。」

ああそうだった、忘れてた。色々あって本当に忘れてた。俺の部屋、と容赦なく現実を突き付けてくる轟くんに、さっきの事故をどのように捉えたのかふと聞いてみたくなった。

どういう感情があれば、あれだけ押し倒し胸にまで顔を埋めざるを得なかった女のことを部屋に誘えるというのか。もともとよく分からなかった轟くんのことが更に分からなくなっていく。とは言え時刻は日も落ちて本格的に先生に帰寮を促される時間帯が近付いているから、答えは結局ひとつしか無いのだろう。

うん、と返す前に掴まれる手のひら。緩く指が絡んでは恋人の様に重なって、そして力強く引かれる。

「えっ、」

「行くぞ。」

何故そんなことをするの、なんて思っても馬鹿な私には分からない。轟くんの手は思ったより温かくて、大きかった。彼の手が意外とごつごつしていて如何にも男の子の手をしているということは、本来知るはずも無かっただろうに。ああ、顔が真っ赤になるのを抑えられない。

轟くんは私に歩幅を合わせてくれている。その後ろを歩いているから彼の表情は伺えなかった。
けど背中越しで良かったと今なら心底思える。だってこんなにも真っ赤に染まった間抜けな顔を、轟くんに見られなくて済むのだから。

色々限界な私を尻目に、本日何度目だか分からない能天気な音声が、今再び暗号を読み上げた。部屋はもう、すぐそこまで迫っている。

セーフ・ライン・アウト

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