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終日通して小雨がぱらつく一日となる見込みです、と聞きたくもない予報を告げたのは無機質な表情を貼り付けたアナウンサーだった。私は無言でテレビの電源を消しながらため息を吐く。貴重な休みのその中で、今日は中でも特別な日だというのに。どうしてこうも肝心な日に限って運が悪いのか。解せない。本当解せない。ねえ、そう思わない?とは口には出せなかったが、共有スペースのソファに姿勢よく腰掛けた轟くんも曇天の空模様同じく、心無しかどんよりとした面持ちのまま無言で窓の向こうを眺めているあたり、きっと同じことを頭に浮かべているんだろう。
夏祭りに行こう。そう言い出したのは誰だったか。先週学校の近くの神社で開催された縁日に参加できなかった面々を誘って、丁度今日も別の神社で開催される縁日にみんなで行こうという約束を取り付けたまでは良かったが、問題は天気までは私には味方してくれなかったということ。それに尽きる。
雨天延期。こじんまりとした神社で執り行われる祭事も、流石に雨には勝てなかったらしい。今日約束をしていた面々もきっと今頃部屋で同じように窓の外を眺めてため息を吐いてる頃だろうか。
「雨かぁ………」
「だな。」
静かに私と轟くんは声を掛け合う。これじゃお祭り…、行けないね。お互いに言わんとしてることは何となく分かり切っているような気がした。
「あーあ、先週行けなかったから、今日の為にと思ってわざわざ浴衣用意したのに。」
「買ったのか?」
「うん。デパートで気に入ったやつ。」
「どんな柄のやつだ?」
「………え、柄?」
まさか轟くんからそんなことを聞かれるとは思っていなかった所為で、僅かに面食らう。質問に質問で返すのはあまりよくないことなんだろうけど、流石に不可抗力だと思いたい。
気を取り直して準備していたはずの浴衣の柄と色を頭に浮かべる。私が選んだのはクリーム地にオレンジやペールピンクの花柄が散りばめられたどちらかといえば可愛らしい色合いの浴衣だった。似合うかどうかは別として“あ、可愛い”と直感で買ってしまったものである。
なんでそんなこと、気になるんだろう。疑問には思ったもののそれとなく色と柄を轟くんに伝えると、轟くんは表情変えずに「そうか、似合いそうだな。」とだけ呟いた。
えええ、なにそれ!
「えええ、そっ、んなことないと思うけど!」
「そこは肯定するところじゃねえのか。」
「いや、その………確かに……」
目に見えて慌てふためいてしまった。
え、轟くんってそんなこと言うようなひとだったっけ?イケメンに言われるとかなりビックリしてしまうからやめて欲しい。まあ、一人考えたところで先の発言があったという事実は変わらないんだけれど。
というか轟くんが変なこというから、私も変なこと口走っちゃったじゃないか、どうしてくれるのさ。
轟くんはなおも「似合うと思ったから言っただけだ」なんてオシャレすぎる口説き文句を私に投げ掛けてくる。いやもう本当それ以上は勘弁してよ照れちゃうでしょ。私をどうするつもりなんだろう彼は。
とりあえず照れるからやめて!と誤魔化すように笑みを浮かべてから、私は再度窓の外を見た。轟くんは急に顔を逸らした私に対しては、特に何も思わないようだった。
窓の向こうにはアナウンサーが言った通りの小雨がぱらぱらと細かく降り続いている。遠目からだと霧雨っぽく見えるなあなんて。ああ、そう言えば……、
「轟くんはさ今日私服で行く予定だったの?」
「私服?」
「お祭りだよ、お祭り。この前も私服で行ったんでしょ?」
「ああ、そういうことか。俺も今日は浴衣用意してた。」
「ありゃ、残念だね。」
どうやら轟くんも用意していたらしい。二重の意味で残念である。正直私は轟くんの浴衣姿が見たかったのだ。お祭りは行けないし轟くんの浴衣姿も見れないって、踏んだり蹴ったりだな本当。
「はぁー、浴衣着て行きたかったなぁ。」
「雨だししょうがねぇだろ。」
「んな念押ししなくても。」
雨が降ったら延期、そんなことくらい分かってる。だとしても、やるせない気持ちが消えるわけじゃないので面倒くさい。ただ誰かに吐き出したいだけの気持ちをはた迷惑にも轟くんに伝えてみたけど、轟くんには伝わらなかったようだ。
さて、今日はこれからどうしよう。一気に暇になってしまったな。…大人しく部屋で小テストの対策でもしとく??うわぁ、嫌だ。
げんなりする、せっかくの休みだったのに。
「なぁ、」
「ん?」
思う節があったのか、再度私に向かって口を開いた轟くんの方を見る。轟くんはといえば雨が降っているにも関わらずむしろ普段より若干明るい頬で私を真っ直ぐに見ていた。え、どうしたの急に。
「お前これから暇か?」
「んん?そりゃまあ…お祭りなくなったし。」
「折角だから浴衣着て何処か行くか。」
窓の外は雨が降っている。散り散りに細かな粒となった雨は、一見降っていないようにすら思えた。こんな日ではあるけれど、浴衣を着た轟くんが神社を彷徨いていたりしたらそれはそれでありかもしれない。似合いそう。しんと辺りが一瞬だけ静寂に呑まれた後、やけに大きく感じられる私の間抜けな「…へ?」という声が響いた。
「え、それって誘ってくれてるの?」
「………?、当たり前だろ。」
一緒に行かねぇのか?なんて次いで当たり前のように彼は聞く。一緒?一緒って、私と轟くんが浴衣を着てってことで合ってる?
一緒に出掛けよう、浴衣を着て。彼は多分そう言ったのだろう。だとしても、だ。まさか、誘ってくれるだなんて想像もしなかった所為で、流石の私も顔が赤くなるのが分かった。えええ、なんてことを言うんだ轟くん!
「………他の人も勿論誘うんだよね?」
「いや、ワリィ俺とお前だけで考えてた。」
「ええええ、二人きりでお出かけって…しかも浴衣なんて着てたら、お前らデート?!って皆に騒がれるよ?」
そう、男女が二人きりでオシャレをして出掛けることは古来よりデートと呼ぶのだ。そんなことをしたら、周りがなんと囃し立てるだろう。特に、峰田上鳴あたり。今や全寮制となったこの高校内、自宅から向かってこっそり待ち合わせするのとは訳が違うので誰にも見つからずに私と轟くん二人で寮のエントランスを抜けるなんてこと、出来るはずがない。
よりによってクラス1のイケメンとそんな風に勘違いされるのは駄目だよね、流石に。
「俺はそのつもりで誘ったんだけどな。お前が嫌なら今日はやめとくか。」
「んえ?」
「また今度行こう。」
しかしまあ、なんというかやっぱり轟くんはやはり一筋縄ではいかない人で。結構轟くんのことは、段々と分かってきていたはずなのに、今更何故こんなアホ面を彼に晒す羽目になったのか。時が止まったかのように誤魔化すために上げた腕が固まる。まるで石化でもしたかのようにぴしりと動かなかった。
うーん、分からない。勿論アホ面をさらすことになった理由が、じゃなくて轟くんの意図の方が、なんだけど。
彼はそう言うなりおもむろに立ち上がり踵を返す。辛うじて理解出来ていた頭は最早最後の捨てセリフによって平静を失ってしまった。
ちょ、ちょちょちょっと待って。偉くあっさりと引き下がられた上にサラッと爆弾的な発言をされると、どうしたらいいのか分からないんだけど!焦って後ろを着いていこうとしたけれど、突然の事で上手く足が動かなかった所為か、私は縺れて転んだ。
「うわっ、」
「大丈夫か?」
みっともない転び方だった。今が浴衣でなくて本当に良かったとそう思う。まあ結局は足は幸いにも痛めずに済んだが、おマヌケな転び方の一部始終を最後まで見られたという傷は残ってしまったのだが。
ああもうほんと、散々。それもこれも全部あんな変な事言った轟くんの所為だ。
もう、差し伸べられた手を平常心のまま握れそうになかった。それは私の不甲斐なさだけが問題ではないと思う。だって、轟くんの顔が、あまりにも近くてキラキラと輝いて見えてしまったから。あああ何も、何も意識したことなんて無かったのに!
強いて言うなら少しだけカッコイイなと思うクラスメイトの一人、ただそれだけだったのに。
「ほら、」
「あ、りがと…う。」
温かい手に引かれて立ち上がる。近かった顔が更に眼前まで迫ってきて、思わず後ずさりしそうになった。
何で後を追っちゃったんだっけなぁ。若干気まずい時間が流れていく最中。後を追いかけて掴んだ腕の理由さえも頭の片隅から飛んでしまって、私はただただ彼の透き通った綺麗な双眸を眺める。
「どうした?」
「あ、えっと………」
何か言わないと、伝えないと。顔は多分意識してしまった瞬間からもうずっと赤いのかもしれない。きっとそれに轟くんも気付いてるんだろう。ならもう、悩む必要なんてないはずなのだ。分かっている、そんなことは。
「あの、」
「なんだ?」
「え、えっと……ですね」
外は雨が引き続き降っている。しとしと、しとしと。梅雨入りを告げた前線はお祭りという楽しみを消してしまったけれど、別の切なさが私の中にはあった。轟くんはなおも変わらない無表情で私の言葉を待っていた。何を思っているのかは分からない。でも、さっきまでとはまた違った柔らかな雰囲気をまとっているような、
「……やっぱり、一緒に行こうかなって」
そんな気がしたんだ。
言葉に出してしまえば酷く簡単だったけど、そこには想像以上の勇気が必要で。言った後に(私、なんてこと言ってんの)…なんて軽いパニックに陥っている私を差し置いて、彼は少しだけ嬉しそうに笑った。
外は狐の嫁入りと呼ぶに相応しいような、朧気な太陽が雲の切れ目から上がっている。こんな日に出掛けたとしても、君と二人で、しかも浴衣を着て歩けるなら、そういう一日も存外悪くないと思うんだ。
涙雨と落ちる恋