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今、私は酷く陰鬱な気分である。何故かは割愛するとして、この感情に名前をつけるならば。

誰ですか、持ってったやつは。お陰で某傭兵も真っ青なスニーキングで下校しなきゃならなくなったわ、このやろう。あーもー、本当嫌になる。なんで私がこんな目に!になることは間違いない。

ダボダボのワイシャツ一枚で誰もいない夕暮れ時の黄昏が差し込む教室内で。私は吊るされたカーテンに包まりながら途方に暮れていた。

遠くから生徒の話し声が聞こえてきて、教室に面した廊下を2人の生徒が気怠げに通り過ぎていく。咄嗟に机の下に屈んだ。頼むから気付くなと祈り、楽しげに下校する生徒の後ろ姿を目で追っていく。あぁ、もう上手くことが運ばないな!と無意識に眉間にものすごいシワを寄せていたのに気付いた。

多分、今私は修羅の顔をしてると思う。



制服が無いことに気付いたのは少し前。検診着のまま教室に戻ってきた時のことだ。

みょうじ なまえ 要再検査。
以前受けた健康診断の再検査通知が来てしまい、険しい表情になったのを覚えている。前々回より個性値のブレが大きかったので念のための再検査を放課後行う、との通知。そのプリントを相澤先生より渡されたので仕方なく、私はその再検査を受けることになった。

検査自体は予想に反し、検診着に着替えてよくわからない大きな機械に丸ごと収納されて数十分ジッとしてるだけの再検査だったので滞りなく終了し、直ぐに下校準備に取り掛かれることにはなったのだが。

ありがとうございました、と装置技師の先生にお礼を述べて、再度着替えるために教室に置いてきた荷物と制服を取りに戻ったまでは特に問題なかったのに。

「……あれ?」

何故か机の上にあるはずのそれが忽然と消えてしまっていた。そして今に至る。





教室に現在クラスメイトはいない。優しい夕暮れのなか一人きりだ。

こんな状況じゃなければ感動してただろうけども、今はそんな心情に浸っている場合ではないことを自身のシャツの裾からがっつり出てしまってる下着が物語っている。

装いはシャツ一枚、あとは下着オンリー。
シャツは轟くんのものだ。

なんで轟くんのシャツが見つけられたのかは、お付き合いしているからといった理由以外に「さあ、僕を着て!」と主張せんばかりに無造作にロッカーから飛び出していたからである。ところでなんでこんなとこに轟くんのシャツがあるの。

ギリギリ着るものが見つかっただけ運が良かったと思うべきなのかそれとも。
一層痴女感増してない?と自問自答を繰り返した果てに、私はこんなことしてる場合じゃなかったことを思い出し、意を決して教室の外へ飛び出した。


(寒いし…)

とにかく誰かに見つからないようにと飛び出したはいいものの。終業後とはいえそれなりにまばらに生徒の気配がする。

これ、もし誰かに見られたらゾッとするな。
窓に映る自分は明らかに痴女だった。
まさによくある恋愛小説の彼シャツ設定である。これで彼もメロメロよ…ってアホか!



検診着を検診ルームの入り口にある返却バスケットに秒でダンクして、階段の手前にしゃがみ込んで息を潜める。そのままさながら歴戦の傭兵も真っ青なスニーキングっぷりを披露して気配を消した。


このまま誰にも遭遇せずに逃げ切りたい…
儚い希望であることはよくわかってはいたが、一人の年頃の女子として、どうしても痴女全開のこの姿を世間に晒すなんて真似はごめんなのだ。
何がなんでも誰にも見つからずに寮まで帰還してやる!と気合新たにいざ歩みを進めようとした、その時。



(…………最悪だ。)

まるで神様の嫌がらせかのように、階段の下にはまさかの生徒2名の姿が見えた。この階段さえ降り切ればもうすぐ学校のエントランスだったのに、だ。
よく見ると、その2人はさっき教室の前を通り過ぎてった二人組だった。


(さっさと帰りなさいよ、もー!!)

頭を抱えそうになる。というよりもう抱えてる。

どうすれば如何に誰とも遭遇せずに逃げ切れるのか、もうアイディアが思いつかない…
助けて誰か。

嘆いたところで辺りにはカラスの気の抜けた鳴き声が響くばかりだ。

どちらにせよあの2人が居なくなるのをここで呑気に待っているわけにもいかないので、とりあえず元来た道を戻ろうと、音を立てないように立ち上がった。


(う、そでしょ…)

引き返そうとしたその刹那。
私の耳が信じられない音を後方から捉える。
聞き慣れたクラスメイトの声…


(ひいぃ、切島くん…!と…爆豪くん!?)

それは仲良く揃って壮絶な罵倒と受け流しを繰り広げながら、こちらに向かってくるクラスメイトの切島くんと爆豪くんの声で。



声が誰のものかを理解すると同時に私の心は「あ、終わったな」と潔く折れた。もうどうすることも出来ない、だって挟み撃ちされてるもん。

頭をフル回転させてみても打開するすべがない。万事休すってやつだ。プルスウルトラ??今はそんなもん知らん。

迫り来る脅威、足音が少しずつ近くなってきていてもうすぐカオスの渦中に投げ込まれるのだと悟る。

どうやって弁解しようかな、弁解云々以前にこの格好見られるの、精神的ダメージえげつなそうだな。私も彼等も。やばい泣きたい。
その場から動けなくなり蹲ってなるべく身体が見えないようにしよう.......。この世の終わりのような表情を浮かべ、私は半目で笑った。




すぐ側まで迫る声、腹を決めて抱え込んだ両足をぐっと抱き締めた時。

ふわりと安心する匂いに気付く。
轟くんの匂いだ。

絶望し過ぎて幻覚ならぬ幻嗅をついに感じ取ってしまったのだろうか…。
咄嗟に顔を上げると幻ではない、確かな存在感で彼が、轟くんが私の傍らに立っている。

「ーーとっ、」

驚愕の声を上げる前に、轟くんはモーションで声を出すなと私を制した。そのまま素早く身体を支えられて普段は施錠されている科目準備室へと連れられる。
後ろ手に扉を静かに閉め、内鍵を掛ける轟くん。私はというと突然のことすぎて理解が追いつかず轟くんと閉まる扉とを交互に見つめるしか出来ないでいる。

直後クラスメイト2人が扉の向こうを通り過ぎていった。


「大丈夫か?」

呆気に取られる私に不意に投げ掛けられた言葉。

普段通り優しい声色。
薄暗い準備室の中でも安心出来てしまうほどの安堵感に包まれる。力が抜けて私は床にへたり込んだ。

「も、もう駄目かと思ったよ…。」

彼は遠慮がちに微笑むとしゃがみ込んで、目線を合わせてくれた。
頭を撫でられてようやく、どうしようもない状況から助けてくれたという事実を理解し、思わずその優しい匂いに縋り付く。

轟くんは柄にもなく全力で縋り付く私を何も言わず抱きしめ返してくれて。
同時に申し訳なさが込み上げた。


「うわぁーん、ごめんなさいー!」

助けてくれてありがとう。と心からの叫びで伝える。よしよしとされるみたいに背中を撫でられて余計に涙が出そうだ。

「いや、俺の方こそ。迎えに行くのが遅くなっちまった。」

「そんなことないよ…!王子様か神様かと思うくらいナイスタイミングだった!」

「もっと早く行ける予定だったんだけどな」

「そうなんだ…………予定?」


轟くんはさっきまでのわたしから見れば王子様さながらの登場だった。助けられた安堵感が私を満たしている。その事実に変わりはない。そう、変わりない筈なんだけど…。

何故だろう、今の轟くんの言葉に違和感が生まれた。私が制服無くしていることにもっと早く気付きたかったって言ってくれてるなら分かるんだけど…。

にしては予定ってどういうことだろう。行けるという言葉を選んだことも引っかかった。


まあ、気にしない方がいいか。

いざ落ち着きを取り戻して冷静になりつつある頭を回転させながら。
ともかく、隠れたのはいいとして帰る方法を考えなければと少し身体を離して辺りを見回す。


え?あれ、ちょっと待って。視界の端に見てはいけないものを捉えた気がするんですが。


轟くんの鞄が扉のそばに置いてある。
見間違い?私の制服が詰められてるんだけど。


「あの轟くん。つかぬ事をお伺いしますが」

「なんだ?」

「あれは私の制服ですか?」


来世でも役にたたなさそうな英文の和訳のようなことを聞いてみる。轟くんは無言だ。
だけど、一瞬だけ。
無言のままほんの一瞬だけ目を逸らした。

気まずい沈黙が流れる。
ここで残念なお知らせなんだけど、実は彼にとって沈黙とはだいたい図星になってることが多い…んだよね。


「もしかして教室に置いてた私の制服を勝手に盗みました?」


まさかそんな、私の王子様に限って…。
と疑うようなそんな考え、突っぱねてしまえば良いだけなのに。揃ってしまった証拠がそれを許さない。救世主という名の容疑者は依然無言を貫いている。

疑わしき容疑者とシャツ1枚の私。
密室に二人きりの物語の末は、





「……なまえが俺のシャツ着てんの、すげぇそそる。」

「あっ、聞かない振りしやがったコイツ!」


やっぱお前か…………!!
途端に背中に回る手つきが優しいものから艶やかな手つきになってきた。ちょっと待って、私今シャツの下は下着一枚なの!
やんわりと身体を離そうとしてみたが、少し遅すぎたらしい。際どい部分にまで手が伸びて触れるか触れないかの境目を掠めていくもんだから力が抜けてしまった。

道理で都合よすぎるところにシャツがある訳だ。すっかりスイッチがオンになった轟くんの制止を必死で試みながら、他人事のように私はここまでの苦労を振り返っていた。

というかお尻触るのやめてくれないかな。





嘘みたいな情緒の死に方

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