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見てはいけないものを見た時の、その後の対処によっては、その人物の人と成りがある程度判断できると思う。例えば言いふらすもの、例えば思いを巡らせるもの、必死で忘却しようとするもの。
見てはいけないもの、と一括りにしては機微の差など到底知る由もないが、少なくともあながち間違っちゃいないと私は思っている。

さて、…下らない考察はとりあえず放っといて。どうしようかな…となんとも言えない顔で逡巡する。

ドアの隙間からまさか覗き見られているなど、奴は毛ほども思っていないだろう。

キッチンに独り立つ危なっかしい背中を仰ぎ見て、悩んだ末に私は気配を殺して経過観察をすることにした。



巷は俗に言うバレンタインで、私と同じ世の女性達は皆揃ってチョコレート生成に勤しんでいる。スーパーには高級チョコから手作りチョコレートキットまで幅広く立ち並んでおり、ここ最近買い物に出掛けるたびに“またこの季節かぁ”とふと思うのだ。

恋人はとても忙しい人である。年がら年中緊急出動だのパトロールだので割と会えない日が多い。それに対して不満を言ったことも抱いたこともあまりないが、まあ結局今この瞬間も、焦凍に会えずかれこれ1週間が経過している最中なので、なんだかんだで私は心の何処か彼とずっと一緒にいたいと強請ることを諦めているのかも知れない。


と、そんな1週間振りに会う恋人の姿が、あんなんでいいのか?いや、絶対あんまり良くない。まさに見てはいけないものを見た気分である。

先程から彼の人、焦凍は包丁をまるで殺人鬼のごとく天井向けて突き上げながら、鈍く光るそれと睨めっこ大会を開催していた。
普段も良く着ているカットソーの上から私のお気に入りチェック柄エプロンを着用し、大層似合わなすぎる風貌でキッチンに立っている。

目の前の調理スペースには何故かデカすぎる板チョコと麦茶パック。

む、麦茶?チョコは分かるとして麦茶?
麦茶はちょっと初心者には難しいんじゃないかなぁ〜お母さん心配だぁ〜、って誰がお母さんだよ!と脳内一人ツッコミを繰り広げ、ハラハラしながら私はその様子を見守っていた。

言うまでもなくきっと奴はチョコレートを作ろうとしているのだろう。誰にあげるものかはさておくとして。たどたどしくも板チョコを、人を救ける腕で乱暴にぶつ切りにしていく焦凍。


(本当危なっかしくて見てらんないって!)


奴は料理が出来ない。それは高校の時から既に周知の事実だ。野菜を切らせれば全部芸術的なまでに繋げるし、皮剥きをさせようものなら野菜の身が無くなる。スクランブルエッグすら失敗するような有様である。

そんな焦凍が今も奮い立ってチョコレートを作ろうとしている姿は、傍から見れば応援すべき事象なのだろう。特にこれから件のチョコレートをプレゼントされることになる私こそ、全力で黙って応援してやらなきゃいけないんだろうね、本来ならば。


「こっから、どうすりゃいいんだ…?」

(湯煎すら戸惑う…だと?)


しかし相手は壊滅的に料理が出来ない焦凍だ。現に刻んだチョコレートの欠片を前に首を傾げながら立ち尽くしてるし。顎に指を宛てて考え込む彼の横顔はいつ見ても変わらず整っている。チェック柄の可愛いエプロンに、殺人鬼持ちした小道具の包丁さえなければ完成された人形さながらなのになぁ。

残念なことに焦凍はチョコレートの溶かし方すら知らないようだ。……いや、その近くに置いてるスマホで調べろよ。と言いたくもなるが頑張っているみたいだから、とりあえず黙っておこう。


「…そういや姉さんがお湯使って、なんかして溶かしてたな。」

(なんか、って何……。)


生産的沈黙の果て、思い出したように彼は呟き、戸棚からケトルを取り出した。お湯を使うっていうのは分かってるらしい。なんだか不穏なワードが聞こえたものの気にしないことにしよう。流石に湯煎も出来ない程じゃないだろうし。

少ししてお湯が沸騰し、ケトルから白い煙を曇らせ始める。


「………?」

(え、何故止まる?何を悩むことがある?)

「直接入れていいのか?」

(は、直接………!?)


私は馬鹿だ。焦凍が壊滅的料理センスの持ち主だとわかっていたのに。どうやら彼を買いかぶりすぎたみたい。

湯煎すら危ういという結果に、思わずキッチンへ「直接はやめろ!!」と飛び出す寸前だった足を押し留める。本当直接だけは勘弁して、誰が食べると思ってるの。

しかし想像に反して流石に焦凍も直接お湯を入れる、というのには抵抗感があるのか、ボウルに入ったぶつ切りチョコの上に直接お湯を注ぐことはせず、瀬戸際で堪えていた。

そのままボウルもう一個用意しろ!と叫べるなら叫びたいよ本当に。声に出せない叫びがもどかしくてもどかしくて。もう出てっちゃおうかな…私の我慢も瀬戸際だ。

私の葛藤を知らない焦凍はその間も記憶の海を渡り巡っているような沈黙を続けている。


「なんか、違ぇな。」


焦凍のお姉さん、一度でも焦凍にチョコレート作りを見せてくれてありがとうございます。お姉さんのおかげでギリギリ焦凍が踏みとどまってくれてます!


「……直接はおかしいか、流石に。」

(そうだよおかしいんだよ、気付いて偉い!)



何とか耐えるか焦凍選手……!?
ドアの隙間で覗き見ながら声を殺して奴の次の一挙手一投足を見守る。自然と握り締めた手は手汗が物凄い。このままなんとか直接湯注ぎは免れてくれないだろうか…とりあえずチョコレート作りの神様にでも祈っとこう。


祈りが届いたのか、否か。
焦凍はケトルを置いて、本来の正解工程で使うはずのお湯を流しに捨てた。




「レンジにいれてみるか。」

(ーーーーえ、)


聞き間違い?レンジって言った?


「とりあえず1分くらいやればいいだろ。」

(ちょ…待っ、)


やっぱり彼にはチョコレート作りなんて荷が重かったのかも。

無情にもレンジにぶち込まれるぶつ切りチョコレート入りボウル(否耐熱)を隙間から目で追う。あぁ、終わったな…と思った瞬間レンジからボン、と炸裂音がして。


「お、」

(お、じゃないよ…。)


顔色は変えずすぐ様慌ててレンジを止めてボウルを取り出す焦凍。位置の兼ね合いで背中しか見えないが、立ち込める焦げた匂いがふと鼻をついて、レンジにぶち込む前に感じていた嫌な予感の的中を予感させる。取り出されたボウルからは黒い煙が上がっていた。

薄ーいお湯チョコも勿論嫌だけど、これはこれで嫌だ…嫌すぎる。


「焦げちまった…。」

(でしょうね。)


そりゃあ、チョコレートをレンジでチンしたら焦げますよ……、もう苦笑いすら出てこないんだけど。



「上手くいかねぇな…焦げてるし。どうすりゃいいんだ…これ。このままじゃアイツを喜ばせるどころか怒られちまう。」


控えめな溜息が聞こえる。一応彼なりに反省はしているらしい。色々とツッコミが追いつかないが、しゅんと途端に縮こまった後ろ姿がどことなく哀れに見えた。
結果論を言ってしまえば彼のしたことは失敗にはなるけれど、それでも私のためを思ってやってくれたことなのだと、心に直接響いてきてしまったものだから。

全くもう…。


「とりあえずお湯でチョコレート全部溶かしてもらえます?」

「うお、」



なんだかなぁ。
手助けするか否か、扉の前で二の足を踏んでたのが馬鹿らしくなってしまった。どうせお互いにあげる為のチョコならば、一緒に作ってしまえばいいだけの話だったのにね。


音を立てずドアを開けて、ジト目をかましながら後ろからそっと顔を覗き込むと、ようやく私の存在に気がついた焦凍が小さく声を上げて後ろに軽く仰け反った。


「いつから居たんだ、お前。」

「板チョコ開け始めた直後かな」

「ほぼ最初からじゃねぇか。」

「意思を尊重して声掛けなかったんだよ。ねぇ、そのチョコ誰にあげるやつ?」

「………言わなくても分かるだろ。」


バツが悪そうにそっぽを向くその人の頬にはチョコレートの欠片がついている。気付かないくらいチョコレート作りに夢中だったということか。

そういえば用意されてた麦茶って、私がどんなお茶の中でも麦茶が好きなことと関係してたり、するのかな。

なんだ、意外と思われてるんだね私って。

堪えきれないにやけ顔のまま彼の頬を指さすと、曲がったへの字口が更に角度を強めていく。手の甲でぶっきらぼうに頬を拭う焦凍を見るだけで、私は焦凍とはまるで間反対ににやけてしまう。

溢れ出す愛情は止まることを知らない。
両手に抱えきれなくなってしまいそうだ。


「なんか丁度いいから私も作ろうかなぁ」

手作りチョコレート、と悪戯な笑みを浮かべヒビの入ったガラス製のボウルを焦凍の腕から奪い取る。とりあえずは後片付けから始めなきゃ。


「悪ィ。」

「何が。私が勝手にチョコレート作りたいから作るんだよ。…まあでも、」


次からは湯煎ね。そう言うと彼は素直に「あぁ、頑張る。」と少しだけ笑って私の手を取った。その笑顔と手作りチョコレートに免じて今回だけは許してあげるよ不器用さん。


これでいいのだ

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