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※足しにもならない僕の気持ち 続

時刻は午後8時を回っていた。それは偶然にも前回一人お出掛けを敢行したときと同じ時間だった。

頑丈な扉の前で固まり立ち尽くす私の後ろを仕事終わりらしき上の階の住民が訝しげな視線を向けながら階段を登っていく。

現在右手には紙袋が握られていた。中身は焦凍へのお土産。言うまでもなく一人カフェ巡りからの一人カラオケエンジョイ後の姿である。ああとても楽しかったなぁ。今の私は言うまでもなく夢心地だった。ふわふわと浮ついた恋する乙女のような気分だった。そんな気分も数分後、そういえばしばらくスマホ見てなかったとスマホの画面を見た瞬間空中分解したんだけど。


立ち尽くしているのには理由がある。
早い話家の鍵を忘れたのだ。

そしてもうひとつ、火照った身体を氷点下までブチ下げる材料がある。それはしばらく家に帰れないほど仕事に忙殺されていた恋人からのメッセージに、今しがた気付いたことである。

内容に見覚えがありすぎて、スマホを見た瞬間文字通り凍りついた。


仕事やっと終わった。
今日は早く帰れそうだ。

来ていたメッセージは短文だけど愛を感じられるものだった。プラスゆるゆるなスタンプが二つ。このメッセージが入っていたのは昼過ぎ、今は午後8時過ぎ。

スタンプを二個も送ってくるってことはきっと大層ルンルン気分だったに違いない。そりゃそうよね、久しぶりに顔見るもんね。

私は一体なんてことをしでかしたのか、しかも2回目。それが尚更派手なやらかしっぷりにより一層拍車をかけている。


「また、やってしまった…」

そこには恋人をほっぽり出して一人で再び遊び歩いてしまった女が扉を開けることも出来ず冷たい空間に取り残されている様があった。


「チャイム押したくない…。」

押さないと家の中で待ってる焦凍に鍵開けて貰えないと分かっている、のだけども…!どうしても行動に移せない。だってチャイム押したら鬼みたいな形相で焦凍がゆっくり扉を開けてくるのが目に見えてるし。
全ては自分が蒔いた種、軽やかだった足取りも今は扉の前で鉛同然に重くて動くことが出来ずにいる。

人間とはこんなにも反省しないものだっただろうか。浅はか過ぎて自分が嫌になるよ。


しかし言い訳をさせてほしいこともあって。実のところ私はここ2ヶ月くらいの間、こうみえてきちんと焦凍との時間もなんとか作っていたし、連絡だってほぼ毎日欠かさなかったし、ちゃんとしてきたつもりだったのだ。

それが今月になって急に全く顔すら見られなくなってしまって、寂しかった…というのもある。寂しさを気晴らすことで誤魔化したい、という思惑があった。

その寂しさの果て、結果が今日に繋がっている。それだけは言い訳をさせて欲しい。かといってスマホ見なかったのは一重に私が悪いんだけどね。


「ああもうダメ!寒い!腹括るのよなまえ、こうなったら開けてもらうしかないでしょ…!!ごめんね焦凍…ダメな彼女で本当ごめんなさい…!!」

意を決してチャイムへと手を伸ばす。寒さとは違う震えが走ってボタンを押す指が何故かへっぴり腰だ。いやほんと寒いしここでモタモタしてても意味無いでしょなまえ…!と喝をいれて振り切った腕を再びチャイムへと向かわせる。ああ神様仏様、もし居らっしゃるなら私に勇気を…!


「くぅぅ、ダメだやっぱ怖い。」

「何やってんだお前、風邪ひくぞ。」


しかしそこにいたのは神様ではない存在だったようで。刹那低い声が重いドアの内側から響く。

えっ?と目が点になり真顔になった、あともうちょっと驚いてたら目が飛び出す寸前だったかも。神様…?と思わず目を疑う。

向かわせた腕が三度ボタンの真上で止まった時、恐怖に狼狽える私のすぐ横の扉を控えめに開いた焦凍が極低温テンション状態でそこに立っていたからだ。


「ひぇっ、な、ぇえ?なん……分かっ、えっ……ごめ、許して」

前置きなく家に招き入れてくれた焦凍と、暖かそうな室内とを交互に観察しながらとにかく慌てふためく。ドアから覗く人物の突然の声掛けは私の心臓を容易く破壊した。というかなんで私が帰ってきたこと分かったの。しかし言いたいことが色々あり過ぎて口がフルスロットルに空回りする、これじゃ完全不審者じゃない。

一旦落ち着けと言った焦凍の言葉とは裏腹に、態度は挙動不審の一途を辿りテンション極寒の焦凍にすら「大丈夫か、」と心配される始末である。


「いいからとりあえず中入れよ。そこじゃ寒ィだろ。」

「へぁ、はい……。」


怯え萎縮しまくる私だったが、想像に反し焦凍のテンションは確かに低いのに何故か気遣う言葉が柔らかかった。あれ?なんかあんまりトゲがないな。二回目のやらかしだし、下手すると家にすら入れて貰えないかもって思っていたのに。

手を優しく引かれ帰り慣れた部屋の廊下を歩きながらコートを脱いでいく。自然に取られたお土産袋を見て、焦凍が「今日は何を買ってきたんだ?」とまっすぐに聞いてきた。

リビングのソファに荷物を置いて、「えと、バスタオル…高いやつ。」と答える。彼のバスタオルが最近少しヨレてきたと思った時にふと目に入った上品な碧が丁度いいと思って買った一品だった。紙袋に手を突っ込みタオルの触り心地を確かめるその顔は無表情だけども、やっぱりちょっとだけ柔らかい、「確かに良いやつだな。」なんて呟くもんだから私の背中を嫌な汗がどう、と流れていく。

違和感とハテナで埋め尽くされる頭。

なんか、優しすぎない?
もしかして別れ話される?
ちょっとまって。それはまって。

焦凍に限ってそんな訳あるかと普段なら笑えるけど、自分のしでかしたことの重さが既に手元にある所為で非現実的とは言いきれなくて。

それだけは嫌だ、絶対嫌だ。


「あの、スマホ…見てなくて…ごめ、浮気じゃなくて、今回もその、一人で色々ほっつき歩いてて…気付かなくて。」


ソファに座った私は体躯の半分程度にまで縮こまったまま、気がつけば足をきっちり揃えて遺憾の意を表明していた。キッチン側の窓に映った私の情けなさと言ったら…目も当てられない。

小さく納まる私を後目にキッチンに向かっていた焦凍がマグカップを二つ持って戻ってきた。その双眸には変わらずよく分からない柔らかいんだか怒ってるんだか曖昧な意思が見え隠れしている。

ぺたぺた、スリッパの気の抜けた音が近付いてきて、途端身体に妙に力が入る。何も言わずに焦凍が隣に座ってきた。目の前に置かれるマグカップ。揃いで買った無地の紫地からは湯気が上がっている。


「……あの?」

「なんだ、飲まねェのか?」

「飲んでる場合ではないのでは。というかこれは一体?」

「………なまえが寒いっつーから、淹れたんだ。」

「寒いなんて言ってないよ。」

「言ってただろ、玄関で。」


マグカップにはほうじ茶がなみなみと揺れていた。琥珀色の見るからに暖かそうなそれと同じものを焦凍も隣で飲んでいる。不意に私たちの間にゆったり、冬の団欒といった雰囲気が漂う。
寒いと玄関で発していた、と言ったその言葉に気づいた。思い出した、確かに情けなく玄関で泣きわめいていたような……というかあれ、聞かれてたんだ。道理でタイミング良く出てくる訳だよ。


とりあえず気遣いに答えるべくマグカップに口をつけた。ほわ、と香ばしい香りに頬が緩む。美味しい…冬はココアのイメージだけどなんでも美味しいんだね。

僅かに緩んだ頬を知ってか知らずか、横目でちらりと焦凍が私の様子を一瞥する。ややあって真一文字だった口が開き始めた。


「今日は都内のカフェ巡りしてたんだってな。」

「えっ、何故それを。」

「途中で麗日とか、蛙吹に会ったんだろ。」

「そ、そうだけど…。」

なんで知ってるの、そう問いかけるより早く彼のスマホディスプレイを見せられる。そこにはお茶子ちゃんのSNSのアカウントが映っていた。“1-A同窓会”とタグ付けされた投稿がトップに来ている。弾けんばかりの笑顔の私とお茶子ちゃんと梅雨ちゃん。犬耳とか猫耳の加工までされていてちょっと恥ずかしい。


「書いてあった。」

「そうなんだ…。あ、本当だ。」

見れば確かにタグとは別に“なまえちゃんの一人カフェ巡りに遭遇”と書かれていて。


「まあ、だからいつも通り一人でふらふら遊びに行っちまったんだろうと思ってた。」

「おっしゃる通りで、」

「けど、だからといって心配じゃねえとは言ってねぇぞ。」


マグカップを机においたあと、その延長線に視界を傾けたまま焦凍はそう続けた。綺麗な横顔から白い吐息が吐き出され、それはやがて部屋に吸い込まれていく。

心配じゃないとは言ってない。紡いだ言葉はごく当たり前のことだった。焦凍にすっかり甘えてそんなことさえ忘れていたんだ。


「お前は寂しいと、一人ですぐどっか行っちまうからな。」

「そうなの?」

「そうだろ。」


そうなんだ、自分でも気づかなかったことを見抜かれてるなんて思わなかった。よく見られてるなぁと思わず顔が赤らんでしまった。流石は私のヒーロー、それに比べて私は馬鹿だったなぁ……結構愛されていたというのに遊び呆けて。本当うだつが上がらない。


「一人で行くなとは言わねぇ。……けど、お前のその間の悪さと音信不通な所はなんとかならねぇのか。」

「はい…返す言葉もない…。」


こっちをようやく見てくれたその顔に再び罪悪感が積のる。焦凍が早く帰れる時に寄りにもよって出掛ける間の悪さと連絡忘れるところはその通りだし反省しなくちゃいけなかった。心配させるのは良くない、よね。



「ごめんなさい、焦凍。」

スマホを握りしめ私も向き合って真っ直ぐ視線を合わせる。

「心配させてごめん、前回も心配させたのにまたやらかしちゃって。」

「そうだな。」

「ぅっ、本当気をつけ…ます。」

全肯定されるとちょっと沈むなぁ。その通り過ぎて返す言葉もないんだけど。誠心誠意謝って、一度伏せた瞼を持ち上げ様子を伺う。


「あぁ、そうしてくれ。…俺も、ここ暫く帰れなくて悪かった。寂しくさせたよな。」

ふわりと降りてくる大きな手のひら。ぽん、と頭の上にのせられた手のひらが不意に頭を撫でる。ああ、焦凍の手だ。人を守る強い手だ。


罪悪感と申し訳無さが遂に決壊して目から鼻から溢れそうになる。ぐず、と鼻を啜った音に焦凍が気づいたのか、おもむろに頬を両手で包まれて顔を持ち上げられた。

「ふぐ、」

「泣くなよ」

「だから泣いてないってばぁ!」


本当ダメな私だ。ふくれっ面のまま焦凍に抗議するなんて、誤魔化す為だとしてもだめすぎる。でもそんな私でも目の前にあるお顔は全面的に優しくて。そんな彼が愛おしいとさえ思えるのはもう底無しにベタ惚れしちゃってるからしょうがないことなのかもしれない。

「もう絶対5分に1回スマホ見まくってやる。」

二度としくじるもんですか。私の固い決意表明がきちんと心に届いたかはさておき。

私の決意に彼は「次また同じことしたら、GPS付けるからな。」と微笑んで、触れる程度の羽根さながらのバードキスをくれた。可愛いのかたまりみたいなそのキスは部屋の暖かさと相まって心にじんわり火を灯していく。そういう所がずるいって言うんだよ本当にさ。
GPSは嫌だとごちてみれば焦凍は「冗談だ。」と返してきた。けど、私は僅かな変化を見逃さなかった。冗談なんて言ってたけど、多分嘘。だってあの顔は絶対冗談なんて顔じゃなかったもの。







少しだけ甘くなりたい

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