# # #


私は最近全てを完璧に持ち合わせた人間など居ないことを知った。要は誰しもがどこかしらに不足を持っているということだ。富みも地位も名誉も才能も全て揃った人間などいないんだと、ようやく悟った。

巷には恵まれたもの達が星の数ほどいるけれど、全てを持った人というのは私の知り得る中では存在していなかった。探していないだけなのかもしれないけどね。

例えば同じクラスの爆豪くん。顔もかっこいいし個性も派手だしオマケに凄く強いんだけど、物凄く怖い。何よりクソを下水で煮込んだような性格とか言われてる節がある。悪い人じゃないんだけどね。でも流石にクラスメイトに言われるって……どうなの…?

それから緑谷くん。かっこいいし優しいし、機転が利いて頭も回るからすごく強い。んだけどそれが災いしてるのかたまに物凄くブツブツ語り出して怖い。しかも何言ってるのか分かりづらくてよくクラスメイトからは「長ェ」「怖ェ」とバッサリされてる。

そして、何よりも全てを持っている人だと信じていたのに意外な欠点をついこの前知ることになったのが、今目の前で私がネクタイを結ぶのを今か今かと待っているーー、


「なんというか、今日も中々に芸術的というか…凄まじいというか」

「……頑張ったんだがな。」


無理だった。と椅子を引いて姿勢よく座った同じクラスの轟くんだった。

彼はNO.1ヒーローエンデヴァーの息子さんで非の打ち所のない個性を持っている。性格も優しくていい人だし顔も「え?同じ人類?」と思うほどイケメン。これだけ述べてみると欠点なんてないように思えるけれど、今目の前に大人しく座っていることが、実は大きな欠点に直結している。



(一体どう結んだらこうなるんだろう?)

真っ白な襟の下にちょこんと据えられた赤いネクタイを見る。思わず苦笑いになった。
凛々しい雄英の赤ネクタイの重要な結び目部分が、何故かは分からないが三重になってよれている。三重に巻かれているせいで大分不自然な大きさなんだけど……なんだろ、ダブルノット結びを試したのかな?難しいからやめた方がいいのに。
あれ?よく見たらそもそも小剣側が前にきてる。え、まさか小剣で結んだの!?それもおかしい。


「凄いなこれ……轟くん今日急いでたの?」

「いや、別に…みょうじに教えて貰った通りに結んでみたらこうなった。」

「え、なんで私のせい?」



椅子に姿勢よく座った彼は真っ直ぐに私の顔を見つめ、上を見上げた。自ずと気持ち上目遣いをされてちょっと心臓に刺さる。相変わらず綺麗な顔だ。負けじと顔を強く保って彼の作品を丁寧に解く。解けば解くほどそのネクタイの凄さだけが印象に残った。



実は壊滅的にネクタイを結ぶのが下手くそなんだよね、轟くん。

別にそんな所欠点に数えられなくない?と思う人はこの惨状を見てないからそんなこと言えるんだと思います。

ことの始まりはひと月ほど前に実技訓練が終わって教室に戻ろうと思ったら更衣室に一人だけ残っていた轟くんに声を掛けられて、「ワリィ、みょうじ……ネクタイ結んでくれねえか。」と言われたのが最初だった。

「え?結ぶの苦手?」と聞けば「得意じゃねぇ」とのこと。今まではお姉さんに結んでもらってたらしい。寮制になったせいで困ってたそうだ。いや、可愛いな。

とまあそんな感じでその時ネクタイを結んであげたら、それ以来実技訓練でコスチュームに着替えて制服に再び戻る際に毎回結んであげることになってしまったのは最早言うまでもあるまい。だって私のネクタイ結びが物凄く綺麗で、気に入られちゃったから。「女子ってネクタイ結ぶ機会ねえだろ?なんでそんなに綺麗に結べるんだ。」って聞かれるくらいに、彼にとっては青天の霹靂だった模様。




「はい、出来たよ。」

「お、ありがとな。」


手馴れた手つきでネクタイを結び、ノットに締めのピンを刺す。今日もきっちりと綺麗に結べました。誇らしげに中心のピンが輝いていた。轟くんに持っていた鏡で美容師のように全体を見せる。轟くんはわずかに顔を明るくして再度私の方を見た。


「今日も綺麗だな。」

「普通だよ、むしろ轟くんがどうやって結んでるのか一回見てみたい。」

「この前教えられた通りにやったぞ。」

「小剣で結ぶとは言ってなかったはず…」

「そうだったか?」


そうだよ、ネクタイは太い方で結ぶんだよ。と言っても当の本人はよく分かっていないようで。首を傾げて今し方私が結んだばかりのネクタイを持ち上げて私とネクタイとを交互に見つめている。いや、そんなこの世のものとは思えないみたいな顔されてもね、貴方に教えた方法で同じ風に結べますよ?


「轟くん、このままだと私朝も結んであげなきゃならなくなるんだけど。」

「………。」

「いや、そんな目で見られても流石に嫌だよ?」


朝も出来たら結んでほしい、と言いたげな目で見つめられる。口を開きかけた轟くんをそれより先に制する。轟くんは少しムッと口をへの字にしながら「何も言ってねぇだろ」と言った。


「でも言いたげだったでしょ。そんなことしたら轟くんの未来の彼女さんに悪いからしないよ。…とりあえずまた今度もう一回結び方教えてあげるね。」


朝から違う女の子にネクタイ結ばれてる彼氏って気づいただけでも嫌だろうしね。これは轟くんのためである。そう笑いながら自分のネクタイを摘んで見せる。私のネクタイも彼のネクタイに負けず劣らずの出来栄えで。
こうなったら彼が上手く結べるようになるまで付き合ってあげようかな、なんてそんなことを思った。

轟くんはといえばちらり、と私のネクタイを一瞥してから、そのまま立ち上がり机に置いてあった制服に袖を通している。窓の外には生徒の楽しそうな下校風景が広がっていた。


そろそろ帰る時間だ。

「そろそろ帰ろうか。」

結び終わったことだし、と続けると引き続き口をぐっとへの字に結んだままの轟くんと目が合う。不服そうな顔。初めて見るそんな彼の顔に怯む。え、なんかしたっけ?


「ど、どうかした?」

「いや、別に。」

どうみても別にという顔ではない。ないんだけど、何故か聞いてはいけない気がして、結局私は聞くのを躊躇してしまった。荷物をまとめて帰りたいのに、一向に動き出さない轟くんの無言の圧力から逃れられない。なんとなく手持ち無沙汰のまま荷物をまとめることも出来ず立ち尽くして彼の様子を伺う。


「轟くん帰らないの?」

「……みょうじは、帰りたいのか?」

「……へ?どういうーー、」

「俺と居るのは、嫌か?」


何を言われたのかが分からない。反応に困って目を逸らすと、視界にわざと入るように轟くんが私の目の前に回り込んでくる。えっ、何事?

「えっ、えっ?」

狼狽えている間にも距離を詰められる。雰囲気が急にガラッと変わってしまった彼に怯えながら思わず後退りすると、足がさっきまで轟くんが座っていた椅子にぶつかった。

「わっ、」

バランスを崩し椅子の上に落ちる。後ろに倒れかけて、咄嗟に轟くんが支えてくれた。ふと急速に近付くその姿。目と目が寸分の狂いなく交わっている、さっき結んであげたネクタイが陽の光に当たって揺らめいた。

「……。」

椅子の背を掴んでくれたおかげで倒れなくて済んだけど、同時に私自身が椅子から立ち上がる為には轟くんに退いてもらわないといけなくなってしまった。あぁ、どうしよう困ったな。ぎこちなく固まった姿勢のまま動けない。教室の時計の針だけが進む。

なんでこんな急に…なんか変な…雰囲気になってしまったのだろうか。分からない、ネクタイ結んであげてただけなのに。それじゃ困るかなと思って結び方教えてあげたけど中々に芸術的に仕上げてきたから今度もう一回教えてあげるねって言っただけ…だよね?


上から見下ろされる形で固まりあっている状況の最中、ようやく最初の一言を発した轟くん。

しかしその言葉は意外極まりないもので。


「…みょうじは、俺以外にも他のやつのネクタイ結んだことあるんだろ?」

「……へぁ?あ、はい。あります…けど。」

「誰のだ。」

「えっ、とお父さんのネクタイをお母さんに代わって毎朝。」

「そうか。」


ネクタイを結べないお母さんの代わりに、私がお父さんのネクタイを毎朝結んでいた。それは私が寮に入る前まで続いた。今はお母さんが多分結んでいる。そこで私のネクタイ業務は終了するはずだったのに何故か業務は別の人の分を続行することになってしまっていて。そして今はーーー、


「俺のネクタイもずっと結んで欲しい、って言ったらお前はどうする。」


クラスメイトにネクタイを毎朝結んで欲しいとかいうプロポーズ紛いの台詞を吐かれている。

今なんて…?


「む、りです。ずっとは…、」


柄にもない敬語でなんとか紡ぐ言葉。とっくに情けなく染まった真っ赤な顔なのに見られたくない。途切れ途切れの言葉を下を俯きながらそう告げた。何なのほんとどうしちゃったの轟くん。突然クラスメイトから告白すっ飛ばしてプロポーズされるなんて流石におかしいって。


「嫌、か……。」

「違っ、嫌とかじゃないよ!でも、その、そういうのはさ、本当に好きな人に言うべきだと思うの!」


私はただ彼のネクタイを結んであげていたに過ぎないクラスメイト。初めて結んであげたあの日よりそれまでの接点なんて数える程度しかない。私にこれからもずっとネクタイを結んで欲しい。と言う理由なんて本来彼にははない筈なんだ。

というかもういっそのことネクタイ結び職人として雇いたいと言われた方がマシだったと思う。


「ね?だから、ネクタイ結ぶだけなら全然いいけど、ずっとはやめた方がいいと思うよ。」

何も言わず黙って私を見下ろしていた轟くんの目を再度見据えて、誤魔化すように笑う。
轟くんはそんな私の察してくれ顔に、ようやくなにかを悟ったようで。「あぁ、」と一言呟いてため息をつく。
ため息つくほどのことではない、と思いつつ彼の動向をとりあえず静かに伺う。僅かに逸らされた瞳が再び真っ直ぐ私を見つめてきた。

「そうだな、順番間違ってた。」

「はい?」

「見てろ。」


言うやいなや、先程私が結んだばかりのネクタイを勢いよく解く轟くん。え、なにしてんの?途端に口があんぐりと開口し、塞がらなくなった。襟から外されただの紐に成り下がるネクタイから目も逸らせない。完全に轟くんという人が理解できなくなった瞬間だった。

「え?いや、……え?!」

「いいから見てろ。流石に今日のはわざとらし過ぎるかと思ってたんだが…」

「いやもう意味わかんなーーー、え」


バレねぇもんだな、意味のわからない台詞と共に轟くんは再びネクタイを結び直していく。いやいや、折角綺麗に結んであげたのに!と叫んで止めさせようとした私が目撃したのは、あり得ないはずの光景。

絹鳴りが一つ二つして、キュッと引き締まる音とともに綺麗な結び目が現れる。襟下には轟くんが結んだネクタイのノットが鎮座していた。
えっ?どういうこと?

彼が結んだはずの最初の芸術的な結び方とは似ても似つかないものがそこにある。

轟くんはネクタイが結べない、それは今までの経験からまごうことなき真実だと思っていたのに。今轟くんがネクタイを目の前で綺麗に結び直しているところを見せつけられている最中。尚更訳が分からなくなった。これはどういうことなのだろう。



「轟くん、ネクタイ結べるの…?」

「みょうじほど綺麗には出来ねぇけど、普通に結ぶくらいは出来る。」

「嘘だぁ!じゃあなんで結べないなんてそんな嘘ついてたの?!」

「まだ分かんねェのか。」


説明も充分に足りてないのに分かるわけがない。正直に分からない、と言えば轟くんは二度目のため息をついた。…なんだか心外だ。
裏腹に至ってマイペースにネクタイの結び目に再度ピンを刺し直す男の子らしい指先。無意識にその指を追いかけてしまう自分がいる。あぁやだやだ、しっかりしろ呑まれちゃだめだ!


「みょうじ。」

ぐるぐる、ぐるぐる。思考の整理に忙しくしている私の名前を呼んだ綺麗な指の持ち主が、不意に私の胸元のネクタイを掬って持ち上げた。刹那ゆっくりとブレザーから抜ける赤のシルク。目の前まで持ち上げられたそれが重力に従って轟くんの手と私の襟の間に橋をかけている。


顔の距離は想像を絶するほど近い。目の前には綺麗過ぎる陶器人形の様な顔立ち。その顔が視界いっぱいに広がると同時にネクタイに負けないくらい顔が赤に染まった。


「ひっ、」


ゆったりと何故か口元までネクタイを運んでいく彼の手を目で追っていく。あろうことか轟くんは持ち上げた私のネクタイに唇を寄せた。

反射的に身体が強ばった。びくん、と肩が跳ね上がる。な、何するつもりですか!?と大声で叫びそうになったのをなんとか押しとどめてとりあえず轟くんの動向に注目する。そうせざるを得なかった。轟くんの凶行の理由に皆目検討がつかなくて、彼の次の言葉を待つしかなかったってのもあるんだけど。

それでも到底理解の追いつかない光景ということだけは頭の片隅できちんと理解が出来ていて。文字通り目が滑って仕方ない。呼吸の仕方を忘れてし信じられないものを見る目でネクタイの剣先と轟くんの顔を交互に見た。同時に伏せられたまつ毛の下のオッドアイと目が合う。


「好きだ。」

「へぁ…」

まるでシンデレラに跪いてガラスの靴を差し出す王子様じゃないか。屈んでネクタイへと口付けた彼の言葉が真っ直ぐに突き刺さる。

近い顔も恥ずかしすぎる告白も。
全てが激しく主張していて許容範囲をとうに超えているというのに。

「結べねぇふりしてても、毎回みょうじが結んでくれんならそんな悪くなかったんだけどな。」

「いや、ちょ……」

「みょうじに結んでもらえねェんなら、別にいつまでも隠しとく意味ねえだろ。」



ネクタイを下ろし更に顔を近付ける轟くん。ちょっと待ってお願い整理させて。もう訳が分からなくてパンクしそうなの轟くん。これ以上は勘弁してくれと言わんばかりに顔を思い切り退け反らせる。ガタンとほぼ無理矢理座らせられ続けていた椅子が音を鳴らして揺れる。あっ、またやっちゃったと思ったけど、それよりも早く轟くんの手が椅子の背を掴んでその場に留めてくれた。危なかった、と思ったのも束の間である。依然ある意味危ない状況が続いている。

これはあれかな、椅子ドンってやつかな。


「みょうじ…いや、これからはなまえって呼んでもいいか。返事はそんなに急いでしなくていい、けど…あんま長く待たせるようなら、それ相応の覚悟はしといてくれ。」


何されても文句言うなって暗に言われてますかね、これは。椅子の背もたれを両手で掴んで覗き込むように普段と変わらぬ素振りで、この人は本当によからぬ事を言う。鼓動は限界を超えて脈打っていて。しかし無言の圧力は尚も降り掛かってきている。

とりあえずこのままじゃ破裂して死ぬかもしれないので椅子から下ろしてくださいと心から願った。椅子に座るのがこれ程恐ろしかったと思うのは、後にも先にも今だけだと思うんだけど、どうかな。

林檎より熟れた赤面を食べるのは果たして君か否か。兎にも角にも当面の間は真っ赤なネクタイを見る度に、今日のことを思い出してしまうことになりそうだ。


リリカル・バイオレンス

- ナノ -