個性。それは全人類のおよそ8割が持つ特異体質のこと。そしてヒーローとは、頂上黎明期に力を持たず虐げられていた人々の為に個性を奮ったという、ヴィジランテを祖とする職業の総称である。

昨今、ヒーローという職業は最早人々の生活と切っても切れない程の一大エンターテインメントとなった。何年も前に起きた世界を揺るがす大事件の後、現在の確固とした地位を再び築いたヒーロー達は、今日も今日とてテレビを賑わせている。私が尊敬するダイナマイトさんもまた、一大エンターテインメントを構成する人気ヒーローの一人だ。……無論、当の御本人はそんなこと気にも留めていないのだろうが。

今日は久しぶりの全休ということで、私は現在都内某所に本社を構える大爆殺神ダイナマイトのコスチューム製作会社へと足を運んでいた。隣にはいつものコスチューム姿……ではなくラフな私服を着こなしたダイナマイトさんが並び立ち、暇そうにスマホを弄っている。背後では、流石一流企業と言うべきか沢山のスーツを着たサラリーマン達が時計を睨みながら忙しなくエントランスを行き交っていた。生憎私達には到底無縁な光景である。

数年前にも見たここは、相も変わらず忙しなく時が流れているように思えた。大爆殺神ダイナマイトを初めとする、数々の人気ヒーローのコスチュームを担当しただけあって、暇そうにしている人などどこにもいない。

そんな社内に於いてあまりにも場違い過ぎる私達がここに来た理由はといえば、ダイナマイトさんの事務所に入所して以来初めてのコスチューム調整を行う必要が遂に発生したからである。大きなミッションを終えたばかりの昨日。電話でコスチュームの再調整に同席させると言われ、有無を言わさない雰囲気のまま「いいから来い」を食らった私は喉元まで出かけていた「一身上の都合により、同席したくありません」の一言を飲み込むはめになったという訳なのだ。

一身上の都合というのは文字通り一身上の都合である。残念ながらあの人を納得させられそうな理由などどこにも無い。至って個人的な理由しか持ち合わせていなかったことが、きっと今日私がここに再び馳せ参じなければならなくなった理由だろう。



「直ぐに担当のものが参りますので、こちらで少々お待ちくださいませ」

そう言って、見慣れない女性が部屋を後にする。ダイナマイトさんは通された部屋の中でも変わらずスマホをいじっており、やっぱり手持ち無沙汰感が否めない。

そういえば、オフのダイナマイトさんってすごいレアかもなぁ、なんて思いながら自分も倣って椅子へと腰掛ける。刹那沈黙がお互いの間をさまようものの、そこにぎこちない居心地の悪さはなかった。

担当者が来るまでの間。机の微かな継ぎ目を見つめながら今日までのことを振り返る。先程述べた一身上の理由についてダイナマイトさんにバレないためにはこの先どうやって立ち回るのが正解なのだろうと、生憎折角の機会だというのに、私はそんなことばかりを考えていた。しかし数秒程度考えたところで画期的な解決策が思い浮かぶはずもなく、あまりの手詰まり感には思わず笑いそうになる。

一身上の都合、それは私がコスチュームの打ち合わせにどうしても同席したくなかった理由だった。
正直に話すと、私は雰囲気こそさも常人を装ってはいるが、こう見えて重度のダイナマイトフォロワーである。それこそ御本人の前ではギリギリ上手く隠しているだけで、万が一にも本人に知られたら一発クビになりかねない程に気持ち悪いことをやっている自覚があった。

そのひとつがこのコスチューム会社だ。

私は高校卒業後にここで働いていたことがあるのだが、その時の私の業務態度やら成果物やらのことで、御本人様にバレたらとんでもない顔をされるようなものが、実はここには至る所に溢れているのである。たとえばダイナマイトさんがこれから確認を促されるであろう仕様書の中に、実はこっそり私の名前が書かれているだとか。たとえば当時私にコスチュームのいろはを叩き込んでくれたヒーローコスチューム部門の統括デザイナーさんがこれからこの部屋に突入してくることとか。そういえば、姉さん(そう呼んでた)最近肩がずっと凝るって言ってたけど、あれから悪化したりしてないのだろうか。メッセージアプリではたまにやり取りするけど、実際に会うのは随分久しぶりだ。私の顔見た瞬間にきっと目をこれでもかと輝かせながら「テレビ見たわよ!桜木さん、おめでとう」て言ってくるんだろうなぁ……ああ、想像したらお腹痛くなってきた。

無い頭を必死になって回しつつ、打開策を考えていたところで、その時部屋の扉がノックされた。ついで「失礼します、お待たせいたしました」なんて他人行儀な言葉と共に姉さんと数名の顔なじみスタッフさん方が現れる。登場に合わせてダイナマイトさんがおもむろに立ち上がり軽い会釈をしたので、私も顔を逸らすようにぎこちない素振りで挨拶を返すと、次の瞬間目が合った姉さんが「……えっ」と小さく声を零す。

「あの、いつもお世話になって……」
「やだ、桜木さん!?久しぶり、おめでとう!!元気!?」
「……は?」
「あー、もういきなりだめだぁ……」

キラキラの眼差しを向けてくるその人と、なんのこっちゃ意味がわからないといった面持ちで瞬時にこちらを睨みつけてくるダイナマイトさんを尻目に、私は頭を抱えながら椅子に崩れ落ちた。あー、もうだめだ。終わった。そんな意味合いを含んだため息を吐き出しても、巡り始めた運命は止められやしない。

まあ、正直なところこうなるよねとは思っていたし、昨日の夜から予感はとうにしていた。とはいえこうも簡単に私の足掻きを蹴散らされると、なんとも形容しがたい気持ちになるのは多分仕方ないことだと思う。

「まさか桜木さんがダイナマイトさんと一緒に見える日が来るなんてね……」
「まあ、その……私も驚いてはいますが……」
「元気?仕事は順調?」
「……ちょっとすみません一旦その辺で」

鋭い視線が真横から突き刺さってくるのが、隣を見なくても何となく分かった。ダイナマイトさんの目線は、本当に人を射殺せそうに思えてくるから恐ろしい。姉さんからも、ダイナマイトさんからも視線を外してあらぬ方向へと顔を向けながら、“とりあえず双方落ち着いて“の構えを取る。きちんと説明する気はあった。例え言いたいことが纏まらなくてめちゃくちゃな説明になったとしても、だ。

だから、とりあえずは、そのナイフのような眼差しは勘弁してくれませんか。胃がキリキリと締め付けられるような痛みを感じながらも双方への苦笑いを向けることしか出来ずにいたら、不意にダイナマイトさんの方から盛大な舌打ちが聞こえた気がした。聞かなかった振りはどうやらもう効きそうにない。







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2年ほど前の話。ダイナマイトさんに入所を断られた私は自分がかの人にとって有用な人間であることをもう一度アピールするべく慈枝商科という日本でも有数の商科大学に入り直していた。慈枝商科には、国内を代表する様々な受け入れ先企業にインターン生として卒業まで就業しなければならないという規則がある。その辺は割と雄英と大差ないシステムなのだが、学業との両立ともなるとやはり中々にハードで、そこも含めて慈枝商科が難関だと言われる所以だった。

と、そんな慈枝商科時代。私が選んだ企業というのが何を隠そう(全く隠れていないけど)大爆殺神ダイナマイトのコスチュームを担当した弐丸サソリ氏の在籍するこの会社様だ。ここで私は入学してからの2年間を雄英高校で培った戦闘経験を忘れないように鍛錬しつつ事務所の運営に備えて過ごしていたという訳なのだった。

「桜木さん、またダイナマイト氏の設計書持ち出したでしょ。読むのはいいけどちゃんと戻しておいてね」
「へっ?あ、すみません」
「インターンの日は設計書毎日見てるけど、そろそろ内容全部暗記出来るんじゃない?」
「いや、それがまだ全ページ暗記までは至ってなくて……卒業までには暗記できるよう頑張ります」
「飽きないのって聞いたつもりだったんだけどな」

当時の私は今より夢見がちで、何かにつけて自身が大爆殺神ダイナマイト事務所に入所した後のことを妄想していたのを覚えている。
事務所の営業をもしも任せてもらえたら、コスチュームの調整打ち合わせに同席させて貰えたら、等々エトセトラエトセトラ。ことあるごとに大爆殺神ダイナマイト事務所で働く自分を脳裏に思い浮かべてはノートに自分だけの妄想を書きなぐっていた。
まだ入所してすら居ないのに!というツッコミは多分この頃の私の耳には上手く入っていなかったのだと思う。でなきゃ今頃こんな事態に陥っているはずもない。



「ダイナマイトさん」
「………」
「もしかして、いやもしかしなくてもですけど引いてますか?」
「たりめーだろ、イチイチ聞くな」

コスチューム調整については、つい10分ほど前に殆ど滞りなく完了し、今は担当者が一時的に席を外した合間の時間。私とダイナマイトさんだけを残して静寂が再び訪れた室内には、今やダイナマイトさんの如何にも“イラついてます“感溢れる舌打ちによって、剣呑な雰囲気が漂っている。

「昨日やけに渋ったンはコレの所為か」
「……いやあ、まあ……はい」

呆れたように深いため息を吐いたダイナマイトさんを横目で見遣りつつ、先程目の前で起きた事件というか大事故を脳内で振り返る。ダイナマイトさんが私にキレる余裕もないほどドン引いたのには先程まで繰り広げられていた統括デザイナー“姉さん“によるコス調整という名の“桜木花鶏黒歴史大暴露大会“が関係しているのだが、詳しい内容はとりあえず割愛させていただきたい。

ふと彼が「イカれてんのか」と本日何度目になるかもわからないため息と一緒に、独り言のように吐き出した。

「今に始まったことじゃないかと……」
「ア?」
「いえ、すみません」

ダイナマイトさんが言っていることといえば、何事も限度があるということなのだろう。何故そこまでするのかと、表情こそギリギリ保っているがきっと心の中では大層困惑されているに違いない。

しかし自分の行動力や思考が他者に理解されることは無いと分かってはいても、いざご本人からの拒絶を受けるとやはり沈んでしまうもので。返す言葉を見つけられず黙りこくる私を尻目に、ダイナマイトさんが続ける。

「そうまでして入りてぇってよっぽどだろ」
「え?あぁ……そうかも、ですね」
「なんで」
「……なんでとは」
「ジーパンとこで会ったっつっても、ンな被ってた訳じゃねえだろ」

「そこまでする理由はなんだ」と次いでハッキリと口にされて、漸く言葉の趣旨を理解した。
確かに、私とダイナマイトさんが初めて会ったのはベストジーニストの事務所である。そこで私は人生の師とも目標とも言うべきこの方に遭遇を果たした訳なのだが、実際のところシフトが被っていた期間はそう多くない。だからこそ、やはりダイナマイトさんは不審に思っているのだろう。私をそうまでさせる理由はなんなのだ、と。

暫し閉口して考え込んだ。自分のことは自分がよく分かっているけれど、言語化して他人に伝えるとなると、なかなか難しい。

どうして……どうして、か。そういえばどうしてなんだっけ。ダイナマイトさんみたいなヒーローになりたいと思ったからだったような……どんなことも一人でこなせるくらいの人気ヒーローになりたいから、という方が正しいかもしれない。けれどそれらしき答えがいくつか浮かんでは、そのどれもが微妙に腑に落ちなくて消えていく。

そもそもの話。イカれてる、とは罵倒でも褒め言葉でもなく、私にとってはただの事実に過ぎなかった。

ああ、そうだ。思えばあの日ベストジーニストの事務所でこの人と同じ班に分けられた時から、私はもうずっとイカれているのだ。だからあの日、この人のことを一番側で見つめたい、支えたいと思ったことに理由なんてあるはずもない。


「……いけませんか」
「あ?」

素直に思ったことを小さく呟くと、その時ダイナマイトさんが眉を吊り上げながらこちらへと目を向けた。

やがて、暫し悩んだ末にいずれの答えも違うという結論にたどり着いた私は、悪びれることもなく「だって憧れちゃったんですもん」と口にする。

「気づいたらこうなってたので、なんでと聞かれても理由はないです」
「……はァ?」

憧れとはつくづく呪いにも似て厄介。これはダイナマイトさんに憧れて、いくつか来ていたサイドキックとしてのオファーを全て断った時の私が胸に留めていた格言である。別の道があったかもしれないのに、と当時のクラスメイトにはよく言われていたのだが、そんな指摘のほとんどをこの言葉でよく蹴散らしたものだった。

「だから、憧れちゃったんですよ!理由なんてあるわけないじゃないですか!」

要は端から説明出来るような理由があるならば、私は今この場にいやしないということが、私の答えられる精一杯の返答だった。

ほとんど逆ギレのような形でまくし立てた直後。見れば唖然という表現が似合いそうな顔でダイナマイトさんが目を剥いていて。そういえば轟さんに告白されたと告げた時も、丁度こんな顔をされていたような気がする。ややあって、今日一番の深いため息と同時に、ダイナマイトさんが椅子の背もたれへと仰け反りながら「開き直りかよ」と呟く。

「やっぱイカれてんな、お前」

台詞こそ、罵倒でしかなかったけれど。相反して声色は少なくとも私が“イカれ“ていることを嫌悪しているという雰囲気ではなかった。

ふと、鼻を鳴らすようにダイナマイトさんが笑う。私を相手にしている時は殆ど見られない、珍しい反応だった。それこそ記憶の中では数回しか拝んだことがないような、そんな顔だ。

「悪い、ですか」
「そうは言ってねーだろが………キメェだけで」
「き、キモい……」
「フツー否定すんだろ。イカれとるって言われて開き直ってんじゃねえわ」

まさに、私を形容する悪口のオンパレード。のはずなのに、と心の中は言葉に反してどうしようもなく昂ってしまうのを抑えられない。口ではボロクソに言いながらも、ダイナマイトさんの表情はやけに柔らかくて、貶されているはずなのに何故か認められているような気になってしまって、それがどうにも恥ずかしくなる。

これが私の勘違いだとするならば、一生勘違いしたままでいいとさえ思えてしまうのだから、憧れとはこうも厄介なものかと思わず自嘲した。ダイナマイトさんがそんな私を見て「何笑っとんだ」と眉根を寄せる。つい、反射ですみませんなんて謝罪が飛び出したけれど、正直すまないなんてこれっぽっちも思っちゃいない。だって、ご本人様が別に悪くないと仰っているのだ。だから、これは悪いことなんかじゃない。……なんてのは都合のいい言い訳だろうか。


「他にも下んねーこと隠してんなら今吐いとけ」
「他はそんなヤバいことはないので大丈夫です」
「お前の大丈夫は信用ならねンだよ」
「いえ本当に大丈夫です!精々公式ブログを開設したりダイナマイトさんのプロモーション戦略とかセールス方針を勝手に練らせて貰ってるだけなので。あ、勝手にやってるだけなので今度改めて企画のご相談させていただいてもいいですか?」
「何勝手に話進めとんだァ!」


教訓。いくら憧れだからといって先走った恥ずかしい妄想をしていることは、やっぱりご本人には知られない方がいいらしい。
一瞬首の皮一枚で説教という名の罵倒を避けられたかに見えたが、結局それは叶わぬ願いとなってしまったようで、次の瞬間目を鬼のように吊り上げたダイナマイトさんからお得意の罵詈雑言のバリエーションがこれでもかと飛んできた。イカレてんのか、と何度目になるかも分からない台詞を聞くと最早ああ、やっぱりダイナマイトさんだなぁ、なんて少し安心したりもする。……まあ、そんなこと口が裂けても言えないけど。


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