緑谷出久。23歳。突然だけどプロヒーローだ。

ヒーロー名はデク。木偶の坊が語源ではあるけれど、自分としてはなんか頑張れって感じがする、として高校の時に意味を変えてもらって以来ずっと気に入っている。
学校を卒業して、本格的に活動を初めてからは早いもので数年。次期平和の象徴、オールマイトの後継などと呼ばれるようになってからはまだ1年足らずだけど、その名前に恥じぬ行いがきちんと出来ているんじゃないかとここ最近は自分でもそう思っていた。



さて、数日前から参加していた大規模なチームアップミッションも、残すところ事後報告とテロリスト達の引渡しのみとなった今日。大きな被害を出すことも無く鎮圧が完了した現在、僕達はろくに休息も取れていない中で何とか交代で仮眠を取っている。

時刻は丁度夜の22時過ぎで、先程まで一緒にいた飯田くんも最後の見回りに出ると言ったまま30分近く戻って来ていない。
傍らでは先に休憩を譲った桜木さんが、よっぽど疲れていたのか若干のいびきをかきながら眠っていた。直前まで寝るふりをして業務をするという荒業を見せていた桜木さんだったけど、飯田くん渾身の「休むならしっかり休みたまえ!!」という叱責をモロに食らってからはどうやら大人しく眠ることにしたらしい。お陰で今、何と僕の目の前には女性の無垢な寝顔が晒される羽目になっていた。


「ぐう......」
(どうしよう......)

これはもしかして撮られたらまずいんじゃないか。と思わずそんな考えが頭を過ぎる。自分で言うのもあれだけれど、実は女性の寝顔をまじまじと見るのはこれが初めてだ。


桜木さんが椅子を並べそこに横たわって仮眠を始めてから数十分。部屋には遠くの方から聞こえる僅かな騒めきと彼女の控えめな寝息がどこまでも存在感をもって響いている。
何とか視界に入れないように視線を逸らし必死にスマホを見つめても、やはり感情の制御までは上手くいかないようで。見て見ぬふりをしながらつい横目でチラ見をすれば、不意に桜木さんの片手が椅子から落ちた。

「んぐ......」

一瞬眉間に皺を寄せるものの、次の瞬間には何事も無かったように不安定な椅子の上で寝返りを打つ桜木さん。いや、起きないんだ、と思わず僕の口から漏れる。確かにどこでも寝られるとは言っていたような気もするが、それにしてもヒーロー以前に色々不用心過ぎる気がしないでもない。彼女の上司が知ったらはたしてどんなリアクションを取るのだろうか。それだけが心配だ。

しかし噂をすればなんとやら、とはよく言ったもので。その時、机に置きっぱなしになっていた桜木さんのスマホが激しく鳴動する。

「ん?」

どうやら電話がかかってきたらしい。

忙しい人は大変だな、なんて思いながらなんの気なく画面を見る。途端、喉の奥から乾いた呼吸音がして、二度見どころじゃないくらいに画面に釘付けになった。見知った人の名前が、そこに表示されていたから。

このタイミングで?そんな馬鹿な。だって、今話をしたばかりだぞ。鳴り続ける電話に対し、思考だけが瞬く間に積み重なっていく。

大爆殺神ダイナマイトさん

スマホに表示された名前を眺めている間も、僕は必死で頭を回していた。ご丁寧に一文字も略さず登録された名称に、彼女らしい尊敬の念を感じる。が、今はそれに和んでいる場合ではない。

見れば桜木さんはまだ夢の中で、電話が鳴っていることにも気付いていないようだ。このまま放置すればいずれ電話は切れて、彼女が目覚めた頃にもう一度かけ直す羽目になるだろう。

起こすべきか、否か。今一度傍らで眠るその人を視界に収める。その瞬間、何故か僕の手は考えるよりも先に行動を起こしていた。そして自らが無意識のうちに取った行動に戸惑いという感情が湧き上がったのは、残念ながら電話に出てしまった、その後のことだ。

「も、もしもし」
「…………」

勝手に電話に出るなんて、一体僕は何をしているのか。この後のことを何も考えていなかった所為で、返答すら不審者感が満載になってしまった。……いや、本当にどうしよう。

電話口の先の相手は何も言わない。部下に掛けたはずなのに知らない男が電話に出ているのだから、まあ当たり前の反応である。

「かっちゃん、だよね?ごめん、僕……」

とりあえず黙っている訳にもいかないのですぐさま誤解を生まないように僕が緑谷出久であることを告げようと口を開いた。のだが、

「オイ」
「え、」
「何でお前が出んだ、出久」

直後、自分の行いがどれほど間違っていたのかを、これでもかと理解した。いつもとは明らかに違う雰囲気で、不意にかっちゃんが呟く。「アイツ何処だ」と重い圧力を伴って吐き出されたそれに、はたして何と返すのが正しいのか。僕はまた、何も考えていなかった。









「も、もしもし」

どこかで聞いたような声だと思った。けれど問題なのはそれじゃない。俺にとっては桜木に掛けたはずの電話に、素知らぬ男が出たというのが何よりも大きな問題だ。

桜木は現在大規模なチームアップに参加させている。ニュースで僅かに流れたのは無事にテロリスト共を制圧したという一場面のみで、桜木のことなど1ミリも触れられてはいない。日頃から定期報告を怠るなと言っていたにも関わらず、あの女からの連絡は今に至るまで一度もなかった。だからこそ、キレるつもりで電話を掛けたのである。

「かっちゃん、だよね?」

電話に出るなり俺のことを昔からの巫山戯たあだ名で呼ぶ野郎に対して、心当たりのある人間は後にも先にも1名しかいない。

俺は今一度画面を確認した。そして間違いなく俺が桜木の携帯に電話を掛けたことを再確認する。

「オイ、」
「え、」

再確認したところで、分かったのはやはりかの幼なじみが部下の電話に出たということくらいか。その理由に思い至るにはまだまだ把握するべき要素が何も足りていない。生憎一筋縄でいかないような面倒ごとは嫌いだった。そしてこれは多分、俺にとって件の‘’嫌いな面倒事‘’に当たるのだろう。だからこそこんなにもイラつくのだ。

なんでお前があの女の電話に出るんだよ、出久。そう告げてみれば、電話越しにも関わらずピシ、と固まったような音が聞こえた気がした。
続けて「アイツ何処だ」と吐き出す。自分でも驚くくらいに不機嫌な声色。元々機嫌が良くないところに、この面倒事が舞い込んだのだ。ましてや相手が相手である。こんな声が出るのも無理は無いだろう。そう思うようにして向こうの出方を伺う。
出久はあ、えと……なんて言い淀んでいる。良いからハッキリしろや、怒りが通常程度だったなら言ったであろう言葉も、今は不思議と出てこない。やがて一呼吸置いた後、電話の向こうにいる出久が「桜木さんなんだけど、今ちょっと隣で寝てて……」と呟く。

一頻り頭の中で返答を反芻させた俺が何とか言えた言葉と言えば「……はァ?」という何とも間抜けな一言だけだった。





桜木 花鶏。訳あって俺が唯一雇っているサイドキックだ。……正確にはサイドキックと呼んでいいのかすら曖昧な程の存在だが、兎も角頭のネジが数本トんでいるような、そんな奴である。

「あっっっ!いや、違う!ごめん!」
「………」
「桜木さんと何かしちゃったってことじゃなくて、」
「キメェ勘違いしてんじゃねェわ!!ンなこたァ分かってんだよ!」

先刻飛び出したばかりの発言を即座に訂正する形で出久が取り繕う。どうやら意味が飲み込めず黙りこくっていた間に気色悪い勘違いをされたようだった。何故そんな思考になったのかは分からないが、こいつはたまにナチュラルに俺のことを舐め腐ることがある。ナチュラルにやっているのだから尚更タチが悪いと思う。

桜木は、頭のネジこそ飛んでいるが言ってもヒーローの端くれだ。根本がヒーローであり、出久と同様にそこから外れることなど万が一にも出来ないような、そんな人間なのである。あと、多分俺のことを神か何かだと思っている。

だからこそ、轟とのこともそうだが俺の不利益になるような真似だけは絶対にしないと頭のどこかでは、俺はあの女のことを信用していた。即ち何が言いたいのかというと、何故仕事中にあの女が寝る羽目になったのかが分からないということだった。

「何がどう転んだら寝るなんて事態に行き着くんだよ」
「え?いや、その、一応は一段落したしそろそろ交代で休憩を取った方が良いかなって」
「一段落も何も仕事中だろうが」
「そう、だね……うん」
「事後処理も終わんねえうちに休憩取るような奴だったンかお前」
「違うね……」

今回の件を桜木に任せることにしたのは、他でもないコイツらが参加すると知ったからだ。轟の所からは引き続き出向依頼が来ていたが、そっちに行かせても大抵録なことにならない。だからこそこっちの案件を選んだというわけなのだが、それにしても。

「甘やかすなっつったろォが」
「そんなつもりは無かったんだけど」

出久の言い淀み振りからも何となく想像がついたが、桜木はチームアップ中コイツらと行動を共にしていたようだ。そして、こいつらに対して俺が伝えた要望が守られていなかったであろうことも同時に察する。

「アイツには休憩させんのも甘えだわ」
「でも、」
「でも、もクソもねェ」

甘やかすな。調子に乗らせるな。死なねぇ程度にコキ使え。初日に俺が言ったのはその3点のみだ。そんな至極簡単な要望が、はたして今日までの間にどれほど守られていたのだろう。

まだ何か反論した気な雰囲気を見せる出久を一声で黙らせ「桜木叩き起してすぐ電話取らせろ」と言えば、奴は静かに返答した。遠くから「桜木さん、ごめん起きて!」と声がする。次いで寝ぼけたような声で桜木がうだうだと何かを言いながら起き上がってくるような音。あの馬鹿女、仕事中にガチ寝してんじゃねえぞ。

「……はい、もしもし?」
「よォ」
「………………」

つかの間の無言。それなりに騒々しかったスピーカーの向こうも、この瞬間だけは何故か物音一つきこえない。僅かに息を飲む音がしたかと思えば、刹那「ダ!?……えあ、な!!?」とクソうるせえ反応が返ってくる。何ともデジャブ極まりない返答だ。コイツ、本当に学習しねぇな。内心はブチ切れ一歩手前だが、ここでキレても埒が明かないのでとりあえずは黙っておく。

「だ、だ、ダイナマイトさん!?」
「おー」
「なんっ、え、何でわざわざ電話なんて……あっ!」

その時ガタガタと物が落下したような、衝突するような音が聞こえた。その慌て振りから鑑みるに、定時報告の存在も忘れていたらしい。寝ぼけた頭では状況を飲み込むのに時間がかかったのか、桜木は「何で」だのと相変わらず呆けたことを呟いている。何で、とは即ち定時報告を忘れていたのみならず、忘れていたことさえ忘れているということだ。良くも悪くも頭のネジが外れているとは日頃思っていたがこんなところまで発揮するなと言ってやりたい。

「ァ?わざわざじゃねえわ」
「へ?でも、」
「定時報告」
「…………あ」

そう告げれば、案の定桜木は忘れていたようで、途端に押し黙る。必死に言い訳でも考えているのか、不意に降りる沈黙が、苛立ちを加速させる。

「っぱ忘れてやがったな」
「いや、その」
「言い訳してんじゃねェ」
「も、もも申し訳ありません!!」

最早ため息も出なかった。初めてサイドキックとしてではなく一人のヒーローとして仕事を任せたは良いが、こんなことでは先が思いやられる。本当にこの女凄いのか抜けてるのかが良く分からない。

電話越しに詰めてもイマイチ効かないことを過去の事象から把握済みだった俺は、そのままため息混じりに桜木へ向けて一言「で、首尾は」と聞く。
対して桜木は案の定この場を収めることに思考を割いていたのか「へあ?しゅび?」等ととぼけたことを宣う始末で。

「終わったのかって聞いてンだわ」

言うなり「へぁ?……ああ!はい!終わりました!完璧です!」と極めて明るく振る舞う声が返ってくる。数日ぶりに聞く桜木の声は相変わらず煩い。普段はそんな風に思うことすら無いくせに、暫く顔を見ない時ほどアイツの声がたまらなく煩わしくなるのは何故なのだろう。

「テメーの完璧なんざこの世で一番信じらんねェな」
「ええっ、本当に今回は完璧です!信じてください!」
「だったら口で言う前に報告しろや」
「あっ、なるほど……」


結局何もかも忘れてアホみたいに寝ていた事実は覆らない訳で。叱責しながら桜木に報告を提出させると、すぐさまパソコンの方にデータが送られてくる。準備出来てんならはよしろや、そう頭に一瞬浮かんだが敢えて口には出さずに添付を開けば、目には直近会話を交わしたあの名前が飛び込んできた。

何の気なしに数ページほどのデータを捲ってみる。パッと見だが、今回の案件が良くも悪くも桜木に何かしらの影響を与えそうな予感が文面からは伺える。その時桜木がふと沈黙を破るように「あの、ダイナマイトさん」と呟いた。

様子を伺うような素振りで吐き出されたその言葉に対して、俺はいつも「ンだよ」と棘のある言い方しか出来ない。

「ありがとうございました」
「あ?何が」
「本来はダイナマイトさん指名の仕事だったのに、私に任せていただいて」
「別に任せた訳じゃねえわ」
「……だとしても、私は嬉しかったです」

今一度ありがとうございました、と述べられた礼に対しては、今度こそ素直に返答出来た気がする。「おー」と短くそう返せば、ソイツが電話口の向こうで笑った気がした。



「そういやお前、明日非番か」
「え?……はい、休みですけど」
「開けとけ」

一向に報告を寄越しやがらない桜木の所為で忘れかけていたが、そういえば俺が電話をした理由がもうひとつあったのを、その瞬間思い出す。

急遽桜木にも予定を入れたのは、昨日の話だった。元々俺の使っているコスチュームの再調整を近いうちにお願いしたいと制作会社の方から連絡が来ていたのだが、いい機会だろうとそれに桜木も連れていくことにしたのだ。

しかし相反して休みを開けろと唐突に言われた桜木は、久しぶりの貴重なオフが訳も分からず潰されると勘違いしたのか、「2週間ぶりの完全オフなんですが!」と喚く始末で。

「俺だってそうだわ」
「いやダイナマイトさんの多忙っぷりは私が一番分かってますけど!って、ん?俺……も?」
「別に全日開けろっつー訳じゃねえ」

良いからとりあえず話を聞けと切り出す。桜木は小さく唸りを上げた後に大人しくなった。



要は、いい機会だから桜木をコス会社に連れて行って紹介してやろうという、それだけの話だ。……そうまとめると何とも不本意ではあるが、おおよそは外れていないのでこうやって言い表すより他にないところが腹立たしい。
コスの再調整そのものはせいぜい担当デザイナーや制作部署の担当者と対面で数時間話し合うだけで完結する。その数時間に、桜木を同席させたいと言うだけの簡単な話なのである。

「コス会社……ってつまり、弐丸氏の在籍する会社ですか?!」
「ババアの名前まで知ってんのかよ、キメェ」
「き、キメェって……そりゃ憧れのヒーローですもん。担当デザイナーくらい知ってますよ」

一通り説明して、全日潰す気は無いことを伝えても何故か桜木はイマイチ乗り気では無いようだった。

あまりにも何かと濁してウダウダ言いやがるので「良いから来い」と無理やり言いくるめて電話を切る。長い、長いため息が出た。数時間程度で打ち合わせが終わったあと、どうせ一日オフなら飯屋にでも連れてってやろうか等と考えていたことは、死んでも桜木には言ってやらない。
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