桜木 花鶏。ヒーロー名はアセンブル。机に齧り付いて事務仕事に勤しんでいるが、これでも立派なヒーローだ。
現在事務所には私一人しかいない。残って雑務を片付けている絶賛残業中という状況である。

「……ねむい」

先日の食事会のほとぼりが冷め始めたと感じ始めた、月初の時計がもうすぐてっぺんを超えるであろう頃合いに、私は独りごちる。それは誰も居ないからこそ吐ける弱音だった。とてもじゃないがダイナマイトさんの前で言えた言葉じゃない。あの人の方が私より何倍も忙しくしているから。それを分かっていながらそれでも弱音を口にした理由と言えば、私の目の前に広がっている書類の山々の所為だ。


大爆殺神ダイナマイトは売れっ子ヒーローである。

派手な個性に派手なルックス。良くも悪くも目を引きやすい言動。売れっ子にならない方がどうかしている、とは私の談なのだが、それにしても最近特にその人気ぶりがいつにも増して煌めいているのである。
元よりスター街道まっしぐらな人であることは間違いない。私だってその輝きに宛てられた一人だし。ただ、それを抜きにしても彼の最近の人気ぶりと比例して襲い来る業務量を考えると、どうにも頭が痛かった。


紙の束をおもむろに掴んではぱらぱらと捲る。すると間に資料とは別の紙が挟まっていることに気がついた。あれ、間にファンレター挟まってる。見落としてしまったようだ。あちゃー、やっちゃった。またダイナマイトさんに激詰めされるわ。

普段、ダイナマイトさんはそのイメージの割に貰ったファンレターは全て内容を確認した上で私に対処を命じている。何かアクションをしたり、お返しをしたりということはないけれど、彼なりにそういったものはきちんと然るべき対応が必要なものだと思っているらしい。……無下にして炎上するのは不本意だと考えてるのかもしれないが。とにかく、そんな扱いのファンレターなので、見落としたり間違ってシュレッダーなんてしようものなら、まず間違いなく明日の朝日は拝めないだろう。

見落としたのは私の落ち度だ。最近は轟さんのこととか、大規模チームアップのレジュメ作成とか、兎に角気を配らなければならないことが多くて、我ながら明らかに気が緩んできている。良くない傾向にハマっていることにも自分自身気づいていた。それもこれも全部ダイナマイトさんの魅力が輝きすぎている所為だ。あと私が営業頑張りすぎている所為。これはまあ自業自得だし嬉しい悲鳴なので全然構わないんだけど。

ため息を吐き出しながら机に頭を置く。机が妙にひんやりしていて気持ちいい。こんなことをしている暇があったらさっさと仕事をしろ、なんてダイナマイトさんがこの場に居たらきっと言ってくるだろう。早く起きて業務の続きをしなきゃ。そう、頭では分かっているのに身体は動かないままで。

あ、やばい。寝るかも。思ったより、疲れが出ているのか瞼が思う通りに動いてくれない。

(ちょっとだけ)

ダイナマイトさんが居ないからといって、サボる気はサラサラ無かった。今日のこれは、所謂魔が差したが故の気の緩みだ。
30分だけ、いや10分だけ。ダイナマイトさんが見回りから戻る前に起きれば大丈夫だと思いながら目を閉じる。最早気絶に近い速度で急激に失われていく意識。ファンレター渡すためにも起きてなきゃ、とかあれ以来律儀に出向申請を送ってくるようになったエンデヴァー事務所からの多量の書類どうしよう、だとか。そんな理性も疲労と眠気の前には何の意味も持たないのだと、私は今日初めて知った。





ーーーーーーーーーーー

「おいコラテメェ、そろそろ起きろ。」
「んあ?」

不意に、頭に軽い衝撃が走る。スパン、と小気味いい音が響いた。

「なに……?」

混乱。それから突然起こされたことによる少しの不機嫌。そのどちらもが声に乗って先刻私の頭を叩いた原因の方へと向けられる。覚束無い頭で窓の方へと視線をうつせば、そこには爽やかな朝日が差し込んでいた。わあ、もう朝だ。

ふわあ、無遠慮に勢いよく伸びをすれば、肩の辺りからはバキバキと嫌な音が響く。そうだ、私椅子に腰掛けたまま寝落ちたんだっけ。道理で身体中軋むわけだ。能天気に伸びをしながらついでに欠伸もかました。麗らかな20歳の女性が何たることを、なんて言われても知ったこっちゃない。欠伸をすると何となく頭が冴えるのは私だけ?
ところで、今は何時だろう。とりあえず漸く少しずつ晴れ始めた頭を悠長に掻きながら、昨日のことを思い出そうとしたその刹那、

「この期に及んで寝ボケてんじゃねェぞバカ女。」

隣からクソ低い声で、居ないはずの人物の声がした。思わず2度見。いや3度見。下手したら4度見も決められるのではと思うほどに、首が取れそうなくらいの勢いで声が聞こえた方向を確認すると、そこには。

「ーーダ!?!っう、うわぁぁあ!」




あえて言おう。寝過ごした、と。実際は寝過ごしたどころの騒ぎじゃないやらかしっぷりを披露する羽目になっていたが、それに関してはダイナマイトさんから既に純度100%の激詰め及び罵倒という形で制裁を受けているので詳しくは割愛する。

私が寝落ちてから1時間ほど経った後にダイナマイトさんは事務所へと戻ってきたらしい。事務所の電気が全てついていたことを不審に思い、執務室を覗いて見たら私がデスクの上でクソデカいびきをかきながら眠っていたとのこと。その時も一度頭を叩いたらしいのだがそれでも私は起きなかったそうだ。
いやはや本気で殴られなくて本当に良かった。夜通し仕事してたからなのか罵詈雑言に普段のキレがなかったところを見るに、ダイナマイトさんも疲れているんだろう。いや、そんな上司をほっといて何全力で寝てんだよって話だけども。

「あのう、ダイナマイトさん……。」
「…………。」
「これ、お願いします。」

頭を叩かれ飛び起きてからのダイナマイトさんは、ずっとこんな調子である。あの人は基本私のことを苗字の他にもお前、テメェと呼ぶことが大半。ちなみに飛び起きた瞬間に出たバカ女というのはマジでブチ切れている時に使われることが多い。そのことからも十分に察せられるが、ダイナマイトさんは先週から今日に至るまで、本気で機嫌が悪い模様。
敢えて言おう。めちゃくちゃに怖い。

デスクに腰掛け珍しく背もたれに全力で寄りかかっている状態のダイナマイトさんへ捺印が必要な書類だけを手渡す。彼はちらりと私の顔を一瞥した後無言で判子を手に取った。何か一言くらい返してくれてもいいのでは……そう思ったところで言えやしない。
見落としたファンレターも何とか渡し終え、目を通していただけた。あとは捺印書類に判子をもらって、それから。

「…………ん。」
「ありがとうございます。あと一昨日チェックいただいていた資料なんですが……。」
「昨日テメェの机に置いといた。」
「えっ、は、早いですね。」
「俺を何だと思っとんだ、轟と一緒にすんじゃねェわ。」

捺印資料はさほどと言って量もなく、数分もしないうちにダイナマイトさんから私の手元へと返ってくる。
ダイナマイトさんは機嫌が悪いからと言っても特段態度が変わるわけではない。日常業務を行う分には全く支障が出ないのだ。精々私への辺りが若干きつくなるだけで、そこは流石プロと言うべきか。ただ、一つだけ普段と違うのはことある事に私のことを何か言いたげな目で睨みつける回数が増えるのである。

今だってそうだ。

「そういえば、轟さんからまた申請が届いてまして」
「……申請だァ?」

深く考えず名前を出せば、すぐさま飛んでくる鋭い眼光。つり上がった片眉が如何にも機嫌の悪さを象徴している。ああ、またやってしまった。ただでさえも機嫌が宜しくないのに、そこに寄りにもよって轟さんの話題を出してしまうとは。

半ば奪い取るように、ダイナマイトさんが私の手元にあった資料をもぎ取った。そのまま大層不機嫌そうに数枚はらりと捲っては、額に青筋を浮かべる。

「あンのクソ半分野郎、ふざけやがって。」

怒りに打ち震えながら同時に書類をまとめて爆破し握りつぶすダイナマイトさん。相変わらず顔が怖い。爆破された書類は全て確認出来ている訳じゃないけど、それでも一応はエンデヴァー事務所から届いた正式な書類のはず。だから、本来こんな風にゴミみたいに扱われていい書類では無いのだが、ダイナマイトさんにとってそんなことは大した問題じゃないらしくて。

「こんなモンに構ってる暇ねんだよ俺ァ」
「と、言いますと?」
「捨てとけ。」
「捨て……」

私は確かに書類の返答に関する指示を仰いだはずだった。つまりは捨てて良いかどうかなんてことを聞いた訳ではない。あれ、おかしいな。

「でも、お言葉ですけど……」
「あァ?」
「下心があるかもですが一応公式な書類ですし、何もせず捨てたりするのはちょっとーー、っぎゃ!」
「本ッ当にテメェは学習しねぇなァ!?」
「ひっ!?ーーすみませ、っ」

聞いてしまったのがそもそもの運の尽きで。確かにそういった面では、私は学習能力が低いのかもしれない。恐る恐る聞き返したその瞬間、徐に頭を片手で掴まれ前後に激しく揺すぶられた。突然襲ってきた衝撃に、思わず反射で謝罪が飛び出す。

「自覚を持てっつっとんだ、俺は!」
「は、はい……」
「そんなに俺の評判落としてぇんか……?ァァ?!」
「滅相もないです!!」

私と轟さんの色恋沙汰が、ダイナマイトさんの評価を落とすこととどう関係するというのか。一瞬考えたけどそれを言っちゃおしまいだと思うのでとりあえず閉口する。まあ多分ダイナマイトさんのことだから、私が色恋沙汰にうつつを抜かして業務へのパフォーマンスが下がることを危惧しているとかそんなんだろう、多分。知らないけど。

思うと最近はダイナマイトさんにキレられてない日が無いな。


「第一テメェ一人で事務所回すことすらまともに出来てねぇだろが!出向してる暇あんなら溜まったメール片し殺せや!」
「かしこまりましたぁ……!」

仰ることの全てが最も過ぎて、怒鳴られている間私は何も言い返せなかった。先刻仕事が片付か無さすぎるあまり寝落ちた女にこの説教はマジで効く。効きすぎて申し訳なくなってくるレベルだ。とにかくこの上ないほどに耳が痛い。

すっかり意気消沈しながら、書類をゆっくりシュレッダーに食わせていく。ああ、せっかくのエンデヴァー事務所からの出向申請が……。やっぱりちょっと勿体ないなぁ。

そのままシュレッダーを続けているとその様子を見ていたのか不意にダイナマイトさんが「ンでそんな乗り気なんだよ」と呟いた。

「え?」
「テメェがそこまでこだわった奴、今まで一人も居ねぇだろ。」

ダイナマイトさんは視線こそ寄越さないものの、その声色はやけに厳しい。いつもの叱責とはまた違う、所謂本気のトーンというやつだろうか。事務所に勤めてからは早数ヶ月だが、こんな声で何かを聞かれるのは初めてのことだ。

「それは、」

見れば彼は如何にも怪訝そうな顔をしていた。なんなら返答次第で愛想を尽かされそうな、そんな雰囲気まで纏っている。この雰囲気は、まずい。非常にまずい。
雇ってもらえたことそのものが既に奇跡の私にとって、一番の憧れ ダイナマイトさんに疑われることは一番避けるべき事態である。そんな事態が、今まさに私を襲っている。

「本当は半分野郎に惚れたとかそんなオチなんじゃねェのかよ。」
「えっ?いや、違っ、違いますよ!」
「ハッ、どうだかな。」

必死こいて否定してる時点で信憑性ねえわ。そう嘲笑混じりにダイナマイトさんが呟いた。どうやら本気で否定しようとしたのが逆に仇になってしまったようだ。
もしかして、が脳裏を過ぎった。彼の口ぶりや先程の叱責に何となく違和感を感じたことが、その仮説に信憑性を持たせる。

もしかして、私が引き抜かれるかもしれないことを懸念してくれている、のだろうか。それ即ち、私のことを事務所に必要な人材だと認めてくれている、ということに、ならないだろうか。

「何ニヤついてんだコラ。」
「え?……あ、すみませんつい。」
「……まだ詰められ足りねェみてえだな。」
「違います、いやっ、違わないけど!」

また墓穴を掘った気もするが、こればかりは仕方がない。だってこの人は、私の一番の憧れなんだから。

「すみません、でも本当に違うんです。」
「何が」
「私の個性がどこまで通用して、どこまで適応出来るのかって言うのを調べたくて。」

ダイナマイトさんはどちらかと言えば何でも個人でこなせるタイプのヒーローだ。例えるなら全てのステータスを均等に振っているバランス型。対して、轟さんは確かにバランスもいいのだがどちらかと言えばステータス極振りのテクニカル型トップヒーローだった。

真のヒーローは、ダイナマイトさんのように一人で全てに対応出来るヒーローのことを指すと私は思っている。だからこそ、ダイナマイトさん以外のヒーローの補佐経験が必要なのではないかと考えたわけなのである。

「一人前のヒーローになる為にも、今出来る努力は全てやっておきたいんです。」


ヒーローという職に対して邪な気持ちを抱いたことは一度もないし、私のヒーローとしての原点は今も昔も大爆殺神ダイナマイトただ1人だけ。だから彼を支えるための努力なら、尚更惜しんでいられない。……恥ずかし過ぎて流石にそこまでは本人にいえなかったけど。とりあえずそれだけは自信を持って言えることだった。

ダイナマイトさんも、私があまりにも真剣な目つきをしていたからなのか僅かに目を見開き真顔になっている。つかの間の沈黙。私とダイナマイトさんは互いに無言で見つめあったまま、気まずさだけが双方の間を流れていく。

「な、なのでダイナマイトさんが心配してるような色恋沙汰とか絶対起こしませんから安心してください!引き抜かれたりなんかもしませんし、」
「……誰が、いつ、テメェの心配したっつーんだよ、アァ?!」
「あっ、つい……」
「心配なんざするわけねェだろが!!」
「すみません!」

ああもう……やっぱり私は馬鹿だ。今日はやけに要らんことばっかり発しては墓穴を掘っている。もう喋らない方がいいかもしれない。

けれど、幸いにもダイナマイトさんを普段通りのテンションで怒らせることに成功したお陰なのか、不意に重苦しかった空気が払拭された。不機嫌さは相変わらずだが、何か言いたげに細められるあの眼差しが今は消えている。

「桜木、」
「……はい?」

その時、ダイナマイトさんが私の名前を呼んだ。今日初めての名前呼びに一瞬意識が飛んで、何とも気の抜けた返答が飛び出してしまう。しまった、こんなリアクションを返したらまた「何寝惚けた面しとんだ!」ってキレられる……!そう思い、身構えた。しかし意外にもダイナマイトさんからの怒号は飛んでくることは無く。

「オラ」
「え?」

怒号こそ飛んでくることは無かったが、代わりに何故か厚めの資料を手渡される。少なくとも、今の流れ的に手渡されるような流れじゃ無かったような。
資料とダイナマイトさんの顔を交互に見遣れば、彼は眉を釣り上げて私のことを見つめ返した。相変わらず顔が怖い。というかすっごい目がつり上がってる。

「え、じゃねェ。さっさと受け取れや。」
「は、はい?」

資料を上下にバサバサと振られてようやく合点がいった。ここはとりあえず即受け取るのが利口なようだ。
資料へと目を落とす。大きな文字でとある企業の名前と、創立記念パーティの詳細が書かれていた。

その社名と場所には、覚えがある。

「これ、」
「経験積みてぇってんなら、半分野郎ン所より先に行くとこあんだろが。」

ダイナマイトさんがなおも続けて言い放ち、受け取ったばかりの資料を手の甲で叩いた。丁度、資料中部にある参加ヒーロー一覧の、上あたりを示すように。

この世は依然ヒーロー飽和社会だ。私が雄英高校に入学する直前に起きたあの大災害の前も、その後もずっとヒーローは常に飽和している。その中で生き残っていくのは本当に大変で、ヒーローを志すものは常に向上を求められている。まさにプルスウルトラ。常に限界を超え続けない限り、ヒーローとしての華々しい道のりは一向に拓かないという訳だ。
と、そんな非常に生存競争の激しいヒーロー業界に於いて、正真正銘トップに君臨するヒーローがいる。

かの人の名前は。

「ナンバーワンヒーロー、デク……」

ナンバーワンヒーロー、デクを筆頭に、実力派ヒーロー数名へ要請が出た大規模作戦。公安や警察との関係が深い企業の創立を祝うパーティにてテロ行為を目論んでいる輩がいるのだとタレコミが入ったとの噂を聞いたのは、はたしていつ頃だったか。ダイナマイトさんにその話をして、彼宛に要請が来たと伝えたのも確か同じ日だったと思う。

……そうだ、確かこれはダイナマイトさん宛の要請だったはず。それなのに、どうしてダイナマイトさんの名前がなくて、代わりに私の名前が載っているのだろう。

「明後日からだ。精々俺の顔に泥塗んじゃねえぞ。」

どうやら、今回の件はいつもの大爆殺神ダイナマイトのサイドキックとしての参加ではなく、ヒーロー・アセンブルとしての参加になるようだ。他にやるべき案件が入ったダイナマイトさんの、代わりに。事務所を代表して。いや、いつの間に決定したの。私全く話聞いてないんですけど。

……スパルタなのは今に始まったことでは無いとはいえ、もうちょっと早く言って欲しかったなあ、なんて。

まあ、所詮は叶わぬ願いだ。

彼はなんでもないような顔をして、精々泥を塗るなと言うなりハンと鼻を鳴らした。

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