轟焦凍さん。23歳。大手も大手のエンデヴァー事務所にて次期所長の座に着く次世代プロヒーロー期待の新星である。

爆豪勝己さん。同じく23歳。大爆殺神ダイナマイト事務所の所長を勤めるヒーロービルボードチャートの上位ランカーである。

そして私、桜木花鶏。大爆殺神ダイナマイト事務所唯一のサイドキックである。所長のダイナマイトさんとはいわゆる上司と部下という関係で、今日もダイナマイトさんの為に手となり足となり時折口や鼻になりながらも充実した毎日を過ごしている。




本日の仕事は珍しくパトロールだけで済んでいた。

その甲斐あって現在私は見事に定時退社をキメている。そういえば、定時退社なんて何時ぶりだろうか。少なくともダイナマイトさんのところに勤めてからは一度も記憶にない。とりあえずちょっと寄り道してから帰ろう、ときっと普段なら考えるのだろうけれど、しかし生憎今日は、今日だけはそういう訳にもいかなかった。

失礼しますと声がして、同時にスライド式の小さな扉が開く。扉の外から現れた店員さんがこなれた調子で料理を机の上に次々と並べながら、ごゆっくりどうぞと笑みを浮かべた。私の対面に座った轟さんが、ふと目を煌めかせて料理を見つめている。美味そうだと柔らかく微笑んだその顔は、絶賛私に向けられた笑みである。

「いい場所だな。おまえが選んだのか?」
「ええまあ、和食(というより蕎麦)が好きとお伺いしたので……」

場所は変わり、都内某所。今日の為にと選んだこの場所は、以前から私が目を付けていた小料理屋だ。

ダイナマイトさんの知名度がこのまま上がり続ければいずれ使うことになるだろう。そう気合いをいれて探していた際に見つけた場所。……だったのだが、まさかこんなにもいきなり役に立ってくれるとは正直思っていなかった。お気に召してくれたらしい轟さんが「そうか、ありがとな。」と呟いて、来たばかりの艶やかな蕎麦へと視線を落とす。こんなに嬉しそうにしてくれると、選んだ甲斐があるというものだ。

「こちらこそ、喜んでもらえて何よりです。」

蕎麦と同時に来た他の料理を小皿に取り分けながら、ダイナマイトさんと轟さんに向けて差し出した。雰囲気はおろか料理も一等美味しいのだと品評サイトに書かれていたから、きっと外れることは無いだろう。
普段よりいくらか大きな声でいただきますを告げれば、流石のダイナマイトさんも一瞬眉に寄せた皺を伸ばし、私と同じように手を合わせた。とりあえず、第一関門はクリアだ。あとはこのまま、何事もなくおふたりが食事を楽しめますように……と祈るのみである。

「ところで、聞きたいことがあるんだが」
「……はい?」

しかし現実というのは何かと優しくないものらしい。いざ実食、という雰囲気の中箸を片手にした轟さんが私の方へ問いかけてくる。

「聞く機会無かったからずっと“おまえ“って呼んじまってたけど、名前教えてくれねえか。」
「へ……名前?」
「ああ、知らねぇとそのうち困るだろ。」
「確かに……。」

突然のことに身構えていたがどうやら私の名前が知りたいだけらしい。言われてみれば確かに。話しかける時、いつもやけに言い淀むと思ったらそういうことか。こっそりとダイナマイトさんの様子を伺うと、彼は無言で鯖の塩焼きを咀嚼していた。私たちのやり取りにはさほど興味を抱いていないようだ。

「桜木花鶏です。轟さんは……、轟焦凍さん、ですよね?」
「ああ、焦凍で良い。」
「へ?いや、そういう訳には」
「俺もおまえのこと花鶏って呼んでいいか?」
「え?……えっ」

ダイナマイトさんの気が逸れてるのをいいことに名乗るまでは良かったが、何故か聞いたそばから轟さんは私の名前の方を呼び満足気に笑った。口の端を緩めて微笑む姿は、正直心臓に悪い。そんな時に突然飛び出してきたのは、まさかの呼び捨てである。これからよろしくな。なんてとんでもない一言をこうも整った顔で言われてしまっては、何をどう宜しくすればいいのか分かってなくても「あ、ハイ」と適当に返してしまうのも無理はなくて。

途端に頬が熱を持った。こういうのには慣れていないから赤面するなという方が難しいのかもしれないが。刹那嫌な予感がして即座に隣を見れば、ダイナマイトさんが先程よりも明らかに鋭く尖った目を轟さんに向けながら無言で咀嚼しているところが目に入る。轟さんと私の態度が癇に障ったであろうことは一目瞭然だった。

「こいつン名前知らんでも困ることなんざ一個もねェわ。」
「いや、流石に好きになった奴の名前は知っておくべきだろ。」
「……ア?」

不意にダイナマイトさんの箸が止まった。いよいよ怒りの導火線に火が着いたのか、その額にはくっきりと青筋が浮かんでいる。

「マジで懲りねぇなテメェ。」
「おまえには関係ねぇ。」
「大ありだわクソが!」

私に向けての小爆発程度なら普段は何とも思わないのに、なんで。なにをどうしたら私の為に争わないで!なんてふざけた言葉が飛び出し掛ける事態に発展するというのか。マジでレアケース過ぎじゃない?普通に生きててこんなことある?……いや、言ってる場合じゃないのは無論分かってるんだけどね。

二人で、とご飯に誘われたあの日。流石にそれはどうなんだと思った私は半ば無理やりダイナマイトさんを巻き込む形で懇親会と称し“3名“での食事会を取り付けた。そしてなるべく誰にも有無を言わせぬよう日時、場所、値段相場などあらゆる手配を即座に済ませた。後日ダイナマイトさんからはキレられたが、あの時の私にはああするより他に選択肢がなかったのである。そうしていざ開かれたのがこの場だった。

何だかいたたまれなさすぎて、若干胃が痛い。なんならほんのり頭痛もするような気もする。なんで私がこんな地獄の三者面談に参加しなければならないのか。自分で蒔いた種とはいえこんなにもいたたまれない空間になるとは全く思っていなかった。

しかしそんなことなどまるでお構い無しの御二方は、狭い個室の中で小学生のような言い合いを繰り広げる始末である。片やマイペースに蕎麦を啜りながら「本人の意思を尊重してやれよ」と呟く轟さんに、片や「だァからそういう問題じゃねぇって何度言や分かんだテメェはよ!!」とここ最近ずっと同じことを叫ばされているダイナマイトさん。私にしてみればどっちもどっちではあるのだが、とはいえ今口を挟んだところで血を見るだけなのは言わずもがななので、とりあえず黙っておくことにしよう。






「そういえば、」

明日も業務があるからと誰一人アルコールを頼まない懇親会の席のただ中。相変わらずダイナマイトさんは人を射殺せそうな眼差しのまま来たばかりの刺身に箸を付けている。
テーブルの上に揃った料理のほとんどが捌けた、丁度そんな頃。轟さんが口を開いたのも同じ時だった。

「今付き合ってるやつとかいるのか?」

上品に盛られた少なめの小鉢。その一つに手を伸ばし、思い出したように轟さんが私の目を見つめる。
またもや隣に座るダイナマイトさんの手が一瞬止まった。先程からそれなりにパーソナルな質問をされていたからなのか、今回は聞かれた傍から間抜け面を晒さずに済んだのだが、それにしても中々の直球質問である。

「いえ、いませんよ。」
「気になってるやつとかも居ねぇのか。」
「そうですね。」

隠す必要も特に無いだろうと思い素直に答えた。正直それがどんな結果を生むのかをよく考えずに答えてしまった感は否めない。横から再び刺さるような視線が向けられる。他でもないダイナマイトさんからの視線だった。色恋沙汰にうつつ抜かしてる場合じゃねぇぞ、と無言ながらに釘を刺しているつもりなのかもしれない。上司に背後から静かに釘を刺される状況というのもまた恐ろしい場面である。

「今は仕事が大事なので。」
「そうか……まあ、そうだよな。」

言うや否や、僅かに落ち込んだような素振りで轟さんが視線を落とした。

質問もそうだけど、彼は本当に直球なアプローチをしてくる。こちらが照れる暇も与えないほどのストレートさは恐らく素の彼が持つ性質から来るものなんだろう。こんな風に思うことが初めてだと、初めてお会いした日に言っていたのを不意に思い出した。今日まで深く気にしてこなかったけど、もしかしてそれって……。

「でも、良かった。」
「?……何が、」
「付き合ってるやつがいねぇってことは、俺にもチャンスがあるってことだろ。」
「ーー、っゲホ!!」

前言撤回、やっぱり照れる暇はあった。
無いのは私の余裕の方である。

お茶を飲んでいた時にそんなことを言われた弾みで変なところに入って途端に咳が止まらなくなった。思わず涙が目に浮かぶ。噎せたから苦しいのは当たり前、な筈なのだが何故か心臓も同じくらい苦しいから困ったものだ。それもこれも全部もしかして轟さんの初恋相手って私?などと一瞬でも考えてしまった所為である。

轟さんが慌てて「大丈夫か」なんて心配そうに手を伸ばしてくるが、それに反応する余裕さえ私には無い。

「だ、大丈夫です。ちょっと動揺して……。」
「悪い……俺の所為だよな。」
「轟さんのせいではーー、」
「いや、色々聞き過ぎだった。おまえと会えてつい浮かれちまってたんだ、悪い。」
「っ、」

最早人に見られることすら恥ずかしい程の赤面だ。イケメン×直球ストレートアプローチを組み合わせてド級の破壊兵器を作ろうなんて一体誰が言い出したのか。

その時、今まで終始無言で料理を堪能していたダイナマイトさんが大きく舌打ちをした。またも不吉な予感がして恐る恐る彼の方に顔を向ける。そこには見たこともないような修羅の表情を浮かべたダイナマイトさんがいて。そういえばダイナマイトさん、最近ずっとあんな顔してる気がする。

「こんなアホ女の何処が良んだ。」

独り言さながらの言葉。しかしそれは確かに狭い空間の中に響いていた。ダイナマイトさんがお茶を片手にぽつりと零し、ふと私達の間に沈黙が流れる。

アホ、という言葉はさておくとして、確かに轟さんレベルの人ならもっと才色兼備な人を選ぶのではと思っていた。例えば万物ヒーロー・クリエティあたりなんかはその最たる候補だろうし、他にも華麗で強い女性なんて上を見ればごまんといるのである。余計に私を選ぶ意味が、分からない。
とはいえそれを本人を目の前にして言うあたりは流石ダイナマイトさんと言うべきか。自分のテリトリーで好き勝手されることがよっぽど気に食わないのだろう。その苛立ちが容易く伺えてしまった私は、ただ苦笑いを返すしか出来ない。

「俺は、」

しかし、あははと乾いた笑いをこぼしたその時のことだ。不機嫌そうにグラスを机に置いたダイナマイトさんの視線に答えるように、轟さんが真っ直ぐな目で口を開く。

「こいつのこと、すげえ可愛いと思う。」



「……は?」
「可愛い、いや……違うな。何て言ったら良いんだ?」

言われた言葉が全く頭に入ってこない。可愛いって、あの……動物とか小さい子供とか映えるスポットとか、そういうものに使う言葉の類でしょうか?可愛い、かわいい、プリティ……or、キュート?兎に角訳が、分からない。
尚も轟さんは変わらない真顔のまま「上手く言い表せねぇ。」なんて宣っている。本日一番のド級発言をしたことにはどうやらまだ気付いていないらしい。

「そもそも俺の一目惚れだから、何処が良いとかはあんま関係ねえと思う。」
「…………。」

ダイナマイトさんが見たこともない顔で固まっていた。今日は見たこともないような顔のオンパレードだ。そう他人事のように考えていれば、轟さんが今度は顔をこちらに向けて再度口を開く。

「でも、そうだな。強いて言うなら顔か?」
「顔……。」
「ああ。」

私は成人女性だ。小動物でも無ければ年端も行かない子供ですらない。そんな私に、可愛いと言う人がいた。しかも顔が好きだと私に恥ずかしげもなく伝えてきた人は国宝級に顔が良い人だった。何を言っているのか分からない人も多いだろう。けど大丈夫、当の私もよく分かっていないから。

もうどうしようもないくらいに真っ赤だった。
頭が回らない中でとりあえず言葉にできたのは「アリガトウ、ゴザイマス」という全く返答にならない一言だけで。
ダイナマイトさんも、適当に呟いた一言にまさかあそこまでご丁寧に返答されるとは思っていなかったのか、それとも怒りすぎて情緒がおかしくなったのか「ベラッベラ喋んなクソカス!!」なんてキレ散らかしている。そのつもりが無かったにも関わらず自分から話題を振る形になってしまったのが苛ついたのかもしれない。

「おまえが聞いてきたんだろ。」
「ンなこと喋れなんて一言も言ってねぇだろうが!」

やっぱり同期ってすごいな。他人事のように考えながら、すっかり冷めてしまったすまし汁のお椀に口を付けた。美味しい。こんな状況じゃなければもっと美味しかったんだろうけれど。

とりあえず今日は早く帰ろう。こんな日は早く帰って寝るに限る。

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