桜木 花鶏。突然だが大爆殺神ダイナマイトのサイドキックをしている。ヒーロー名はアセンブル、デビューしたての新人ヒーローだ。


私の朝は普段8時過ぎに事務所へと出勤して、その日一日のスケジュールを確認することから始まる。警護依頼や巡回をはじめとする通常業務の合間に、警視庁や他ヒーロー事務所からの要請対応果てはイベント登壇やインタビューまで多岐に渡る依頼を差し込むべく雪崩のように舞い込む面倒な手続きを兎に角捌いていくのである。労働基準法なんてものが存在していないんじゃないかと思うくらいには母校の校訓よろしく残業時間が“更に向こうへ“しているし、業務内容そのものも激務がほとんどなのだが、それでも幸いなことに不満は一切ない。疲労はあれど不満がないのは良いことだと思う。お給料は十分過ぎるほど貰っているし、憧れの人の背中を追いながら業務に従事することだって出来る。激務かつ毎日傷だらけという点を除けば、これほど恵まれている職場はないだろう。


ヒーローという職業、しいてはサイドキックという立場に対して、これは私の天職なのではないかと時折思うことがある。私の個性はどちらかと言えば前線に立つというより後方支援に適しているし、どんなヒーローとも即興で合わせることが可能な個性である。それがより一層私をサイドキック一筋という道に進ませたのもあるんだろう。だけどそれ以上に、ダイナマイトさんとの出会いが私を大きく変えたというのは言うまでもない。




閑話休題。
新人ヒーローの朝は早い。いや、新人ヒーローというよりは私の朝が早くて特殊だという方が合っているかもしれないが。更に言うなら昼も夜もプライベートもへったくれもない私は今現在、デビューしたての新人ヒーローとして通行人の眼差しを一身に浴びながら高層ビルの外壁に引っ掛かっていた。

「えっ、何アレ」
「あれって確かダイナマイトの……」

見ると地上にいる通行人の方々が、軒並み悲鳴だか歓声だか爆笑なんだかよく分からない声を上げては騒いでいる。なんならスマホを構えて私の間抜けな姿を写真におさめようとしている人もいて。それが私を兎に角いたたまれない気持ちにさせるのである。

……いや、どうしてこうなった。

自分自身でもよく分からない。ダイナマイトさんとパトロールに出掛けて、いつもより一段と爆走する上司の背中を必死で追い掛けていた、ただそれだけだったのに、それが何故。


「……マジで何してくれとんだお前は。」
「いや、その違」
「この状況でまだ言い訳するたァ、よっぽどクビになりてェらしいな。」
「ちが、違うんです、本当!」

とりあえず「助けてください」とヒーローらしからぬことを宣いながら、頭上に居るダイナマイトさんに助けを乞うてはみるものの。肝心のその人は今まで見たこともないくらいにハッキリと青筋を浮き上がらせたまま微動だにせずそこに佇んでいる。分かるのは、ダイナマイトさんが私のやらかしたことに尋常じゃなくブチ切れているということくらい。それでも充分すぎるほどに、上司のこの様子は事態の深刻さを物語ってくれていた。さてどうしたものか。

ダイナマイトさんが足をかけている清掃用ゴンドラは、今のところ安定しているように見える。吊り下げていたボルトが外れた所為であわや大惨事という状態になっていたそれも、私と彼の迅速な対応の甲斐あってか何とか死傷者を出しかねない事態からは脱していた。パトロール中、一番最初に救助した清掃員さん方も無傷のまま地上に降ろされたらしい。半ばゴンドラから宙に投げ出されかけていた男性を捕縛布で拾い上げ助けたのが、随分と前のことのように思える。

だからあとは、私がこの背中に引っ掛けてしまった鉄柱を何とか出来れば万事解決。……なのだけれども。生憎自身の手でこの状況を打破することはどうにも叶わないようで。


「で、テメェはいつになったらそっから降りるんだ?」

足掻くのをやめた私に対して、ふとダイナマイトさんがうんざりしたように口を開く。苛立ちを隠そうともせず先程から忙しなく足を揺らしていて、その振動が若干怖い。

「ダイナマイトさん!あ、危ないです、落ちる!」
「アァ?落ちりゃいいだろうが。」
「ちがっ、私じゃなくてゴンドラが!」

ボルトが外れ不安定なバランスのまま、鉄骨が怒声に合わせて揺れる。私達が言い合いをしているのは、その危険なゴンドラの上だというのに、悠長にこんなやり取りをしていて良いのだろうか。

まとめて死ね!などと物騒なことを叫びながら私の顔の前でヤンキーさながらにブチ切れているダイナマイトさん。いつも切れてるけれど、今日は特にヤバいなぁ、なんてこちらも悠長に考える。この事態を一言で表すならばきっと地獄絵図、という言葉がしっくり来るのだろうけど、残念ながらダイナマイト事務所においてはこれが日常茶飯事だ。

「プロならそんくらいテメェで何とかしろ。」
「なんとかしたいのは山々なんですけども、」

どうしても外れないんですよコレ!と私は宙吊りのまま自身の背中を指さした。ダイナマイトさんがまたもウンザリしたような眼差しでそこを見つめてくる。

先刻、ゴンドラのネジが外れ高層ビルの20階にも当たる高さから投げ出されそうになっていた作業員さん達を助けたまでは良かったが、その後勢い余って激突した拍子に引っ掛かってしまったそれ。
恐らくコスチュームのベルトと鉄柱がいい感じにフィットしているのだろうが、生憎自分の目では見ることが出来ない。けどまあダイナマイトさんの視線を見るに、本当にジャストフィットしてるんだと思う。でなきゃこんなに外れない訳がないのだから。

どれだけ揺すっても暴れても、何故か外れないベルトが深刻なこの事態を引き起こしたと言っても過言では無い。
ただでさえもプライドの高いダイナマイトさんなのに、先程から地上にいる人たちが「頑張れダイナマイト!」だの「早く助けてやれー!」だのと野次を飛ばしまくってる所為で、正直顔が見ていられないくらいに歪んでいる。助けてもらいたいのは冗談ではなく至って本気なのだが、如何せん彼はそれさえ期待出来ないほどの修羅の表情をしていて。

「俺を応援すんじゃねぇ!!」
「ダ、ダイナマイトさん抑えて!!」
「アァ!?元はと言えばテメェがンな間抜けな姿晒してなきゃ済んだ話だろうが!」
「それは本当にすみません!」

最早どんな感情なのか、良く分からない。言うや否や、彼が激しく足踏みをする。刹那大きく歪な音を立ててゴンドラが揺れた。あ、ちょ、マジでヤバい。

一応安定しているようにも見えるゴンドラだが、これでもネジが飛んで割と絶妙なバランスを保っているだけなのである。なので少しの衝撃でどんなことになるのか、というのは想像に難くなく。

「あっ、」

声を上げる。不意に、背後で嫌な音がした。メキ、ともミシ、ともつかない金属音が、背中の丁度ベルトが引っかかっている辺りから聞こえる。まずいかも、とそう思った時には遅かったようで、重力に従い落ちていく身体。

咄嗟のことで準備が色々と足りていない。その間にも、地上にいる人々の目が大きく見開かれていく。それは本来ヒーローとして対峙する以上、守るべき対象にさせてはいけない顔だ。

「ーーッ、オイ!」

辺りには、甲高い女性の悲鳴。同時に、ダイナマイトさんが血相を変えてこちらへと爆進してくるのが見えた。

流石にこれ以上迷惑を掛ける訳にも、通行人に心配を掛ける訳にもいかない。落下しながらではあったが、何とか決死の思いで私は捕縛布を掴みダイナマイトさん目掛けて投げる。しかし、投げた布の先端に彼の手が到達するかに見えた、丁度その時のこと。



「大丈夫か?」
「うわっ!?」

聞き慣れない声が聞こえたかと思えば、どさりと勢いよく何かの上に落ちた。60m程の落下にしては着地が早すぎるような気がして、そっと目を開くとつい先日お会いしたばかりの人が視界に映る。

「え、ショートさん?」

ヒーロー・ショートもとい、轟さんだ。目を開けるなり飛び込んできたのはかの紅白色が特徴的な、その人。轟さんが、何故か私を受け止めてくれていた。

突然の事態に全く状況が飲み込めない。瞬きを幾度か落として、眼前にある彼の顔を見つめるが、その人は私と目が合うなりふわりと微笑んで「久しぶりだな。」と呟くだけで。なんでここに?だとか今助けてくれたのってショートさん?だとか。そのどれもが言葉にならず、落ちていく。

「怪我はねぇか?」と彼が言った、気がした。実際はまともに脳が働いていなくて聞き逃してしまったのだが。

「ない、です。」

多分。と続ければ、またも微笑む顔。やっぱり綺麗に笑う人である。良かった、なんて言いながら彼は私を今一度抱え直す。足元はいつの間にか大きな氷になっていた。
なんだか全てが夢心地で、現実味がない。少女漫画で表すならきっと花のトーンがふわふわ浮いているような描き方をしていると思う。そもそも危ないところをお姫様抱っこで受け止めて、助けてくれる王子様のような人がこの場に実際に現れる確率なんて一体何パーセントあるというのか。

柄にもなく頬が熱を持ち、あからさまに顔が赤くなっていく。ショートさんはそのまま「少し掴まってろ」と呟いて、虚空を見上げた。
言われるまましがみつく、なんてことは出来なかった。その理由はといえば私がこれでも一応プロヒーローであることもそうだが、何よりショートさんが見上げた上空に、ダイナマイトさんが般若の如き面持ちでこっちを睨みつけている姿を見つけてしまったからである。
脳裏を過ぎるのは、ダイナマイトさんに激詰めされた日のこと。そのときの彼は、確か「自覚を持て」と私の頭を鷲掴みにしながら言っていたんだったか。自覚というのは言うまでもなく、“大爆殺神ダイナマイトのサイドキック”である自覚を持てということだろう。しかし何度も言うけど、今回のこれに関してだけは不可抗力だと言わせてもらいたい。







事後処理を全て終えた頃には太陽が天高く登っていた。


幸いにも負傷者0、バランスを崩していたゴンドラでさえ巨大な氷塊に支えられ、今は何事も無かったかのように回収されている。
駆けつけた警察に一通り引き継ぎが完了した私は先程からなるべく聞かないようにしていた方へと視線を向ける。

ヒーロー・ショートと大爆殺神ダイナマイトの二人は、俗に言う同期という関係である。学生時代は成績も常にトップを争っていたとかなんとか。有名になる人には大体昔から逸話が残っているとは言うが、まさにその通りだ。
つまり、要は私のような努力しか取り柄のない凡人にとってみればヒーロー・ショートと大爆殺神ダイナマイトは雲上の存在にも等しいということを言いたい訳なのだが。

「また性懲りも無くテメェはよォ……」
「今日は本当にそういうのじゃねぇって言ってるだろ。」
「そういうつもりだろうが無かろうが、テメェが此処に居るっつー時点で大問題なんだわ!」

そんな雲上の存在の御二方が何故。どうしてこうなった。……この言葉を言うのは今ので2回目だ。たまたま居合わせたらしいショートさんに、ダイナマイトさんが突っかかるという様は何とも心臓に悪くて、早くここから立ち去りたい気分に駆られる。けれど私の心境など知ったこっちゃない目の前の御二方は、なおも言い合いを繰り広げる始末で。

ショートさんに告白されたことは、記憶に新しい。それからダイナマイトさんに断れと言われたことも。曰く、サイドキックである私とショートさんが付き合った場合に起こるかもしれない情報漏洩や引き抜きといった事態を彼は懸念したらしい。だからここまで過敏に反応しているようなのだった。……いや、それにしても。

「俺ァ諦めろって言ったよな?だのに何でまだテメェがコイツの目の前に居やがんだ?ァ?」
「諦めろって言われても、それはお前が決めることじゃねぇだろ。」

私としては引き抜きや情報漏洩は別として、ちゃんと考えてからお返事しようと思っていたのだが、残念ながら事態はそれすら許されないような状況らしい。
傍から聞いていれば何とも横暴な言い分である。人の気持ちに当事者以外の許可なんぞいるはずが無いのだから。

「第一会えなきゃ仕事の取次とかも出来ねぇぞ。」

しかしなんというか、やはり同期というのは凄くて。一筋縄ではいかないもので。凄まじい剣幕のダイナマイトさんを相手に如何にもな正論で、ショートさんが反撃した。その度胸たるや、これが同期で同じ立場にたっているもの同士の会話かと、思わず感動するほどだ。

「揚げ足取ってんじゃねぇぞコラ。」
「お前が勝手なこと言うからだろ。」
「アァ!?」

最早人前であることを忘れていそうな二人の言い合いがいよいよ本格的な口論へと発展しそうになった頃。
これ以上空気を悪くするのも不本意だった私は勇気を振り絞って「ま、まあまあお二人ともその辺で……」と口を挟む。

私もヒーローの端くれなので、不要なスキャンダルがどんな結果を招くのか、というのもそれなりには理解しているつもりだ。だから、ショートさんの言い分もよく分かったし、ダイナマイトさんの懸念もよく分かる。
が、それはさておき一般人の目があるこの場でこれ以上言い争いをさせる訳にもいかない。そう思って口を挟んだのだが、どうにもタイミングがあまり良くなかったようで即座に「テメェにゃ聞いてねンだよ、引っ込んでろ!」と返される。折角勇気を出して紡いだ一言が、何の意味も成さず消えていった。怒ったダイナマイトさんの顔は、洒落にならないくらい怖い。

こうして引き続き言い合いが加速するかに思われた事態だったが、意外な形で幕を閉じた。ショートさんの方が折れたのである。

「ところで、今いいか?」

折れた、というよりは流したというのが正しいか。不意にショートさんが「埒が明かねぇ……」と呟いて、なおも吠えるダイナマイトさんから視線を逸らした。

「良いわけねぇだろうが!」
「いや、お前じゃなくて、その……。」

喧嘩腰であることにかわりはなかったものの、先程のような食ってかかる態度はない。僅かに言い淀んだ後、彼は私へと視線を向けた。
目がバッチリとあって、ダイナマイトさんではなく私に対して“今いいか?”と言ったのだと一目で察する。私の方は生憎ショートさんに対して負の感情を持っていないので素直に「何でしょうか?」と返す。

「この前はありがとな。」
「……?」
「書類作ってもらっただろ。急な依頼だったのに引き受けて貰って助かったって、うちの事務員が言ってたんだ。」
「あー、なるほど!いえ、あんな感じで良ければいつでも頼ってください!」
「本当か?悪いな、また頼むかもしれねぇ。」

蓋を開ければ一流ヒーローから思っても見ない賛辞が飛んできた。作り慣れない書類の作成を代わりに私の方で巻きとったのだが、それについてを言っているらしい。普段ダイナマイトさんに褒めてもらったためしがない私にとって、褒めてもらうということはシンプルに嬉しいことである。喜んで貰えたのなら何よりと微笑みながらショートさんに会釈をすると、彼も嬉しそうに笑う。そして私とショートさんがふと会話を続けようとしたところに滑り込んでくるダイナマイトさんの存在ももう、お決まりのようだ。

「いや何勝手に引き受けとんだ。」
「えっ、駄目なんですか?」
「寧ろ何で大丈夫だと思ったんだ、駄目に決まってんだろうが。」
「本人が良いって言ってんならいいんじゃねぇのか?」
「テメェは社交辞令ってもんを勉強しろ。つーかまず事務所通せ、イカレとんのか。」

さっきまでの横暴さですっかり忘れていたけど、そういえばそもそも彼は正論で殴る性質だった。た、確かに。上司を通さずに仕事を受けるなんて本来あっていいことではない。

「じゃあ、仕事じゃなければいいんだよな?」
「だァから、そういう問題じゃねぇって何度言や……」
「まあまあ……お仕事でも事務所通して貰えばいいことですしね!お仕事以外でも所長の負担になるような事でなければ」

私は気にしませんし、と続ける傍らでダイナマイトさんが「コイツの頭ン中なんざ9割9分公私混同の下心に決まっとんだろ。」なんて呟くものの、とりあえずこの場はスルーすることにする。スルースキルを高めていかないとこの先全く乗り切れる気がしない。
ショートさんが、ふと私を見つめた。そのあまりにも真っ直ぐな眼差しに思わず照れそうになって咄嗟に目を逸らしたが、彼は大して気にする素振りも見せずに続ける。

「じゃあ、もしおまえさえ良ければなんだが」
「はい?」
「この前の礼に……」

9割9分公私混同の下心。来世でも使うか分からないほどの日本語をまさか今生で使うことになるとは。
何となく、次に続く言葉が分かってしまった私は咄嗟にダイナマイトさんの顔色を伺う。彼は如何にも「だから言っただろうが」と言いたげな面持ちで沈黙しているが、もう次期ふざけるなと声を上げて怒鳴り散らし始めるだろう。その際の矛先は恐らく、私でもありショートさんでもあるはずだ、きっと。

「飯でも行かねぇか?」

ふたりで。と続いた言葉に、私は上手く反応することが出来なかった。嗚呼、隣に並んだダイナマイトさんの顔が、恐ろしくて見れない。


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