桜木 花鶏。20歳。最終学歴 慈枝商科短期大学経営学科 卒業。その一行前の学歴欄には国立雄英高等学校 ヒーロー科 卒業。無論在学中にヒーロー免許を取得したと書かれている。傍から見りゃとんでもないエリートコース爆進中の人材だ。こんだけの経歴が揃っていて、しかも即戦力。正直新卒だろうが何だろうがあの女のことを喉から手が出るほど欲しがる企業は星の数ほどいるだろう。



未だに事務所デスクの奥の方にひっそりとしまい込んだままの履歴書。それを持って嬉々としながら「此処で働かせてください!」と来た時にはマジで冗談じゃなくジブリかよ、という感想が浮かんだのを未だに覚えている。

奴に会うのはこれが初めてじゃなかった。既に2年ほど前にも一度会っていて、その時も自分を雇ってくれとやけに煩かったが、その煩さは今現在もまるで変わっちゃいない。一回断られてんのに二度もアタックしてくる奴の心境なんてものは、いつまで経っても分かるはずがなかった。


一言で言うなら底抜けのアホ。ホンモノのバカ。女を形容する言葉なんぞいくらでも思いつく。実際一度断ったにも関わらず、2年後にまたやって来ては律儀に履歴書を提出してきたあの女を見て、お前あの後慈枝商科にも入ったのかよ、バカじゃねぇの。と思わずそんな一言が転び出た。けど、何をとち狂ったのか、そんなバカと仕事をするようになった所為で、最近俺にまでバカが感染ってるんじゃないかとそう感じることが多くなったのも、また事実だった。


女の名前は桜木 花鶏。俺の3つ下で後輩に当たる。卒業後、ジーパンの所でサイドキックとして本格的にトップを目指し奔走していた頃に、雄英からのインターン生としてあの女がやって来たのが始まりだ。
危なっかしくもいい意味で前だけを見据え、俺の背中を真っ直ぐ追っかけて来る姿勢は2年前も今も変わらない。独立後、雇い入れた当初はいつ音を上げて逃げ帰るだろうかと思っていたのに、一向にその気配はなく、そして気付けばもう数ヶ月が経とうとしている。
サイドキック兼、事務員兼、オペレーター兼、営業。ヒーロー事務所を運営する上で必要な人員のほとんどを一人で賄うと言った桜木に、コイツ頭おかしいんじゃねぇのと思ったことは最早数え切れない。けれど、そんなとち狂った女のことを、存外俺は認めているようだった。






辺りに、キーボードを叩く音が響く。静かに、まるで顔色を伺うみてぇにカタカタと静かに鳴り響くそれに、先程から俺は何故か無性に苛立っている。
苛立ちの大凡の原因を作っている桜木は、眉間に皺を寄せながら轟に頼まれたらしい書類を必死こいて作っていた。昨日から持ち帰って、悩みながら作っているというその書類にそこまでせんでも向こうの事務員に投げ渡せば良いだろうが、と思ってしまったのだが、それ自体に深い意味は無いと信じたい。

桜木が一瞬、僅かにこっちを見つめてくる。それを見逃さなかった俺は即座に「ンだよ」と噛み付く。目を細めて睨みつけたら、アイツは声にならない悲鳴を上げながらそそくさと視線をパソコンに戻していた。普段はどれだけ俺がブチ切れようが屁でもねぇみたいなツラしやがる癖に、こういう時ばっかり聞き分け良いの何とかしろや。なんて言えたら少しは気が紛れたのだろうか。


桜木から、轟に告白されたのだと一昨日聞いてから、俺はずっとあからさまに機嫌が悪い。理由としては引き抜き紛いの行為を寄りにもよって自分のテリトリー内で行われたからである。俺のテリトリーに、一番近い所にいるサイドキックに、轟が惚れた。その事実が二重の意味で気に食わなかった、という訳だ。

もしもアイツがサイドキックでもなんでもない、ただのモブだったなら、俺は恐らく何も言わなかった。……精々半分野郎の好みに対して頭イカレてんじゃねえのかと返すくらいの反応だろう。

だが今回の件は、そうじゃない。サイドキックとして雇っている以上、桜木は俺の部下だ。今のアイツと轟に、それを当て嵌めて考えるとするなら、自分の部下が目を離した隙に競合しているはずのヒーローとおかしなことになっているという、状況。いや、有り得ねぇだろふざけんな。

本当にこの馬鹿は分かっているのだろうか。昨日は告白されたと白状するや否やクソみてぇな赤面かまして「どうしたらいいと思います?」なんてこれまたクソみてぇなことをこの俺に聞いてきやがったから思わず「どうもこうもねェだろうが!」と叫んでとりあえず一発食らわせてやったんだったか。

本当に、この馬鹿女、分かってんだろうな?

俺のデスクの隣でカタカタカタカタ飽きもせず繰り返している桜木は、相変わらずうんうん唸りながら矢印キーを連打している。けれどやがて解決したのか「あっ、」と呟いた後僅かに頬を弛めた。見るに、やっぱりこいつは事の重大さを理解していないと思われる。でなきゃ、こんな能天気にしていられるはずもない。

その時、正午を報せる鐘が鳴り、桜木がディスプレイから目を離す。俺もつられて時計を見た。もうこんな時間か。
普段は桜木を連れて飯に行くこともあるのだが、今日は生憎そんな気分になれない。同時に丁度頭を悩ませていた資料が出来上がったらしき桜木がちらりと俺の顔を伺ってくる。

「出来たんか。」
「あっ、ハイ。」

あくまで自然に聞いたつもりが、言葉尻に少し棘が混じった。途端気まずそうに反らされる目。どうやらアイツは俺がこの件で苛立つことに対してあまり耐性がないようだ。いつもはヘラヘラしてやがる癖に。
実際苛ついているのは確かだが、あからさまに気を遣われるのもまた不愉快だった。どっちにせよ倍で腹が立つのを感じて、以降口を閉ざす。これ以上コイツの事で頭を回してもムカつくだけだと思ったから。

「飯ついでに巡回行ってこい。」
「えっ、」

今度こそ通常通りの具合で指示をすると桜木は目を丸くして黙る。何か言いたげな顔をしながら何やら口をモゴモゴと動かしていた。ンだそのリアクション、折角人が怒りを収めてやったっつーのにまた怒鳴られてぇんか。

「今日の巡回はテメェの当番だろうが!」
「ひえ、そうでしたすみません!」

言えば慌てて立ち上がり更衣室へと向かう桜木。その背中を見るに、やはり自身が“大爆殺神ダイナマイト”のサイドキックなのだという自覚はまだまだ足りなさげに見える。つーかなんで着替えてねえんだよ。仕事ナメとんのか。
忙しなく「16時頃戻ります!」と叫んで出ていくアイツに再びの怒りが沸いた。けれど肝心の矛先は既に扉の奥へと消えており、部屋の中には静かに時を刻む時計の音しか残っていない。この怒りをどうにかする術はもうどこにもなかった。

「あー、クソ……」

やっぱり帰ってきたらもう一回詰める。自覚の無いアホほど怖いものは無いのだから。ここで甘やかしたら絶対にまずいことになると、俺の中の勘がそう告げていた。

ついでにもう少ししたら昼にするか、と考えながらテレビのリモコンへと手を伸ばしたその矢先。不意にチャイムが鳴らされる。俺が先刻桜木を事務所から追い出したこと、そしてもう一度詰めると決意したことがまさに正しい判断だったと思い知らされるような出来事が起きるのは、この直後のことだ。


「……あ?」
「お。」

足音が聞こえたから何事かと思って来てみたら、これである。嫌な予感ってのは、どうにもよく当たるらしい。

「テメェ、何でいんだ。」
「書類を届けに来たんだが、」

いかにも自身の言動が当たり前のように。許された行為だとでも言うような態度で、男が言う。昨日話題に上がったばかりの、俺を苛立たせる原因のもう一つ。轟が、そこに立っていた。

危うく今にもブチ切れそうになる。マジで色々大概にしろ、と当人達が目の前に居たならば間違いなく言ってしまっているであろう言葉が喉元まで出掛けた。元々沸点が高い訳でもない俺にとってこの状況は到底受け入れられる事象ではない。それほどまでに、件の野郎がこうも早く直接的な行動に移してくるとは流石に想定していなかったのだ。

俺はもう一度「何でテメェがここに来てんだ。」と何とか怒りを抑えながら聞いた。けれど、今一度同じようなことを敢えて再度聞いた意図については、轟が察したような様子はなく。

「だから、アイツに書類を……」
「さっきも聞いたわ。」
「じゃあ何で聞くんだ。」
「俺が、聞いとんのは、どの面下げて来やがった、っつー意味だ!」

返ってきたのは案の定しょうもない返答ばかりだった。どいつもこいつも、事の重大さを全く理解しちゃいねぇ。桜木も、轟も。寧ろアイツら結託してドッキリ仕掛けてんじゃねぇだろうな。そう、不安になるくらいふざけた奴等であることを俺は既に知ってしまっている。だからこその心配だった。これが杞憂で終わるなら、今頃目の前にこいつがいることも桜木をサイドキックとして雇っていることもないだろう。

キレ散らかす俺を尻目に、轟はいつものすっ惚けた面を晒して「もう聞いてんのか」と呟く。……もうって何だ、もうって。その顔は何処か浮ついた雰囲気のまま、俺の後ろにある通路を見てはフラフラと視線を動かしていた。どうやら桜木を探しているらしい。

「なあ、アセンブル……だったか?アイツ今日は居ねぇのか?」
「テメェ……俺の話はガン無視か。」
「サイドキックなんだよな?」

だったらなんだ、テメェはその俺ンところのサイドキックに手ェ出そうとしてるっつーことを忘れんな。そう言えれば楽だった。というか、実際言おうと思った。今日に関してはコイツへの返答全てが罵倒になりそうだ。けれどこっちが言うよりも早く轟から「一応聞くけど付き合ってるとかじゃないよな?」なんて本気で懸念していそうな顔で言われようものなら、ほぼ脊髄反射で罵倒より先に否定が飛び出してしまうのも、まあ無理はないだろう。

「断 じ て ねぇわ!!」
「そうか、なら良かった。安心した。」
「安心した、じゃねェだろ。諦めろやテメェ、何本気で狙おうとしてやがんだ。」
「……?別に付き合ってねぇんなら俺の勝手じゃねぇのか。」

どこまでも本気で思っていそうなツラしてこっちを見るなと言いたい。いよいよ本格的に頭が痛くなってきて、思わず頭を抱える。一体桜木の何処がコイツをこんなに頑なにさせたのか、理解出来ないにも程がある。

別に特別顔が整っているわけでもなければ、特筆すべき才能がある訳でもない。何処にでもいる凡庸な女だ、桜木 花鶏という奴は。サイドキックとしての才能はそこそこあるのかもしれないが、俺や轟みたいに基本一人で全てこなせるヒーローにとっては特段必要とすることも無いような、そんな。

「兎に角、他の奴当たれ。」
「だから何で爆豪が決めるんだ。」
「アイツの上司なんだから当然だろーが。」
「おまえは部下のプライベートにまで口出すのか。」

言い争ううちに、自分でも何となく気付いていたのだが、轟のことを頑なだと表しておきながら、自身も大概他人を笑えた口じゃないのかもしれない。かといって、素直に認める気もなかった俺は咄嗟に沈黙することでこれ以上の追求を避けようと画策する。幸いにも轟がそれに気づいた様子はなかった。

思えば、轟は割と本気で桜木に惚れてしまったようだ。そこに至る理由に関しては特に興味もねえが決して暇な身分じゃない癖してここまで直接会いに来たことからも、何となく想像がつく。俺のいない間にアイツらの間に何があったのか、それは俺の知り及ぶことではない。
が、飽きもせず桜木のパーソナルな部分についてを兎に角知りたがる轟に「そんなに知りてェなら直接聞きゃ良いだろうが!」とイライラしていた俺は咄嗟にそう返してしまった。それが、どうにも運の尽きだったらしい。

「良いのか?」
「……あ?」

一瞬の判断ミスだった。しかし対応に疲れていたんだと言い訳をしたところで取り戻せる失敗ではない。これじゃコイツに大義名分を与えたようなモンじゃねえか。

一度でも口にしてしまった以上は無かったことになど出来るはずもなく。途端に目を輝かせたソイツは、不本意ながらもそれなりに長い付き合いの中で初めて見るような顔をしていて、それがどうしようもなく俺を苛つかせた。
「ありがとな、爆豪。」なんて笑みを浮かべながらまた今度会いに来る、と零す轟。やっぱり桜木同様自覚が足りていないのだろう。コイツは、俺が口を滑らせて失言したとは欠片も思っておらず、ただ好きになった女の上司から、近付いてもいいというお墨付きを貰ったのだと、きっとそう思っているに違いない。

わざわざ仕事の合間を縫って此処に来たというその男は、桜木に会いたい一心のうちに、肝心な用事があったことを、忘れていたらしい。漸く引き返していったはずの後ろ姿が不意に「あ」と声を上げる。なんだ、まだなんかあんのか。最早声を出すことさえ億劫になり何も言わず奴の挙動を伺っていると、刹那轟は「悪い、爆豪。」と呟いた。その手には、紙の資料が携えられている。

「これ、渡しておいてくれ。」

手渡されるまま、反射的に受け取ってしまったそれは、作日打ち合わせたばかりの仕事に関する資料だった。

「あと、伝言も伝えといて貰えると助かる。」
「…………。」

こっちが絶句して何も言わねぇのをいいことに、轟が言い放った伝言とやらは“今度飯に誘わせて欲しい。”というもので。何が伝言だ、何が渡しておいてくれ、だ。人を伝書鳩扱いすんじゃねぇ。普段なら、そのどれもが瞬発的に飛び出しているだろう。実際それほどの事象が起きていた。けれど俺はただ呆然としたまま言われたことを脳内で反芻させることに注力していた。何故か。想定外過ぎる事態に、一瞬脳が情報処理することを拒否したからだ。

轟は、言い終えて満足したのか「じゃあな」と呟いて今度こそ事務所を後にする。数分後、脳内処理が終わった俺は叫んだ。伝える訳ねえだろうがクソ、と。溜まりに溜まった怒りを吐き出せたその頃には既にアイツの姿は無かったが、それでも叫ばずには居られなかった。とりあえずあの女、帰って来たらソッコー詰める。

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