突然だが私には自分の全てを捧げられると思うほどに憧れている人がいる。その人の名前は爆豪勝己さん。ヒーロー名を大爆殺神ダイナマイトという、今話題急上昇中のヒーローである。

ダイナマイトさんと出会ったのは今からもう3年も前のこと。実際にきちんと関わり出したのはここ最近の出来事なのだが、憧れという感情に於いて重要なのは期間より熱量というのが私のモットーだった。
憧れに理由なんて無い。ただ、出会ってしまったのが運の尽きではあると私は思う。元々確かにヒーローになりたいと思ってはいたのだけれど。それが、まさか。こんな風に変貌を遂げるなんて、あの頃の私が見たらきっと大層驚くに違いない。





「おはようございます。」
「遅ェ。」

それは毎日起こりうる波の一環に過ぎない出来事だ。出社して、鞄から事務所の鍵を取り出す。鍵を開けて通路を右に行き、扉を開ければ私のデスクがある場所へと辿り着く。始業時刻より40分ほど早くついて、デスクに着座しておくのが、私のルーティン。そして、何故かそんな私よりも必ず早く来て、私の到着に際し毎日遅いと文句を言ってくるダイナマイトさんの顔色からコンディションを把握しながら返事をするのも、またルーティンだった。

「テメェ、いつになったら俺より早く出勤して来んだ。」
「ダイナマイトさんより早く、ってなると5時起きになっちゃうんですけども……」
「上司より先に出勤すんのは常識じゃねェんか。」

カチリ、カチリと飾り気の無い時計が時を刻む、AM8:15。時代錯誤も甚だしい会話をそれとなく続けながら、私はパソコンを起動する。起動している間にスケジュール帳を開いて今日のタスクを確認するのももう手馴れたものだった。

ここへきて早数ヶ月。月日が流れていくのはこうも早いものだっただろうか。色々なことを毎日スパルタ形式で学ばせて貰ってはいるが、既に自身の並々ならぬ成長を感じる。憧れの人と仕事が出来るというのもプラスの相乗効果になっているのかもしれないけれど。

その時ダイナマイトさんがおもむろに立ち上がり、更衣室へと向かっていくのが見えた。いつもはもう少し事務作業に取り掛かってから着替えに行くというのに。今日はやけに早い。

「外出ですか?」

聞くとダイナマイトさんは気だるそうに振り返りながら「テメェも行くんだよ」と返してきた。そこで私は今日一日が有意義なものになる予感を嗅ぎとる。即座に慌ててパソコンを再確認。今日の予定で今すぐ取り掛からなければならないものは……、どうやら無い。良かった。彼について行くことが出来そうだ。

分かりました!と大きく返事をすると、ダイナマイトさんはそのまま更衣室の扉を閉める。その後ろ姿をしっかり数十秒ものんびり眺めていた私を叱るものは誰もいない。やや遅れてマウスをクリック、メールボックスを開くと一件未開封になったままのメールが来ていた。差出人は、エンデヴァー事務所の庶務室。以前からダイナマイトさんが受けていたチームアップの依頼案件が実施されるとの内容が書かれている。指定日時はまだもう少し先ではあったが、事前打ち合わせとして今日の日程を指定しているようだ。

「今日打ち合わせって言ってるメールを今日送ってくることはないんじゃないの?」

私は、苦笑いしながらパソコンを閉じる。あ、しまったシャットダウンしてないや、ダイナマイトさんに怒られるかも。 なんて頭に一瞬浮かんだものの、急いで支度をしなければならない都合上とりあえずそのままにしておく。

突然の日程キャンセルも、急なねじ込みスケジュールも、この職業に於いては日常茶飯事である。そもそも緊急事態や想定外の事態に前もって連絡しろ!なんて言うような人間に、ヒーローが務まるはずもない。それが分かっているからこそ私も、ダイナマイトさんも早く出勤してくるのだろう。……まあ私の場合はそこに加えて更にダイナマイトさんともっと対等な立場になりたいから、という下心もあるんだけど。

よいしょ。到着したばかりでろくに荷物整理もしていないままのデスクから再び立ち上がる。その間にも私のスマホには他事務所からの業務連絡がちらほらとせわしなく流れている。今日も昨日と変わりなく、とてつもなく忙しい日になるであろうことは明白なのに、それでも不思議と笑みが零れてしまうのだからなんとも不思議な気分だ。

憧れとは呪いであるとはよく言ったもので。憧れが身を滅ぼす事象なんてきっと世の中には有り余るほどに溢れている。けれど、今日もまた私は彼の背中をせっせと追う日常に身を投じていくのを止められない。理由もまた、“彼だから“に他ならなかった。

大爆殺神ダイナマイト事務所、ヒーロー1名、サイドキック兼事務員兼オペレーター兼営業1名。我ながらおかしな現場に飛び込んだ感は否めないが、今日も今日とて少し早めの勤務開始である。









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ダイナマイトさんに憧れて、彼の背中を追って、早いもので数年。まだまだヒーロー免許を取って間もないし、実戦経験が豊富な訳でもない。けれどそれでも、私は確かに一歩ずつ歩んでいるのだと、この人を目の前にして改めてそう思った。

ヒーロー・ショート。本名は轟焦凍さん。ダイナマイトさんの同級生で、元ナンバーワンヒーロー、エンデヴァーの息子さんだという。今日は彼に呼ばれてここに来たと言っても過言でなく、現在進行形で、私とショートさんは打ち合わせの真っ只中だ。
ダイナマイトさんもついさっきまでは居たのだが、事務的な打ち合わせは全て私に任せると言ってエンデヴァーの元へと行ってしまった。
そして、話は冒頭に戻る。のだが、

「万が一に備えて損害発生時の概算シュミレートは遅くとも明後日までに準備致しますね。」
「あぁ、無茶言って悪いがよろしく頼む。」

手元の資料とショートさんの顔色を見ながら反応を伺う。非常に多忙なヒーローであるが故なのか直前まで出動されていたようで、今は私達と同じようにコスチューム姿だ。帰りがてら、ひったくり犯を伸してきたその足で私との打ち合わせに臨んでいるらしい彼に、最初こそ申し訳なさを感じてやり取りは必要最低限にしようと思ったのだけれど、思いの外ショートさんが意見をくれるものだからつい、張り切って喋ってしまった。本人が全く迷惑そうにしていないことだけが救いである。

ショートさんと初めて話して分かったのは、やっぱりダイナマイトさんの同期で常に成績を競い合っていただけあるな、ということで。一つ一つの状況判断が、私には到底追いつけないほどに早いのである。日々追い付きたい一心で、自分で言うのもなんだけど、ひたむきに努力を続けてきても越えられない壁というものはいくらでも存在するんだなぁ、と少しだけ悔しい。

「あの、配置人員なのですが……」
「…………。」

再び資料から顔を上げてショートさんへと視線を戻す。大方の方向性や流れが定まってきて、あとは当日を滞りなく終わらせるだけというところまできた。
当日の戦闘なんてものはダイナマイトさん一人入れば事足りると考えている私は、上司バカというやつなのかもしれない。だとしてショートさんまで参加するというのだから最早余剰人員なのではないか、とそんな考えが一瞬頭を過ぎった私は、今一度ペアを組むヒーローの確認と配置について最終確認を請おうとした。
その時のことだ。彼と話してみて気がついたことの、もうひとつが現れたのは。

「ショートさん?」
「……あぁ、悪い。」

薄く色を纏った両の目が私の顔を一直線に見つめている。それだけでなく、どこか夢心地な眼差しで、ショートさんがあらぬ方向に意識を飛ばしていることに気づく。同時に(またか)と心の中でごちたが、顔には出さないようにして「どうかしました?」と聞けば彼は悪い、とだけ呟いた。

また、と思ったのには理由がある。打ち合わせを開始してからは既に30分以上が経過しているが、こうやって「聞いてますか?」という素振りを見せるのが実はこれで3回目なのである。1回目は自己紹介をした瞬間、2回目はいざ打ち合わせに入ろうとした瞬間、そして3回目は言わずもがな、ついさっき。

悪い、そんな言葉が出るのは少なからず自覚があるということだ。どうやら何らかの意図を持って、彼は私の顔を凝視しているらしい。いや、何で?

人様に凝視されるような顔ではないと自分では自負しているつもりだった。だから、何がそんなに気になるのか皆目見当もつかない。3回目ともなると流石に隠しきれず、思わず小首を傾げる。するとショートさんはなんとも言えぬ顔つきをして、眉間に皺を寄せた。


「……すみません、気に触ってしまいましたか?」
「いや、今のは違ぇんだ。忘れてくれ。」
「でも……、」
「大丈夫だ、悪い。」

大丈夫だ。と念押しされたらそれ以上は突っ込んでいけるはずもなく。仕方なく資料へ目を落としてショートさんに配置を告げる。が、やっぱり本人が大丈夫だと言ったとして、大丈夫じゃないことの方が多い模様。案の定心ここに在らずと言わんばかりの返答が返ってきてしまっては、もう見て見ぬふりも不可能だ。

「あの、」
「なんだ?」

少しだけ間を置いた後に、私は口を開く。

「私はまだヒヨっ子ですので。」
「…………?それが、どうかしたか?」
「何でも仰ってください。」

その後に「多分私の意見よりショートさんのご意見の方が理にかなっているし、正しいと思います。」と続ければ、彼は僅かに目を丸くして閉口していた。
私が告げた言葉は、常日頃から思っていることだ。たとえ、どんな理由があったとしても仕事に関することで私に遠慮して物を言えなくなることなど、あってはならないと考えている。ダイナマイトさんに関してはそんな配慮全く要らないのだが、ショートさんに於いてはその限りではないようだった。だから、告げた。それだけの話。
ショートさんは固まったまま、口を開かない。驚いているのか、それとも私からそういう風に言われたことがそんなに意外だったのか。理由は定かでは無いが、とりあえず気を悪くしたような雰囲気は、表情からは感じない。

ややあって、彼は小さく笑みを零した。ふは、と控えめに響いたその声はどちらかと言えば堪えきれず出てしまった、という方が正しい。ここでその反応とは想像もしていなかったが、レスポンスがあっただけマシだと考えることにして、ショートさんの様子を伺う。

「いや、悪い……意外だったから、つい。」

目尻を緩めて彼は笑った。笑いながら、それでも真っ直ぐ私を見ている。綺麗に笑う人だなと思った。変な意味とかは無く、ただ純粋に。
返答を聞いてからは、ある意味私も意外だった。普段笑うことが殆どないダイナマイトさんの元で働いているからか、彼もまたあまり表情を崩さないものなんだと勝手に思っていたけれど、そういう訳でもないようだ。

「そんなに意外ですか?」
「……いや、なんていうか第一印象であんな風に言える奴には見えなかっただけだ。けどそう言われるとあの爆豪のサイドキックやってんだし、そんな意外じゃねえのかもな。」
「それは、そんな……それほどでも。」
「謙遜しなくてもいいだろ。……でもまあ、そうだな。俺もこんな風に思うのは初めてだから結構戸惑ってたんだが、」

そこで、ショートさんは一度言葉を切る。

「こんなこと言ったら、おまえを困らせちまうかもしれねえけど、それでもいいか?」

言い淀んだ理由が、困らせるかもしれないからとは、彼もまたダイナマイトさんと同じように良い人なのだろう。私に向かってそう呟いたショートさんの表情は、酷く柔らかかった。念の為の再確認と思しき口調だったが、私にとっては今更も今更である。何でも来い!と言うように胸を叩き「大丈夫です、どうぞ!」と返せば刹那、彼は真っ直ぐ私の目を見つめながら、口を開いた。


「好きだ。」

好きだ、なんて言葉が。俺と付き合って欲しい、なんて言葉が。返事は急がない、なんて……言葉が。
そんなのがこの後にまさか飛び出してくることを、一体誰が想像出来るというのか。
想像を遥かに超える事象に、思ったより大きめの「はい?」の声が出たのは、きっと後にも先にも今日だけであってくれと、少なくともそうであって欲しいと願う私の思いは、はたして間違っているのだろうか。まあ、よく分かんないけどとりあえず仕事だけはちゃんとした記憶がある。それ以降私がどんな会話を彼としたのかについては、よく覚えていない。

ただ、その後に合流してきたダイナマイトさんから目敏くも「轟と何かあったんか」と聞かれて、「その、ショートに……告白?されました。」なんて答えた時の「ハ?」って声と顔については、しばらくの間頭から離れないと思う。

これはまだ私の人生に於いては序章にも過ぎない出来事。言わば前置きである。しかし物語というものは前置きが最も重要なことであると、人によってはそんなことを言う人もいる。

私のこれは、私の人生という物語において重要なのか、否か。答えは未だ見い出せない。ただこの時の私は多分重要か、そうでないかについてさほど重きを置いていなくて。ダイナマイトさんにどうやってあの事態を説明しようか……なんてそんな下らないことだけを考えていたのだ。

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