“名前さん、突然悪い“

そんなメッセージが届いたのは、言葉の通り本当に突然のことだった。……強いて言うなら前日まで他愛ないやり取りを繰り広げていたので、突然と言うほど突然でもないのかもしれない。しかし直前の会話の脈絡から察するに、切り出された内容自体はそれなりに突然である。

会話の相手は言わずもがな轟くんで、私の方はと言えば現在社を挙げての一大案件である出張に赴きコスチューム制作に取り掛かっている最中。出先のホテルで残業しつつ轟くんのデザイン画を書いては消して、書いては消してを繰り返していた時の、そんな突拍子もない出来事だ。


夜、街中の騒ぎが増え出す時間帯。ヒーローにとっても忙しなくなる時間で、それは福岡だろうと都内だろうと恐らく変わりはないだろう。
しかし昨日も他愛ない会話を繰り広げていた自身のスマホ画面に突如として表示された轟くんの名前とメッセージ“名前さん、突然悪い。今週どっか予定空いてるか?“の文字列に思わず目を剥いたのは、ちょうどその時のことである。


私の敗因といえば、きっとただの一つしかない。

要は、相手が誰であるか、そのものさしを測り違えた瞬間から私の運命は確定していたのだろう。……運命って言っちゃ、流石に大仰かもしれないけど。でも、ねぇ。うん。だとしてもなかなか下しにくい事柄の一つや二つはあると思うの。

「お、」といつもの低い轟くんの声が画面から聞こえてきた瞬間、思わずスマホを落としそうになった。え、な、なんで?と聞かせるつもりの毛頭なかった呟きが溢れ、私の言葉と表情に気付いた轟くんが、これでもかと目を丸くする。その反応はおかしくない?と脳裏に一瞬浮かんだけれど、生憎口が動かなくて。

肝心なのは、電話なのにどうして轟くんが目を丸くしたのが分かったのか、それに尽きる。だとしても、だ。残念ながら現実逃避をしたところで、答えは明白であると言わざるを得ない。


「名前さん?……見えてるか?」
「見えて、ます、けど。」
「…………なんか良く聞こえねぇ、」


そう言って、彼は画面越しに、まるで呼び掛けるように手を振る。ついで、私の様子を伺っているかのような素振りでレンズを覗き込んだ。途端画面に映し出される、超ドアップの轟くんの顔。咄嗟に声をあげずに済んだだけ、私も頑張った方じゃないだろうか。今度こそ私はスマホをベッドに放り投げた。スピーカーからは再度間抜けな声が聞こえた。



「変な音したけど大丈夫か?」
「……なんとか。」

私に変な音をさせた張本人からの安否確認とは。随分おかしなことである。画面越しに見る轟くんは、相変わらず顔が良い。こんな状況かつ、突然の出来事じゃなければ赤面を披露してしまっていたかもしれない。けれど今はそう言っていられる場合でもなく、更に合わせていうならつい今しがたまでさほど緊急事態という程でもなかったというのに、一体何をどうしたらこんなことになるのやら。

「それより、急にどうしたんですか。」

言葉通り、突然の出来事だった。だから、理由が必要だと思ったのだ。出張だと告げた瞬間直接電話を、否テレビ電話を掛けようと思い立つに至ったその理由が。

画面の向こうにいる轟くんは、なおも幾つかのまばたきを落としながら停止している。オウム返しで「どうした、って言われてもな」と不意にそう呟いたのが聞こえた。訪れる沈黙が気まずい。一方的に映されている轟くんの顔はやっぱり心臓に悪いなぁなんて考えてはみるけれど、一向に状況は改善しなくて。

「特に用はねぇんだが、」
「………え?」
「何となく何してんのか気になったんだ。」

顔色も変えずそう告げた轟くんは、先日会った時と何も変わらない、それはもう唐突にとんでもないことを言い出す轟くんのままである。

まずかったか?無垢な眼差しを向けてくる彼に対しては、何と返すのが正しいんだろう?というか、いくら気になったからってテレビ電話してくる?普通。しかし言いたいことは山ほどあってもそのひとつさえ吐き出すことの出来ない私は、ただ口をつぐみ赤くなった頬を必死で冷ます以外に何も出来なかった。

ただ、難しいと伝えただけ。それだけなのに、気がつけば画面一杯に彼が映し出されるという事態になったのは、やっぱり突然過ぎる轟くんからの連絡に起因している。直接的な要因だったのかと聞かれたら、また話は別かもしれないけど。





“今週どっか予定空いてるか”

今となってはテレビ電話の衝撃ですっかりなりを潜めてしまった件の言葉を思い返す。メッセージのはじまりはいつも比較的唐突ではある。けど今日はいつにも増して突拍子がないなと思いながら、“すみません、今週はちょっと難しくて……どうしました?”と返した私に、はたして目に見えた非などあったのだろうか。

“忙しいのか、悪い。忘れてくれ。“

即既読。ついで彼から送信されたメッセージに目を通す。やけに素っ気ない返事に、少しだけ胸が締め付けられる。本当はこんな風に思うこと自体間違いではあるのだが。

私の非は、一体何だったのだろう。まあ、敢えて上げるならば惚れたもん負けなんて言葉のとおり、そこで終わってしまう会話を惜しんでしまったという所がもしかしたら駄目だったのかもしれない。

“今出張中なんです。轟くんはおやすみですか?”

会話を続けようとしてとりあえず出張中だと明かした、その時のことだ。

“出張?”
“仕事か?”
“どこに”

刹那、矢継ぎ早に飛んできた短文の羅列に「えっ、……え?」とただ画面を眺めるしか出来なくなったのは最早言うまでもないだろう。

そして、私が答えを考えあぐねている傍らで、こちらの心中など全く意に介さない雰囲気のまま“今少し良いか?”と送られてくるまでの時間も、無論ほとんど無いようなものだった。

今少し良いか?なんて聞かれたら、答えはとりあえずの“はい”以外に無い。ああ、思えばそれも私の非だったのかも。何にせよ結局の所どんなに受け入れ難い事象が起きたとして、ただ黙って受け入れるしか私に道はなかったのである。



とそんなことがあった所為で、現在私は轟くんとテレビ電話(彼が勝手に映ってるだけだけど)をする羽目になっているのだった。

とりあえず、振り返ってみても意味がわからない。そしていくらホテルで独り残業中とはいえ、好意を持っている相手の顔を見て、声を聞きながら仕事ってのは中々しんどいものがある。出来るなら一刻も早く電話を切りたいと思うのは、恋をする人間なら誰しも考えることじゃなかろうか。

「名前さん今どこに行ってるんだ?」
「今ですか?今は福岡です。」
「結構遠くに行ってんだな。いつまでだ?」
「今月末頃までですかね。」
「大変だな。」
「いやいや、そんなことないですよ。轟くんの方が大変です。」
「そうか?俺からしてみたら名前さんの方こそずっと忙しくしてるように見えるけどな。」

兎にも角にも、とにかく思惑を巡らせ如何に怪しまれず通話を終了できるか考えることの方が私にとっては先決だった。

画面に映し出された轟くんを極力視界に入れないようにしながら私は彼の問いかけに淡々と答える。しかし私の考えとは裏腹に、轟くんはそのままの状況で他愛ない話を続けようとしているらしく、一向に話を切り上げられそうな雰囲気にはならなくて。

普段の電話とは勝手が違うからか、すぐそばで会話しているかのような錯覚に陥る。このままじゃ、またいつもと同じ様によく分からないまま私だけが慌てふためく事態になりかねない。それは流石にまずい……よね。

今もなお現在進行形で事務所ではなく屋外にいるらしい轟くんの背後から、不意にクラクションが聞こえてくる。意識をさらに向けてみるとそこでは絶えず人の波が彼の後ろを通り過ぎているのが見えた。

思えば、轟くんの格好はコスチューム姿だ。きっと業務中だったのだろう。

「轟くん、もしかしてまだ仕事中なんですか?」
「………いや、」

聞くなり、途端に僅かながら泳ぐ目。逸らした先には忙しなく行き交う警察らしき人物が伺える。逸らしたことといい、言い淀んだことといい、十中八九轟くんの方が立て込んでいる最中であることはどうやら明白のようだ。

そんな状況にも関わらず電話をかけてきたということはとりあえず置いておくとして。

いやいや、忙しいのはどっちなんですか。そう言いかけた唇を何とかつぐみ「怪我とか気をつけてくださいね。」とだけ吐き出す。刹那彼は「ああ、気をつける。」そう吐き出しながら柔らかく笑った。

危うくとんでもない声を上げそうになって、更に言うならば人様にとても見せられるような表情じゃないものを晒しそうになってしまって。

ああ、本当に今轟くんが目の前にいなくて良かったなどと、気を抜けばすぐそんなことを考えてしまう。だってこんな顔、とてもじゃないけど本人には見せられない。

不自然な間を開けてしまったからなのか、彼がふと「名前さん?」と声を上げる。慌てて「はい!」と返すけれど、それでも若干上擦ってしまった返事が、私の余裕のなさをこれでもかと表している。

「良かった、電話切れちまったのかと思った。」
「そんなことは、」
「聞こえてんならいいんだ。けど、今日はやけに声が聞こえづらいな。」

画面を覗き込むように、不意に轟くんの顔がアップになった。いくら覗き込んだとしても、私の様子が見える訳でもないだろうに。それでもそんな素振りをする彼の姿はどことなくスーパーヒーローのショートではなく普段の様子を彷彿とさせていて。


「名前さん、なんか今日疲れてるか?」
「えっ、何でですか?」
「いや、気のせいならいいんだけどな。何となく声小せえし、そう感じただけだ。」

疲れてるかどうかと問われれば、決して疲れている訳では無い。むしろはつらつとしてる節まである。けれどそれに対して声が小さいと言われてしまっても、私にはどうすることも出来ないのである。

いや、まあ確かに理由は私にあるんだけど。

(だって、画面直視できないし…!)

そう、声が小さいと言われる原因は、どう考えても私が画面からできる限り離れているからである。通常顔のそばで通話するはずの電話だが、今の私は液晶から1mは離れていた。そりゃ聞こえづらいと2度も言われるわけだ。とはいえ今日は、今日だけは絶対画面に近づきたくない理由があって。

「全然元気ですよ!」
「……ならいいんだが。」

轟くんの表情は何とも訝しげな面持ちだった。きっと心配してくれているのだろう。お顔と声が近くで聞こえるだけで照れてしまうような私なのに、心配してくれるなんて、本当に良いのだろうか。こんな風に接してもらえること自体が本来夢みたいなことなのに。

「なぁ、」
「……あ、はい!?」

しかし惚けていたのもつかの間、ふと彼が私の名前を呼ぶ。一瞬反応に遅れて大きな声が出たものの、なんとか平静を装って呼びかけに応えると刹那轟くんが口ごもりながら「さっきから思ってたんだが、」と呟いた。

「なんで顔映さねえんだ?」

たっぷりの沈黙を置いて、およそ15秒。

「えっ、と……?」
「そっちも映してくれねぇのか。」
「映す……?」

唐突過ぎると、人間何を言われてるのか分からなくなってしまうというのは、多分本当のことなんだろう。
途端に、頭が様々な思惑を巡らせ始める。急激に焦燥が背筋を駆け抜けていく。

「俺の方は見えてんだよな?」
「見えてますよ、見えてますけど」
「じゃあそっちの不具合って訳でもねえんだな。」

微妙に噛み合わない会話を続けながら。私はとにかく話を逸らそうと画策していた。正直なことを言うならば、轟くんが言った一言についてとっくに分かっているのだけれど。無論、分かっているにも関わらず分からないふりをしようとしてしまったその理由も、本当は分かっていた。のだけれども。

要は、テレビ電話なのにどうしてそっちは映らないんだと、彼はそういうことを言っているらしい。

確かにテレビ電話なんて、お互いが顔を映す為にやるようなものだとは思うし、これが気の置けない友人からの着信であれば私は多分気兼ねなく顔を出していただろう。でも、今日に限ってはそういう風にもいかない。そう、いかないのだ。

こっちの姿はどうしても映せない。理由はまあ、残業中であることと激務であるということに帰結する。
あー、だの、うーん、だの煮え切らない言葉を紡ぎながら「顔って、顔ですか?」なんて全く日本語っぽくないことを返す。刹那、僅かな沈黙。そして次の瞬間彼からは「そうだな。」と短い返事が返ってきた。正しく想定していた通りの返答だった。

「ちょっと映すのは厳しいといいますか。」
「………?騒音とかなら気にしねぇぞ。」
「そういう訳ではなくてですね。」

備え付けの鏡に映った自身の顔はどう足掻いても彼に見せられるような表情をしていなくて。

まさか「今週何処か空いてるか?」って問いかけがこんな事態に発展するだなんて。いやもうほんと、轟くんと親睦?を深める度にキャパシティを超えることばかり起こしてくるところ、何とかならないのだろうか。

………とりあえず、どうしよう。考えてはみるものの、当の本人は首を傾げて私の二の句を待っている模様。こういう時ばっかりこの人は規格外の天然を発揮するんだから、もーー!

「ほぼノーメイクなんです……!」

仕方なく告げる。何故ノーメイクであることを態々暴露しなきゃならないのか、全く解せない。解せないけど、言うよりほかに退路もなかった。当の轟くんは聞くや否や瞬きを落とした後気まずそうに目をカメラから逸らし「悪い、」と呟く。

「そこまで気が回ってなかった。」
「いえ……何かこちらこそすみません。」

あっという間に曇る表情。言わなきゃ良かったかもしれないと咄嗟に思ってしまうほど、彼は何とも苦々しげな顔をして俯いている。

やがて図らずとも沈黙が双方の間に落ちて、轟くんが誤魔化すように「名前さん、今も仕事中か?」と聞いてきた。

「もう終らせようかなって思ってたところです」

被せ気味にそう返す。決して沈黙が気まずいとか、申し訳なさそうな彼の目を見たくなかったとか、そんなんじゃない。そう、そんなんじゃないのだ。

「そうか、悪いな邪魔して。」
「いやいや!私はそんな……むしろ、轟くんの方こそ忙しいのに電話なんて、」
「俺がしたかったからしただけだ。」
「へ、」

なんでこの人はこんなにも優しくて残酷なのか、会話を交わしながら考える。その一言が私にどんな想いを抱かせるか、知らないからそんな一言が言えるのかもしれない。

「でも、声聞けてよかった。」
「……どうして、」
「どうしてって、友達だろ。」

相変わらず彼が口にする言葉は突拍子もなくて。私には、轟くんの言葉を飲み込むまで少し時間が掛かってしまう。友達、かぁ。友達だから、なんだというのか。彼の考えはいつまで経っても分からない。

その時不意に轟くんはお、といつものように呟いて目線を画面からその奥へと向けた。何やら画面の向こうで誰かに呼ばれたようだ。

「………悪い、名前さん」

刹那、轟くんの目が泳ぐ。そういえば彼もまだ業務中だったような。そしてぽつりとこぼしたのとほぼ同時に、遠くから再度「ショートさーん!」と名前を呼ぶ声が響いた。
男性の声だった。
今しがた彼を呼んだらしきコスチュームに身を包んだその人は、明らかに事後処理が終わっていないにも関わらずマイペースを極めている轟くんとはまるで相反するように慌ただしく画面内を往復している。


呼ばれたというのはきっと本当のことで、映像からも察せられる通りに今現在轟くんは正しく“取り込み中“なのだろう。……そろそろ、お互いに電話を切る良いタイミングなのかもしれない。


「お仕事、気をつけてくださいね。」

色々と思うことはあれど、頑張って、ではなく気をつけて、と言ったのは私がやはりヒーローコスチュームの開発に携わっているからだ。
凄惨な事件も、酷い怪我も、修繕を依頼されたコスチュームから嫌という程思い知らされてきた。だからこそ、今こうして素直な心根から私の様子を伺いに来てくれた友人に、そんな言葉を返したくなった訳なのである。

ふと轟くんが自身のことを探していたかの人物へと振り返り、「おう、今行く」と大きな声で叫んだ。そしてすぐさまこちらを向いて、瞬きを二つほど落とした。

「……ああ、ありがとな。」

長いまつ毛が揺れる。私の返答に対し意外にも面食らったのか少しだけ言葉につまった様な素振りを見せる轟くん。しかしそれも一瞬で、次の瞬間にはすぐあの柔和な微笑みを湛えた精悍な顔つきが現れた。今更かもしれないが、実の所私は彼の笑顔に滅法弱い。
本当、顔が映ってなくてつくづく良かったと思う。

「悪いな、なんか中途半端になっちまって」
「いえいえ、むしろ私も出張中であまりお話出来ずすみません。」
「そんなことねぇよ、とりあえず元気にしてんなら良かった。」

先週会ったばかりだと言うのに。人の体調なんて、1.2週間くらいじゃ変わらないのに。それでも心配して、連絡をくれたそんな轟くんの無垢な優しさに、今だけは甘えていたいとも、思ってしまう。

それじゃあまた、とは言えなかった。私はそんなことを言える立場でも無いと思っていたからだ。けれど彼はそんな私の作った垣根をいつも尽く破壊していくので。

「じゃあまた、連絡する。」
「………、」
「名前さん?」
「あ、あぁ……いえ!分かりました待ってます!」


毎度ながら、時間が停止する。あまりにも黙り込んでしまったからか、轟くんから名前を呼ばれて我に返った。慌てて返して、そこで漸く通話が終わる。最後にもう一度「またな」と言われたような気がするけれど、衝撃が強すぎて良く覚えていない。ただ後に残された電子音だけが、やけに耳に残っていた。


全く、“またな” なんて。これじゃまるで恋人同士の会話じゃないか。電話を切ってすぐそんな風に考えてしまうあたり、私はきっともう取り返しのつかないところまで来てしまっているのだろう。

契機満了まであともう少し。それまでの間に何とか轟くんへの想いに蓋しなくちゃ、なんて。好きになった方が負けだとはよく言ったものだと思う……いやもう本当に。

思っていても実際やるのは難しいんだろうなと独りごちてから私はスマホを電源ごと落とす。そしてそのままベッドまで乱雑に飛ばし、ベッドへと潜り込んだ。

目を閉じても、街はまだまだ騒がしいようだ。



異郷にて※17話IF


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