瞬きの音がぱちり、弾ける。長いまつ毛のその先は、不思議な程に透き通っていた。普段はきりりと雄々しげに結ばれた眦も、今は驚きに満ち開かれている。君にそんな顔させたことのあるクラスメイトなんて、きっと1-Aには数えるくらいしか居ないだろうに。
喜んでいいのか、それとも悪いのか。とりあえずよく分からないので現実逃避でもして無かったことにしよう、なんてそんなことを考えた。
これは、何かの罰なのだろうか。……いや、嘘でしょ、勘弁してよそんなの。
私は勢いよく姿勢を正し、先程躓いた拍子に唇同士をぶつけてしまった轟くんから即座に離れようとした。
しかし同時に離れた距離分だけ近付いてきた轟くんがそれを阻む。しかも子供じみた期待の眼差しを向けて大層キラキラした目で私を見ていた。一体どんな感情を持ったらそんな顔になるの、ねぇ。
「ごめん………、本当。」
「……っ、」
これは事故だった。……無論ごめんで済むことじゃないことは、これ以上ないほど分かっているのだが。
しかし事故とはいえ、言葉にすればするほど笑えない事故が起きていた。何も無いところで突っかかってしまった上に、何とか支えようとしてくれた轟くんの顔面にヘッドバットした挙句唇を奪ってしまったのだ。……そう、他でもない、私が。
いや、なんて?といつもの私ならきっと聞き返しているんだろうな、とふと頭の片隅で考えた。それほどに自体は混乱の一途を辿っていた。だってこんなの許されていいことじゃなくない?
それなのに、どうして今の彼はこんなにも満ち足りた表情をしているのだろう。
「あのさ、大丈夫?」
「っ、あ……あぁ。」
「本当に大丈夫?」
「大丈夫だ。」
二度、頭を振ったのち轟くんは我に返ったように私から目線を外した。頬は今まで見たことないくらいに赤くて、それが一層轟くんの“大丈夫じゃない”感を加速させている。
大丈夫というなら何故そんなに顔真っ赤なんですか、というか、どこを見てるんですか。
「じ、じゃあさ……」
「なんだ?」
聞いてもいいのか迷うけど、しかし、事実事故が起きてこのような有様になっているのだから聞くしかないのもまた仕方の無いことで。
「なんで、そんな顔してるの……?」
「なんで、って俺、そんな変な顔してるか?」
「えっ……と……うん。」
まるで夢見心地の乙女みたいな顔で、私の顔を眺めたまま呆然としていたことについては、どうやら本人の自覚がなかったらしい。
恐る恐る頷けば再度返ってくるきらきらとした眼差しがやけに刺さる。
「そうか。」
「うん……。」
「………。」
飽きもせず互いの顔を見つめ合いながら沈黙する二人組。おかしな時間だなぁって?言わなくても分かってるよ。何を隠そう私が一番この場から逃げ出したいのだから。
でも、それを許さないのがこの、とても綺麗な顔をした目の前の男の子だった。
「なぁ。」
不意に明るい声が掛けられて、肩が跳ねる。「んふぇっ、」なんて雰囲気に負けないほどのおかしな声が出てしまって、少し落ち込んだ。もう色々恥ずかしいやら何やらで、現実から目を逸らしたい気分だ。でもそれが出来る雰囲気では無さそうで。
「なぁ。」
綺麗な顔をして、まるで初恋を知った子供のような顔で、その子は私の肩を掴んだ。抜けた空気が喉から漏れて抜けていく。
「なに、かな……」
「さっきのアレ、お前は事故だって言ってたけど」
「うん。」
「事故じゃねぇと思う。」
うん、なんて素直に頷けるはずもない。
「どういう意味?」
「なんて言ったら良いのか、上手く言える自信ねえけど、その……」
相変わらずきらきらと輝く瞳。透き通る清廉さのその向こうにはたして何を思うのか。知りたいようで、知りたくない。そう思ってしまったのは何故だろう。
重なってしまった唇は事故だった。……だとして、重なってしまった心は、本当に事故だったのでしょうか。
「なんか、すげぇ変なんだ。」
痛いのとはまた違う……のか?なんて胸元に手を置いて自分自身に問いかけるように彼は首を傾げる。続けて「お前はどう思う?」と聞かれて思わず目を剥いた。
……いや、聞かれても困るんですけど。私の心境も知らずに真っ直ぐな視線を向けるその人の顔は、どこまでも綺麗で、そして無垢だ。
轟くんが何を言っているのかが本当に理解できずに、私はただただ狼狽える。掴まれた肩を振りほどくことなんてきっと簡単なはずなのに、何故かそれが出来なくて。
先刻事故でキスしてしまったただのクラスメイト二人組とは思えない会話と発言、それからあるまじき距離感。じりじりと少しずつ距離を詰められて、目眩がしそうになる。
「とりあえずもう一回したら分かるかもしれねぇ。」
「…………なにが?」
「苦しさの理由。」
胸元に置いた手を眺めてから轟くんは呟いた。
苦しさの理由、とそう吐かれた言葉は酷く短い。というか主語がないんですが。思わずオウム返しで答えると同時に、再度轟くんが私との距離を詰める。
「もしかするとお前のことが好きなのかもな。」
「は、ぇあ……、え!?」
「さっき、すげぇドキドキしたし。」
「今も、キスしてみてぇって思ってる。」と聞き捨てならないセリフが飛び出してしまってはもう何もかもが手遅れだ。ああもうどうしよう。目にハートが浮かんで見える、なんてことは無いけれど。
しかし轟くんの様子がおかしい事は誰の目に見ても明らかで、本人がそれを自覚している以上はどうなるかなんて目に見えている。悔やむべきはあの時何も無いところで突っかかってしまった私か、それとも彼にぶつかったということそのものなのか。
答えはよく分からない、でも初めて恋を知ったみたいなその双眸があまりにも綺麗だったから、だから肝心のところで逃げ出す決心がつかなかったんじゃないかと自分自身に言い訳をすることにした。