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列に並び程なくしてゴンドラに通される。私に続いて爆豪さんが中へと入ってきた。遥か昔の記憶ではかなり大きな観覧車だと思っていたけど、大の大人が2名詰められると狭い気がした。子供の頃の記憶というものは何かと昇華されるものなんだろう。

「わぁ」

最近は随分と日が落ちるのが早い。地平線の向こうに沈んだ夕日が辛うじて見える。オレンジ色の空は夜空と相反する輝きのようにも見えた。幼い頃の私も同じように感嘆の声を洩らしていたのだろうか。

「……眩しい。」
「あぁ?」
「あ……いや」

けれど今の私にはあの眩さが、少しばかり染みてしまう。思わず心根をそのまま吐き出してしまったその刹那、外へ視線を向けていた爆豪さんが怪訝な顔つきでこちらを見た。無理もない。空は既に暗紫に染まっていて、とてもじゃないが眩しくなど見えるはずがないのだから。
でも、それでも確かに私にとっては眩しかったのだ、あのオレンジ色に輝く空が。どうして、と自分でも思う。場所が、何一つ悩みなんて無かったあの頃を思い出させたからかもしれない。

「少し昔を思い出しちゃって。」
「…………。」
「あの頃は良かったなぁ、みたいな感じというか」

そんな風に考えちゃったんですよね、と返す。爆豪さんは無言で私の目を見つめたまま。沈黙だけが双方の間にほんの僅かな気まずさを残し流れていく。

作り笑いでもして、いっそ誤魔化してしまった方が楽なんじゃないかと安直な考えが脳裏を過ぎった。後から先程の発言が失言だったと気づいた所でどうしようもないけれど、それよりもこの場を繕う方が大事なのだと、そう思ってしまった訳だ。

「叶うなら学生時代に戻りたいなってたまに思います。」
「ハ、下んね。」
「そこまで言わなくても。」
「下んな過ぎて反吐が出るわ。」
「ちょっと、それは言い過ぎーー、」

唇を尖らせ明後日の方向を向いて舌打ちを飛ばす爆豪さん。先刻の私の発言が地味に癇に障ったようで言葉には中々の棘が含まれている。
でも反吐が出る、とまでは言われたくない。誰しも一度は一番輝いていた時期に回帰したいと叶わぬ願いを吐露するものじゃないのか。

そこまで考えが到達した時、不意に何故か虚しくなった。なんで、私はあの頃が羨ましいと思ったのだろう。輝いて“いた”時期、とはまるで今が輝いていないみたいな口ぶりだ。どうして、そんな。

この仕事に従事していることも、今の生活にも後悔はしていない。していないけど、私自身が自然とその言葉を選んでしまったことに少しだけ、落胆する。

「テメェが此処に来てぇっつったんだろ。」

私が反論をやめると、今度は爆豪さんがこちらの様子を伺うような素振りを見せた。珍しくかける言葉を厳選しているような、そんな間で。
どっかりとゴンドラに深く腰掛けていた彼だったが、やがて組んでいた腕を解いて、こちらに乗り出すような姿勢を取り、呟く。少なくとも責めるような声色では無く、視線と共に吐き出されたそれはどこか柔らかな雰囲気をまとっている。

「俺の前でンな顔してんじゃねぇ。」
「……。」

視界の先には星空があった。どうやら観覧車の頂点付近まで到達したらしい。そしてそのまま今度はゆっくりと下降へ切り替わっていく。

彼が何を考えているのかなんてものは、出会った時から常に分からない。けれど逢瀬を重ねるに連れ、爆豪勝己という人物は存外マメで、真面目で、粗野な一面もあれどひとでなしという言葉からはおおよそかけ離れている人物であるということを、私はもう知っている。

ンな顔、という言葉にデジャブを覚えた私はふと気になって「そんな酷い顔してました?」と聞き返した。

「クソブッサイクな面しとるわ。」
「だから、言い方。」
「ウルセェ!いいからとっととその面止めやがれ!」

私と同じ名前の少女と、その両親を見た時にもどうやら私は同じ顔をしていたらしい。所謂クソブサイクな面というのがどういうものか、鏡がなければ分からないけれどきっと空洞のような酷い顔をしていたんだろうと爆豪さんの言葉尻から察する。

その面をやめろと言われましても。最早自分がどんな顔をしているのかさえ分からない。まあ、でも多分さっきみたいな酷い顔からは少し離れられたんじゃないかな、とは思う。爆豪さんのお陰ってことは本人には絶対言わないけどね。

とりあえずこれ以上考えないようにしながら窓の外へと目を向けた。ひぇ、高い。思ったより高かった所為か、不意に高所への恐怖が鎌首をもたげる。

「高っ……」

思わず口に出してしまった。けれど同時に恐怖心とは別に生まれたもうひとつの感情が私の心を支配する。先程までは無かった感情。私は、この夜空をとても美しいと思ったのである。爆豪さんが私の声に反応し、僅かに瞳を外へ向けている。

「あぁ?……こんなん大したことねえだろ。」
「下覗いてみたら意外と高くて、つい。」
「アホか。」

変わらず手厳しい言葉を投げてくる彼だが、その声はやはりどこか柔らかい。ここまで爆豪さんと親しくなる時が来るなんて少し前の出来事を考えると、ありえない事象にも程がある。再び視線をゴンドラ内へと戻す。彼の後方には大きな月が出ていた。爆豪さんの髪の毛と同じ色をした月にも、今なら手が届きそうだ。


途切れた会話をもう一度繋ぐように。私はぽつり「もうすぐ、地上ですね。」とだけ呟いた。爆豪さんは一瞬鋭い眼差しをした後に顔色変えず「言いたいことがあんならさっさと言え。」と返してくる。私が僅かに含んだ間から、何かしら他に意図があることを察したらしい。本当に鋭いな、この人。

「今日はありがとう。」

要は漸く素直にお礼を言う気になれたのが、今というだけの話である。しかし改まって口に出してみると、思いの外気恥ずかしくて我ながら驚いた。無論今日だけが別に特別な訳じゃない。が、今までの逢瀬がとんでもない雰囲気で進行していたからか、相対的に今日が素晴らしい一日に見えたというのもきっとまた事実だ。

観覧車の乗り場が眼下に見えてくる。暗がりに浮かぶオーナメントで飾り立てられたそこを、眩しいと思うことはもう無かった。今日に関しては彼の強さに救われたような気がする。

ゴンドラから出ようとした時、先にステップを降りた爆豪さんがちらりと一瞬振り向く。先刻転び掛けた私をどうやら気遣ってくれているらしい。大丈夫だ、と手振りだけで伝えると彼はそのままふい、と再び前を向いた。

現状少し高い位置から爆豪さんを見下ろしている、という状況。以前少し調べたのだがヒーローとしての爆豪さんのコスチュームはまさに人間榴弾とでも言うような出で立ちで、いかにもらしいな、と感じたのだが、今日の私服を見てもまあやっぱり彼“らしい“と感じる。カーキのMA-1に、臙脂のフライトタグなんて本当にまんまじゃない?……って本人に言っても今更何だって返されそうだけど。

私には無いあの強さと輝きが、私には少し羨ましい。そんなことをふと、前を歩く背中を見て思う。彼はこちらを振り向くことなく歩いていて、時計を見ると時刻はもうすぐ20時になろうとしていた。そうなればもう時期終わりの時間はやってくるだろう。



「あの、爆豪さん。」

私は敢えて歩く速度を落としてくれている爆豪さんの背中に声をかけた。遊園地の入り口までは数十メートルといったところか。ゆっくり振り向いてくる爆豪さんに向けてそのまま「ここまでで良いです。」と告げる。

「あ?何言ってやがる。」

私の言葉に際し、彼は切長の瞳を僅かに見開いた。その眉間には皺が寄っており、私の発言を如何にも疑っているような表情だ。見るに、もしかして送らないという選択肢を爆豪さんのことだから持ち合わせていなかったのかもしれない。

今日は買取の日だ。買取は最後、店に戻らなくてはならないという決まりがある。けれど私は続けてあとは一人で店まで帰れますから。と、謙遜でもない事実のみを告げた。実際彼に送って貰うよりも、ここで解散にした方が都合が良かったのである。
だから、提案した。都合というのは帰りも一緒で気まずいとかそういう理由では無く、至って個人的な理由だったけど。

しかし断られる理由もないだろう。
爆豪さんだってわざわざ遊園地からそれなりに遠い店まで一緒に戻るのは億劫だろうし。少なくとも私はそうたかを括っていた。……彼に腕を掴まれるまでは。

「……え、」

驚いて咄嗟に身を翻しても、距離が取れることは無く。軽く引いたくらいじゃびくともしない。そういえば以前もこんな場面があった気がする。突然なんですか、その一言さえ切り出せず頭にすっかり“?”を浮かべたまま停止する私。対して爆豪さんはそんな私を見て小さくため息を吐く。

「何勝手に帰ろうとしてんだ。」
「勝手に、って」

今度は私が眉間に皺を作る番だった。



「もう帰らないと駄目でしょ。」
「ハァ?まだ時間あんだろ。」
「いやいやもう20時ですよ、20時!」

彼は一体何を言っているのだろう。さも当然だと言わんばかりの雰囲気で返ってきた返答に、私は思わず目を剥いた。

いや、まだ時間あるだろと言われましても。正直どれだけ頭を回しても、時間がまだあるようには思えないのだけど。もしかして約束時間を過ぎる前提で話されてるのだろうか。でも爆豪さんに限って、そんなこと。
冗談を言っているようには到底見えない目の前の顔。爆豪さんは尚も眉間に皺を寄せてこちらを睨んでいる。さっきまでの柔らかな雰囲気がまるで嘘のようだ。

「ここからお店まで戻ったら丁度時間になっちゃいますよ……?」

けれど私だって時間は譲れない。仮に延長する気ならきちんと延長料金をもらわないと。後々お店から注意を受けるのは私なのだ。
恐る恐る問い掛けてみると刹那爆豪さんが食い気味に「だァからまだ時間じゃねぇ」と呟く。明らかに苛立ちを感じさせる声色。最早そこまで彼が頑なになる理由が私にはわからない。びくりと肩を震わせたその時、不意に爆豪さんがそこで何故か言葉を止めた。

「……」
「………爆豪さん?」

それはまるで、何かに気づいたような表情だった。
私は以前より爆豪さんの顔色を見て、何を考えているのか少し理解出来るようになっていた。だから、何となく私たちの理解の間に乖離が起きているであろうことは分かっていた、のだが。

先程まで何も言わなかったはずの瞳が、じっと私の目を見つめてくる。腕はいつの間にか解放されていた。だとして、見つめられてしまうと自身がカエルにでもなってしまったのかと思うほどに動けなくなるのは以前から変わらなくて。心のどこか私はきっと彼のことを捕食者として見ているからなのかもしれない。

ところで微細な顔色の変化である程度その人の思考を読み取ることが出来るのは私達のような人間ならではの特技だと思っている。今しがた起きた爆豪さんの顔色の変化は、彼と接した中で幾度も現れた既視感のあるものだった。いっそ私の勘違いなら良かったのに。けど、こういう時に限って私の予想は当たるのだ。

彼があの表情をする時は、私にとって良くないことが起きる前兆だったりするのである。

「おい」
「……なに、」
「予約時間、確認しろ。」
「なんで」
「いーから早よしろや。」

言われるがままに、仕方なくスマホを開く。確か一昨日辺りにメールが来ていたような。いくらか遡って、お目当てのメールを表示。彼の言っていた予約時間へと目を向ける。そこには確かに13時〜9時の記載がされていた。

「ほら、21時じゃないですか。」
「21時なんて何処に書いてあんだよ。」
「だから、此処にーー、」

その瞬間、もしかして自分はとんでもない勘違いをしていたんじゃないか、と気が付いた。爆豪さんも私の言葉が急に途切れたことで察したのか、「っぱな、そういうこったろーと思ったわ。」と嫌な笑みを浮かべ始める。

気付いてからはもう駄目で。完全に帰るモードに気持ちが切り替わっていたところに、これは無い。神様酷すぎる。どうか、嘘だと言ってくれないだろうか。そんな願いを込めて爆豪さんを見つめるが、その口から私の望む答えが返ってくることは無く。

「流石に嘘ですよね?誤字ですよね、これ。」
「な訳ねーだろうが、いい加減腹括れ。」
「だってそんな、9時って、まさか、」

淡い期待を打ち砕くのは、いつだってこの人だ。彼は鋭い犬歯を僅かに覗かせ笑っていた。あぁ、いつもの笑みだ。あの笑みを見てしまったら、私はもう逃げられない。逃げられないのに。


「終わんなくて残念だったな。」

心底愉しそうな声色。爆豪さんが囁いてくるのは最早手馴れた死刑宣告だ。まだ、終われない。その言葉がぐるぐると浸透していく。刹那、ふと気が遠くなって足から力が抜けた。
今日が終わるはずだった時間はもうすぐそこなのに。実際はまだまだ終わりの時間は訪れないという事実をこれでもかと実感させてくる。これは、一体何の嫌がらせだ。

「明日の朝9時までって、ことですか。」


今までも長かったけど今日が一番絶望したかもしれない。だってまさか12時間以上の予約になってたなんて、思ってもみなかったんだから。

でも、ありえないことを平然とやって退けるのもまた爆豪勝己という男だった。一体何十万払ったの、とかなんでそこまで、とか。幾度となく浮かんだ疑問も結局のところ彼に取って大した問題では無いのだろう。


「ちなみにこの後って……」
「ンなの、決まってんだろ。」

その時遊園地の閉園時間になったのか、スピーカーから大音量でほたるの光が流れ始めた。私もここで終われたら良かったのだが、どうやらこの後はホテル直行抱き潰しエンドが待ち構えているらしい。王子様は勿論、彼一択。生憎私には異論も、拒絶も許されていないようだ。

「精々楽しませてくれんだよなァ、名前チャン?」

背中を嫌な汗が伝っていく。ここまで来るともう客と嬢という関係だけには収められないのだと、気付いてしまった。その瞬間から源氏名の存在は終わりを告げる。そしてその後に残るのは、源氏名より可愛げがなくて積極的じゃない “私” の方。

道のり辿って此処までおいで

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