/ / / /





ちょうど幼稚園ぐらいの年頃だろうか。一人の女の子が買ってもらったばかりであろうクレープを片手に横を走り抜けていく。慌ただしく走って行った先には、女の子に似た目元をした女性が一人佇んでいた。

「ママ!」
「おかえりなさい。買ってもらえて良かったね、名前ちゃん。」

女性は少女を抱えると、ベンチから立ち上がる。名前ちゃんと呼ばれた少女は、呼び掛けに元気よく「うん!」と返した。クレープを買ったのは彼女の後方でにこやかな笑みを浮かべた父親らしき男性だということに、果たしてこの場に居る何人の人間が気付いているのだろうか。

その様をただじっと見つめていた私を残して、やがて二人はメリーゴーランドの列へと消えていく。少しして、その後を少女の可愛らしいカバンを引っさげた男性がのんびりと笑みを浮かべついて行った。
幸せそうな家族連れが視界から消えて、数分後。なんとも言えない憧憬と、変わらず眉間にシワの寄った爆豪さんだけがこの場には取り残されている。

「なんつー顔しとんだ。」
「……え、そんな顔してました?」
「クソブッサイクな顔になっとるわ。」
「ブサイクって。もうちょっとこう、言い方ってものが」
「事実だろうが。」

そう言って、爆豪さんは鼻で笑った。




冬を間近に控えた、週末。あまりの人の多さに思わず目が回りそうになる。家族連れやらカップルやら、学生の仲良しグループの楽しげな声に溢れているここは遊園地だ。私は現在、爆豪さんに連れられて遊園地に来るという偉業を成していた。無論金銭の絡まない用事では無く、今日も今日とて買取の一環で、この場所を訪れることになったのがおよそ2時間も前のことだった。

先刻通り過ぎて行った女の子の名前が私と同じ名前だったからなのか、彼女の笑顔が妙に昔の記憶を呼び起こして重い気分になっていた私を、爆豪さんの容赦ない一言が途端に現実に引き戻す。お客さんにブサイク、なんて随分酷い言葉を掛けられたのは別にこれが初めてじゃない。とはいえこんな雰囲気で、揶揄うように言われるのは初めてのことだ。そのブサイク相手に数十万叩いたのは一体何処のどちら様なんでしょうね、と言い返したくなって、止める。幸いにもそれ以上あの家族連れのことを考えることが無くなったので、全ては結果オーライだと思うことにした。

「ンで、どーすんだ。」
「……え?」
「え、じゃねェわ。次何処行くんだって聞いてんだよ。」
「あぁ、そういう。それはありがとうございます。」

突然話を振られて何事かと振り向けば、カラフルなパラソルの下、眉根を釣り上げた爆豪さんがこちらを怪訝な表情で見ている。危うく忘れ掛けていたのだが、爆豪さんとの買取デートの真っ只中であることをその瞬間思い出す。
デートって、私達を形容する言葉としてはどうにも似合わない。そう考えてしまう理由は、爆豪さんが私に求めているものを未だに私が正確に把握出来ていないからだろう。通常は恋人らしく見えるよう買取の時はさも甘く振る舞うようにしている私だが、そんなことを彼相手にしようものならば、次の瞬間爆豪さんに「キメェ」なんて言葉と共に一蹴されてしまうことは、想像に難くない。

結局源氏名の仮面を僅かに外した限りなく素に近い私の方が爆豪さんを相手にする時は楽ということに気がついた。そうですね、と暫し悩んだ後、遊園地の地図を取り出してある箇所を指差す。爆豪さんは私の指差した場所を見るなり「ガキの趣味だな」と小馬鹿にした態度を取った。

私が指したのは、所謂絶叫系の乗り物だった。男性の方が女性より絶叫系を苦手とする人が多いのだと聞いたことがある。もしかしてあまり乗り気じゃないのだろうか。

「ごめんなさい、こういうの苦手ですか?」
「あ?……ンな訳ねェだろうが、余裕に決まっとるわ!!」
「無理強いはダメかと思ったので、一応聞いておこうかなって。」
「テメェがこの俺に気遣いなんざ百万年早ェんだよクソ!」

けれどあくまで自然に聞いたところで爆豪さんが余計にキレる事態を引き起こすだけにしかならない様で。途端乗り殺したらァ!と聞き慣れないフレーズを吐き出し、彼がおもむろに立ち上がる。戸惑う私を尻目に息巻いて爆豪さんがこちらを振り向くが、……うわぁ、すごい顔。折角の顔立ちも、あそこまでつり上がってしまうと最早別人に見えるものらしい。地雷を踏み抜いてしまったと気付くのに、時間は掛からなかった。







ーーーーーーーーーー

幼い頃、私は家族としょっちゅうこの遊園地に来ていた。それは自身の記憶でもあるし、物心つく前の、両親が撮ってくれたアルバムの中にもある。
待ち合わせ直後、爆豪さんから行きたいところを言えと言われて咄嗟に出たのが此処だった。そういえばその時も爆豪さんはガキか、って笑ってたっけ。

昔は到底乗れるはずがないと思っていたジェットコースターも、いざ乗ってしまえば思ったより大したことは無く。あんまり叫ばないようにしなきゃ、なんて決意も杞憂だったかなと独りごちる。爆豪さんも特段問題は無かったのか、終始顔色ひとつ変えずにいた。最初に言っていた通りきっと強いのだろう。……ヒーローにとってジェットコースターの刺激くらいは日常茶飯事ということなのかもしれないけれど。

「爆豪さん、凄いですね。本当に声一つ上げないなんて。」
「だァから言ったろ、こんくらい余裕だってよ。」
「流石プロヒーロー。」
「一般人と一緒にすんじゃねぇ。ーーて、オイ前!」
「確かにそれもそう……え?あっ、」
「テメ……ッ、」

前を見て歩かないと危ないというのは今どき小学生でも知っていることだと思う。のだが、何故か今の私にはそんな簡単なことさえ頭から抜けてしまっているようで。
コースターを降りて歩き出したのもつかの間、背後に居た爆豪さんの方を振り返りながら喋っていたら、不意に突然の浮遊感。あれ?と思った時には身体がバランスを崩していく。階段に気づかず転ぶ(というより最早落ちる)のなんて何時ぶりかな。悠長に考えてる暇なんて本来は無いはずなのに、それでもそんな思考が出来たのは、多分。珍しく焦った顔で爆豪さんが手を伸ばしてくるのを現在進行形で目撃しているからだ。


「ありがーー、」
「ッぶねェな、前見て歩けや!」
「ご、ごめんなさい……。」

階段を踏み外して転落直前の私を助けてくれたのは、言わずもがな爆豪さんだった。それに関しては流石の身体能力と言わざるを得ない。咄嗟に伸ばした腕を見事に取って自分の方へと引き寄せた彼の胸は相変わらず男性らしい、というかヒーローらしくがっしりとしている。心音は思ったより早く脈打っていた。先程の表情と心音からして、それなりに焦ってくれているようだ。
そりゃそうか。目の前で大怪我に繋がりかねない出来事が起きれば誰だって取り乱すに決まってる。

「オイ、怪我は。」
「おかげさまで全く。」
「おかげさまじゃねぇわ、テメェ本当に分かってんだろうな?」
「……え?」
「気ィ付けて歩けっつっとんだ!」
「うぁ、すみません。」

そう言って爆豪さんは私の腕を離した。思ったより盛大に怒られて、私の方はと言えば完全に呆気に取られた顔を晒してしまっていた。何故か物凄い怒られたんですが。お陰様で怪我も無かったし、そもそもせいぜい5.6段くらいの階段から落ちたところでよっぽどの事がない限り命の危険は無いと思うのだが、そこまで怒るほどのことだったのだろうか。あぁ、でも確かに買取中の嬢が怪我なんかして帰ろうものなら、爆豪さんも私も店から相応のペナルティを受けるかもしれないな。それは本人にとっても不本意なことだろう。

「すみません、気を付けます。」
「次は助けねェぞ。」
「いいんですか?ヒーローなのにそんなこと言って。」
「嫌なら死ぬ気で気ィ付けろアホ。」
「……、はい。」

次なんて言葉が出るということは、少なくともまだ関係を終わらせる気は無い、という意味になる。

キツい言葉尻なのに、所々声色が以前より柔らかいと感じたのは何故なのか。私は全てに異変を感じておきながら、それら全てに見て見ぬふりをしていると思う。知ってしまったら辛くなるのは自分の方だと、何となく理解していたから。


時刻は19時を回ろうとしている。買取の終わる時刻は21時で移動の時間等を考慮すると最後にあと一つ何かに乗って丁度終了になるような頃合だ。そういえば結局爆豪さんはほぼ一日私の要望に付き合うだけ付き合ってくれて、やっぱり見掛けに寄らず優しいんだよなぁと再認識させられる。もしも許されるならば、最後にもうひとつだけわがままを言ってもいいだろうか。

「爆豪さん、爆豪さん。」
「あ?」
「最後、あれ乗りませんか。」

高いところが苦手でなければ。とつけ足して指し示したのは観覧車。家族で乗った、思い出の観覧車である。爆豪さんは一瞬眉を顰めたが直ぐにいつもの仏頂面に戻って「早よ行くぞ」と呟いた。どうやら承諾して貰えたようだ。


ステップバイステップ

- ナノ -