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好奇心猫を殺す、とはよく言ったものだ。


「…………。」

暗い部屋。時刻は0時過ぎ。帰宅するなり着替えもせず、私はスマホの画面を眺めて立ち尽くす。暗がりに映る彼の姿は、やっぱりその髪色と相まって月のように輝いていて。嘘だ、と気が付けばそんな言葉が口から零れ出ていた。

とあるニュースの記事である。私にとっては住む世界も次元もまるで違うような、そんな絵空事の話である。

つい先程検索して、そして気付いてしまったニュースの先頭には、大層目立つ赤文字で“ダイナマイト、白昼の確保劇!”という見出しが踊っていた。どうやらプロヒーローである大爆殺神ダイナマイトという人の活躍を、大々的に報道した記事のようだった。

見出しの下には長々とやれお手柄、だの華麗な手さばき、だのという解説が続き、そして複数の写真が散りばめられている。
丁度個性を放ち敵を制圧した瞬間を捉えたらしい写真が中央にあり、そこに写る見知った赤い瞳の男性が写真越しに私のことを睨んでいた。

仰々しい書き方だなぁ、と読んでいてふと思ってしまったのだが、まあそんなことは私の主観でありこの事態には全く関係ないので放っておくとして。

今一度写真を拡大して男性の顔を覗く。施されたマスクのお陰で若干分かりづらいが、その隙間から覗く勇猛な瞳に、私は残念ながら強烈な見覚えがあった。

現実味を帯びて這い寄ってくる予感。
これがもし、もしも本当にそうだとするなら。

「…………うそだ、」

無意識に、もう一度呟いた。スマホを持っていた方の手に力が入らなくなって、思わず地面に落としかける。あ、と間抜けな声が出てしまい、慌ててずり落ちたスマホを握ると、不意に弾みでひとつ隣にあった写真が画面いっぱいに拡大された。


「爆豪さん………」

まるで彼と瓜二つの顔がついているその男性は、ヒーローらしからぬ表情で、カメラに向けて中指を立てている。小見出しには「カメラに向けて威嚇するダイナマイト」の一文。どういう状況で撮られた写真なのかはよく分からない、けどまあこんなにニュースが出回っているということは良くも悪くも有名な人なんだろう。
私が知っている爆豪さんとは、やっぱり少し異なる表情と雰囲気だ。でも、何度見ても。私には彼が爆豪さんにしか見えなくて。
予感が確信に変わる。だって、ここまでそっくりな人を未だかつて私は見たことがないのだから。

深呼吸をひとつ落とした後、私はスマホを閉じた。そして、軽率に調べてしまった自分自身の行いに、酷く後悔した。




どうして調べようなどと思い立ったのか、それは本日の出勤時間まで遡る。今日もそれなりに長い勤務時間の中で、隙間に出来た空き時間を持て余していた時のこと。

「あ、」

いつものようにスマホが不意に明滅し、表示された名前に苦笑いを浮かべていた私に、ルナさんが話しかけてきたのは、偶然だった。

「どーしたの?」という在り来りな問いかけが飛んできて、私はそれに「いやぁ、姫予約がたった今来たんで………、」と答える。一見何の変哲もない会話。しかしとそこに何かしらの作用が働いたとするならば、姫予約を入れてきた張本人について、ルナさんにある程度察知されたことが関係しているのだろう。

肝心なところで感の鋭いルナさんが、案の定「もしかして、この前言ってた地雷の人?」と真剣そうな顔で聞いてくる。本当にこの人は鋭い。流石、ナンバーワンは伊達じゃないな、なんて考えた。
地雷と呼称されたことについて再度私は苦笑しながらも「そうです。」と返すと、彼女はたちまち含み笑いを浮かべる。下世話な感情というよりは単純な興味。もしくは年相応に他人の恋愛話が聞きたいとか、そんなところか。

一通り隠すべき事象とルナさんに話すことを出し終えたところで、不意にその時はやってくる。
お気に入りのお菓子を一つ手に取り、相槌を打っていたルナさんがそういえば、と宙を仰いで「なんの仕事してるんだろね?その物好きさんは。」なんて気まぐれに呟いたのだ。

「仕事……」

「気にならない?」

ベリールージュもさっきの予約で3回目でしょ?なんて続けながら、ルナさんが言う。言われてからそういえばと私自身も気が付いた。同時に、やっぱり私は何も彼のことを知らないんだなと思い知る。

リ・ルージュは一応高級店に区分けされる店舗である。そんな店で一番長いベリールージュコースをトータル3回、比較的短いスパンで入れてくる客となると……、金銭面にとても余裕のある人、ということになるんだけど。

爆豪さんって、何者なんだろう。

所詮は客と嬢という関係性に置いて、プライベートを知る必要なんてものはどこにも無いのだが。それでも何となく気になってしまった以上、その気持ちに蓋をすることは容易くなくて。

そこからのことは、想像に難くないだろう。たまたまあの夜、私と爆豪さんが初めて会った日に彼を部屋まで案内したというボーイが一人部屋に入ってきて、「そういえば、あの人どっかで見たことあるような気がするんだよね。」という一言を発したことも、多分背中を押したのだと思う。そして興味を持ち始めてしまった彼らの手によって、とあるプロヒーローの名前が壇上に上がってしまったのは、あながち必然だったのかもしれない。


「あ、思い出した。この人に似てるんだ。」

ほら、と画面を向けられる。そこには丁度爆豪さんと全く同じストロベリームーンの瞳、そして月色の髪をした男性が映っていた。一瞬にして目を奪われる光景。鼓動が止まってしまったんじゃないかと錯覚するくらいに、それはあまりにも衝撃的で。

「大爆殺神ダイナマイト……?」

「まあ、流石に本人じゃないと思うけど。」

でも似てない?とボーイが続ける。私の方はといえば、言われた言葉が何も頭に入ってこない状況だったが、それでも頷くことすら出来ずただただそこに表示されている人物と、その名前を見つめることしか出来なかった。ダイナマイト、ビルボードチャートに名を連ねるプロヒーロー。初めて見る名前だ、でも私はこの人のことを良く、良く知っている。







ーーーーーーーーーーーー

後日。今日は出勤もなく穏やかな一日になりそう。とそんなことを思ったのは最早数日も前のこと。現在私は都内のとあるビルの前に来ている。派手な看板も何も無く一見すると普通のオフィスビルに見えるそこは、ネットで調べたあるヒーローの事務所がある場所だった。

通りを車が勢いよく走り去っていく。呆けた頭を不意に遠くで鳴るクラクションが現実へと途端に引き戻す。ビルの入口はもう目の前で、一階が件の事務所になっているということを私は既に把握していた。把握したうえで、その場から動けなくなっているだけなのだが。


あれから、夜まともに眠れないまま朝を迎えた。

朝になって、まだ彼のことを考えて。どんな感情が自分の中に蠢いているのか、それに気付くことも出来ずただ困惑して。そして自然と足が向いたのがこの場所である。
一体何をやっているんだと、一昔前の私ならきっと自分自身を罵倒するだろう。いや、今でも有り得ないでしょ、とは思ってるけれども。でも、ハッキリさせないとこれ以上彼の指名を受けられないと、そんな風に心のうちのどこか無意識の部分で思ったからこそ、ここに来ているんだと思う。

ダイナマイトというヒーローは調べる限りでは相当な有名人のようで。都内の一等地に事務所を構えて日々ヒーローとして活躍しているらしい。その活躍振りはまさに破竹の勢いと称され今最もアツいヒーローの一人だとかそんな仰々しい言葉がネットの隅に書かれている。持て囃され方が些か大袈裟な気がしなくもないが、まあ凡そ有名人であることに変わりは無いようだ。



スマホの電源を落としながら、辺りを見回す。平日の真昼間だからか人通りは少ない。これはある意味私にとって好都合で、恐る恐る事務所に近付いて中の様子を伺う。ブラインドが開いているお陰で容易く確認することが出来たそこに、人影はほとんど見えない。

人気ヒーローなのに事務員とか居ないの?なんて思いながら目を凝らす。するとその時、扉の奥から大股で歩いてくる人影が目に入った。


「あっ、」

見覚えのあるシルエットを見つけた瞬間に、声が出たのは無意識だ。その姿を視界に収めた傍から何故か間抜けな声が零れた。意識していなかったから驚いたとかそういうものではなかった。

ただ、何となく信じたくない自分がいて、だからこそある程度想定していた通りの出来事が起きてしまったことについて行けなかったんだろう。

ブラインドの隙間から、かの人物を目で追っていく。彼は不機嫌そうにスマホを耳に当てて何か話をしているようだ。素振りからして電話だろう。途端に脳内で再生されるあの人の声が煩わしくなって、思わず窓ガラスから目を離した。

やっぱり、どこからどう見ても爆豪さんだ。


気付いてしまえば後は転がり落ちるよりも早くて。点と点がひとつの形を成していく。言葉には言い表せない重苦しい何かが胸につっかえて、昨日からずっと消えてくれない。

いつも顔を隠すようなアイテムを身につけていたのも、無駄に器用なのも、私に触れた手のひらが、暖かくて大きくて、傷だらけだったことも。全部、全部そういうことだったの……?

「っ、」

不思議だ。私、今取り繕えないくらい戸惑ってる。何にだろうか、いや言わなくても本当は分かっている。他でもない爆豪さんにだ。

ああそういえば爆豪さんから予約について連絡もらってたのに、全然返してなかった。
スマホを何の気なしに覗くと、そこには真新しいメッセージが2件入っている。どちらも彼からのメッセージで、「オイ」「返事」と短く怒りを感じさせるものだった。
一体いつの間に送ってきたのか、見れば丁度数分前を示しているタイムスタンプ。嘘でしょ、幾度目になるか分からない言葉が漏れる。

速攻で既読にしてしまったという事実にすら気付かず動けなくなった私を尻目に、通りには相変わらず喧しげに車の往来が続いている。一刻も早くここから立ち去りたいと頭では考えているのに、足は一向に動いてくれない。

もう色々キャパオーバーだ。早く帰らなきゃ。明日だって仕事なのだから。自分への言い訳が一通り完了した後、ようやく何とか歩けるようになった足で事務所から離れる。しかし、行動するにはもう既に何もかもが遅すぎたみたいで。

その時まるで行かせないとでも言うかのように、手元のスマホが振動した。


着信 “爆豪 勝己”

ああもう、本当、最悪だ。


全てはジレンマの海の向こう
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