毎秒一幅の心情

「ワリィ、なまえ……」


コスチュームが焦げたのだと、テレビの向こうに現在進行形で映ったトップヒーローがある場所へと電話を掛けている。舞台は丁度ヴィランとの激しい戦闘を終えた撤収作業ど真ん中で、幸いにも重傷者などを出さずに鎮圧したらしいヒーロー達が忙しなく受け渡しや現場保持に勤しんでいる最中だ。

華々しい勝利とは裏腹に、最近コスチュームを新調し益々の目覚しい活躍ぶりを披露しているヒーロー・ショートが画面の端でこの世の終わりのような顔を披露しているということなど知る由もなく、中継画面は次々に切り替わっていく。

左上半身の布がほぼ全て吹き飛んで、ただ羽織っているだけになってしまった哀れなトップヒーローが電話を掛けた相手が誰なのかなんて、あの場にいる関係者は愚かお茶の間さえも、きっと誰も気づかない、それは果たして幸運なことなのか、否か。

かれこれ入社後幾度目かの冬の出来事。
電話を受けた張本人こと、私名字なまえは未だ誰にも語れない想いを抱えながら。
電話を切ることすら忘れて、青ざめた顔のままオフィスを飛び出した。




「しょっ、………っと、轟さん!!」

「なまえ………、」

見知った人物が喧騒の渦中にポツリと突っ立っている。傍から見ればまさに呆然、とでも言うような風貌でひたすらに立ち尽くすその人の名前は、轟焦凍。飛ぶ鳥を落とす勢いのヒーロービルボード上位ランカーであり個性も強力、オマケに非の打ち所が無いような整った顏の持ち主でもあるという絵に書いたようなトップヒーローだ。

先刻危うく公衆の面前で“焦凍くん”と呼んでしまいそうになって押しとどめた言葉を飲み込み、駆け足で焦凍くんに近付く。彼は私が駆け寄ってくるのに気付いたと同時に、みるみるその整った唇の端を震わせて泣きそうな顔でこちらに視線を向けた。

「なまえ……?来てくれたんだな……。」

「お怪我は!?」

擦り傷と煤で見るも無惨な状態になったコスチュームと焦凍くんの顔を交互に見遣りながら、持参した仮のコスチュームを手渡す。

一体何があったらこんな酷い有様になるのだろう。まるで検討がつかなかったが、とにかくそんなことよりも私の心配は彼の怪我の有無、ただそれだけだった。
一見重傷そうな怪我は無いように見えるけど…。
でも、もし酷い怪我をしていたらどうしよう。

「歩けますか?」

居ても経ってもいられずに飛び出してきた身ではあるが、念の為オフィシャル用の態度を取り繕って具合を伺うと、焦凍くんは頭を振った。


「え?……あ、あぁ。とりあえず大きな怪我はしてねぇ。それより………なまえ、その…」

「っ、良かった……、タクシー拾います。」


人前であることを忘れて、思わず私は無事でよかった、と本人にしか聞こえない程度の声で呟いた。彼の様子を見るに、どうやら怪我はさほど酷くは無いようだ。ああ、良かった。寧ろちょっとした火傷くらいしか作ってこなかった焦凍くんは、本当流石プロヒーローとしか言いようがないな。

とは言っても、だ。


(無傷、とは言い難い……よね。)

良く見れば見るほど、焦凍くんの格好はとんでもないことになっている。あれだけ融点の高い素材と耐火素材を組み合わせた力作だったのに……。
それほど苦しい戦いが繰り広げられていたのだろうか、それを考えればコスチュームがほぼ全壊したくらいで済んだのは、寧ろ幸運だったのかも。

まあ考えても、起きてしまったことは今更仕方ない、今は兎も角早く事務所に連れていく方が先決だろうし。俯いてズタボロの焦凍くんの手を引いて人目につきづらい路地まで連れていく。歩きながらタクシー予約アプリを起動して配車予約をすると、画面には“到着まで5分程度”と表示されていた。

……タクシー配車アプリ、入れといて正解だったな。







ーーーーーーーーーーーーーー

混雑を掻き分けて現れたタクシーに乗り逃げるように事務所へとようやくたどり着いたその頃。

お忍びで幾度か来た焦凍くんの事務所は、何時来ても人の気配が感じられない。事務の人が数人いる程度だという殺風景な事務所の通路を足早に抜ける。彼をいつまでもああしておく訳にもいかないので着替えを促した後、私は見慣れた焦凍くんのデスクへと駆け寄った。

「ええと、仕様書……どこに置いてるんだろう。」

オフィスより彼の事務所の方が近かったからとりあえず少しでも野次馬の目を避けたくて深く考えずにここへ来てしまったけれど。そういえば再調整に必要なツールを一切持っていなかったことに、はたと気づく。
焦凍くんのこととなると途端に平常じゃいられなくなってしまう所は私の悪い癖だ。
いやもうほんと、一年前から何も変わってないな。

今回のコスチュームはほぼ全壊に匹敵する損壊振りなので完璧な仕様書がないと再発注はほぼ不可能だというのに。そういえば新コスチューム納品してからもう一年近く経つしサイズ調整も多少必要になるかもしれない。

(まあ、でも心配だったししょうがないよね。)

飛び出してきてしまったことに若干の後悔を感じつつ、再び力を入れてデスク周りを漁った。


「断面から損壊状況調べてみないとダメかもなぁ、あ、そうだ部長に連絡しておかなきゃ。」

「悪い、終わった。」

「お疲れ様……、」

デスク周りで独り言を呟きながら、先程見つけたばかりの仕様書を眺める私の背中に、暗い声色で焦凍くんが近寄ってくる。
背後から聞こえた声は随分と重い声だった。何処か具合でも悪いのかな?やっぱり先に病院に連れていくべきだったのだろうか。

声につられて振り向くとそこには、

「ーーーな、……ぁっ…!」

「すげぇボロボロにしちまった。」

悪い、とまるでこの世の終わりでも迎えているかのような声色で、背後で焦凍くんが項垂れているのが見える。その手には最早衣服であるという面影すらなくなったコスチュームが握られていて。
改めて見てもやっぱり凄いな、これがヒーローの本気かぁ…などと見当違いな感想を思い描いてから、私はややあって事の重大さに気付いた。


「なあ、これ直せるか?」

「待って…、なんで何も着てないの…?」

声につられ振り向いたその目に飛び込んできたのは驚く程に引き締められた腹筋と、憂い顔。あまりの光景に意味も分からず瞠目した私の傍まで彼は躊躇いもなく近寄ってくる。途端に慌てふためく私と言ったら、やっぱり一年前から何も変わっちゃいない。まあこの状況じゃそれも無理もないような気がするけど。

だって好きな人が、半裸で後ろに立ってるなんて状況、想像出来るはずないがでしょう。
というか確かに脱いでとは言ったけど……だからってなんで何も身につけていないのこの人は!


「作り直しになるんじゃねえのか?」と意図が理解出来ていないと言う風に小首を傾げる焦凍くんに「もちろん作り直すけど、そもそもあれは別の服に着替えてきてって意味で、上半身裸で出てきてって意味じゃ…」とそのまま返す。それでも以前状況は変わりなく、目のやり場がみるみるうちに無くなっていった。

上を着てください、とお願いしようにも、肝心の焦凍くんはどこか上の空で話を聞いているんだか、いないんだかよく分からない顔してるし。


「とりあえず上着てくれると助かります。」

結局狼狽えるしか出来ない。顔をなるべく向けないようにして誤魔化しながら苦し紛れに机の上のボールペンと書きかけの報告書に触れた。目は逸らしたままに、ペンの痕を辿る。焦凍くんも報告書とか書くんだなぁ、というか、前から思ってたけど意外と綺麗な字を書くんだね。

ふと、事務所に差した夕日が陰った。
雲が覆ったとは違う雰囲気。すぐそばで人の気配が揺らめいて、私は瞬時に理解する。

「なあ、」

「え、」

背後に立っているのが果たして誰なのかなんて。分からないはずがない。控えめに重ねられた手の持ち主だって一人しかいないし、そもそもこの場には私と彼しかいないのだ。じゃあ、重ねられた手の理由は一体。

「焦凍くん?どうしーーー、」

「悪い。」


まるで子供みたいな声だった。想定よりもいくらか静かな声が静まり返った部屋に響く。悪い、とだけ一言。消え入りそうに告げられたその言葉に、先程まであった羞恥心の全てが吹き飛んだ。意を決して顔を向けると、やっぱりというかなんというか想定通りの綺麗な顔が俯いている。効果音で言うならば、多分ずぅん…という音かしょぼん…っていう言葉が付きそうな、まさにそんな雰囲気だ。

「悪い。」

「…………?」

「なまえから貰った、初めてのコスチュームだったのに、原型留めねぇくらい……壊した。」


焦凍くんの目は変わらず私が預かっていたボロボロのコスチュームの方を向いていた。私にとっては何ら珍しくもないコスチュームの破損というただの事故だったのだが、しかしそれがどうやら彼にとっては意外にも想像以上に堪えていたらしい。


「私から……?」

「あぁ、去年のクリスマスだよな……丁度。」

「あ、そういうこと……そうだね。うん、そう……、でもそこまで気になる……?」

「あれは……繋がりだから。俺にとっては、大事な想い出だったんだ。」


繋がりと言った、その意図がようやく何となく分かった気がした。それと同時に、顔が瞬く間に緩んでしまいそうになっている自分に気付く。
あぁ、だからあの時……あんなに死にそうな顔をしていたのか。私が現場に到着した時何か言いたげな顔で押し黙っていたのは、きっとそういうことなんだろう。私にとっては本当に取るに足らないこと、それに対してこんなにも落ち込むなんて。

顔が緩んで抑えられそうにない。どちらかといえば彼が無事かどうか、それしかあの時の私は考えていなかったというのに。焦凍くんはそれでも私が作ったコスチュームの心配をしていた。……して、くれていたんだ。


「なまえ……?」

「えっ、」

「やっぱり、怒ってるか?」


きっと変な顔になってしまった私の心の奥には、気付いていないような、そんな雰囲気。俯いておかしな顔を隠そうとしたその行動を、どうやら彼は怒っていると感じたようだった、逆なのに。それがまたおかしくて。遂に堪えきれなかった笑いがくすりと零れる。

「ふっ、…!……怒ってるなんて……、そんな訳ないのに!」

嬉しいようなおかしいような。さっきまでの心配が嘘のように吹き飛ぶ。やっぱり焦凍くんは凄い人だ。あの一言だけで私のやる気を極限まで引き出せるのだから。


「怒るわけないよ……。」

重ねられた手を解いてから自身の方へと引き寄せる。今までは、きっとこんなことすら許される関係じゃなかったのに。それが、こんな風に触れられる時がくるなんて思いもしなかった。

テレビでよく見るようなヒーロー・ショートと、目の前に立ち尽くす彼の表情は、今はイコールで繋げないくらいにかけ離れている。でも、凛々しい横顔も、子供みたいにしょぼくれた眼差しも、全部同じ焦凍くんなのだ。


「いや、でも…あんなにしちまったんだぞ?」

「……あの壊し方は凄いなぁって確かに思った。」

「ならーー、」

「でもちゃんと、役目を果たしてくれた。」


もう一度机の上のコスチュームもどきを手に取って、広げてみせる。所々穴が空いてるけど、更に言うなら焦げて服の体を成してないけど。でも、その布に私たちの想い出は確かに詰まっていた。

だからこそ、こんなただの布切れにも、こんなにありがとうを言いたくなるんだと思う。


「焦凍くんを守ってくれたってことだから…、どちらかと言えば嬉しいの。」

「………そういうモン、か。」

こんなにボロボロになってまで私のコスチュームが頑張ってくれたんだ。そう考えると、まさにデザイナー冥利に尽きる、それ以外に表せない。


「デザイナーなんてみんなそんなものだよ。」

「あんなに壊されても大丈夫なのか?」

「正直無事でいてくれたことの方が重要かな…。」


私だけかもしれない。だとしてもこの気持ちは忘れちゃいけないと思うんだ。無事でいてくれてありがとう、素直に担当ヒーローにそう思うのは、デザイナーなら誰しもがきっと通る道なんだろう。

「無事でよかった。」

「……悪い、心配かけたよな。」

「うん、本当に心配した。」

「次は壊さねぇように気をつける。」


もう、この世の終わりを体現するかのようなあの声色はどこにもなかった。焦凍くんの顔付きはどこまでもヒーローだった。私の大切な人、そして大好きなヒーロー。まさに、そのままだ。

ああ、君を守れるなら、たとえ何度壊されても別に構わない。「壊れた数だけ、想い出になるかも。」だから少しだけ願ってみてもいいだろうか。

焦凍くんは少し押し黙った末に「そうかもな」とだけ呟き微笑んだ。それは空港でもう一度だけ巡り会えた時と同じ顔をしていた。やはり想い出は壊れるものじゃないのだろう。

「次も最高の状態で仕上げるから、待ってて。」

想い出は何度でも巡り会うものなのだと、それを教えてくれたのが君で良かった。私、君のデザイナーになれて良かった、と言うにはどうしても恥ずかしくてまだ覚悟が足りないけども。でも、伝わってるといいなぁ、なんて。

私より高い場所から声が降りて、不意に私の名前を呼ぶその声がただ嬉しい。すぐそばに焦凍くんがいると分かっていて、そちらへと身体を向ければ、案の定思いのほか近い彼の身体がある。

「わ、」

「ああ、待ってる。」

顎をひと掬い、そんな真似が出来るのもきっと焦凍くんだけだ。息の詰まるような表情でするりと撫でられた頬が熱を帯びた。これは、俗に言うキスというものだろうか。……多分そうだろうな、と頭の片隅で冷静さを保っている方の私が、客観的に状況を整理しているその中で、優しく、優しく羽根を降らすように唇が触れる。

後生大事に取っておいた(訳でもないけど)ファーストキス。レモン味などとよくよく喩えられるそれだけど、今の私にはレモン味だったと言えるほどの余裕なんてものはなくて。

「っ…………、」

「なまえ…?大丈夫か?」

何も言えなくなって咄嗟に俯いた私の顔を不安そうに覗き込む焦凍くんの眼差しが真っ直ぐに射抜いてくる。「 今は顔見ないで!」ともいえずに、ただひたすらに視線から逃げるように私は顔を逸らすしか出来なかった。

「だい、じょうぶ……」とてんで大丈夫ではない素振りで真っ赤になった顔を隠しながら、焦凍くんの様子を伺う。大丈夫と言ったところで、大丈夫じゃないことくらい伝わってるんだろうけど。


「もしかして、初めてか?」

「あ、う……彼氏はいたんだけど、キスするまで行かなくて……貴方が初めてです。」

これも想い出として積み重なっていくのかもしれない。そう思うととても擽ったい胸中だ。
焦凍くんが嬉しそうに笑いながら「じゃあなまえとのキスも大事にしねぇと」なんて呟くその傍で、私も赤い頬を隠すように笑った。

最初で最後のプレゼントになるはずだったコスチューム製作から、あのクリスマスからもう時期一年が経過する。まだまだ一緒に過ごした期間が長いとは言えないけど。それでもゆっくり二人で歩んでいけるなら、それも悪くない。

「さて、頑張って仕事しよ」

ひとつ増えた想い出を大事に収めてから着替えを取りにいった焦凍くんの後ろ姿を見送る。後ろ姿が廊下の先に消えたのを確認してから、私は仕様書へと手を伸ばした。

さて二代目コスチュームもクリスマスに間に合わせられるように頑張らないと。そうじゃないと申し訳が立たないよね。だって何を隠そう、私はトップヒーロー・ショートのデザイナーなんですから。

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