バイバイララバイ

小さな手提げにいくつかのお菓子と櫛、それから肝心な例のアレを詰めて目的地を目指す。彼の部屋はこの寮の最上階に位置しているので3つ上の階まで私は誰にも見つかってはならなかった。さて、行こう。そう覚悟を決めてエレベーターに素早く乗り込む。


目的の階が近づくにつれ、上がる心音と背筋を這う背徳感。早く着いて欲しい、バレたくない、ああでももしもみんなにバレてしまったらその後はどうしよう?……ふふふ、何故だろう。夜に独り、外出禁止の最中出歩いていることを考えると笑いが止まらなくなってしまった。

我ながら変なテンションになっているのは、自覚してる。

無事誰とも遭遇せず目的地の前にたどり着いた私は、扉をノックする前に一度深呼吸をした。ああ、どうしよう今日も来ちゃったよ、凄くドキドキする。やっぱり夜にこうして内緒で付き合ってる人の所に来ている状態が一層胸の高鳴りに拍車をかけているのかもしれない。

息を吸って、吐いて。そして控えめにノックを3回叩くと、しばらくして部屋の主がそっと扉を開き素早く私の手を引いた。

「わっ、」

私を部屋に引き入れたその人は、無言のまま扉を後ろ手に元どおりに閉める。張本人は、私を腕の中に閉じ込めてからは微動だにせずそのまま固まった。部屋の中に響くのは、ひたすらに沈黙。刹那、ばくんと一際大きな心音が鳴る。多分今の音バレただろうなぁ、ちょっと恥ずかしい。


「なまえ、」

「ひゃ…」

さっきまで無言だったから、唐突に彼の低い声に名前を呼ばれるとビックリしてしまう。耳元を擽る吐息がふわりと抜けていった瞬間、頬に熱が集中していくのが分かった。


「誰にも見られなかったか?」

「うん、平気。気をつけてきたから。」

「そうか。」

一言だけ呟いて、またも彼は黙ってしまった。焦凍くんの言わんとしていることは、何となくだけど分かる。本当にここへ来て良かったのか?そう聞きたいんだろう。


「明日の準備、全部済ませてきたよ。」

「……。」

「だから大丈夫。」


瞬きをゆっくりと2回、それから強請るような視線を向ける。覚悟なら出来てるよ焦凍くん、と声に出さずとも瞳で意思を伝えれば、焦凍くんはごくりと喉を鳴らした後「分かった」と小さく呟いた。




お布団が2名分ひかれた和室の奥に通される。繋がれた手は熱くて、そしてちょっとだけぎこちなかった。障子の先は真っ暗で、夜の帳が降りている。これから何をするのか……ああ考えただけで、たまらない。みんなに内緒で二人だけの秘め事。成熟しきらない心は所謂内緒、とか秘密、とかの言葉にめっぽう弱いのかもしれない。


「ちゃんと持ってきたか?」

「うん、あるよ。」

言われた通りに、持参した例のアレを袋ごと手渡す。焦凍くんはその中身を一目見て、「なまえらしいな」と笑った。それは人気のあまり品薄になった限定の色だった。綺麗なピンクと白のツートンカラーで、女の子らしいワンポイントが入っている特徴的なもので、私自身とても気に入っている。

焦凍くんの手に収まっているそれは、なんだかあまり彼のお顔には似合わない気がして、思わずくすくす笑えば焦凍くんはぽかんと口を開けて頭を傾げる。

部屋に二人きりなのに妙にマッチしないアンバランスな光景が、やけに面白くて仕方がない。


「急にどうした。」

「…いや、ごめん気にしないで。」


僅かに不思議な雰囲気が漂う室内。こそばゆいような、気恥しいような……とにかく無言でいると雰囲気に呑まれて照れてしまいそうで。自分からお願いしたんだから、ちゃんと向き合わないと。そんな簡単なことさえ分かっているのに、どうしよう行動に移せない。


「しねぇのか?」

黙りこくった私に痺れを切らしたのかは定かではない。しかしどことなく首を傾げながら不思議そうな顔をして手に持った例のアレを突き出し無言で催促してくる焦凍くん。胡座をかいて腰を下ろしている布団の傍らにはいつの間に用意したのか、私のとは色ちがいのものが置いてあった。青地に白のツートーンは焦凍くんの専用だ。

どうやら彼は既にやる気満々らしい。


「あ、はは…なんか、ちょっと恥ずかしくなっちゃって。」

「なまえから誘ったんだろ今日は。明日も早ぇんだから遅くならねぇうちの方がいい。」


そう言って距離を詰めてくる彼の整った顔が、今は私の余裕を奪っていく一番の原因となっていて。ひゃー、なんか改めて事実と向き合うと恥ずかしいな。私のも、全部見られる訳だし…。


「う、そうですね…。」

「ああ、いいか?」

覚悟って、決めるまでが大変だと思う。
でももうここまで来ちゃったし。

「お手柔らかに、お願いします。」

「分かった。」

なるべく優しくする。
今となっては信じられないその言葉、多分絶対手加減なんてしてくれないの、分かってるんだよ本当は。それでも今日も彼の元に来てしまうのは、紛れもなく二人きりの世界に流れるこの秘密の時間が、とてつもなく愛おしいからだ。






「ちょ、まっ、まって!!まっ、っあー!」



部屋に荒い息遣いがこだまする。よそ見をする余裕も息付く暇も、残念ながら先程から殆ど与えられていなかった。私はお気に入りのはずのツートーンコントローラーを割れんばかりに握りしめ、パニック状態で次々襲いかかるパズルを捌く。しかし焦凍くんの華麗なパズル捌きの前に、既に心は白旗を掲げる寸前で。無理、これは勝てない。やばい。消すのが早すぎる。5分前に言い放った絶対勝つ!宣言が途端に恥ずかしくなってきた。


軽快な音が鳴っている焦凍くんの画面とは打って変わって、私の画面には重苦しい落下音だけがずっと続いている。色だってほとんど揃えられていないのに、無慈悲にも上からどんどん降ってくる灰色のお邪魔石。優しくするって言ったのはやっぱり嘘だったのか……ってあっ、ちょ、これ以上は勘弁して!言ったそばからフィーバーでも無いのに7連鎖させるってどういう風にパズルを積んだらそんな芸当が出来るんだ!



「あっ、あっ…あぁあ!」

「こんなもんか?」

「まって、お願い…!本当!」

「耐えらんなかったら降参してもいいぞ。」

「絶対やだ!ってあーーーー、言ってる側から負けたぁ!」



呼吸も忘れて今度こそ勝つ為に頑張ってたのに…。努力の甲斐も虚しく、暗くなった画面に浮かぶばたんきゅーの文字が一層悲しみを倍増させた。これで通算7敗目である。ろくに抵抗できず負けた…まさに圧倒的な力でねじ伏せられたとしか言えないほどのボロ負けっぷりには流石の私も笑うしか無かった。…パズルゲーム、下手くそなんだよね。


あーもー、全然だめだった!

自他ともに認める負けず嫌いの私は大事にしている(はずの)コントローラーを控えめに布団の上に投げ出して、豪快に大の字で寝転がる。


なんでこんなことになったのか。今日だけは行けると思っていた私が馬鹿だったかなぁ。焦凍くん、優しくするって言ってたんだけどなぁ。あれは嘘だったんだな、きっと。


「ダメだ!何度やってもパズルゲームで焦凍くんに叶う気がしない!」

「やめるか?」

「いや!あともう一回だけお願い!」


次は勝ってみせるから!と息巻いて投げ出したコントローラーを取りに起き上がる。さっきはフィーバーに突入することも出来ずに負けた。それ即ち私の積み速度そのものが彼に負けているということだ。

判断力が劣っているがゆえの敗北。
失敗から分析を重ねて次に活かすのもヒーローとして必要なスキルだろう。次に繋げるためにも頭を下げて再戦を申し入れる。


「さっきの私よりも次の私の方が強いはずだから。」

「…さっきも今も同じなまえじゃねえのか?」

「そこは喩えというか、…更に向こうへというか。」

「色々あるんだな。」


私が弁解すると彼は特段気にした素振りもなく、隣にくっついてコントローラーを握り直した私の頭を一撫でした。

(うわぁ!)

彼は私といると今みたいに時々すごい柔らかい顔で微笑むことがある。そういう瞬間とか、たまにふわりと漂う甘酸っぱい空気とかがたまらなく幸せだと思う反面、やっぱりまだまだ慣れなくて。我ながら、挙動不審な声が我慢できたことを褒めて欲しい。

照れ隠しを兼ねて持ち込んだポッキーを口に咥える。開戦前に壁掛けの時計を見ると、時刻はもうすぐ23時。私が部屋に来てからそろそろ1時間が経過する頃だった。良い子は寝る時間だけど、私は良い子じゃないからまだ眠らなくてもいいよね?




焦凍くんと付き合い始めてからそろそろ3ヶ月が経過する今日この頃、対戦パズルゲームとか、格闘ゲームとか、無人島スローライフを楽しむゲームとか、果ては多人数鬼ごっこゲームなどで、夜な夜なお互いが寝落ちるまで遊び倒している日が随分と増えた。
焦凍くんが珍しくスマホのアプリでゲームをしてる所に出くわして、ゲーム好きなんだ…と知ったのが始まりである。

焦凍くんのやってるゲームがどうしても気になってインストールしてみたところ、直接本人から「今度俺の部屋で一緒にやるか?」との誘いを貰ったのだ。

そして始まった私達の新たな遊び。

出歩き禁止の時間帯に、内緒で付き合っている異性の部屋に遊びに行く、という禁忌を侵して勤しむ二人の秘密の時間に、私がハマらないはずもなく。


「もう無理、今日は諦める。はー、もー、手加減してって言ったのに。」

「手加減したらお前拗ねるだろ。で、次はどうするんだ?」

「拗ね、ないように努力します。たまには勝ちたいなぁ……あ、そうだ。私ハロウィン家具全部集めきったんだよね。焦凍くん良かったら私の島来てよ。」

「ああ、分かった。」


次はこれ、とディスクを差し替える。並んだ二つの布団の間は隙間無く埋められていて、寝返りを打ったならば、間違いなく綺麗な瞳いっぱいに自分が映るくらいのそんな距離だった。

甘いような、こそばゆい様な、宝物じみた時間が流れていく。


「カジキ…」

「えっ、カジキ?!」

「今釣れた。珍しい、のか?」

「すごいレアな魚だよ。私まだ釣ってないのに……いいなぁ。」

「欲しいならなまえにやる。」

「いや、自分で釣ることに意味があるから大丈夫。」


ヒーローコスチュームを模したデザインの服を着たキャラクターが画面内を縦横無尽に駆け回っていく。キャラクターの顔や髪型も私に似せて作ったので、傍から見れば私が走っているようだった。焦凍くんもおのずと私に習ってキャラクターを自分の分身みたく作ったようなので、まるで島の中でもカップルみたいだ。


(ゲーム好きカップルかあ、)

私達はヒーロー志望だけど、それ以前に立派な学生だ。一つや二つ、いやそれ以上の数多のやりたいことがあって、そして願望もある。だからこそ、こんな青春も悪くないなぁなんて。


笑みが溢れると同時に、焦凍くんから大きな欠伸が一つ飛び出した。そういえばさっきから瞼が結構重そうだった。遂に睡魔が忍び寄っているみたいだ。あふ、と小さく欠伸をする焦凍くんを見つめ、とりあえずその背に薄い掛け布団を一枚掛けてあげる。うつ伏せのまま、コントローラーを握るその手が力なく開かれていく中、私は耳元で小さく問いかけた。


「もうそろそろ寝る?」

「ん、まだ大丈夫だ。」

「でも結構全力で寝落ちそうだよ?」


早くも船を漕ぎ始めている彼、睫毛長くて羨ましいな…って見惚れてる場合じゃないね。何故かまだ寝ないと言い張る焦凍くんをとりあえず寝かしつけようと隣まで這い寄って、その顔を再度覗き込む。うわ、マジで寝落ちる5秒前じゃん。


「無理しないで寝ていいよ?」

「……、勿体ねぇ。」

「勿体ない?何が、」

「二人だけの時間つってもあんまねえから……勿体ねぇ。」

「え、」


そう言い残して、焦凍くんの瞼は遂にくっついた。寝息なのかそれともまだギリギリの瀬戸際で耐えているのかは私には分からなかったが、それでも陥落までは秒読み段階に入ったのだろう。

いや、そんなことよりも!
やばい思わずキュンとした。最後に半ば寝言みたいな形で言うなんて反則過ぎる。思ってもみなかったセリフと、普段より幼さを感じさせるうとうと顔に、私はノックアウト寸前だった。だってそんなこと言ってくれるだなんて思ってなかったし。


赤くなった顔を逸らしつつ、落ち着きを取り戻した辺りで再度顔を覗いてみると、彼は可愛い寝息と共にすっかり夢の世界に旅立っていた。やっぱり睡魔には勝てなかったようだ。

「おやすみ言えてなかったなぁ。」


まあ、いいか。また明日も会えるし。そもそも部屋に泊めてもらう覚悟で来ているし。君が先に眠ってしまっても、すぐまた夢で会えるだろうから。


「おやすみ焦凍くん。」

コントローラーから外れた手のひらに、控えめに自身の手を重ねる。布団の外に出された手は僅かに冷たかったが、次期に温かくなっていくだろう。

「また夢で。」


ゲームのセーブも忘れて、一緒に夢の世界へと下っていく。綺麗に並んだ布団に、思い思いに雑魚寝状態。こうやって夜中まで遊んで朝まで寝落ちるのも学生ならではの特権だよね。

次はまた夢で。
これがただの願いだったとしても、君の隣で眠る日は多分特別なんだと思う。だから今日はきっといい夢が見れるはず。

なんとなくだけど、そんな気がしたんだ。

「おやすみ。」

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