君と愛で方講座

「お待たせー。」


そう言ってキッチンから登場した女性の、にこやかに染められた笑顔に視線を向ける。手には大皿一杯に盛られたショートパスタと大きな牛塊肉のロースト。作るのに時間かかっちゃった、と少し申し訳無さそうに呟きながらクロスのひかれた大きなダイニングテーブルにその人は素早く皿を置く。これでテーブルの上はほぼ満員御礼で。彼女が作った料理の団員たちは誇らしげに食事の時間を待ち侘びていた。

広い部屋の、そのまた一角でこれまた大きな新調されたソファに思い思いに腰掛けていた僕達は互いに顔を見合わせ口々に思いの丈を言葉にする。


「わぁすご!なまえちゃんこれ全部作ったん?」

「久しぶりに皆が来てくれるって思ったら、なんか…力入っちゃった!」

「美味しそうだな!流石は名字くん、…いや…今はもう轟くんか?」

「まだややこしいから名字でいいよ、飯田くん。」


改めて呼ばれたことに照れたのか、轟くん、と呼ばれたその人は頬を僅かに染めて訂正した。
傍らには先週婚姻届を出したばかりの彼女のパートナーも、同じように微笑みながら寄り添っている。幸せそうだな、と傍から見ていてそう思った。付き合う前の二人のことを以前からよく知っていた僕達からすれば尚更のことなんだろう。


現在、僕達はクラスメイトである轟くんと、新婚ほやほやである彼の奥さんの家にお呼ばれしていた。新居のお披露目とお祝いを兼ねての集まりとして集まったのは僕と、麗日さんと蛙吹さんと飯田くんの4人。昔話に花を咲かせながら、勧められる通りに席に着く。



「さ、食べて食べて!」

「ありがとう名字さん。」


テーブルに着くとすぐさま名字さんからシルバーが差し出された。よく見れば柄の部分にワンポイントのマークが刻まれた揃いのカトラリーセットで。新築の家と相まって、それさえも微笑ましく見える。

出された料理は全て名字さんの手作りで。曰く久しぶりに会うから力が入ってしまったとのことだ。

テーブルの上にはざっと数えても7種類以上のおかずにオードブルにと鮮やかな食卓が広がっていた。これ全部名字さんの手作りかぁ。そう考えるとやっぱ凄いなあ。


「いただきまーす!」

「いただくわ、なまえちゃん。」


感謝を込め手を合わせて。はやる気持ちを抑えきれず、僕は未だ湯気の上がるローストへ手を伸ばした。


「美味しい…!」

なんだこれ!

本格的さに思わず目を剥く。じっくり蒸し焼きにされた為か肉汁が中に詰まって柔らかい。ここまでふっくらさせるにはきっと凄く時間がかかっただろうに。
手塩にかけたといっても過言ではない出来栄えに麗日さんも、あす…梅雨ちゃんも飯田くんも目を輝かせて料理に舌鼓を打っている。


「こっちのカレーもすごく美味しいよデクくん!」

「なまえちゃん、とても頑張ってくれたのね。」

「ローストもカレーも時間かけて調理したからね。喜んでもらえて良かった。」


クロスを絞りながら、キッチンカウンター越しに明るい声でそう話す名字さん。隣には何故か雛鳥よろしく轟くんがついていて、彼女の後片付けをじっと見守っていた。その行動については特に深い意味は無さそうに見えた。多分ただ傍にいたいだけ、なんだろう。

名字さんはそんな轟くんを見て苦笑いしながら「焦凍くんもご飯食べてていいよ。」とテーブルに着くよう促している。

これで全員テーブルに集まるかな。
と思ったのもつかの間。

素直に轟くんがテーブルに向かっていくのを名字さんはしばしの間静かに見届けた後、「さてちょっと失礼……、皆は気にせず寛いでて良いからね。」と呟いてから、そそくさと2階へ上がっていった。



「名字くんはどこへ行ったんだ?」

「ああ、まだ2階の片付けが済んでねぇんだと。」

「そうか、…忙しいのにすまないな。」

「気にすんな。アイツも久しぶりにお前らに会えて喜んでると思うぞ。」



どうやら引越し作業がまだ済んでいなかったらしい。1階が驚くほど綺麗だったから気付かなかったや。止まっていた手を動かして再度名字さんの言葉に甘えて食事を再開する。

あ、カレーも美味しい。


「このカレー、麗日さんが言ってた通り凄く本格的で美味しいね!…この匂い、ローレルかな?」

「ローレル?」

「ローレルは香草の一種で、カレーに入れて一緒に煮込むと牛肉の旨味を引き出してくれるんだ。」

「へぇ、詳しいな飯田。」


スプーンですくってみると、具材に混じって確かにローレルが入っている。煮込み時間も相まって、お店で出てきそうな本格的な味だ。轟くんも、あんな料理上手な奥さんがいると幸せだろうなあ。


「煮込みも完璧だし、お店で出せるレベルだよ!」

「私もそう思うわ。なまえちゃんってすごく料理上手だったのね。」


大絶賛の嵐が巻き起こる。本当にそれくらい美味しかった。スプーンを置いてこの場を離れた本人の代わりに轟くんに称賛の言葉を述べると、彼は動かしていた手を止めて瞬きを繰り返した。


「そんなにか。」

「そんなにだよ!」

「そうか、ありがとな。このカレー、なまえが気にしてたんだ。…緑谷たちが美味いって言ってくれたのを知ったら喜ぶと思う。」

「全然気にすることなんて…あ、御馳走様でした!」



気にするところなんてどこにも見つからないくらい手間暇掛けられた食事だ。そういえばプロになってからは中々時間が取れなかったから、自炊する機会も無ければ誰かの手料理を食べるのも随分と久しぶりな気がする。その事実が相まってこんなに美味しく感じさせているのかもしれない。

ご馳走様でした、と手を合わせ頭を下げながら、食後の皿を片付けようと立ち上がると轟くんが目で「片付けなくていい」と伝えてくる。僕はその言葉に若干の申し訳無さを感じつつ、今日のところは甘えることにして再度椅子に腰掛けた。



「にしても名字さん、どこが気になったんだろう。直すところなんて無いくらい完璧だったけどなぁ。」

「ああ、俺の所為で鍋を火にかけすぎちまったらしくてな。」

「轟ちゃんの…?何かあったのかしら。」


皿が空になりつつあり、まったりとした歓談の雰囲気がリビングに流れ始める中。時刻は14時半を指そうとしている。
食事中に口に出来なかったことをぼんやりと聞いてみると、不意に轟くんが意外な事実を話しだした。

件の会話の中に出てきた、名字さんが気にした理由は、自身ではなく轟くんの方にあるらしい。

彼の所為で長く火にかけすぎたって、一体何をしたんだよ轟くん。

疑問符が浮かぶ。食卓を囲む面々の顔も同じく疑問符を空中に浮かべていた。きっと僕らの知らない轟くんの一面がこの家の中では見られるんだろう。学生時代からの友人が恋人と二人きりで過ごしている風景は、僕には上手く想像が出来ない。


「なんか、台所にアイツが立ってるって思ったらーー、すげえ幸せに思えてきて」


つい、襲っちまったんだ。


さらりと一言。たった一言だけ僅かに間を置いて轟くんが呟く。空になった皿を数枚重ねて徐に彼は立ち上がった。

麗日さんが食べ終わったローストの皿を手渡し「あ、ありがとう。」と微笑んでいる。というか麗日さん、食べるの早!

ありきたりな光景を無言で流しながら、僕は先程轟くんが呟いた言葉を脳内に響き渡らせた。つい襲ってしまった、からカレーの煮込み時間が長くなった、のを名字さんが気にしている、らしい。ぐるぐると頭をリフレインするワード。ちょっと意味があれだけど、とはいえ二人が仲良さそうで良かった…、よか、…え?




「そうなんだ、新婚夫婦っぽくて微笑ま……えっ、襲…?」

「ああ、あとエプロン姿が結構ーー、」

「う、うわぁぁあ!」


何を言われたのか、一瞬判断がつかなかった。当たり前の様に切り出されると重要なことを聴き逃しやすくなるって言うけど、それはあながち間違いじゃないと思う。今、轟くんなんて言ってただろうか。聞き間違いじゃなければ、料理中の名字さんを、その、お、襲ったって、言ってなかったか?


理解した途端顔面から勢いよく火を吹きそうになってしまって。


「とっ、と、轟くん!そういうのはあんまり言わない方がーー、」

「そうだぞ轟くん!それに背後から奇襲なんて真似はいくら、夫婦と言えど褒められたものじゃないな!」

「奇襲…?何言ってんだ飯田。」

「あぁああ、更にややこしく!」



轟くんは、昔からポーカーフェイスというか、表情が読みづらいというか。とにかくサラッと不思議なことを言う人だった。真顔で冗談なのか本気なのかよく分からないことを言い退ける人だった。それは今でも変わらないんだろう。

突然図らずとも暴露されてしまった二人の事情に、リビングが一気に(ヤバい)という雰囲気に染まる。ただ一人斜め上の返答をしていた飯田くんだけは、何のことだかよく分からないという顔をしていたけど。

問題なのは飯田くんじゃなくて女性陣二人の方で、まだ昼間なのに巻き込まれてしまった二人は明らかに動揺している。麗日さんは真っ赤な上に小声でずっとあかんって呟いてるし、蛙吹さんも無言だけどほんのちょっと頬が赤い。勿論僕だってそんな事情知りたくなかった。だってこれから名字さんがリビングに降りてくるのに、僕はどんな顔して会えばいいんだよ。


当の轟くんは、自分がまさか爆弾的な発言をしたなどと毛ほども思っていないような表情で、どよめく僕らを置いてぽかんと口を薄く開けて僕らの様子を伺っていた。


「そういうことは二人だけの秘密にした方がいいと言うか、そっ、その、あんまり暴露しない方が名字さんの為にもなるというかっ!ねっ、麗日さん!」

「えっ、え、あ…うん!そうだね、なまえちゃんもさすがに困るんとちゃうかな!?」


顔が火を噴くとはまさにこの事で、急に話題を振ってしまった麗日さんには申し訳ないことをしたとは思っている。
でも半ば無理やりな方法で会話を押し切って中断することでしか今の僕たちが平穏を取り戻すすべはなかったとも思う。そう、仕方ないことだったんだ、全部。だってこれ以上何かまた爆弾的な発言されたら叶わないし。



それでもあんな挙動不審な雰囲気で、不自然に話題を逸らしたにも関わらず轟くんは「そう、なのか…悪かったな、何か。これ置いてくる」と食後の皿を持って流し台へと向かっていった。


(危なかった……)


幸か不幸か、答えは誰にも分からない。ただ幸いだったのは去っていく背中と共に変な雰囲気もなんとか薄れそうな気配がしていたことだけだ。危ないところだったと言うより、正確には既に手遅れという事実にはこの際目を瞑っておこう。



後ろ姿がキッチンの向こうへ消えてから、しばらくして安堵のため息を吐きながら、僕は電源の入っていないテレビの方へ何気なく視線を向ける。

大きな新品テレビの下には、首に青いリボンが結ばれた猫とラベンダーのリボンが結ばれた犬の置物が対で並んでいた。そしてその横にはテイストを合わせた白い陶器の写真立てが光を浴びている。

その中に映っていたのは、言わずもがな睦まじく寄り添っているあの二人の笑顔。そういえばド級発言投下の所為で、プロになってからの思い出話とか、二人のこととか聞くに聞けなくなっちゃってたな。



「でも、二人とも高校ん時と変わらんくらい仲良いみたいで、良かったねぇ。」

「へ、あ、…そ、そうだね。」


じっと吸い込まれるように写真立てと置物に見入る。すっかり呆けていたところで、取り戻しつつあった雰囲気を後押しするかのように、不意に麗日さんが二割増の笑顔のまま僕の肩を叩いた。


「あれ?デクくん何見てるん?」

「あそこに置物があって、」

「置物?あ、ほんとだ。二人で選んだのかな。」

「何してんだ?」


置物に注目していると、その刹那皿を片付け終わった轟くんが合流してくる。麗日さんが振り向いて轟くんの方を見遣れば、彼は湯呑みを人数分お盆に抱えたポーズのまま停止している最中。あ、おせんべい。と煎餅に惹かれ目を輝かせる麗日さんを後目に轟くんは僕らの傍のテーブルにお盆を置いて、同じ方向へと視線を向けた。置物を見るなり「これがどうかしたか?」と一言呟く。


「轟くん。これ、名字さんと二人で選んだの?」

「ん?ああ、そうだな。去年のクリスマスに。」

「カップルやねぇ。」


しみじみと、麗日さんは目を細めて笑った。つられて轟くんもふわりと微笑む。空いた窓から新緑の木漏れ日がリビングに反射して、皆の顔を明るく照らしていく。仲良く連れ立っている置物の、互いの色らしきサテンのリボンが揺れた。


「二人の思い出なんだ…」


何故か少しだけ、羨ましい。

嬉しいというのも勿論ある、けどプロになってから僕らを取り巻く状況が目まぐるしく変化していったその中で、変わらない何かがあるというのが、過去のふたりを知ってる僕にとっては少し羨まくて、そして自分のことのように嬉しかったんだ。


「名字さんと末永ーー、」


名字さんと末永く幸せにね。言おうと思った祝福を、僕が伝えるより早く、湯呑みを置いた轟くんが何気なく口を開く。


「アイツ、猫みてぇだろ?だから勝手にどっか行っちまわねぇように、目に入る位置のそいつに結んどいたんだ。」


まるで思い出したとばかりに、ごく普通の雰囲気のまま遮って続ける轟くん。その表情には見覚えがある。何故だか嫌な予感がした。

あの顔、いつ、見たんだっけ。
あ、そうだ。さっき、爆弾的な発言を投下する直前の顔に似ているんだ。


「……リボン?」

「首輪代わり、だな。」

「くびわ……」


首輪代わりに青いリボンを結ばれた猫。猫って、もしかしてそういう、ーー?
告げられた首輪の意味をその場の誰もが理解し終えた途端、首輪て……と遂に麗日さんが顔を真っ赤にして目を見開きながら卒倒した。

それを見た飯田くんが「麗日くん!!」と焦って飛んでくる。僕はといえば他人的な冷静さを持った脳内とは裏腹に、顔面は色々と限界だった。


デジャブ、二度目。
二度目の方が破壊力はまだいくらかマシだった。
けど、そういう問題じゃないと思う。

変わらないっていいこと、なんだよね?僕は何か間違ったことを言っただろうか。なんかもう、よく分かんないけど頭を抱えてソファに崩れた身体がやけに重いや。乾いた笑いしか出来ない僕は、ヘタレなのかもしれない。とりあえず名字さん一刻も早く降りてきてくれないかな。轟くんを止められるのは、もう君しかいないだろうから。



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