蝶よ、花よと生きたとて

僕には幼なじみが二人いる。一人とは、とてもじゃないけど良好とは言えない関係性。そしてもう一人は強いて言うなら家族同然とでも言うような、人より笑顔が少し眩しくて、そしてどこにでもいるような可愛い女の子だった。

家族同然、そう例えた理由は単純だ。
同い年で異性の幼なじみがいると聞いた瞬間、殆どの人が「異性だと好きになっちゃわない?」と聞いてくるから。……なんだけども、生憎僕たちにはみんなが期待するような関係性なんてないわけで。それでも周りは無遠慮に茶化してくるし、否定しても周りの反応は話半分に捉えられてしまう。

僕達がどれだけずっと近くにいたと思ってるんだろうか。なまえちゃんとつ、付き合うとか手を繋ぐとか、ましてやキスする…なんてことは今更考えられるはずもないのに。

けれども聞かれる度になんとも言えない恋とは違ったむず痒い気持ちが湧いてくるのは一体……なんなんだろう。






「あれ?出久くん?」

予期していなかった突然の声掛けは、僕を驚かせるのには十分な程だった。それは完全に気の抜けた状態でお目当てのスポーツジャージを購入し終え、呆けた顔でモール内のテナントを眺めていた時のこと。

お決まりのように購入したスポーツジャージを今後どのような訓練メニューに組み込めば効率がいいか、ブツブツと人目も気にせずに一考していると、ふと向こうからすれ違った乳白磁色の滑らかな髪の少女が振り向きざまに僕の肩を叩いた。びくりと身体を跳ねさせ話しかけてきた少女の方に目を向けると、そこには見慣れない、綺麗な顔をした少女が立っていた。傍には目を丸くして少女と僕を交互に見遣る男の人が一人。


「出久くん、こんなところで会うなんて奇遇だね。」

「えっ、」


真正面から顔を覗き込むなり彼女は笑った。名前を呼ばれた事にも心臓が跳ねる。刹那後ろで編まれた緩めの大きな三つ編みが横に流れて揺れた。今流行りのフィッシュボーンって髪型だったかな、確か。幼なじみのあの子が挑戦したいと以前言っていたのを覚えていた。滲む穏やかな雰囲気と相まってその髪型が酷く彼女に似合っていて。
一瞬、見惚れた。しかしその唇から発せられた聞き馴染みある声色が、剥離した意識を一瞬で取り戻す。

「なまえちゃん…?」


あらゆる面で、僕が知ってる幼なじみの彼女とはかけ離れている目の前の少女。それでも間違えるはずがないその声が一つの答えを導き出す。間違えるはず、ないじゃないか。だって笑い方も、仕草も全部知り尽くしているあの子のものなんだから。

今ここに立っていたのは紛れもなく幼なじみのなまえちゃんだった。……え、本当になまえちゃん?なんでこんなとこにいるんだろう。



「出久くんは筋トレグッズ買いに来たの?ヒーロー科は相変わらず大変そうだね。」

「いや、そんなことないよ全然…ってなまえちゃんはなんでここに?」

「私も勿論買い物に。」



内心は全く穏やかじゃない。似て非なる別人なんじゃないか?という疑問は未だ燻ったままだ。だって、あまりにも僕の知ってるなまえちゃんじゃないし。

制服と、近場へ出掛ける時の普段着。それからパジャマ。色はピンクとか、白とか暖色で可愛らしい色が多かった気がする。
幾度となく見てきたその格好のどれにも、見慣れすぎた影響かこんな感情を抱いたことなんて今まで一度もなかった。それなのに。


(青なんて、着るんだ……。)


初めて見る寒色の上品な青いロングワンピースを着こなした幼なじみの姿から目が離せなくなってしまうのは何故なのか。



そんな僕の内情など露知らず、今日はちょっと用事があって。と呟きながらその手に下げられた淡い色の紙袋を揺らすなまえちゃんは、口角をぐっと上げて満面の笑みを披露している。持ち上がった頬が普段より赤い気がした。

化粧、してるからかな。白雪姫の様に白いふっくらとした頬に赤い林檎さながらの紅が映えている。本当なまえちゃんじゃないみたいだ。隠せそうにない動揺が僕の平静を揺さぶる。



「そ、そうなんだ!」

「出久くんはもう用事終わったの?」

「うん、丁度終わったところ。なまえちゃんは?」

「私達はこれから雑貨屋も寄る予定なんだ。出久くんも、よかったら一緒に来る?」

「えっ、いや僕は…」


なまえちゃんは、隣に並んでいた男の人に控えめに「いいですか?」と伺いながら首を傾げた。途端揺れる彼女の三つ編み。目を奪われる、凄く柔らかそうに見えるそれが不自然なまでに僕の興味を誘っていた。


(触りたい……って何考えてるんだ僕は!)


抱いてしまった邪な思いを振り払うように頭を振って。幼なじみ相手にこんなこと思うなんてどうかしている。


「なまえちゃんいいよ別に。僕もう行く予定だったし…それに…ほら邪魔しちゃ悪いしさ!」

「邪魔?」

「彼氏さんと、そのデ、デート中なんだよね?」


聞いてしまった…、聞かなきゃよかったかもと少しだけ後悔が追いかけてくる。何なんだろう、この感じ。なんだか幼なじみである彼女の恋愛事情について知ることが憚られる様な気がして、いつも聞けなかった。聞くことすら意味がないと思っていた、のに。

しかし何故か肝心のなまえちゃんと彼氏さんは目を丸くして真顔になっていた。双方の間に訪れる沈黙。……え?これはどういう反応なんだ?と思考を巡らせ、即座に頭を回す。ま、まさか地雷踏んだ?


「ごめん、聞いちゃまずかったかな?」

恐る恐るぽかんと大口開けて呆ける二人に即座に謝罪を兼ねて弁明を呟き頭を下げた。


「幼なじみだし、気まずいよね!本当ごめん!」

「えっ、あ、違っ…!そっか…勘違いさせちゃったんだね、大丈夫だよ出久くん顔上げて!」

「かっちゃんにも言わないし、学校でも言い触らさないからさ!」

「違うんだよ出久くん、この人は先輩!」

「先輩なんだ、そっかお似合いだね。じゃあ僕はこの辺で…また今度!」

「話聞いてってば!」


明らかに挙動不審に踵を返した僕のフードをなまえちゃんが掴む。ぐえ、と息が詰まった。それでもぴしりと張り付いた不自然な表情筋は変わらなかった。ギギ、と効果音がつきそうな不自然な振り向き方をした後、彼女の顔を見れば、焦燥感を浮かべてこちらを見る薄紅の瞳と視線が絡む。



「紹介するから聞いてくれる?この人は、私の普通科の先輩で……出久くんのファンだよ。」

「はじめまして…なんかごめん。」


申し訳無さそうに苦笑いで頭を下げるなまえちゃんの先輩。言い切ると同時に隣に並ぶ彼女は、顰めっ面を解いてようやく笑顔になった。



「……ファン?」

「そう、体育祭の活躍を見てそれ以来、出久くんのファンなんだって。」

「一応名字さんと同じ普通科に所属してて、彼女は可愛い後輩、にあたるのかな。出久くんのことは名字さんから良く聞いてるよ。応援してる、頑張ってね。」

「えっ、そんな…ありがとうございます。」

「そういうことなんだけど、取り敢えず分かってくれた…かな?」


どうやら完全に早とちりだったらしい。うわあ恥ずかしいな…。仲良さげに並んでるからてっきり彼氏なんだと思ってた。僕の顔はさっきから焦ったり赤くなったり青くなったり忙しい。顔を伏せて落胆した様子を気にしてか、ずいと覗き込んでくるなまえちゃんの顔は無垢そのもので、やっぱり見慣れた幼なじみそのもの。

ただ違うのは

(こんなに、身長高かったんだ。)


そうだ、幼なじみである以前に、僕たちは男と女だった。改めて思い知るその事実。なんでこんなに近くにいたのに分からなかったんだろう。


「なまえちゃん、君達幼なじみのことをいつも自慢してくるんだよ。“あの二人は、本当に凄いヒーローになります!”って」

「せ、先輩……やめてください。」

「別に気にする必要ないんじゃない、自慢の幼なじみなんだろ?」

「そうですけど、面と向かっていうのはなんか恥ずかしいというか…。」

「ははは、青春だ。」

「もう、本当やめてくださいよ。」



ふざける二人を側から見ていると、お似合いのカップルに見えるなぁ。二人の身長差は所感約12センチくらいで、何かのテレビで見た男女の身長差に丁度よく当てはまってそうな雰囲気だった。ああ、本当、お似合いだ。

ぽつんと捨て置かれた状況はさて置いて、なんとも言えない心境を吐露できるような余裕も今はない。
そうだ、彼氏じゃないとしても二人ともプライベートみたいだし、邪魔しないほうが良いよね。引きつりそうな頬を引き締めてなんとか笑う。


「流石に邪魔しちゃ悪いし、僕はもう帰るよ。またねなまえちゃん。」

「そっか、引き止めてごめん、またね!」



彼女は一瞬だけ名残惜しそうな顔をした。しかしすぐにまた可愛らしく口角を上げて微笑む。色づいた頬の赤さが印象深い。夢に出てきそうな青と赤のコントラスト。ここにいる彼の少女は、果たして本当に僕の知ってるなまえちゃんなのか?


「じゃあまたね。」

「うん、バイバイ出久くん。」


そう言って彼女は僕の横を通り過ぎた。
刹那、甘い香りが鼻を突いた。目の覚めるような感じがしてから、次いで急速に視界が鮮やかに色を持ち始める。白昼夢から覚めた時のような違和感に苛まれてて何だかよく分からない。一体どこからが夢だったのか。例えるならキツネに摘まれた気分だ。




(今の、匂い……)


しかし強烈な記憶の残像が焼き付いて離れない。振り返らなければ、今まで通りのままでいられるんだろう。振り返るな、と無意識に理性がブレーキを掛けてくれたのに僕はその制止を自ら振り切ってしまった。

どうすることもできない誘惑に、これじゃまるで花の香りに誘われた蝶だと独りごちる。
その香りに触れてしまった以上は抗うことなんて、出来ない。

振り返ってみれば同じく彼女も振り向く最中で。途端スローモーションの視界に再び霞が掛かる。はっきりと視認できないその中にゆったりと微笑むいたずらっ子のような笑み。

唇に指を宛てて、長い指が秘密のサインを示す。僅かに開かれた口は誰にも知られないように無音で、確かな存在感をもって言葉を紡ぐ。


“内緒ね“

艶めいた唇と、彩られた赤いリップ。


(そっ、か……そうなんだ。)

どこかで気付いていたのに、見て見ぬふりをしていたのは僕の方だったのかもしれない。やっと、やっと分かった。分かってしまった。あどけなさの残る笑顔の可愛いよくよく見知ったあの幼なじみはもう、何処にもいないんだと。

鼓動が高鳴るのを感じる。僕も、君の幼なじみのままじゃいられなくなってしまったんだろうか。その答えはきっと彼女にしか分からない。呆気にとられてすっかり立ち尽くしてしまった僕を嘲笑うかのように、彼女はまた前を向いて、エレベーターの中へと消えていった。


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