Nostalgie



この世界は、所謂魔法と科学と怪物とその他色々なものが混在し、絶妙なバランスで共生している世界だった。いわばサラダボウルのように混ざりあい複雑化した世界。その中でも魔法というのはごくありふれたものとして親しまれている。

いなくなってしまったお母さんも、よく氷の魔法で花を作ってくれていた。それを今でも時折思い出しては懐かしい気持ちになる。お母さんは氷魔法が得意で、それこそガキの頃はお母さんが世界で一番氷魔法が上手いんだと思い込んでたくらいだ。


しかし、世界には自身の常識を軽く超えていく存在がいるのもまた事実で。
俺が教えてくれと教師を頼んだナマエが繰り出した魔法もまた、例に漏れず俺の常識をいとも容易く凌駕した。


俺がナマエと同じような氷魔法を使えるようになったら、お母さんもいつか屋敷に戻ってくれるようになるんじゃねえか。そんな些細な思いがあったからこそナマエを部屋に3日間だけ置いてやることにしていたのだが、

「流石、センスが素晴らしいですね。」


ナマエは思いのほか良い奴で、しかも半端じゃなく頭が回る。それに気付くまでにはさほど時間はかからなかった。

そして時が経つのは早いもので、タイムリミットが迫る2日目の夕刻。明日地下牢に戻される予定の当の本人は思いのほか冷静だった。まだやりたいことが山ほどあるからなんとか脱獄しなければなりません。と自分を捕縛した領主の息子に、脱獄計画を真面目な顔して話している様は傍から見れば凄腕の魔術師には見えなかったが。

明日にはお互い二度と会うことも無くなる。その後ろ髪を引くような寂しさを振り払って俺は彼女に古びた杖を渡した。ナマエと出会ってから2日しか経っていないにも関わらず、俺は大分情を持ってしまったようだった。


「あの、ショートさま…これは?」

「お前の杖だ。あと、荷物。物置にしまわれてたから持ってきた。」

「わあ、全部揃ってた。ありがとうございます……じゃなくて!え、これ渡しちゃダメなやつですよね?」

「明日には牢に戻んなきゃなんねぇんだろ、だったら早く出てったほうがいい。」

「……まさか脱獄の手助けを領主のご子息にしていただけるとは、流石に想像していなかったのですが。」


ナマエは呆然と俺を見つめたまま、引きつった頬と阿保面を晒して「いや、何故こんなことを?」と考え込んでいる。まあ、そうなるのも無理はない、俺でも同じ立場なら多分聞いているだろう。


「親父のクズモチの実を食って捕まった奴らは、今まで俺が全員解放してたんだ。だから元々お前も連れ戻される前に逃がしてやるつもりだった。」

「えっ、」

「お前がすげえ律儀に氷魔法教えてくれてたから、つい逃がす機会を逃しちまったんだ。」


親父への当てつけを含めて、元々逃がしてやるつもりだったと伝えると、ナマエは丸い目を更に丸くして驚いた。脱獄する気満々だったからだろうか。せっかく考えた脱獄計画が全て頓挫したことに対して少し残念そうだ。

しかし結局は願ってもないチャンスだと悟ったのか、「それでは、ご厚意に甘えさせて頂きます。」とナマエは頭を下げた。

残るは逃走経路を行くだけ。しかしいざ、なるべく使用人にも見つからないように細心の注意を、と腹を括った矢先にそれは起こる。
次の瞬間、思わず目を疑う事態が起きていた。
柄にもなく大声でその名前を叫び駆け出す。この事態を放置できるほど俺は薄情じゃない。何故こんなにも焦ったかといえば、部屋を出ようとした俺とは別の方向に歩いていったナマエが突如として勢いよくよいしょっ、と間抜けな声を上げながら窓枠に乗り出したからだ。


「お前っ、何して……」

「何って窓から出ようかと」

「いや危ねぇからやめろーー、っおい!」

慌てて引き止めるべく声を上げる。俺の部屋は屋敷の4階にある、どう贔屓目に見ても安全に地上まで降りることはまず不可能。落ちれば大怪我は免れない。


「いえいえ、大丈夫です私なら。」

「飛び降りて怪我したらどうするつもりなんだ。」

「本当に大丈夫ですよ。」

ナマエの言っている意味がわからない。呆気に取られている間も、彼女は窓の外へと飛び降りようとしていた。ローブを太腿が見えるくらいにたくしあげて中々際どい格好のまま杖を外へと向けて掲げているナマエの姿は、とてもじゃねえけど大丈夫そうには見えない。何がしたいんだろう、コイツは。

このままだと落ちて怪我するのが関の山だと思った俺は、半ば無理やりナマエを窓枠から引きずり下ろす。

部屋へとナマエの身体を引き入れたその時、どこからともなく鳥類に似た鳴き声が部屋に響いた。


「クエーーッ!」

「ぎゃっ!」


ややあって、ナマエが俺の上に落ちる。
鈍い衝撃が襲ってきて思わず顔を顰めた。

二重にも三重にもどうしようもない状況が続いていく。流石に理解が追いつかない。と、それよりもなんだ今の声は。ナマエの杖から聞こえた鳴き声に痛む背中を押さえてゆっくりと起き上がる。
……杖が鳴いた、のか?
訝しむように部屋を見渡す。流石に杖が鳴いたとは信じたくない。しかし声の方向へと視線を向けたその瞬間、俺の目は再び信じ難い光景と遭遇することになる。


「は?」

そこには杖の先端に魔法陣らしき図が輝き、その中から鳥がはみ出している光景が広がっていた。つぶらな瞳と視線が絡んだまま動けない俺を後目にナマエが「痛たた」と上で唸る。

「なんだアレ、」

「あぁ、中途半端に異界の門が閉じてしまった…。」

「異界…?」

鳥を出す魔法なんて聞いたことがない。初めて見る手品じみた魔法に俺はオウム返しのようにナマエの言葉を返すので精一杯だった。
ただの魔法じゃないことは一目瞭然だ。しかしどんな魔法なのかは皆目検討がつかない。
そういえば少し前アイツは魔法は一番得意ではない、けどそれなりに詳しいと言っていた。一番得意ではない、なら逆に一番得意な魔法って何なんだ…?


やがてひとつの推測にたどり着き、そういうこと、なのかと合点が行く。

氷の造形も、無尽蔵の魔力も充分にナマエを常人の枠から外す材料にはなっていたが、……だとしても。ここまでの規格外であると誰が想像出来ただろうか。


「お前、まさか召喚士なのか…?」

「ですから大丈夫だと…、あ、言ってなかったか、そういえば。」


召喚魔法、実際に使用すると噂される者は世界に数名存在しているが、その誰もが実物を見たことがない伝説級の魔法。

最早都市伝説の一種だと認識されている召喚士が、信じられないことに目の前に立っていた。
確かに規格外な魔術師だとは思ったが、まさか本当に伝説級だったとは。ナマエの喚んだ鳥は、存在する野鳥の何よりも大きく、そして何よりも色鮮やかで神々しい。思わず感嘆のため息を吐く。


「そいつは、鳥の幻獣か?」

「アケミっていいます。空を飛べるのでよく移動のために喚んでる子なんです。」

「そうか…。そいつが居れば確かに世界中の何処でも行けるな。」



召喚は異界の高エネルギー体である幻獣を喚び出し使役する魔法、即ちこのアケミ以外にも喚べる奴がいるんだろう。独りで旅をしていたことからも、その考えはおそらく当たっているはずだ。

その返答を聞いて、俺はやっとナマエに感じていた一種の羨望感の正体が分かった気がした。

ナマエは俺と違ってどこまでも自由だった。それが俺には、羨ましく見えたんだと思う。


「ショートさま?」

「いや、何でもねぇ。……とりあえず早く逃げた方がいい。親父が帰って来ちまう。」


反抗期に費やした時間が、馬鹿馬鹿しく思えた。俺は、もしかすると駄々を捏ねていただけだったのかもしれない。


「ありがとな、ナマエ。」

「え?どうしたんですか急にーー、」

「……短い間だったけどお前と話せて良かった。」



アケミの背に乗り、柔らかな風に揺られるその顔に微笑みを投げかける。ナマエは俺の顔を見て、僅かに目を見開いた。

「いえ、そんな…たかが召喚士に滅相もない。」

「たかが召喚士じゃねえよ。俺はお前だったから心動かされたんだ。礼は言わせてくれ。ありがとな本当に。お前のお陰で世界が少し広がって見えたよ。」

「……。」


言葉に嘘はない。本心からくる精一杯の感謝の言葉を述べる。当のナマエは沈黙したまま俯いていたが、やがて何か決めたような面持ちで

「あの、ショートさま。もしよろしければご提案があるのですが。」

そう言い放った。

「提案?」

完全に見送りにスイッチをシフトしていた俺は、ナマエの突然の申し出に面食らう。提案?一体何のだ?驚いてはいたがとりあえず返答すると、彼女は控えめに笑いながら俺の方に手を差し伸べた。

「空から世界を見に行きませんか?」

ショートさまご自身の目で、見ていただきたい場所があるのですが。そう付け加えたナマエは神秘的な鳥獣の背に乗り、夕日を背負っている。それはあまりにも非日常な光景で。

「俺はどうすればいいんだ?」

「そうですね、ただアケミちゃんの背に乗ってくれれば十分ですよ。」

どうやら鳥の背に乗せて世界を見せてくれるらしい。突然の誘いではあったが、不思議と答えがすんなりと降りてくる。


(もう少し……)

まだ、コイツと話がしたい。心の整理は自分の心持ち次第なのだと、教えてくれたのは紛れもなくナマエだった。迷うことなく俺はナマエの手を取る。鳥の背中へと飛び乗り、真っ直ぐ前を見据えると、目の前には落ちていく斜陽に照らされる鳥の横顔。

目に映る何もかもが新鮮だ。茫然と立ち尽くす俺の顔を覗き込みながら、ナマエは静かに「綺麗でしょう?」と呟いた。


 

ーーーーーーーーーーーーーーーー


「なあ、ナマエ。」

「だから近いっつの……!!何なんですか、本当にもう…あんまりからかわないでくださいよぉ。」

「からかってねえよ、好きなんだからしょうがねえだろ。」

「おぐ…」

「それより昔お前に連れてってもらった常夜の丘、覚えてるか?」



ショート様の綺麗なオッドアイが離れたのも束の間のことだ。ショート様が私の目を真っ直ぐに見つめながら、子犬のような目をして私に「今度暇がある時でいいから、また常夜の丘に連れてってくれ。」と言った。

また変なことを仰る……呆れそうになるが、これもいつもの事なのでもうとやかく言うのはやめておく。これもいつものことだけど、私のショート様へのだだ甘加減もそろそろ直さなきゃいけないな。

それにしても、だ。主の口からまさか常夜の丘という忘れられるはずがない場所の名前が飛び出すとは。

主と出会ってまもない頃(というより出会った直後)警備兵にとっ捕まった私を逃がそうとしてくれたショート様をお礼を兼ねて連れて行って差し上げたのが他ならぬ常夜の丘だった。常夜の丘という名前に違わず、24時間夜という不思議な丘である。

そんな場所で、まだ出会って間もないにも関わらず私たちは一晩を明かした。無論、変な意味じゃない。ただ、狭い世界で生きていたあの方に、少しでも世界の広さを教えたい一心で

「ショートさまがお嫌いな焔でも、例えばこうやって大きな火を灯せば安全に眠れるようにしてくれるんです。」

「世界は見方次第で、いくらでも広がっていきます。そのために得た知識は、決して裏切らないのですよ。」

焔魔法を嫌うあの方に、見方次第では世界が見違えて見えるってことを実際にその目で見て、知ってもらいたかった私は野宿を敢行し、アケミちゃんの羽毛に埋もれて一晩を明かしたのである。

……確かに控えめに言ってもあの時の私どうかしてるとは思うけど。しかし結果論、あの出来事のおかげで私はショート様のおそばに居られるようになったので、終わり良ければ全てよし、とやらなんだろう。

そういえばあの頃のショート様は今とは違って可愛げがあったなぁ。時折どうしようもなくあの頃のショート様の素直さが恋しくなってしまうのは、致し方ないだろう。勿論今も充分素敵過ぎるほど素敵。……なんだけど、あの頃はなんというか今ほど擦れてなかったんだよね。
出会った直後は確かに少し思春期を発症してはいたけれど今ほど我儘じゃなかったし、何よりこんな風に迫ってきて私を困らせて楽しむようなお人じゃなかった。

(今もからかわれたし……)

少なくとも人の唇を噛むことは以前のショート様ならしなかっただろうに。

まあでも人は変わるものか。何だかんだ私も3年経った今ではすっかり専属護衛が板についたし、今更主の傍を離れる気もなくなっている。

私の何がショート様の琴線に触れたのかは知り及ぶことではないが、これからも主のために生きていくのは変わりないのだから、あれこれ言っても無駄なのだろう。

「それは結構ですけども、これまた何故急に常夜の丘を?」

「思い出したら、ナマエとまたあの夜空を見たくなっちまった。」

「思い出す?」

あぁ、とショート様は僅かに遠い目をしてから次いで「何でもねぇ」と呟いた。何でもねぇ、と仰られても…相変わらず我が主は謎な御方だ。

しかし、憂いを帯びたかと思えば遠くを見つめて、そして愛おしげに睫毛を震わせる様の美しさたるや。目が合ってその美しい瞳が私を映しているだけなのに、取り返しのつかないレベルでこの方に振り回される。無論それがいけないことだとは気付いているんだけど。

でも、それでも。

ショート様がいて私に親しく接してくれて、そしてたまにふざけて笑えるくらいのこんな日常が、いつまでも続いてくれればいいのにと願うことくらいは許して欲しい。



「分かりました、全てが落ち着いたらまた行きましょう。次はショート様のお好きなソバ麦饅頭も持って。」

「本当か。」

「ええ、約束です。」


指切りげんまん、ただの指結びだとしても何だか歯がゆくて、嬉しくて。自分から指切りを促しておきながら照れてしまった。

「それでは良い一日を、ショート様。」


部屋の扉を開けて外へと出る。一日はまだ始まったばかりで、これからも仕事が溜まっていた。さて、気を取り直して結んでいた髪の毛を高く括り直して、私は部屋を後にした。

よし、主が常夜の丘をご所望とあらば臣下はそれに応えるすべを考えなくては。いつなら行けるかな。お見合いも一通り落ち着いた頃ならエンデヴァー公も大目に見てくださるだろうか。


(あれ?そういえば、“思い出した“からって仰ってたけど…それとイベリスの花言葉に何の関係があったんだろう。)

ふとそんなことを思い出して、振り返り際に主のお顔を伺ってみたものの、主は既に着替えに行ってしまったらしく、そのお姿はもうどこにも見えなかった。


Back

- ナノ -