Flower & key



大失敗に終わったお見合いから、実に3日後のことである。

あれから色々なことが立て続けに起きた所為で、私の心は随分と荒んでいた。そんな状態のまま幾度めかの夜明けを迎えていると、だんだんと感覚が麻痺してくるのは至極当然の結果なのかもしれない。

しかし荒んでくるのも無理はないと思う。
何故ならあれだけ注力したフィーデリカ嬢とのお見合いが、まさかの相手方NGで消滅するという凄惨な終わりを迎えたからだ。

エンデヴァー公にはもちろん怒られた。
最早言うまでもない結末だろうか。


いつにも増してスキンシップが激しくなったショート様をただ一人除けば、良くも悪くも元の鞘に収まったのかもしれない。しかし同時にふと私の努力は一体なんだったのかと虚しくなるときもあって。


(まあ、うだうだ言うだけ無意味か…。)


とはいえ不幸中の幸いにも、フィーデリカ嬢があの日起きたことには何も触れずに「暫くは勉学に専念したい。」と気を遣って自ら断ってくださったことだけが救いだった。世界的に珍しい召喚士をハテノ地方領主が独占しているなんて噂を立てられずに済んだのは、一重にあの麗しい令嬢のお陰だ。

なんだかんだ完全にお見合い前の日常に戻れたのは喜ぶべきことなのかもしれない。


何食わぬ顔で私達は、再び回り出す日常に戻ろうとしている。

主が遠く離れて行ってしまうことに少なからず寂しさを感じたことは自分だけの、秘密にしようと思った。お見合いが白紙になったとき、心のどこかで何故か安堵してしまったよく分からない感情についても、黙っているべきなんだろう。


「はぁ、そろそろ行かなきゃ。」


もし私とショート様がこういう関係じゃなくて対等だったなら、もう少し楽だったのかなぁ、なんて。いや…やめよう。もしも、を考えたって始まらないし。結局私に出来ることは前を向いて今日も主の為に働くということだけなのだから。

気を取り直して美しい庭園が朝日を浴びてきらめく様を窓からぼうっと眺めてから、私は再度目的地へと歩き出した。



ああ、今日も世界にとってみればきっと良い日なんだろう。空は晴れ渡っているし、小鳥は鳴いているし。こんな日こそ出来れば平穏に過ごしたい、なんて出来もしない妄想を頭の片隅に並べて目的の部屋の扉をノックする。

しばしの沈黙を挟んでから、ややあって「入ってくれ」と部屋の中から呼びかけられた。それは普段より心なしか弾んでいる、我が主人の声だった。

今日も主人はどうやらご機嫌麗しいようで、
全く何よりである。

失礼いたします、と断りを入れて扉を開けると、そこにはベッド際の花瓶に花を生けている最中のショート様のお姿があった。



「綺麗なお花ですね。」

「庭のイベリスが綺麗に咲いたって、メイドが摘んできてくれたんだ。」

「ああ、今年も咲いたのですか。可愛いですよねイベリス、私も好きです。」


日課となりつつあるショート様のご健在を確認し、私は来る途中に屋敷のメイドからすれ違い様に頼まれた水を主へと手渡す。


「ショート様、こちらお水です。行きがけにお渡ししてくれと頼まれまして。」

「ん、悪いな。」

「いえ、ショート様のご様子を毎日把握するのも臣下の勤めですから。」

「そうか。」


花瓶に水を差し替えて、ショート様は満足げに笑う。イベリスは芸術的な青の磁器に飾られて、自慢げにベッド脇に鎮座していた。

庭に咲き乱れる花は多数あれど、イベリスをチョイスしたメイドさんのセンスは中々のセンスじゃなかろうか。白いイベリスは小さな小花が集まっているのが特徴的な花なので、ショート様の上品だけど素朴さの際立つお部屋にとても良く似合っている。


「そのお花、暫く飾られるんですか?」

「ああ、折角綺麗に咲いてるし…それに、」

「それに?」

「この花、昨日俺がナマエに似てるからってわざわざ摘んで貰った花なんだ。」


だから大切に飾る。そんな恥ずかしいセリフさえ主が言えばまるで童話の王子様のよう。ショート様は飽きもせず顔を真っ赤に染めた私の顔を見るなり、またふわりと笑ってから私の髪の一房に口付けた。

本当、油断も隙もないったらありゃしない。


「もう、今更驚きませんけど……!驚きませんけど…、やめてください!」

「これくらい良いだろ。」

「これくらいって…全然これくらいじゃないですから!」


口付けられた髪の毛を手のひらから抜き取って主から距離を取る。温もりを散らすように慌ただしく髪を払うと、ショート様が真顔のまま再度顔をぐっと近づけて来た。

ひっ、近!だから近いんだって!何度言っても直してくれない主の平常運転にはもう随分と慣れてしまったけど、それは顔を赤面させない理由にはならないわけで。

腰に回った腕から逃げようと身体を捩ったところで、まじまじと顔を覗き込まれてしまった。更に頬の赤さに拍車がかかる。このお方は私を茹で蛸にでもするつもりなのだろうか。というか、何で真顔?逆に怖いよ。…これを毎回素面でやってるのだからタチが悪いといつも思う。


「ひぇっ、」

「やっぱり似てるな、イベリスに。」

「もう、おやめ下さい!」


俗に言う顎クイ。不意にショート様の滑らかな指が顎を掬う。お相手がショート様でなければ、もしくは私が貴族の令嬢だったなら、ロマンティックな展開に卒倒して一撃で恋に落ちててもおかしくない展開に、再び心臓が張り裂けそうになった。まあ今は別の意味で卒倒しそうになってるんだけど。


「近いです!近いですってば!」


抵抗も虚しく、ショート様の眼前に真っ赤な頬が晒される。なんとか過剰スキンシップにも慣れてきたかなとか思ってた今までの私は何処へやら、だ。もしかしたらすっぱり手のひら返して消滅しちゃったのかも。

最早ここまでくるとこう、スキンシップレベルがカンストしている気がする。この前のお見合いの何が主人をここまで変えてしまったというのだろう。


「なあナマエ。イベリスの花言葉って知ってるか?」

「ぞ、存じ上げません!」


それが今と何の関係があるのでしょう。迫る整ったご尊顔を失礼ながら強めに押し返しつつ、やや大声で叫ぶと、ショート様はまたいつぞやの笑みを浮かべながらぽつりと呟いた。


「花言葉は”初恋の想い出”っていうんだってな。」








ーーーーーーーーーーーーーー


初恋、といえば俺の心に蘇る想い出がいくつかある。しかしその実、全ての記憶はナマエから与えられたものだった。

ナマエがやって来てから、もう次期3年が経つ頃だろうか。彼女と初めて会ったのは「コイツから焔系の魔法を習え」と突然親父が部屋に来て、ナマエを投げ込んできたのが始まりだ。

この頃の俺は、焔魔法を覚えるという気が更々なくひたすら親父への反抗心に身を任せ、やってくる魔道士や家庭教師から逃げていた。

俺は焔の魔法を得意とする親父の家系と氷の魔法を得意とするお母さんの家系、その双方の血を引いている。

才能がある程度ないと使えないのが魔法。という定説がこの世界にはあった。しかしどうやら俺はこの二つの魔法の才能に恵まれていたようで、親父は俺を剣術のみならず魔法でも戦えるようにしたかったらしい。

親父と同じ焔使いだと見られるのが嫌で、氷魔法しか習おうとしなかった矢先に突然放り込まれた謎の来訪者の存在。それが俺の心境に変化をもたらしたのは言うまでもない。




ナマエが部屋に突き飛ばされて入ってきた瞬間の光景は、今でもハッキリと思い出せる。

あの丸くて人懐こそうな目はこの頃から既に健在で。部屋に飛び込んでくるなり「罪人だからって女の子投げることないじゃない!」とよく分からない台詞を喚き散らしたかと思えば、突然ぐるりと俺の方を見て「あぁ…お騒がせしてすみません。」と困ったように眉を下げて笑う彼女の顔。


そんな普通じゃない出会いを果たしたナマエの初めの印象は、一言で言うなら“なんだコイツ”の一言に尽きるだろう。



「誰だお前、親父が雇った新しい魔道士か?」

「違います……!ん?いや、待てよ……違わなくない…?」

「…意味分かんねえ。」




そのあと、半ば仕方なく居座ることになったナマエに事情を聞くと、どうやら親父の治めるこのハテノ領土内でやってはいけない行為をやらかして捕まったんです、と語った。

しかし捕まった後、ナマエの魔法の才能が飛び抜けていたことを見抜いた親父から、跡取り息子である俺に焔系の魔法を教えれば解放してやるとの交換条件を持ちかけられたらしい。


「ですので、簡単な魔法だけでも即覚えていただけるととても助かります。」

「…いや、そんなこと急に言われても…俺は焔魔法は覚える気ねぇぞ。」

「えええ、そんな!3日以内に覚えさせれなかったら牢に戻すって言われてるんです私!そこをなんとか、ファイアーボールだけでも良いので!」

「悪いが無理だ。」


蓋を開けてみれば、ナマエも親父の被害者であることに変わりはなかったようで。その運の悪さには、まあ同情する。しかしいくら同情したからとはいえ全くの他人から教わることも、ましてや焔魔法を覚えてやるつもりも毛頭なかった俺は、希望を持たせても可哀想だと思い「諦めてくれ。」と断った。

言うや否や目に見えて項垂れ始める小さな背中を目で追う。若干の罪悪感が芽生えるが、だからといって折れてやる筋合いもない。仕方なく何か慰めてやろうかと彼女に話しかけようとしたのもつかの間。ナマエは壁に向きなおして、ボソボソと独り言を呟き始めた。


「はあ、さすがに合鍵レベルの精巧なのは作れないしなぁ…。どうしよう。」



そう言って鍵穴を凝視し、ぽつりと何かの複雑な呪文を唱えたかと思えば、

「うーん、やっぱ無理か。」

次の瞬間、その手には淡く光る綺麗な氷の鍵が。それがナマエと俺の運命を分かつ岐路になるとも知らず、ナマエは氷の鍵を鍵穴に刺して、回らないことを確認してから再度項垂る。その間僅か数分の出来事。しかし俺の記憶に強烈に焼き付くまでには充分過ぎるほどで。


何故俺があの時、彼女の手に光った一件変哲のないそれに強く心惹かれたのか。あの時は気付くはずもなかったが、今振り返ってみると、理由が何となく分かる気がする。

それは多分、焔の魔法とは違って熱心に練習していた氷の魔法を使って、常識を覆すほどに精巧な鍵を目の前の不審な少女が創り出したからなんだろう。



「お前が、それ作ったのか?」

「え?ええ…はい、合鍵作って逃げられないかなあって思いまして…さすがに無理でしたけど。」

「魔法でそこまで複雑な造形なんか出来ねえだろ。何をどうしたらそんな形に出来んだ?」

「呪文の唱える順番を変えて指示するんです。そうすると形ある魔法なら、全部この法則に則って造形が可能なんです。」

「そう、なのか?知らなかった。」


お母さんの力でもある氷魔法を使って日々鍛錬を重ねていた俺にとって、アイツの魔法はまさに神秘としか言う他なく。直感で焔を教わる気はねぇけど、氷魔法なら教わりたい。そう思っちまったんだ。


「魔法詳しいんだな。」

「…まあ、一番得意というわけではありませんがそれなりに。」

「………。」

「なにか?」

「焔は教わる気はねぇ。」

「…そうですね、先程伺いました。」


そこまで言った後、言葉を区切ってその手に握られた鍵に触れる。ナマエの丸い目が僅かに開かれた。


「けど、この氷魔法はお前に教えて貰いてえ…って今思った。」

「え、」

「駄目か?」



「駄目じゃ、ないですけど…」と口篭り、彼女は俺から目線を逸らす。対して俺の胸中は最早得体の知れない少女を追い出すことよりもあの造形が可能な魔法を習得する方向に傾いていた。どんな条件を出されてもいい、場合によってはナマエを確実に牢から逃がしてやると持ちかけるつもりでもう一押し「頼む。」と告げる。

ナマエは少し悩んだ末、縦に首を振った。




きっと人は、自分と異なるものに惹かれるものなんだろう。正確には言いきれねぇ、けどこの後周り回って結局見事に恋に落ちてしまった自分のことを考えると、その仮説はあながち間違いじゃないのかもしれない。

最初はただ騒がしいやつ、としか思わなかったのに。気がつけば恋に落ちていた。やっぱり人間の感情がどう転がるのかなんて測れるもんじゃないなと思ったのは、ここだけの話だ。



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