I will



愛する者同士、結婚するということの何が間違っているのだろうか。俺にはよく分からなかった。ここ最近、あいつにプロポーズをした時からずっとそうだ。

なんでナマエは俺を見てくれねぇんだろう。なんで周りはナマエと結婚することを許さないんだろう。問い掛けてみても一向に答えが出てこない。

全てが全て親父のせいじゃないことは理解している。それからナマエの立場上、拒否せざるを得ないことも。でも、好きになっちまった以上そう簡単に諦められるはずもないだろう。

領主の息子、時期領主。
そんな肩書きが邪魔になったのは、はたしていつからだったか。ナマエに恋したこと自体には後悔なんてしねえけど、自身の生まれを後悔することは、今でもたまにある。




ナマエとの交換条件で仕方なく臨んだ見合いは驚くほどスムーズに進んだ。相手の名前はフィーデリカ。同い年で、曰く“めちゃくちゃ良家”の令嬢らしい。詳しくねえから知らねえけど。


クソ親父と、あちら側の公爵を交えた4名での会食を済ませる。朝から全く見なかったナマエがようやく現れたかと思えば何故か屋敷のメイドと同じ服を着ていた。
なんの意図があってメイドに成りすましてんのかが分からずに話しかけたら逃げられた。


その後は二人きりで狩猟に行ってこいとかいう謎の放任振りを発揮した親父を睨みつつ、ナマエとの約束もあるので素直に森へと向かう。

二頭立ての箱馬車に乗り込み、その中で少しだけフィーデリカと話してみて思ったのは、良家の令嬢だというにも関わらず、意外と良識的で全く天狗じゃない、ということ。
諸侯の付き合いもせず同い年の友達もほとんど出来た試しがなかった俺にとって、フィーデリカと話すのは新鮮で、思いのほか悪くなかった。

フィーデリカは魔法が得意だそうだ。魔法について語りながら笑うその顔は確かに美人で。白百合と評されるのも頷ける気がする。


ナマエは例えるなら、ガーベラかイベリスか。いや、マーガレットもアリだな。


白百合を前にしても、想うのは傍で咲くアイツのこと。存外重度な病にかかっていると我ながら思う。どうしてナマエじゃなきゃいけないのか、考えたこともねえけど、でも多分アイツじゃなきゃ嫌なんだろうな。


(約束、か。)


ナマエは自分と出かける代わりに今日の見合いを受けてくれと言った。俺もそれに従った形だ。そういえば狩りに出る少し前にも、念押しで“今日はフィーデリカ嬢を一番に考えて差し上げてください”って念押しされたな。

心配性、というより是が非でも見合いを成功させたいというアイツの心音が嫌でも伝わってくるようで。それがまた俺の心を幾重にも曇らせる。

生憎見合いを受けるとは言ったけど、フィーデリカを選ぶとは一言も言ってねえぞ。
と、そんな子供じみた主張を、この見合いが終わったらナマエに真っ向からぶつけてやろうと思う。

何度も言ったが、アイツ以外と結婚するくらいなら俺は家を捨てる覚悟だ。惚れた方が負けなんて言葉。俺がひっくり返してやる、惚れた方が勝つことだってあってもおかしくねえだろうから。



ーーーーーーーーーーーー

馬を駆け、森を進み始めてから早小一時間が経とうとしている。
俺は一度馬を止めて、時刻を確認した。見れば針が最後に見た時から丸一周しかけていた。そろそろ頃合か、戻った方がいい時間だな。懐中時計の蓋を閉じ、懐にしまい込んだ矢先、不意にフィーデリカが不安げな眼差しでこちらを見つめているのに気付く。

「どうした?」

「杞憂でしたら良いのですが……、」

「…?」

「何だか少し、暗くありませんか?」

「暗い……?」

「それに、着いてきてくださってた従者の方々も、殆どいらっしゃらないようです。」

ここは、何処でしょう?
静かに、でも不安げに。透き通った声でフィーデリカが問う。何処?何処って、……そういや何処だ?この森はこんなに暗かったか?

その言葉でふと我に返った俺はゆっくりと辺りを見回した。

……誰も居ねぇ。

フィーデリカの言う通りだ。俺たちが馬から降りたこの場所は心無しか生い茂っていて、暗い印象を抱かせた。しかもあれだけいた従者の誰も後ろについて来てはいなかった。

ここは何処でしょうか、という彼女の問い掛けに、満足に返答できそうな情報を持ち合わせていない俺は仕方なく押し黙る。


現在、地図は持っていない。どっち方向から来たのかも思えば曖昧だ。

更に従者の殆どがいない、ということは俺たちが間違えて道を外したか、従者が俺たちを見失ったか。……どっちも有り得るな。ナマエだけは多分近くには居るだろうが、そのままの格好でノコノコ出てくることはないだろう。

少ない情報から導き出せる答えは、

「ワリィ、迷った。」

「まあ。」

迷っちまったんだろうな、確実に。


「……まあ、でも大丈夫だ多分。護衛が一人だけ近くに控えてる。」

「あら、そうなのですね。」

それなら安心です。と不安げに揺れていた瞳が途端に安堵の色に変わる。その切り返しの早さに思わず面食らった。

「とりあえず、護衛と合流するか。」

従者は今頃発狂しながら俺達を探しているだろう。いつもの事ではあるが今日に関してだけは、流石に少し申し訳ないことをしたと思う。彼らにも、フィーデリカにも。

何とかしてナマエに現状を伝える方法を模索する。姿が見えなくても多分アイツは近くにいるはずだ……確証はねぇけどそう思う。その安心感からかモンスターや野盗が出没するかもしれない恐怖はあまりない。

早く帰ってナマエを安心させてやらねぇと。緩く馬の手網を引き前を向いて歩き出した、その時。


ーーーーー、

風を切る音が背後から響く、それと同時に近付いてくる不明瞭な笑い声。即座に振り向いても後ろには何もいない。

異様な雰囲気を感じ、馬から降りる。
誰かが近づいてくる気配、気のせいじゃなく確実にそれはこちらへ来ていた。

急ぎ帯刀していた片手剣に手を掛け背後に控えるフィーデリカを庇うように背に隠す。僅かに震えた身体が控えめに俺の袖に触れた、その直後。

頭上からいくつかの人影が目の前に落下した。


「よォよォお二人さん!!」

「仲良さそうに歩いてっと危ねぇよぉ!」


シミターを構えた、俗に言う盗賊らしき風貌の男たちが突如として数名立ちはだかり大声で笑いだす。突然の事態に、驚く暇もないまま俺は剣の柄に手を置いて固まった。

俗に言う、野盗集団。
そんなテンプレ通りなセリフを吐き出し、何がそんなに楽しいのか甚だ疑問を覚えるような笑い方でこちらを見ている男達が、現在俺達の前に立ちはだかっている。

なんでこんな奴らがこんなところにいるんだ?など呑気な思考を回せるくらいには、どうやらまだ余裕があるようだ。しかしそんな風に感じていられたのも、今のうちだけだったらしい。

「身ぐるみ置いてきな!!」

「きゃあ!」

「フィーデリカ!」

この場をどうやって切り抜けるか、頭を回し始めた直後、目の前にいた男に気を取られている隙に、いつの間にか背後も囲い込まれていたようで。甲高い悲鳴が聞こえた瞬間、反射で背後を振り向くとフィーデリカが武器を突きつけられているのが見えた。


「チッ、」

油断した、と言い訳するのも見苦しいくらいの体たらくだった。安心させてやらねえと、言ったそばからこれかよ、と我ながらその不甲斐なさに思わず舌打ちが出る。

(しくじった。)

盗賊の狙いは一般人とは違う身なりをした俺達の持つ宝飾品やら衣服やら、とにかく身ぐるみ全てであることは明確だった。身ぐるみ置いてかねぇと要はフィーデリカが無事では済まないことになる。


俺の身ぐるみ程度で済むんなら別にいい。ただフィーデリカは無傷で出来れば家に帰してやりたいとも思う。何より貴族の一人娘に、野盗に襲われて下着姿にされるなんて経験は出来ることならさせない方がいいだろうしな。

戦闘も考えたが、俺が同時に戦闘不能に出来そうなのは精々5名が限界で、視界にいる盗賊の人数は8名。しかも人質をとられている。もし倒しきれなければ、倒し損ねた奴らがフィーデリカに危害を加える可能性が高いことを考えると決していい策とも思えない。


(背に腹は替えらんねぇか……。)

眉間に皺を寄せる。選んだ選択肢が、俺にとって決して小さな問題ではなかったからだ。しかし今は無傷で帰ることが最優先であることも、よく分かっていた。

仕方なしに俺は剣から手を降ろし、何時も肌身離さず携帯している懐中時計を奴らに向けて掲げて見せる。

「…売れば数百万する時計だ、これで手を打ってもらえねえか。」


言葉と同時に俺が掲げたそれは、俺にとっては何にも代えがたい特別な意味を孕んでいる。今はいない母から、俺の5歳の誕生日に贈られたその時計は、言うなれば宝物だった。

俺が渋々そう告げると同時に、時計を一瞥した男達の目の色が変わる。遠目でも一目で時計の価値が分かったらしい。正直手放す気なんて一度も起きたことがなかったが、それにしてもまさかこんな所で失うことになるなんてな。

薄汚い格好の男が受け取りに寄ってくるのを憎々しげに見つめながら、嫌々時計を差し出したその時。



“汚い手でその御方に触るな”

「ぐえ!」

突然彼方から誰のものとも取れない声が降ってくる。その声にびくりと肩を震わせて背後を振り向いた男が、いきなり奇声を上げて倒れた。


剣の柄に手を置いたまま停止した俺に、不意に投げかけられる凛とした女の声。いつの間にか野盗ではない黒衣を纏った人物が目の前に立っている。

「ご無事ですか?」と俺に再度投げかける女の顔は、今はフードで隠されて伺えない。
そのまま視線を逸らすことも出来ずただ目の前の人物を見つめると、そいつは顔をふいと逸らした。

不思議と誰だ?とは疑問に思わなかった。フードで顔を隠していても、雰囲気で何となく正体を察することが出来たからだ。そもそも慣れ親しんだあの声を、俺が聞き間違えるはずがねぇ。


「ナマエ…、だよな?」

「ええ。」

やはり近くに来ているだろうという考えは、当たっていたようだ。俺の問いに素直に頷いたナマエは、それ以上何も言わず無言でロッドを振り抜いた。その動きに呼応するように空から獰猛な鳴き声が聞こえたかと思えば、刹那恐怖に震える盗賊の一人をどこからともなく飛んできた強靭な尾が薙ぎ払う。衝撃で目の前の男が飛ばされていった。


風を切る切っ先、そして見覚えのある色彩。
面影のある横顔は普段より一層精悍な顔つきになっていて、今は金の轡がはめられている。
俺の知ってる奴とはちょっと違ぇけど、
もしかしてアケミ、なのか?

「やれ!」

痛い目見せてやって。静かに彼女が呟く。
怒りの滲んだ声色が敵意を剥き出しにして怪鳥の名前を呼んだ刹那、アケミに似た怪鳥の胸飾りに光が収束し始める。

気づけば辺りは阿鼻叫喚の渦中。俺を取り囲んでいた男達は一様に、黒衣の召喚士に背を向け逃げ惑っていた。さっきまでの威勢は一体どこへ行ったのか。


「うわぁぁあ!助けてくれぇ!」

「手遅れだってのに……この、無礼者が!」


“恥を知りなさい!”

普段の態度からしたら中々お目にかかれないような般若の面持ちで、盗賊相手に怒鳴り散らす横顔を呆然と眺める。この世界でも指折りに怒らせてはいけない存在が、今確かに目の前で憤怒に燃えている。

アケミに蹴散らされながら飛んでいく野盗を遠目に見つめながら、静かに同情した。

あんなに怒ってるところ、久しぶりに見たな。あのレベルの怒髪天は、今回の件と俺が通算5回目の家出をした時くらいか?

……まあ、同情はする。けど、結局ナマエをあそこまで怒らせたことが運の尽きで。若干やり過ぎな気もしなくもねえけど所詮は仕方ないことなんだろう。

仕上げとばかりに眩い輝きを伴って収束された光柱が盗賊達を頭上から貫く。俺は眩さのあまり反射で目を閉じ顔を逸らした。閉じた瞼を恐る恐る開き、辺りを確認する。死屍累々のど真ん中に一人だけ立っていたのは、



「ふう、」

清々しいまでの笑顔とため息を吐き出し、まるでひと仕事終わったばかりの大工の様な顔つきでナマエは斜陽の空を仰ぎ見た。

「ショート様お怪我はございませんか?」

けろり、何事もなかったかのような雰囲気でこちらを振り向く彼女は夕日を背負って慈愛に満ちた表情のまま俺の目を真っ直ぐに見つめている。

身元をバラさない為に着用したローブがさっきの衝撃で吹き飛んだことに、果たして気付いているのかいないのか。ナマエに召喚されたもう一体の人馬型召喚獣の背に乗ったフィーデリカが背後で呆気に取られすっかり脱力していることも知らず、怪物じみた風貌からいつものアケミに戻りつつある愛らしい鳥の頬を撫でながら。
彼女は迷いなく俺へと手を差し伸べた。

「さあ、帰りましょう。みなが心労で倒れる前に。フィーデリカ様も、ご無事で何よりですしね。」


そう言ってこちらを振り向いた瞬間「……あっ!」と瞬く間に焦りに染まった顔が悲鳴を上げる。「し、召喚獣……うそ、まさか、」と呟きながら呆然としているフィーデリカに気づいたようだった。
そばからみるみる挙動がおかしくなり、手に持った杖を今更意味ねぇのに背後に隠して「ちっ、違うのです!これは…っ、その…、私は!」などと怪しすぎる弁解を始めるナマエ。


まあ、そうなるだろうな。

肝心なところで詰めが甘いのはいつものことだ。ああやってよく動く唇も、自分のことを二の次にして憤怒したあの眼差しも、差し出された細い手も、いつものこと。


ああ、そうだ。俺は、ナマエだから守りたい、ナマエだから愛しい、ナマエだから結婚したいんだと、そう思ってたんだ。
最初から理由はそこにあったのに、今まで何で気づくことが出来なかったんだろう。



「なあ、ナマエ。」

「なんですかショート様!」

相変わらずテンパって大きな墓穴を完成させているナマエに近付きローブに隠れた左手を包む。左手には俺が嵌めた魔法の指輪が、嵌めた時よりも一段と輝きを増して薬指に鎮座していた。

どうやら世界の全てが俺達を拒否したとしても、コイツだけは結婚を認めてくれるらしい。思わず軽く笑みが零れた。
俺はやっぱりお前を諦められない、お前との結婚を必ず親父に認めさせる。だから、お前はずっとそのままの、俺にとっての光のままでいてくれないだろうか。


「結婚してくれ、ナマエ。」

「えっ、何で今!?」

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