Sneak



揺れる萌黄色のドレスの裾に、柄にもなく見惚れる。上等な箱馬車から音も立てず舞い降りたその人はまるで天使の如き振る舞いだった。我が主にエスコートされるまま、屋敷の庭先を歩むかのお方からは白百合のいい香りがした。ああ、なんと可憐なのだろう。

普段とは違う衣服に身を包んだショート様と並び立ったそのお姿は、言うなれば瞬間を切り取られた絵画、永遠を象徴するアダムとイブのようで。


(はぁ、眼福眼福…)

素敵なお二人を掛け合わせると何故こうも幸せな空間が出来上がるんだ…。魔術方程式にも載っていない未知の連鎖反応が繰り広げられている光景に、慣れない給仕服のエプロンを押さえながらもその後ろをついて行く。

普段なら気を抜けばすぐにでもナマエと名前を呼んで傍までやってくるショート様も、流石に今日は借りてきた猫のように大人しくて、それが逆にちょっと恐ろしくもあった。

今日は待ち望んだ、フィーデリカ嬢とショート様のお見合いの日だ。

絶対に失敗は、許されない。






両家の顔合わせと会食も一段落した頃、慌てふためいている私は給仕服のまま給湯室を飛び出す。ショート様に余計なことを何一つ言うなという肝心の釘をさし忘れた所為で、先程の会食が危うく悲惨なことになるところだったからである。いやもう、本当一刻も早く釘ささなきゃ。

サラッと爆弾発言しちゃう貴族No.1の座に君臨している我が主。流石に借りてきた猫のように大人しい振る舞いとは別に、その言動は例に漏れず本日も至ってマイペースまっしぐらなのでした。




女の魔道士が主人のそばで護衛をしていると、相手の令嬢も良い気がしないだろうということで、とりあえず何が起きてもショート様を守れるように給仕係兼有事の護衛として会食に同席することを許されたのも束の間の出来事だった。事の発端は食後のお茶を出すべく向かい合ってにこやかに笑うフィーデリカ嬢の元へと躍り出た時のことである。


“フィーデリカ嬢のお好きな紅茶を、ショート様の計らいでご用意しました“と偽って出すように、という給仕長の一言を受けた私。
「ショート様より、フィーデリカ様のお好きな紅茶をお出しするように、と仰せつかっておりましたので。」と言われた通りに彼女にそれを伝えた瞬間、事件は起きた。


「…?そんなこと言ったか?」

目を丸くしながら。あろうことかフィーデリカ嬢の目の前でそう告げる主人。途端に世界がピシリと割れた鏡のように停止する。

いま、なんと??
貼り付けた笑顔でぎこちなくショート様のお顔をまじまじ伺えば、その顔は至っていつも通り麗しいままで。

世界そのものが固まり停止する最中、世界と同様に私も固まる。主のあどけない顔と、え?という表情に染まったフィーデリカ嬢のお顔が焼きついて離れない。


正直なところ、もしかしたら意図を汲んで頂けないかもしれない、って確かに想定はしていた。でも、同時にまさかテンプレ通りにはならないだろう、ショート様ならきっと大丈夫だってちょっとたかを括ってたのも、実際のところで。


「嫌ですわショート様、ご自身のことをお忘れになるなんて。」


後悔先に立たず、たかを括ったのがそもそもの間違いだったのか。咄嗟に、あくまで悟られないようにと想定内の言葉でその場を上手く躱したものの、しかしそこは流石我が主。全くこちらの意図など知らないとでも言うような素振りで不審そうな眼差しをじっとりと私に向けたのち、更にダメ押しで「てか、ナマエお前…なんで今日そんな格好してんだ?」と問い掛けたのだった。

ここ最近休むことなく抱えまくりの頭。せめて頭を抱えた数だけお給金が増えないかな。……いや、無理か。

後でお説教が必要になると思うと、思わず長すぎる溜息が漏れる。頭は案外冷静だが、落ち着き払った心境とは裏腹にこれから訪れる困難を考えるとただひたすらに憂鬱である。

とりあえず逃げよ。苦笑いで「は、はは。少々失礼いたします。」と告げてから、私はその場を離れた。





そして現在、



場所は変わり、ここは屋敷から南方に数キロ箱馬車で進んだ森の中。

フィーデリカ嬢より先に馬車を降りたショート様に、目立たないよう近づく。ショート様は連れてきていた愛馬の背を撫でながら明るい森の入口で呆けていた。

これからお二人は馬に乗って森の中で狩猟を嗜む予定である。その準備に従者はみな忙しそうに猟銃の手入れやら馬のコンディションアップに勤しんでいた。私も無論その一人として作業に駆り出されている。



「ショート様、私狩りは初めてなのですが、お邪魔ではありませんか?」

「ん?あぁ、大丈夫だ。俺もあんま狩りは得意じゃねえけど、みんなついてる。」

「お気遣いありがとうございます。楽しみですわ、ショート様のご勇姿をしかと特等席で拝見させていただきますね。」


銃身を磨きながらお二人の会話に耳を澄ませてみると、意外にもお似合いなお二人からはお似合いな会話が聞こえてくるじゃないか。
やっと一息つける安心感から、少しだけ顔に余裕が出てくる。お二人の会話を聞いて思わずニヤついてしまった。このまま私が気配をいい感じに消し続けられれば、今日という今日はフィーデリカ嬢にだけ集中して下さるかもしれない。



「私は本日給仕としてお供いたします。フィーデリカ様のことを一番に考えて差し上げてくださいませ。」


先刻ショート様に釘をさしたのが功を奏したのかは分からない。しかし少なくとも私からは主の興味が逸れている模様。一時はどうなるかと思ったけど、何とか丸く済みそうだ。このままフィーデリカ嬢とご成婚まで行ってくれたなら……ふふ、私の悩みの種も一気に解消されるぞ、ふふふ。


「ナマエ、そろそろ出発するぞ。」

「はっ、失礼いたしました。ただいま!」



若干意識がお二人の会話と妄想の境界を行き来しかけたその時。銃身を磨きすぎて鏡面みたいになった銃を、ショート様が刹那歩きざまに奪っていく。後を急いで追うとそこには狩りの為に藍色の外套を羽織ったショート様と揃いのローブを纏い、主の馬に腰掛けたフィーデリカ嬢のお姿があった。

やっぱり二人揃うと眼福だ。本来の使命を忘れそうになって、こんなんじゃダメだと頭を振る。森で狩猟という不確定要素、しかもフィーデリカ嬢は初めてだと仰っている。万が一にもお怪我をさせる訳にはいかないし、擦り傷のひとつでもつけないように細心の注意を払わなきゃ。

「ただいま参ります!」

そのお姿はまるで白馬に乗った王子と姫さながら。ゆっくりと闊歩する佐目毛の馬の後ろを荷物片手に着いていく。向かう森の中は木漏れ日と鳥のさえずりで溢れていた。

さて行きますか。ここからは私達護衛の仕事だ。気合を入れて普段とは違うドレスの袖を捲り上げる。私は持ってきた折り畳み杖を展開して小さく呪文を唱えた。

アケミちゃん今日もよろしくね。









ーーーーーーーーーーーーーーー


「ショート様、ここは、何処でしょう?」

「………ワリィ迷った。」

「まぁ。」




まあ、じゃない。まあじゃないよ御両人。本当冗談じゃない。まさかこんなことになるなんて、流石に想定していなかった。やっぱり丸く済みそうなときなんて、私には来ないんだろうな。


現在、私達は森の入り口から出発して、周りには同じ景色がずっと広がる森の岐路へと差し掛かっていた。かれこれ1時間は経過する、といったところか。


さてここは、どこだろう?今この場にいる誰にも多分分かっていない。そもそもこの場に居るはずの従者が私しか居ない。それは何故か?簡単だ、ハンティングの傍ら、獲物を探して奔走するショート様の馬術に他の従者が振り落とされたから。そして、そのままアケミに乗っている私以外を置いて道に迷われたからだった。


(なんてこと……。)

早すぎて、アケミだとギリギリ見失わない速度。せめて私だけは見失ってはいけないと必死になって追っかけてたら私自身も地図把握出来なくなっちゃったよ…護衛失格かな。


この森は水鳥の森と呼ばれていて、丁度エンデヴァー領の南西に位置している。けして危険な森ではなく、たまに他の貴族がこうやってスポーツハンティングを楽しみに来るくらいの美しい森なのだが、一歩外れてしまうとより道が深くなる少々注意が必要な森だった。

地元民はじめ、領に属するものなら誰しも分かっていることだがショート様に限っては知らなくても仕方ない。あまり出歩かせてもらえないお方だし。


「皆さん、心配しますよね……。」

「そうだな。」

(あぁ、…アケミちゃんにお二人をお乗せすればすぐに元のルートへお連れできるのに!!)


出来ないのが歯痒い。森の中で同じ木に囲まれているから余計道に迷うのだ。私の力なら空から一発でとりあえず拓けているところまで連れ戻せるけど、それは同時に魔法に長けるフィーデリカ嬢に、結婚を所望する相手に得体の知れない従者がいる、と気付かれてしまうという大きなダメージを伴う。

なんとかしてショート様のお力で帰っていただかなくては。思考を巡らせる。何か、何か出来ることは無いだろうか。アケミの吐く炎で道標でも作る?…いや、森の中で炎を使うのは燃え広がる恐れがあるからダメだ。

「うーん、」


そうこうしている間にもお二人を乗せた愛馬はゆっくりと奥へ進んでいく。急ぎ追従してその後を追うと、改めてショート様の馬術の高さを思い知る。アケミとか人馬型の召喚獣なら問題無いけど、並の馬じゃあれにはついていけないな。


「通りで私が護衛に着任するまでの間、誰も専属護衛が居なかった訳だよ。」


後ろに乗せたフィーデリカ嬢があまり揺れていない所に関心していたのも、僅かな時間。

危機は突然間口を開けて訪れる。





「ーーーーーぇ、」

その時、私の目が、眼窩の木々の隙間を縫うように飛躍する黒い影を捕捉した。


影は速度を増しながら尚も明確な意志をもつかのようにショート様目掛けて飛んで行く。
なんだあれ?と思うより早くその影はどんどん数を増やしあっという間に馬との距離を詰めていってーーー、



あれは、まさか。

アケミを下降させると、影たちが何かを交互に話しているのが分かる。男の声だ。低い声で笑いながら素早く木々の隙間を縫っている男たちの声がする。


森の奥深い部分で、明らかに装いが平民と違う馬に乗った人間を襲う輩なんて、ひとつしかないじゃないか。


「しまっーーー!」


お二人を助けないと!咄嗟に影に囲まれつつある馬目掛けて魔法を射出するも、間に合わなかった。遠方からの魔法弾が当たるはずもなく木々に弾かれる。あっ、やばい。と声にならない焦りが脳内を駆け巡った刹那、影が素早く森の中に煙幕弾を撃ち放った。


「よォよォお二人さん!!」

「仲良さそうに歩いてっと危ねぇよぉ!」

「きゃあ!」

「身ぐるみ置いてきな!!」




ここへ来てまさかの強盗襲来とか、本当シャレにならない……と思うんですけど、そう思うのって私だけなのかな?

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