ショート様が懐の懐中時計を一瞥した。時刻はどうやらおやつ時。街はその日一番の賑わいに活気づいていて、ショート様のお顔も普段より一際弾んでいるように見えた。
方々からやれ「活きのいいメンゴダイだよー!」だの「あらショート様がいらっしゃるなんて珍しい…良かったら見てってくださいな!」だの「クリームシトラスフラワーのジャムです、どうぞ召し上がれ。」だの軽快な声が響いている。
その出店に引っ張りこまれては餌付けをされている我が主の姿に若干の呆れ笑いを飛ばしながらも、満更でもなく楽しんでいる様子の主の明るい表情を見るとどことなく嬉しい気持ちになった。
とてもいい顔をしていらっしゃる。二人だけでお出かけすることになった経緯は様々あれど、お連れしたこと自体は決して間違いではなかったのかもしれない。
街は第一王子の誕生を祝う祭りで沢山の色に満ちている。いつの間にか華やかな花冠とレイを纏ったショート様が、私にと買ったばかりのアイスキャンディーを差し出してくるなり「食うか?」と一言発した。
私の目の前に現れた主は既にアイスキャンディー以外の何かを咀嚼し、口をもごつかせている。つい先ほど試食はいかが?って聞かれてた好物のソバ麦煎餅を召し上がっているのかな、多分。さっきより更に顔色が明るいからきっと当たりだろう。
……領主のご子息ともあろう方が買い食い…とバレたらまたエンデヴァー公にシバかれそうな事実に半目になりながら「いただきます」とアイスキャンディーを受け取った。とりあえずもったいないので、急ぎ溶けだした雫をひと舐めする。
わ、甘い。
凄く美味しい…食べたことのない味だ、珍しい果実を使っているのだろうか。
風味につられて私の頬が自然と緩んだその時、ショート様は私の顔を見てふわりと微笑んだかと思えば、不意に彼は私の手を握って隣へと腰掛けてきた。
「ぅあ、」
あまりにも変な声。まがりにも一人の女性であると言うのに、堪えきれず上がってしまった醜い呻きが木霊する。こんな外で、人の目が沢山あると言うのにこのお方は…!
主のお顔と恋人繋ぎになった自身の手を交互に見ても、主はまるで知らん顔で、何か問題でも?と開き直るレベルの涼しい顔のまま見つめ返してくる。うう、顔がいい…何も言えなくなる自分が情けない。
「今日だけはいいだろ。」
「ーーっ!本日だけですからね!よろしいですか!?」
「ああ、今日だけだ。」
今日だけ、今日だけ特別だ。そう言い聞かせて絡められた手のひらを主の方に寄せる。赤くなった頬を見抜かれてしまって、それがまた羞恥心を煽った。
「顔真っ赤だぞ。」
「慣れないことをしているのですから、仕方ないじゃないですか!」
「…誰とも手繋いだ事ないのか?」
「そっ、う…ですけど…!何か問題でも?」
「いや、何も。ただナマエと初めて手を繋いだのが俺なんだって分かったから嬉しい。」
「ほあ……」
私は計らずとも二度目の奇声をあげる。情けなくて笑えてくるよ…私、これでも伝説とまで言われた大召喚士なんだけどなぁ。
それでも手を無理矢理外すまではしないことにして差し上げることにする。…ああ、もう私って本当、ショート様に甘いよね。
ことの始まりはショート様がお見合いをしているという噂を聞きつけた数多の令嬢が、先日もまた一人お見合いを申し込んで来たことに起因する。
ご令嬢の名前はフィーデリカ嬢、ハテノ地方きっての名家の令嬢で、魔法の技術も一流だという。更に上品な鶯舌と雛菊のように可憐な容顔を持つ大変愛らしいお方だった。
そんな方がお見合いを申し入れてきた、という事実をエンデヴァー公が勿論見逃すはずもなく。
そこからは今回も例に漏れずショート様とエンデヴァー公がまたバッチバチの親子喧嘩になだれ込み、挙句ショート様が私を拉致って家出しようとし始めて。
流石に焦ったエンデヴァー公が「何とかショートを見合いに向かわせろ」と無茶ぶりを振ってきたものだから仕方なく“お見合いをお受けくだされば、貴方様の我儘を一つ叶えて差し上げます”と私が提案するまでが一セット。
そしてそれが私が主君と二人きりで誕生祭にデートしに来ることになった理由である。
聞けばあっさりとお見合いを受けてくださったショート様。
なんでそんな、急に素直に?一体何を要求されるんだろう…はっ、まさか…か、身体とか!?と、あらぬ方向に思惑を向かせてどうしようそれだけはダメだ!そんな、官能小説みたいな展開…あの坊ちゃんにはまだ早すぎる!なんて失礼極まりない能天気な思考を持て余していたのだが、実際の要求は「俺と、二人きりで出掛けて欲しい」という至極可愛らしい要求で。
「へっ?あ、はい…かしこまりました仰せのままに。」
「……なんかちょっと面食らってねぇか。」
「そんな小さなことで良いのかと、戸惑っております。」
「そうか。」
それ以上は何も聞かれないまま。そして迎えたのが、他ならぬ今日だったわけなのです。
「あ、ショート様、子供たちがダンス踊りはじめましたよ。」
「本当だな。」
「あれ、お祝いの踊りですね。」
アイスキャンディーも全て溶かし終えた頃。
主と並んでレンガに腰掛け呆けながらふと広場を見遣ると、広場でくるくると鮮やかな衣服に身を包んだ子供たちが踊っていた。
軽やかなステップとターンが入り乱れ色と花の洪水がいたる所で起きている。近くを花冠で着飾った女の子が通り過ぎる度にいい香りが鼻をついた。なんだか微笑ましくて素敵だ。
「凄く素敵…。」
「一緒に踊らなくていいのか?」
「えっ、わ、私はそんな……遠慮しておきます。」
踊りたくないのか、と突然聞かれ面食らう。そ、そんな踊りたそうな顔してたのかな私。たしかにちょっと混ざってみたいなとは思ってたけど…。
ここ最近まともに運動していないしなぁ。
更に言うなら生まれてから修行と勉学に心血を注いで生きてきた為、祭りなど殆ど参加してこなかった私にとって、大人子供問わず手を取って踊る彼らのことが羨ましく見えてしまった。
……とは言っても!
(一緒に出掛けたいと仰っていただいた主を放置して踊りに参加するなんて…どう考えても出来ないよね?)
あのお方を放り出してまで踊れるものか。
「…混ざりてぇって顔してるぞ。」
「いや!断じてそんなはず…!」
「……。」
何か言いたげな顔をして、それでもショート様は口を噤み何も言わずにいてくれた。多分私が踊りに参加したいっていうのが100%バレてるんだろう。それでも遠慮して、あえて言葉にしないでいて下さるのは主なりの優しさかもしれない。
「あ、」
「え?」
混ざりたい気持ちを抑え私は大人しくレンガに腰を据え続ける。その間のショート様はといえば、私と同じく何も言わずに広場の様子を少しの間共に眺めていたが、不意に「あ」と短く声を吐いた。
つられて主のお顔に視線を向けると、その人は何故か思いついた、といった表情で。
「どうかなさいました?」
「一緒に行くか。」
「…はい?」
「俺と一緒に混ざれば、お前も気に病まなくて済むんだろ?」
「ちょっと何を仰ってるのか…」
「行くぞ。」
「えっ、ちょっと待っ」
呟くと同時に、突然立ち上がり私の手を引いて歩き出すショート様。その背中に目を向け、私は途端に焦り出す。えっ、また何を言い出すのこのお方は…!!本当にご自身の立場を分かっていらっしゃるのだろうか。いや、絶対分かってない…今に始まったことじゃないけど。
ダンスの輪の中心に有無を言わさず連れられ、そのままなすすべ無くホールドに持ち込まれる。ややアップテンポな祝いの民謡に合わせ、難なくショート様はステップを軽やかに踏み始めた。対する私はホールドされてしまったことによってグッと縮まった距離に再度あたふた中である。
「わっ、わわ…!」
「お、」
案の定ろくにステップも踏めないまま。というか私ショート様と違って舞踊なんて嗜んでないし!縺れた足が絡まってしまって、主の方によろけた。咄嗟に支えられ、エスコートする為の手が優しく私に触れた。その刹那軽快な音楽が全て世界から遮断されたかのように耳に入ってこなくなる。
「ひぇ、申し訳ありません!」
「ナマエ、落ち着け。俺に合わせろ。」
「う、はい。」
耳元で囁くショート様の声に、改めてホールドを組み直して深呼吸をした。落ち着け、折角我が主が気を使ってダンスに私めを誘ってくださったのだから。……諸問題を全てすっ飛ばして、行動に移してきたとはいえ。
右、左、それからリバース。
スムーズにステップを刻む足元に導かれるように、私の足も合わせて踊る。藤灰のローブがまるでドレスのように揺れた。
あ、意外と踊れるようになってきたかも。
「その調子だ。」
「ありがとう…ございます。」
曲も佳境で、周りで踊る他の老若男女の組もステップを早め飛び跳ねている。とても楽しそうに満面の笑顔だ。
手拍子が湧き上がる。
観客が私達を見てにこやかに笑っている。
なんだか凄くいいな、こういうの。自然と零れてしまった笑みに、ふと我に返って主のお顔を伺う。見ればいつぞやと同じ、なんとも幸せそうな眼差しが私を見ていた。
「あの、お心遣い誠に…」
「いや、いい。気にすんな。」
「ですが、」
「俺が好きで付き合ったんだ。」
そうは仰いますけども…。私の顔はダンスが終わった後も若干浮かない心持ちだった。
これからお見合いを控えている清廉潔白でなければならない筈の大公の御子息と、正式では無いとはいえパートナーとして踊るなんて、本来許されていいことじゃない。
「ですが、ご無礼を承知で申し上げますとショート様は気になさらないかもしれませんが、本来組でのダンスというのはもっと重要な意味合いがございますので…」
婚約者として迎える女性としか、ああいうのはやってはいけないこと。確かに社交会じゃないしたかが街の祭事でたまたま踊っただけ。
でもやっぱりそういう部分まできっちりしておかないと、しがらみが大きい貴族という立場上、色々とまずいのだ。
あとエンデヴァー公に知られたら大惨事って個人的な理由もある。
恐る恐る申し立ててみたはいいけども。絶対また「俺と結婚すんのがそんなに嫌なのか」系の言葉が飛んでくるんだろうな。
見れば想像にかたくなく、主の精巧な神像彫刻にも負けないほどの美しいかんばせがむっつり不機嫌フェイスに染まっていく。ほらみろ貴方様という方は…折角整った目鼻立ちなのにそんなお顔するのだから、まったくもう。
「俺はお前意外と結婚しねぇって…何度言ったら分かるんだよ。」
「勿論存じております…しかし私だけの問題ではありません。ですので、本日のことは…今後一切他言無用でお願いさせて頂きたくですね。」
「………秘密にしろってことか?」
むっつり不機嫌フェイスのまま片眉を少々上げてちらりと私の顔を主は一瞥する。明らかに怒ってるな…これは。前にその、唇噛まれた…時と同じ顔してるし。
しかし退くわけにはいかない。
「その方が私のためにも、貴方様の為にもなりますから。いかがでしょう、私とショート様二人だけの秘密…といったら、虫が良すぎるでしょうか…?」
上目遣いで、私より少し高い位置にある主君のお顔を覗き込んで。やや唇を曲げ、おねだりをする子供の顔を意識したことに関しては明確なある意図を待ってやった。
惚れた方が負け、それはいかなる時でも恋愛における絶対的なルールなのだ。
駄目押しで声には出さない「ね?」の仕草をしながら。首をこてりと傾けて自分の中になるべく愛らしい子供像を描く。
陥落までは近いかもしれない。最後の手段だ、と唇を尖らせ真っ直ぐに主の煌めくオッドアイを見つめ返す。
ショート様は無言を貫いてはいたが、やがて一際大きなため息を吐いたのち、
「……分かった。」
小さく白旗を振った。
(こ、これは…!)
これは、今日の今日までほぼほぼ勝てた試しもなく毎回振り回されまくっていた私の初めての勝利と言っても良いのではなかろうか。
初めてショート様の言い分を治めた…!
エンデヴァー公、私もしかするとショート様のご機嫌のとり方を、遂に学んだかもしれません。この方法で失ったものは少なくなかったかもしれないが、それでも大きな前進だ。
「分かっていただけますか!」
ショート様が私の言ったことを聞き入れてくださったというその事実は、私にとってはどんな宝物より価値あるもの。
喜びのあまり満面の笑顔で主のお手を取る。
「ああ、分かった。」
そう言ってショート様は伏せ目がちに微笑んだ。ああ、まただ。先程のダンス中にも見せた自分のことのように幸せそうな眼差しが私を見ている。
美しさで他人を赤面させられるような人なんて、この世にひと握りもいないんじゃないかな。思わず見とれてしまって、私の顔から笑顔が消えた。
しかし喜びに浮かれていたのもつかの間、差し込んだ頬の赤らみが主張を強めるより早く、何故かショート様の天使の微笑みが僅かに何らかの意図を持った含み笑いに変わる。
「その代わりーー、」
気がついた時には再度複雑に混じりあう指と指。
二度目の恋人繋ぎと、近付いてくる端正な顔。直感が警鐘を鳴らし心臓がばくんばくんと激しく鼓動を打ち始めたところで、ようやく我に帰った、けど。
あ、やばい逃げ
しかし間に合わない。
「あーー、もーー!また…、またか…!」
何で何度も何度もされてるのにショート様からのキスとなると避けられないの私は!
勢いよく手を振りほどき、触れるだけのバードキスが落とされた額を押さえた。うわ、もうなんかどこもかしこも熱っつい!
顔は火を吹く寸前というレベルの赤、そんな私の羞恥心に悶え暴れる様を見て主は満足げに上品に笑みを浮かべている。いや、天使みたいな顔してるけどもしかして中身悪魔なのかな。
「だから、そういうことは将来の奥方に好きなだけして差し上げてくださいと、あれほど…あれほど…!!」
「……将来の奥さんって、お前だよな?」
「ダメだ!話が通じない!」
たとえ頭を抱えた回数だけもしもお給金が頂けたとして、このお方のお相手は絶対したくないなとそんなことをふと思う。
二人だけの秘密の一日はまだまだ終わらない。辺りで遊んでいた子供たちが不思議そうな視線を向けて私達を見ていたけれど、余裕のない私はお構い無しに絶叫した。
ほんと、これだけやったんだから、お願いですからフィーデリカ様とのお見合いをきちんとお受けくださいませ、と願うばかりだ。