Epilogue



カーテンが揺れる。白く、柔らかな影をまといながら、それはふわりと舞い上がる。この王国にもいよいよ冬がやってきた。開け放たれた窓からは冷えた風が入ってきており、心配してくれた馴染みのメイドさんが「閉めますか?」なんて問い掛けてくる。確かに少しだけ寒いような気もしたが、何となく開けておきたいという気持ちが勝った私は「そのままで大丈夫。」と微笑んだ。

いよいよですね。と何の気なく呟いた彼女に、私は照れ笑いを浮かべながら「未だにちょっと信じられない」と返す。プロポーズを受諾してからは早いもので、かれこれひと月が経過した。あれからもうひと月かぁ、としみじみ思う暇もなく忙しい毎日に放り込まれ、そして今日を迎えている。そんな私は今現在、婚礼の儀を執り行うための準備中だ。


「私はいつかきっとこうなるって思っていましたけどね。」

「え、本当に?」

「……だってショート様凄かったじゃないですか。」

花嫁が着るであろうコルセット。後ろに垂れている麻のリボンをキツく絞られた拍子に変な声が出たこの瞬間ですら、まだ実感が沸いていない。もうそろそろ腹を括れと言わんばかりに今一度リボンを引かれて思わずぐえ、とこれから結婚式を迎える花嫁とは到底思えないような声を上げてしまった。

凄かった、と評されるくらいにはやっぱり傍から見た私達は大層盲目に見えていたのだろうか。やだなぁ、恥ずかしい。……事実だから隠すことも出来ないんだけど。なんて思っていた矢先、仕上げにもう一度コルセットを締められる。


「ぐ、もうちょっと優しく…」

「だめですよ、妥協は許されません。」

「ええ……」


曰く、晴れの日なのだからいつも以上にしっかりしなければということらしい。貴族というものは色々面倒だからこうなるのも無理はないかもしれないが。項垂れながら机にもたれかかって息を整えていると、フロントのフリルを手にした彼女と鏡越しに目が合う。


「でも、良かった。」

「……何が?」

「ナマエさんとショート様のこと、本当はとても応援してたんです。」

「え、」

「少し前まではエンデヴァー公の目が厳しかったから言えなかったけど、」

コルセットの着付けがようやく終わったようで、「さあ、」と続いて袖を通すよう促される。ベルベットで出来た柔らかな袖に腕を通すと、次は腰にパニエとペチコートを勢い良く巻かれた。ウェディングドレスって、こんなに重いんだ。その重装備っぷりには思わず息が詰まりそうだ。


「エンデヴァー公も変わられましたから。」

「うん、そうだね。」

「不思議ですよね、あれだけ顔を合わせれば喧嘩ばかりだったあの親子が。」

ぐいぐいとスカートの脇から布が詰め込まれる。ボリュームを出すための布らしい。そこまでしなくても良いよ、と言いかけたけど止めておく。めいっぱい、これでもかと詰めた彼女が次に手を伸ばしたのは窓辺に並んだイベリスの植木鉢だった。
どれにしましょうか?無邪気に聞いてくる横顔には迷わず白のイベリスを指差して、私は植木鉢を持ったその前に跪く。

「一時はどうなるかと思ったけどね……」

「そうですねぇ、確かにショート様が居なくなられた時は本当にどうなってしまうのかとヒヤヒヤしましたけど。」


そのまま柔らかな声が降ってきて、そっと頭に生花のコサージュが飾られた。刹那、ふわりと広がるイベリスの香りにふと懐かしさが押し寄せる。花言葉はなんだっただろうか。ああ、確か初恋の思い出、だったかな。独特の甘い香りと可憐な花弁には切ないくらい覚えがあって。
主が私に似ているから貰ったと言っていたこの花も、まさかこんな一世一代の大舞台に引っ張り出されるとは、夢にも思ってなかっただろうに。


「だからこそ、全てが上手くいって良かったなって思うんですよね。」


私はきっと世界で一番の幸せ者だと、人は言うだろうか。今なら、その理由が分かる気がする。
植木鉢を抱え、大事そうに窓際へと戻した後彼女が再びこちらを振り向く。


「どうかお幸せに、奥様。」

そう言って笑った眼差しは、まるで満開に咲いたイベリスのようだ。心から祝福してくれていることは表情を見るだけで分かった。少なくとも、そこに不純な感情など、何も無いように思えた。

「ありがとう。」


ナマエさんと呼んでくれていた彼女から初めて奥様と呼ばれたこと、そして幸せになってと言われるその意味がようやく、今日という日に帰結する。

夢心地だった不安定な存在が、指輪の交換という儀をもってただ一つの確かな証明になり、やがて私の胸の中にすとんと落ちていくのかもしれないと思うと、今にも叫びだしたくなるような、そんな気分だ。

今頃私の旦那様は、何を思って、そして何をしてるのだろう。考えては、待ち遠しくなる。はやる気持ちと裏腹にさあ仕上げですよ、と載せられた控えめなティアラがいよいよ私たちの終結と、そしてこれからを告げるような気がして、何故だかほろりと涙が出た。鏡には今までの私からはまるで想像もできないような美しい花嫁が映っていて、ああ、やっぱりお姫様みたいだ。なんて。
そんな自惚れも、今日だけは許してくれとそんな風に願う。



不意に窓の縁に止まった小鳥がピピ、と可愛らしい声を上げた。そちらへと目を向け手を伸ばしたちょうどその時。不意に背後からゆったりと抱き締められる。誰だろうと考える余地もなく耳元で名前を呼ばれて、その擽ったさに思わず身を捩った。視界の端に見えるメイドさんが「あら」と素っ頓狂な声を上げたものだから、全てを悟るには十分過ぎる時間が部屋の中に流れる。

そして、ふと薫ったのは木漏れ日のような匂いで。




「ショート様、まだ時間ではありませんよ。」

「………少しくらい良いだろ。」

「もしまだ着替えていたらどうするおつもりだったんです?」


それは、私の愛した主の匂いだった。



全く後ろを振り向いてもいないにも関わらず、お互い既に認識が完了していることについては、今更何かを言う必要も無いだろうか。私の問いかけには答えず、後ろからさらりと軽やかに髪の毛を掬ったショート様が「似合ってる」と囁いてくる。

ドレスのことを指しているのかそれともイベリスのことを指しているのか。どちらにせよむせ返りそうなほどの愛おしさを孕んで告げられた一言に、頬が緩むのを抑えられそうにない。

「困った方ですね、本当に。」

「悪い。なんか、居てもたってもいられなくなっちまって……」

僅かに頬を染めたメイドさんがそそくさと部屋を出ていくのが見えた。ああもう、こんな時までお騒がせなのですね貴方様は。まあ、やめてくれって言ったところで彼のお方が変わることなど無いのだけど。

髪の毛に口付けを落とした我が主は私と同様、燃えるような真紅のベルベットに身を包んでいる。向こうもどうやら準備は万全らしい。


「エンデヴァー公の御支度はもう終わったのですか?」

「あともう少しで終わるんじゃねぇか?」

「そうですか。」

淡々と、普段の調子でショート様は続ける。その間も私は後ろを振り向けずにいたが、主は特に気にすることも無くそのまま身体を離した。
離れたことに多少の名残惜しさを感じながらも、ただただ目の前の眼差しを見つめ返して暫し押し黙る。

一体何から話せばいいのか、こんな時に限って上手く浮かばないのはきっと今日が大切な日だからだ。考えあぐねた末、先に口を開いたのはショート様の方だった。


「お前は、もう終わってるんだよな?」

「ええ、今しがた。」

「そうか、じゃあ……本当にもうすぐなんだな。」

今まで散々のらりくらりと受け流し続けていた甘い言葉でさえ、最早どうやって受け止めればいいのか分からない。もうすぐ、とは即ちもうすぐ私が名実ともにこの方のものになるということだ。そんな事実がゆっくりと、ショート様が眦を緩めて微笑む度に胸に刻まれていく。

いくらようやくお互いが素直に想いを認められるようになったとはいえ、私はまだまだ主の言葉にも行動にも慣れることが出来ないんだと思う。

心臓の辺りが擽ったくて、無心に叫びだしてしまいそうになって。照れ隠しの為に不自然に俯いてしまうのも、前と何も変わっちゃいない。ショート様はそんな私の顎を不意に王子さながらの手つきで持ち上げた。

そして次の瞬間触れ合ったのは、お互いの唇と唇で。


「……………貴方様という方は、本当にもう……」

「悪い、嫌だったか?」

「そういう、ことではないのですよ……」


ああもう。主も私も、何も変わらない。変われない、って言った方が正しいんじゃないかと、そんな気すらしてくるんだからどうしようもない。どうやら結婚したところで、私達の関係が変わることは結局のところ無いらしい。
式の前に新婦にキスをしてしまう人が一体どこの世界にいるの、なんて思わず突っ込みが浮かんだけれど、全ては今更なんだろう。

いつまで経っても顔の熱は冷めなくて。片手で覆うように顔を隠しても、指の隙間から見えているであろう頬はきっと真っ赤に違いない。


「今後はもう少し、スキンシップを抑え目にしていただけると助かります。」

「………そんな顔で言われたら余計無理だ。」

ああもう……これだから、この方は侮れない。前からずっとそうだ。けど、そんなところに私は結局惹かれてしまったんだった。


「なあ、もう一回キスしていいか?」

「えぇぇ!ですからまだ式前だと、」

「後でちゃんと誓う。」

「だからそういう問題じゃーーー、」


後で誓う、とは随分恐れ知らずなことである。そもそもこんな所で二人揃ってじゃれあってるところを見られたらエンデヴァー公がなんと仰るだろう、どうせまたショートォォォ!!!って大声で叫ばれるんだろうなぁ。……目に浮かぶようだ。

迫りくる花の顏。申し訳程度に引いた身体も、ほぼ意味を成さないまま呆気なく捕まり、主の方へと引き寄せられる。一際強く室内に風が吹き込んで、カーテンが私たちを覆い隠す。同時に部屋の向こうからメイドさん達がドアをノックする音が聞こえた。

「ショート様?こちらですか?」

スローモーションで開けられる扉。次いで何名かの使用人さん達が入ってくる。あ、これはやばい。逃げなきゃ。考える余裕があるくらいには頭がちゃんと回っているのに、それでも体は動いてくれなかった。

我ながら、素直じゃないな。






「あーもー、本当に……本当に貴方という方は!」

「別にいいだろ、もう。」

「全く良くないです……!」


デジャヴ、……何回目だったかは覚えてないからとりあえず放っておくとして。先刻予期せぬ口付けの瞬間に丁度出くわしてしまったメイドさん方が軒並みキャーーー!!と嬉しそうな声を上げる。しかし生憎そんなことに構ってられるほどの余裕はなかった。

持論だけど、結婚っていうのは多分こういうことの積み重ねなんだろう。些細なことで怒ったり馬鹿みたいに笑いあったり、そうやって過ごして、一生を共にするのかもしれない。

だからこうやって彼に詰め寄るのも、ショート様が涼しい顔で首を傾げるのも全部。これから先は当たり前のことになっていくのだろうか。

そう考えると、まあ、例え式を目前に控えた新郎新婦が公衆の面前でキスしている瞬間を盛大に披露してしまったとして、許せるような気がするんだ。……絆されてるだけかもしれないけど。


さて、まず手始めにお説教からです。覚悟してくださいね、ショート様。時間なんて、いくらあっても足りないくらいなんですから。


fin.

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