Happy end



寝物語のひとつのような、可愛くて甘い話ではない。もちろん、心躍るような冒険譚でもなんでもない。ただ、私たちの結末はそれなりの着地をもってハッピーエンドを迎えるのだと思う。
思えば遠くまで来たものだ、それも一人ではなく二人でなんて。一昔前から考えたら、想像もつかないようなことばかりが起こっている。

奇跡だなんて大袈裟なことは言わない。ただ、間違いなく色々な幸運が重なった末に、私達は今ここに居るんだろう。

「ナマエ……?どうした?」

「………へ、」

柔らかい風が頬を掠めていく。ふと我に返り隣を振り向くとあの日から何も変わらないショート様が私のことをじっと見つめていた。眼下に広がるのは広大な海。ここ風吹き岬は主のお気に入りで、それこそ以前付き合わされたお迎えタイムレースで何度も来た場所だ。全てが一回り、そして再びまたここに戻ってくることになろうとは。恋愛も、人生も、どう転ぶかなんて本当に分からない。


あれから、私達は大公様としばしの会話をして、そしてエンデヴァー領までこうして戻ってきた。
随分早いお帰りだ、と大公様が笑いながら送り出してくれたことが、まるで今しがたあったことのように思える。まあ実際それほど期間は経っておらず、せいぜい山を降りて屋敷に戻るまでの数日程しか経っていないから、そう感じるものも無理はないのかもしれないが。

帰ってからの私を待っていたのは、恐ろしい量の雑務と、それから。出迎えてくれたエンデヴァー公からの烈火の如きお叱りだった。無論、怒るのも仕方ない。一番大事な跡取りを一週間近く失踪させてしまったのだ。寧ろお叱りくらいで済んだと幸運に思うべきなのかもしれない。
しかし、こうやって以前みたいに怒られたことがなんだかとても嬉しく思えて「申し訳ありません!」と笑顔で謝罪をしたらめちゃくちゃ気味悪がられて「貴様、本当にナマエだろうな……?」と疑られてしまったことに対しては、ちょっと解せないのだけれども。


それから少しして。留守の間に溜まった雑務を片し終えた頃に、ショート様から一度外れてしまった婚約指輪をもう一度渡された。大事な家宝だろうに、一体どこから持ち出したのだろう。管理面が心配になる私を他所に「今のうちに渡しとく」なんてそんな言葉を吐き出して、私の薬指に指輪を嵌めたショート様。今度こそ外れないようにしろよ、なんて念を押してそこへ口付けを落とした我が主の横顔が、相変わらず肖像のように美しかったのを、鮮明に覚えている。


「ナマエ?……大丈夫か?」

「………は、」

「さっきからずっとそうだよな。」


そして今一度強い風が吹き抜けて。柵へと預けていた身体をこちらへと寄せたショート様が再度覗き込んで来た。穏やかな雰囲気。ナチュラルに頬へと手を添えてくる主の王子様っ振りには些かため息が出るような気がしないでもないが、今に始まったことでもないので黙っておく。
少し思い出していただけです、と微笑んでそう返すと「……何をだ?」なんて素っ頓狂な言葉と共に首を傾げたショート様。もう忘れたのですかと危うく言い掛けたけど、まあショート様にとって重要な出来事なんてあの瞬間においてひとつしか無かったようなものだから、覚えていないのも無理ないかもしれない。


「いいえ、なんでも」

「……?」

目を伏せて風に身を任せる。柔らかな春の訪れを告げる風は、まるで私たちを祝福しているみたいだ。
……まあ、実の所まだエンデヴァー公からのはっきりとしたお答えは得られていないんだけどね。だとしても、帰宅した直後の様子を思えば、あの方が苦い顔をして首を仕方なく縦に振るのも時間の問題ではあると思う。

例え一週間にも及ぶ壮大な家出の末戻るなり「今戻った。……ワリィ、これからナマエと婚約するから準備頼む。」なんて冗談も大概にしたほうがいいことを息子が口にしたとて、既に覚悟を決めた私達に何か思う節があったのか、エンデヴァー公は家出したこと、そしてショート様を危険に晒したこと以外には触れなかった。一体かのお方にどんな心境の変化があったのかまで、私たちの知り及ぶ範疇ではない。ただ、それが騒がしくも美しいあの日常に戻る合図だったのだと、今になってそんなことを思う。



あの日、私は確かに大公様に直談判して、いずれショート様の元に戻して欲しい。このお方のことを愛してしまったのです、と真っ直ぐに伝えた。大公様もある程度予想というか、ショート様が先立って同じようなことを提言していたらしく、特段驚く素振りを見せなかった。

そして、結果何が起きたのかといえば。

全てが済んだ今にしてみれば、主共々お騒がせして誠にすみませんでした、という言葉が良く似合うようなどうしようもない結末なのだが、敢えて言葉を包み隠さず言うと、


「ナマエ、」

「……はい、大公様。」

「君はひとつ大きな勘違いをしているようだが」

「ええ、仰ることはご最も………、ん、え?勘違い?」

手紙は最後まで全て読んだかね。と少々かける言葉を迷ったような素振りで大公様が続けた。手紙……手紙ってあのぐしゃぐしゃに握りつぶした手紙のことでしょうか。言われるがまま「………いえ、」と返すと、すぐ様「なら最後まで見てご覧」なんて返事と共に大公様が私のローブを指差す。

どうして手紙をポケットに入れたこと、知っているんだろう。慌ててローブを漁り、丁寧に紙を開く。何処まで読んだんだっけかな、確か……招集を言い渡す、辺りまでは読んだんだけど。

目でじっと文字の羅列を追っている間、私と同じように手紙を覗き込んでいるショート様。しかし、私たちの目が手紙の最後部に到達したその時、不意に主が「あ」と声を上げた。

「……これ、式典の招待状じゃねえか?」

「…………式典?」

声に出した瞬間、明確な形をもって浮き上がる事実。よくよく、最後までよーーく目を通した結果、一番下に強制招集とは明らかに異なるニュアンスの記載を見つける。どうやら貴殿に招集を言い渡す、という字面のインパクトの所為で見落としてしまったようだ。

「………婚約披露式典に来賓として招く??」

「そうだよ。」

「と、いうことは……」

「君が思っているような重苦しい招集ではないということだ。」


息子が結婚するのだよ、とふわり微笑む大公様。一国の主という以前に親でもある大公様だが、そのご子息の婚約とは。なんとまあ、めでたいことだ。いや、そんなことを言ってる場合じゃない。


式典へ招く、という記載。そして大公様が先程言った「君が思ってるような重苦しい招集ではない」という言葉。もしかして、私達、ものすごく喜んでも良いんじゃないでしょうか?同じことをショート様も考えたのか、ふと緊張しっぱなしだった表情に不意に明かりが差す。


「勘違いですか?私の?」

「……もともと君は巣立った鳥だろう。」

今更籠に閉じ込めるのは忍びないからね。そう呟く大公様の言い回しはいつもどこか文学的な要素を孕んでいて、私には少し分かりづらい。

要は、連れ戻す気など更々なくて、純粋に式典に参加してほしい、ただそれだけのことだったと仰っているのだろう。言い換えてみれば見るほど、私の早とちりと勘違いでここまでことを大きくしてしまった感が否めないが、今更隠すこともないので放っておくとして。


「私は、主と一緒に居ても良いのですか……?」

結局の所それ以外が最早私の目に入るはずもない。控えめに、そっと大公様へと問いかける。
老主は暫し虚空を仰いだ後、「そうかもしれないね」と呟いてこちらを見つめた。
少しだけ寂しそうな、それでいて嬉しそうな瞳で瞼を下ろしたその顔は、紛れもなく私の数年間を捧げた主の、まるで我が子を愛おしげに見つめているかのような、そんな親の顔をしていた。







ーーーーーーーーーーーーーー

太陽が地平線へと沈んでいく。
華やかな橙の夕陽が辺り一面を覆っている。遥か向こうに見える地平線のその先を見つめる現主の眼差しは晴れ晴れとしていて、釣られて私まで心の奥を擽られているような気分になった。

「そろそろ、帰りましょうか。」

「ん?……ああ、そうだな。」


横顔に声を掛けて、柵を掴んでいたショート様の手を取る。自分からこうして主の手を取る時が来るなんて、一昔前の私からしたら考えられない。
私の方から掴んだというのに、何故か「もう少しだけ良いか?」と主が微笑んで、その指を不意に絡まされた。いつだって私にだけ愛を教えてくれた指、そして眼差し。以前なら刺さる度きっと苦しいと思っていたはずだったそれも、今じゃこれ程に心地良いなんて。私は本当に何も知らない人間だったんだなぁと独りごちていると、直ぐ様降ってきた小さな熱が途端に私を現実へと引き戻す。

「ちょ、ショート様……?」


何故か予感すら無かったキスの雨。ひとつ、ふたつと立て続けにされると、いくら何でも困惑してしまうのは不可抗力だと思う。腰に回りそうだった手をやんわりと制止してみるものの。ショート様はゆったりと瞬きをしたまま止まらない。

「ん、じっとしてろ。」

「ひゃ、い……」

制止の意味を込めて向けた手のひらの内側にまでキスを落とされて、私はついに抵抗を止めた。別に誰か他に見ている人がいる訳でもない。二人きりの戯れだ。それに恋人同士、想いだって通じあっている。だとして、こういった行為に慣れることが出来るか否かというのは多分別問題だろう。

一通り、落とされた口付けを破裂しそうな心臓で享受した後、ショート様は私の頭を撫でた。撫でて、そして「何でここに来たか、分かってるよな?」と呟いた。

「なんで……?」

「……お前、自分が言ったこと忘れてるだろ。」

いつまで経っても甘いことに慣れることが出来ない私は、今日だって頭の中を冷静に処理することが出来ない。半ばオウム返しで聞き返すが、主は苦笑いを零すだけ。無邪気な笑みだった。この笑顔を取り戻せただけでも、まあ満足ではあるけれど。

ここに来た理由はショート様が行こうと言ったから。だから連れてきた。私に思い入れがあるかと言われれば別にそんなことも……無かったような気がする。主にとって馴染みがあるだけなら、私を連れてくる必要も無かっただろうに。ただでさえ婚約だの体裁だのと忙しいこの数日の間に。と、そこまで振り返ってはたと気付く。

「あ、」

そうか、ここは。


「気付いたか?」

「………はい。」

「じゃあ俺の言いたいことも、もう分かるだろ?」


そう言って、彼は空いている私の左手を持ち上げた。嵌められた指輪がきらりと夕陽に煌めく。ショート様の髪の毛と同じ透き通った赤色の宝石が、そこには誇らしげに鎮座していた。一度外れた人間は、二度嵌めることが出来ないらしいのだと屋敷のメイドさん達と話した記憶があったのに、実際問題私の指には今一度指輪がしっかりと収まっていて。ああ、やっぱりいつまで経ったとして、慣れることなんて出来ない気がする。この状況にも、事実にも。

「初めてプロポーズしたのもここだったよな。」

「そう、でしたね。」


こうやってまた話が出来ること。その目に見つめられること。抱き締められること、全て。大袈裟だけど、やっぱり奇跡だったのかもしれないって、言ってもいいだろうか。


「今、もう一回伝えてもいいか?」

「その為に、私をお連れになったのでしょう?」

「……ああ、そうだな。」


貴方様の笑う顔がこれほどに眩しいなんて気付かなかった。だから、今度こそ迷わずに。私は私なりの答えを伝えて差し上げなければならないと口を開く。もうすぐ、約束した言葉がショート様から伝えられるだろう。

思ったより早くこの時が来てしまったけれど、どうせ答えなんてとっくに決まり切っているのだ。ならもう、迷うことなんてない。思えば最初からこうなることが定められていたんじゃないか、なんて。今になってそんなことを思った。人生は本当に、どう転ぶか分からないな。


「ナマエ、好きだ。俺と結婚してくれ。」

強く吹き荒ぶ風の中でも、その声ははっきりと届いた。まるであの日の様に傅いて、求婚の申し出をするショート様は、さながら本から出てきた王子様のようだ。


「謹んで、お受け致します。」

「こんな時まで畏まらなくても良いだろ。」

「………癖なので。」

ならば私はさしずめお姫様だろうか、なんて。流石にそんな大それたことは言えないけど。でもこの方の前では本当にお姫様になれそうな気さえするんだから、不思議である。


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