I want you



鳥のさえずり、木の葉の落ちる音、風のざわめきが耳を心地よく揺さぶった。岬の果てには木の柵が立っており、先への侵入を人知れず阻んでいる。その手前には身なりの良い少年が一人。柵へと身体を預けてもたれかかっていた。
近くには白い佐目毛の馬が草を食んで優雅に佇み、主人の心に寄り添うように連れ立っている。


さて、時は昔々のおとぎ話のその時代まで遡る。世界が勇者を無くし混迷の一途を辿る中、それぞれの地で星のように輝く光の持ち主が旗を上げて勇者になるべく出立していった時代。

エンデヴァー領最南端、風吹き岬にて。
優雅に佇む、かの主人を私は射殺さんとばかりの凶暴な目で見下ろしていた。



そこだけ切り取られた著名な絵画のように停止した時の中。悠々と風を編んで立つその人の御名はショート様という。
この広大なエンデヴァー領の領主、エンデヴァー公の実子であり眉目秀麗、オマケに剣の腕は国家騎士団の騎士団長でさえも切り伏せる程の剛腕の持ち主である。



そして何を隠そう

「ーーやっと見つけましたよこの野郎!」

ショート様の姿を発見するやいなや鬼のような形相で乗っていた使役召喚獣から飛び降りたのがショート様の哀れなお抱え召喚士、私ことナマエである。


今行くからそこを動くな!と主に対して有るまじき怒号を飛ばす。マイペース一直線を行く主は岬から見える大海を見下ろしていたものの、私の怒髪天を抜く金切り声を聞いてようやっとこちらに一瞥をくれた。


「早かったな。……お、45分。」


愛馬の風に揺れる毛並みをひと撫でして、ショート様は青いレザーのジレから懐中電灯を取り出した。そのまま矢継ぎ早に経過時間を告げられる。………45分。あ、前より3分縮まってる、やった!…て言ってる場合ではない。


「いつになったら脱走をおやめになるのですかショート様!」


全力疾走ならぬ全力飛行をさせた召喚鳥を労りながら明後日の方向を向いているショート様にまたも詰め寄る。ショート様は変わらず何をお考えなのかよく分からない無表情を決め込んでいた。

ため息が出る。
我が主人は、お優しい人ではあるけれど。
それ以上に私に対しては無茶振りが過ぎる。

これで突然のショート様失踪事件の開催回数は悠に5回を超えたところだった。


”もう此処には帰らねぇ、探すな。”

ローブのポケットにぶち込んだ紙切れ。恒例になりつつあるショート様の失踪事件だが、はじまりの合図はいつもその紙切れからだ。


隣国や他領土では悪名が知れ渡っている領主様の息子だし、思うことがきっと色々あるのだろう。年頃の家出ともすれば同情が常に付き纏うのだろうけど。しかし私と、主にショート様に使える臣下だけは違う見解である。

それは何故か、至って簡単だ。

探すな、と書いておきながらその走り書きの下にはいつも居場所のヒントと迎えにくるまでのノルマタイムが書かれているからだ。
ささやかな悪戯心なのか、それとも。
心情はショート様以外には計り知れない。


そして5回目となる今日、毎度毎度探しにいく際のお供に飛んでもらっている召喚鳥のアケミちゃんも、遂にファストタイムを無理矢理更新した所為で、限界の向こうを観てしまったらしく私の腕の中でぐったりしていた。低く唸りながらゼエゼエと浅く呼吸を繰り返している。

アケミちゃんをこんな目に遭わせるとは、ショート様許さん。絶対にだ。


「アケミちゃん喚ぶのも本当に体力使うんですよ。次やったらもうお迎えに上がりませんから!よろしいですか!」

「そうか、じゃあ次はもう少し近場にする。……屋敷の裏山の山頂とか。それならいいか?」


「……えっ、いいわけ無くないですか?」

質問に質問で返してはならないとお師匠からはよく言われていたけど、今だけは許してほしい。だってそんな綺麗なお顔できょとん顔を披露されても、流石に良いですよと首を振れるわけがないのだ。

何故そうも脱走にこだわるのだ、おのれは。
言葉にしようものならば、もれなく現領主であるエンデヴァー公に首を跳ねられそうなことを脳裏に抱き、再びアケミちゃんの頭をよしよしした。アケミちゃんは力なく「ク、クエ」と声を上げた。

切ないその鳴き声に、「アケミ…」と艶やかな絨毛の様な声色でアケミちゃんの元へショート様が近寄ってくる。


「無理させて悪いなアケミ、……次は、近場にする。時間も少し伸ばす。」

「クエ……」

「いや、そういう問題ではなくてですねショート様…ってアケミちゃん口説かないで!」


アケミちゃんの嘴の下を撫で下ろし、まっすぐに彼女のつぶらな瞳を見据えるショート様。本当顔の良さだけに注目すれば天の持物にも匹敵するお方だから尚更タチが悪い。

というかアケミちゃん、普段は凛々しくてとても頼りになるのに今の顔と言ったら……目も当てられないなぁ。アケミちゃん誑かすのやめてください。


「近場にした所でもう本当に次は参りませんので。くれぐれもご理解なさいますように!」

「……嫌だ。」

「なんで!」


あーもう!何故こんなにも我が主人は私を振り回すのでしょうか。ショート様を見つけてこないと私がエンデヴァー公にめちゃくちゃ怒られるのに、それでも彼は家出をやめてくれない。

最初こそ怒られるのでお願いですからおやめ下さいと言ったものの、その際には「アイツ……ふざけんな、文句言ってくる。」と壮絶な親子喧嘩を繰り広げられた始末だった。思い出す度に頭が痛い。


「……ショート様、エンデヴァー公もご心配なさっていらっしゃるのです。勿論私共も。このご時世、勇者も次々と消えておりますから。跡継ぎのショート様のお身体に万が一のことがあったら…私共は悔やんでも悔やみきれません。」

「……。」

「エンデヴァー公とショート様の不仲に関しては、私共口を出す気がございません。ですが、一臣下として、神経をすり減らしてショート様の心配をしているものが沢山いるということだけは、お忘れなきよう。」

「………そうだな。」


おだやかな顔つきで、ショート様は襟元のフリルを正し始める。風に揺れる茜色と白銀の絹髪が光を浴びて煌めきを灯す。目が離せない程の美しさ。思わず息が詰まった。

ようやく分かってくれたらしい。
良かった。これでやっと開放される…!

エンデヴァー公にも怒られない!

流石は我が主人。元々大変お優しく非常に出来た方である。そうだ、何らかの理由があって“ああ”なってしまったに違いなかったのだ。

「ショート様、分かって下さるのですね!」と喜びもひとしおにショート様の手を握りしめようと思った、その矢先


「他にいい方法があったな。」と羽根の様な笑みを浮かべながら、ショート様は私の方へ不意に手を伸ばしてきた。

え?と思うより先に絡め取られる指先。ひんやりと冷たい指と指が絡んで……そして。


「な、にを…?」

「結婚してくれ。」

「はい?」

「親父が勝手に決めた相手って時点で死んでも結婚なんかするかよって思ってた。お前以外考えられねぇってずっと思ってた、けど。そういえば、………これ以上の適任は居なかったな。」

「ちょっと意味が、っえ?!」



もうまるで意味が分からなかった。取り残される私を後目にショート様だけが一人納得し、そして嬉しそうに笑っている。
吹っ切れた、晴れた笑み。こんな状況でなかったらきっと見とれてしまっていた。そう、こんな状況でなければ。

目を白黒させて戸惑う私の頬を優しい風が撫でていく。嫌な予感を感じ取って手を引いたが、それよりも少し早くショート様が王子さながらに僅かに傅き、軽く取られた手の甲へと唇を落とした。誰の唇かは言わずもがなショート様の、ガラス細工のような唇である。

何をしてるのこのお人は。こんなことがあっていい訳がない。何もかもわからず真っ白になっていく頭。唇を落とされた場所がひたすらに熱い。


「かっ、からかわれる、のも……大概になさいませ、ショート様!いくらなんでも意地が悪すぎますよ!」

「からかってねェ」



嘘つきだ、このお方は。咄嗟に翻した手の甲をゆるりと追われ、また絡められる。触れられては敵わないので後ずさりをするけれど、それさえも距離を詰められた。
アケミちゃんが真っ赤に染まった顔でこちらを見ている。彼女の無垢な瞳が刺さってとても痛い。今は見ないで、と口走りそうになった。といっても、言ったところで通じるかは分からないが。


「親父は俺に強者の血を絶やすなと言った。その言葉が俺にとっては本当に憎たらしくて仕方なかったけど、それでもお前を連れてきてくれたことに対してだけは、感謝してやってもいい。」

「……何のお話をされてるのですか?」

「強い奴と結婚しろって無理矢理見合いさせられたから、俺は二度と帰らないつもりで家出してきたんだ。でもナマエのおかげで目が覚めたよ。」


ーーー都市伝説並みの大召喚士が結婚相手なら多分親父も文句は言わねえ。


「…………。」

今なんて言った?
私のこと大召喚士って言った?

「今、私のこと大召喚士って言いました?」

「ああ、あんなにデケェ鳥とか獣人呼べるのなんかこの国のどこ探しても居ねぇだろ。」

「…………。」


思考停止とはこのことを指すのかしら。大召喚士とは依然、流浪の旅をしている最中ある国で付けられた私の異名だった。
そもそも召喚士という職業自体魔法使いなどと違って殆ど存在していないこの世界の片隅で日々研究と鍛錬に明け暮れていた、少し前の私。

エンデヴァー公に仕えるようになってからは、バレたら面倒くさいだろうからと秘密にしていたのに。


バレていないと思っていたのは私だけだったらしい。ショート様はさも嬉しそうに、にこやかに。これで誰にも邪魔されずお前と結婚出来る、と上機嫌だ。どうしよう、頭を駆け巡る思惑は最悪の事態ばかり。

彼はエンデヴァー公との仲よりも、よりによって私を取ってしまったようで。


「エンデヴァー公がなんと仰るか…」

「親父なんか知るか。」


ナマエ、結婚しよう。と再び傅いてくるショート様の王子様らしさたるや。もう一言も言葉を発することが許されていないかのように顔を赤く染めて押し黙ることしか出来ない。

どうしてこうなったのか。思えばエンデヴァー領に生えていた変わった木の実の美味しさに我を忘れて食い荒らしてしまった時から、そして見事兵士に捕獲された時から私は間違いをおかし続けていたような。今となってはそんな気がしている。ショート様は本物の代わりに、と私の指にまた唇を落とした。


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