エイジロウ君の背から降り立ち、伸びをする。
空は剣呑な空気を抱き、相変わらず濃い雲に覆われていた。
人型に戻ったエイジロウくんとカツキくんが何か言い合いながら前を歩いていく。その様子をなんとも言えない面持ちで眺めながら、私も後ろを歩く。
時間にして凡そ数十分の出来事。それなのにさも久々に地に足をついたとでも言うような疲れと浮遊感が押し寄せてきて、我ながら歳を取ったのかな、なんてふと嫌になった。
現在地 、ドラゴン族の集落。普段村の権力者が集まり会談を行う大岩の座卓がある場所である。本来なら気安く来れるような場所じゃないのだが何の因果か、私は今再びここに立っている。これで通算何度目の来訪だっただろうか。記憶によれば最後に訪れた時からは既に数年が経過していたような。記憶が定かではないので断定はできない。
通り過ぎる人々が私のことをじっと見つめながらすれ違っていく。すれ違い様に何か呟かれた様な気がしたが、はたして気のせいだろうか。振り返ってみたとしても当の本人達は歩き去っていく最中なので、結局のところ振り向き損だったのだが。考えるだけ無駄かもしれないけどもしかして、私怪しまれてない?
「ねぇ、なんか……視線が痛いんだけど……」
「あ?んなの当たり前だろうが、ナメてんのか?」
「えっ、」
「この山はモブ共が気楽に来れる山じゃねんだよ。」
カツキくんに問い掛けて、自身の立場とこの場所がどんな場所だったかをようやく思い出す。そうだった、ここはそういう場所だった。どうやら周りから注がれる視線は全て部外者である私を見定める為の目らしい。
「今は特に族長会議も開かれてっからなぁ……、あんま俺たちから離れない方がいいぜナマエさん。」
「あ、うん……分かった、ありがとう。」
エイジロウくんからのひと押しもあって、改めて杖を握る手に力が篭る。カツキくんが私を見つけた瞬間ピリピリしてたのも、今なら頷ける気がするな。
岩窟内部は見掛けに寄らず広くて。二人から目を離したら間違いなく迷子になりそうな、そんな雰囲気だ。ここでショート様を見つけるより先に迷子になる訳にはいかない。見失わないよう後ろをしっかりついて行ったその矢先、二人が不意に立ち止まる。
見れば二人の視線の先には快活な女性が立っていた。女性はこちらを見るなり“あ、”という顔をして近寄ってくる。あれ?誰だっけこの人。私はこの女性に見覚えがあった。ここに来るのはショート様の臣下になってからは初めてだから、きっと大公様に仕えていた頃に会ってるんだろう。
でも、思い出せない。
記憶にモヤが掛かってしまいえも言われぬ消化不良感に苛まれていたのも束の間、女性は口を開き躊躇いなくカツキくんに話し掛ける。
「あらカツキ、今帰り?」
「………ババァ…。」
途端、空間にピシリと鋭い亀裂が走った。同時にものすごく嫌な予感が警鐘を鳴らしている。今、彼はババァとこの女性のことを呼んだだろうか。間違いなく呼んだ様な気がするんだけど。
嫌な予感が更に形を持って膨らんでいく。
カツキくんの交友関係は私が言うのもアレだけど実の所狭い。例えばエイジロウくん、それ以外に友達を連れ立って歩いているところを私は殆ど見たことがなかった。
そんな彼は人のことをだいたい名前で呼ばず見た目や能力などから適当に付けた名称で呼ぶ。私なら鳥女だしショート様なら、ボンボンって感じで。半分野郎、とも呼んでたなぁそういえば。
ならばババァと呼ぶ人物はどのグループに所属するのか。答えはほぼ明確であると言わざるを得ない。それなりに親交のある女性陣のことを、彼はババァと呼ぶのである。
「母親に向かってババァはないでしょうが!」
「ルッセェ、なんでババァまで此処に居んだ!」
(カツキくんのお母さんかぁ………)
一日の間に二度も三度も嵐に見舞われると、流石に疲れてくるなぁ。カツキくんのお母さんには申し訳ないけれど、そんなことを思ってしまった。
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「じゃあ、ナマエちゃんはショートくんのお迎えで来たの?」
「はい、この度は我が主がご迷惑をーー、」
「畏まらなくていいわよ、丁度息子がもう一人出来た気分だったから。」
「はぁ……」
カツキくんのお母さんことミツキさんに連れられて、同行者が一人増えた私たちは岩窟内部を進む。
道中、それとなくミツキさんにショート様の居場所を聞いたところ、彼女は「さっきまでここに居たんだけど、居ないわね……」と空き部屋のひとつを指さして首を傾げていた。口ぶりからするに、先程までミツキさんと一緒に居たんだろう。折角ここまで来たというのに、なのにどうして居ないんですかショート様。
不安だけが積み重なっていく胸中。見かねたエイジロウくんが「ちょっと俺その辺探してくる」と一言残して岩窟の奥へと消えていく。合わせてミツキさんも用があるとかで続けて一緒に消えてしまった。
残された私とカツキくんは、お互い無言で通路に立ち尽くすしかなく。辺りにはただただ気まずさだけが漂っている。
「行っちゃった、ねぇ……エイジロウくん。」
「こん中探し回るとか時間の無駄だろ。」
「………ま、まあ……見つかるかもしれないし。」
何とか気を使って話し掛けたとて。ケッ、と可愛くもない返事が返ってきてはどうしようもないだろう。カツキくんは私と交流するつもりは毛頭ない、と言わんばかりの顔で通路の奥を見つめていた。
あーー、気まずいーーー!
探しに行ってくれたエイジロウくんには申し訳ないが、一刻も早く戻ってきてくれないかなぁなんて考える。彼と二人で捨て置かれたら、正直たまったもんじゃない。
「そういえばミツキさん、綺麗な人だったね。なんか特別なお手入れとかしてるのかな?」
「あぁ?どう見てもババァだろーが。つーか気安く話しかけんなカス。」
(カス………)
カスなんて罵倒生まれてこの方一度もされたことないんですけど。この空気を払拭しようとしたはずが、何故こんなにも上手く運んでくれないのだろう。
余計に精神をやられてしまい苦笑いのまま俯く。……あぁーー、気まずい!どうしよう……、などと無駄に頭を回していたのもつかの間、不意に背後からやってきた二人組に乱暴に肩を掴まれた。
びくりと肩を震わせて振り向くと、眉間に皺を寄せたドラゴン族らしき青年が目に入る。
「お前、見ない顔だな。こんな所で何してる?」
「は?え、いや…」
「なんだその杖見たことないぞ、何者だ?」
武器を携えた二人組はいかにも巡回中、といった素振りで携帯している槍に手をかけた。どうやら警備に当たっているらしい。すぐ傍に族長候補であるカツキ君が居ることもあったのか、私の肩を掴んでいる方の青年が手に力を込めながら強い口調で詰問してくる。その目は明らかに不審者を見る目をしていて。
「まさか賊じゃないだろうな?」
「ち、違います!違いますよ!」
「じゃあなんの用でこんな所に居るんだ!」
どうしよう、まずいことになったぞ。気圧され後ずさりしても思ったより壁が近かった所為で、あっという間に私より高い身長の二人に囲まれ逃げ場が無くなる。途端滲む冷や汗が焦燥を更に加速させた。
まだショート様にも大公様にもお会いできて無いのに、怪しまれたらおしまいだ。追い出されるか、逆にいつぞやの大公のお付きだとバレて更なる足止めを食らうか、そのどちらかの結末しか待っていないだろう。
人間追い詰められて退路を失うとあらぬ事を考えてしまうらしい。何故かは分からないが。
文字通り追い詰められた私は、何故か走って逃げようという間抜け極まりないことを無意識のうちに考えていた。こうなりゃもう実力行使、撒いてしまえば大きな問題はない。そう思っての結論だった。だってこれしか他に方法はないし。
じり、と踵を鳴らし二人とは反対の方向へと視線を移す。いざ勢いよく走り出そうとしたその瞬間、
「オイ、」
「え……?」
「コイツになんか用か」
カツキくんが突然青年の腕を弾く。そしてそのまま私と彼らの間に入り込んだのち、じろりと2人組のことを鋭い眼光で睨みつけた。
「カツキくん……?」
「な、なんか用かって、…………言われても」
仏頂面で少しだけ高い位置にある彼らの顔を睨むカツキくん。一体どういうことなのか。どうやら隣に並ぶ青年達には彼の真意が分かっていないようだ。
そして、かく言う私もいまいち理解出来ていなかった。
カツキくんがまさかここで出張ってくれるとは。あんな、私のことゴミを見るような目で見ていたあの少年が。……そんなことってある?俄には信じられない。などと失礼なことを考えてしまうのもこの際致し方ないだろう。
それほどまでに彼が助け舟を出してくれるなんて本当に毛ほども思ってなかったのだ。だから、私を庇うように前に立つその背中をただ呆然と見つめるしか出来なかった。
弾かれた青年も私と同じように目を丸くして彼を見ていて。カツキくんとこの不審者にまさか何か関係があるとは思ってなかったんだろう。え、え?と呟いては私とカツキくんの両方の間で視線を行ったり来たりさせている。
「カツキ、そいつと知り合いなのか?」
「知り合いも何もねェよ、俺の客だ。」
「……はっ?」
「俺の客だ。」
ただでさえも飲み込みにくい状況だというのに。ダメ押しで告げられた、“この不審者が族長候補の招待客”だという嘘が青年の表情をみるみる崩していく。ここまで本人に言われたら、嘘も誠になるしかない。二度目の俺の客発言に際し、厳しい顔つきで私を睨んでいた青い瞳が僅かに曇る。私はそれを、見逃さなかった。
「テメェら、俺の客になんか文句あんのかよ。」
「いやっ、ない…けどさ。」
「じゃあ良いだろうが、とっとと失せろ」
自信ありげにそう言い放つカツキくんは、まさに族長候補という貫禄に満ち溢れている。あぁ、やっぱりすごい人だなぁと感心する私を尻目にそそくさと立ち去る二人組。彼が場に介入してからは数分すら経っていないというのに、蜘蛛の子を散らすとはまさにこのことを指すのかもしれない。バツが悪そうに踵を返した二人組の背中を見て、カツキくんはふん、と鼻を鳴らす。
「あ、ありがとう。」
「あぁ?」
「庇ってくれた、んでしょ?」
「ハッ、勘違いすんな。」
俺はナメられんのが一番ムカつくんだよ。なんて悪態を吐きながらそっぽを向くカツキくん。その様を眺めてふと笑みが零れた。何だかんだ言って多分本当に困ってる人を放っておけないんだよなぁ、この人。ショート様を自宅に暫く置いた理由も多分心から追い出すことが出来なかったから、なんだろう。数年前に数回対峙しただけだけど、彼の纏う独特の雰囲気から何となくそんな気がしたのはきっと気のせいじゃない。
兎に角。
ようやくひと波去ってくれた安堵感に胸を撫で下ろすことが出来る。彼らと出会ってからはまだ数時間しか経っていないというのに、なんだかどっと疲れたな。ちょっと休憩したいかも、なんて弱音が出そうになったが生憎そうも言ってられない。
そろそろ本格的にショート様を探さなきゃと思い立ったその頃。ふとカツキくんが壁に預けていた身体を上げて私の方をじっと見つめ出す。
何か言いたげな大きな目が真っ直ぐ向けられて、思わずたじろいだ。ど、どうしたんだろう突然。
「つーかよ、」
「うん?」
「なんでこの俺がわざわざあの半分野郎を探さなきゃなんねェんだ?」
「えっ、」
「おかしいだろうが。」
そう告げると、カツキくんはポケットに手を突っ込んだまま不機嫌そうに距離を詰めてくる。え、ちょっと何なの急に。釣られて後ずさるけど、彼は私が後退した分だけ歩いてくる訳で。
「おかしい?」
「挙句鳥女の面倒まで見させられてよォ、」
「………それは、うん。」
「半分野郎の方から出てくるのが筋じゃねぇんか。」
「えええ、」
淡々と告げる彼の目は完全に据わっている。真顔で理不尽なことを口走るカツキくんは、いい意味でも悪い意味でも、数年前から何も変わってないみたい。おかしいな、さっきは助けてくれたのに急に線が切れた感じするんだけど。いきなり話に脈絡がなくなったと感じたのは、あながち間違ってないはずだ。
止めても止まらないのがカツキくん。そんなことは数年前から理解している。何を思って、そんなことを言い出すのか分からずに、ただただ見つめ返すのは赤い瞳。血を流した様なその色は、まるで彼の気性まで現しているんじゃないだろうか。
「俺は気が長くねェ」
「は、はい……?」
「とりあえず、テメェを軽くボコしときゃ流石の半分野郎も出てくんだろ。」
「…………、いや、ええええ!」
「ツラ貸せや。」
一瞬何を言われたのか全く理解出来ずに。ぽかんと間抜けに開け払った口を閉口している間にカツキくんが私の腕を掴み大股で通路を来た方向とは逆向きに進んでいく。足早に暗い石窟を抜けると吹き抜けの広い空間に出る。辺りには障害物が何も無い。丁度身体を動かして暴れるのに向いていそうな空間がそこにあった。
「あっ、ちょ、」
「構えろ、死にたくなかったらな。」
「いきなりすぎでしょ!」
「ルッセェ!テメェらの茶番に付き合うのもウンザリなんだよ!」
考える暇もないまま。瞬きと同時に弾丸のような速度で重い刃が飛んでくる。咄嗟に杖で凌ぐが、すぐ様身を翻して放たれた追撃はそうもいかない。
「っ、あ!」
「死ね!」
彼にとっては握る力すらこもっていなかった私の手から杖を弾き飛ばすことなど造作も無かったのだろう。抵抗虚しく遠くまで吹っ飛んだ杖がカランと乾いた音を立てた。
物凄い形相をしたカツキくんが振り下ろす剣を眺める。あ、もう駄目だこれ。召喚獣も呼べず戦わされちゃ、まあこうなるだろうなぁなんて悠長なことが頭に浮かんでは消えた。
衝撃に備え両目を瞑る。彼のことだ、変なところみみっちいから殺されることはおそらくない。けど大怪我は免れない勢いで振り下ろしているから、ショート様のお迎えは行けないだろう。
こんな状況でもショート様のことが頭から離れないなんて、本当どうかしてるよね。私も、あのお方も。
申し訳ありませんーーー、
無意識に呟いた言葉が届いたのか否かは分からない。しかし覚悟を決めて防御姿勢を取った私に剣はいつまでも振り下ろされることはなかった。
カツキくんの剣を一身に受け止めたショート様が、目の前に立っていることに気付くまでは、あと少し。