Go the distance



まだ深い、夜の帳の中。

「はぁっ、は、……うそ、うそでしょ…」

夢を見た気がして、そして嫌な予感がして飛び起きた。涙を流していることには気付いていたが、あえて見て見ぬふりをする。勢いよく着の身着のまま屋敷を走り、誰かに見られたら確実に怒られるという状況下だろうと構わず走った。

大きな月が世界中を照らす真夜中。時計も見ずに飛び出した私が向かったのは、ショート様のお部屋。

階段を息絶えだえに登りきった先の突き当たりにある扉を開ける。一度目は鍵のせいで開かなかったから、無理やりアケミを喚んで鍵を溶かして何とか開け放った。


夢を見たその時から、嫌な予感はしていたんだ。でも、自分の目で実際に見ないと信じられなくて、信じたくなくて。そしてここへ来た。開け放たれたその向こうには、危惧した通り居るはずのお方の姿が無いかもしれないと分かっていたのに、それでも自分の目で確かめたくなってしまったんだ。

「い、いない…………。」

現実はやはり厳しいもので。
そこには見渡しても、主がどこにも居ない部屋がどこまでも広がっている。思わず深くため息を吐いてしまった。それが少しだけ情けなかった。


一体、いつから。部屋から出た素振りすらないのに、なんで。考えたとしても、今の私じゃ主の考えを導き出せる気がしない。

「どこに、」

またいつもの家出かもしれないけど、タイミングからして今、後を追いかけないと、本当にもう二度とお会い出来なくなるんじゃないか。そう思ってしまったら止められなくて。

とにかく慌てて部屋の中を探る。綺麗に整頓された部屋は、存外いつもと何も変わりは無い。

(なんで?なんでそんな、)

私のせいであることは明確。でも、理由が分からない。二度と戻らないつもりで出ていったんだとしたら、それにしては部屋が普段通り過ぎるし。あぁ、考えては泣いてしまいそうだ。

夢で見た貴方様は、“ナマエ、好きだ。今までも、これからもずっと”……なんて呟いて、私にキスをしてくれたというのに。現実はやはり何処までも甘くはないなと思い知る。

せめて挨拶だけでもさせて欲しかったなぁ。お顔を見れなかったとしても、お世話になりましたくらいは言わせてくれてもいいじゃないですか。夢に出てきてまで好きだと言って私を責めるくらいなら、面と向かって嫌いだと嘘でも言って欲しかった。ねぇ、ショート様。

「私だって、好きでしたよ……。」




ぽろりと零れた涙を乱暴に拭って暫く立ち尽くす。一頻り呆然とした後、ようやく今が泣いてる場合じゃないことを再認識した。

そうだ、早く行かなきゃ。少しでも後を追わないと。あのお方は良くも悪くも顔が割れていて有名だから護衛もつけず辺りを彷徨いたら、何か事件に巻き込まれてしまうかもしれない。

どこに行ったんだろう。部屋の中に何かしらの痕跡がないかとくまなく探し回る。机の周り、クローゼット。開けてみるとクローゼットの中から一週間分くらいの衣服がごっそり無くなっていた。どうやらそれなりに遠出するつもりらしい。

本棚を覗いてもいくつかの本が抜けている以外はおかしな点は特に見つからない。

「ん……?」

いや、待って。綺麗に整頓されてるけど、よく見たら何かがおかしい気がする。私はもう一度本棚と、机の上に積まれた本を一瞥した。よく見たら、机の上には同じ系統の本が積まれていたのだ。

「調べ物でもされていらっしゃったのかしら。」

置かれていた本はいずれも全世界地図や隣国に関する書物など。状況が状況じゃなければ別に何の変哲もない書籍ばかり。でも、今は何よりもショート様のお考えを推し量るための証拠になっている。

一番上に積まれた本を手に取る。ハテノ領地図だ。次に重なっているのは隣国の建国暦書、私が大公に仕えていた時のことも載ってる最新版のものだった。

「まさか、隣国に向かったんじゃないでしょうね…」

とりあえず本を捲り読み進める。中身は特に変わりないタイトル通りの内容だ。隣国に行くには通行手形も必要だし、なんなら途中の関所で止められるので、ショート様ご自身も、隣国まで行けないことは分かっているはずなのにな。なんでこんな本読んでたんだろう、もしかして私をなんとか連れ戻せる方法を考えてくださってたのかな、だとしたら不謹慎だけど少しだけ嬉しいな、なんて。まあ、そもそもショート様が馬に積んでいけるほどの旅荷じゃ到底たどり着ける距離じゃないんだけどね。

ならば、どこへ行ったのか。

最後に積まれていた一番下の本を手に取る。タイトルはこれまた地図で国境沿線付近とその近辺の情勢についてが記された書物だった。……ん?国境沿線…??

「えっ、国境沿線……?まさか、」

地図は地図でも、国境沿線の地図をショート様が家出直前まで読んでいた。その事実にひとつの光明を見出した私はすぐさま本のとある項目目掛けてページをめくる。……あった、ハテノ地方最北端、隣国とも縁深いドラゴン族の住まう山が載っているページだ。

「あっ、」
お目当ての項目を開いたその瞬間、全ての痕跡に対して合点がいった。いって、しまった。



夢を見た気がしたのは本当だったんだ。私にとっては夢であって欲しい反面、本当だったら良かったのになって、思えることを夢に見ていた。

ショート様が私の名前を呼んで、微笑んで、そして好きだと伝えてくださる夢。
あれは夢だと思ってたんだけど、なぁ。
もし、仮にショート様が本当にこの場所に向かっていたんだとしたら、あれは……。

夢じゃなかったんだとしたら。


“じゃあ、行ってくる。”

夢の中のショート様が私に向かって告げた最後の言葉を不意に思い出す。どうして忘れていたんだろう。そうだよ、昨日夜中に目が覚めて、無意識に手を伸ばしたじゃないか。そして私が伸ばした手をショート様は困ったように握り返してくれて、その後はーー、

そうだ、私ショート様と……キスしたんだ。今までしたキスの中で唯一、触れたことがない場所に。


ふと笑みがこぼれる。なんだか何もかもがどうでも良くなってしまった気がして、私は乾いた笑いを隠さず吐き出した。ああもう、本当、バカみたいだ。何より私が、何より主が。

主は特に馬鹿だ、大馬鹿だ。何時もなら絶対言えなかった台詞も今なら言える。なんで私の為に、そこまでするんですかって、今なら多分エンデヴァー公が目の前に居たとしても大声で笑いながら言えるだろう。
それくらいに有り得ない決意を持って、あのお方はこの屋敷を飛び出したんだから。いやもう本当、笑っちゃうよ。

「まさか、大公に直接会えるまで粘るつもりだとは…流石に思いませんでしたよショート様。」


隣国との国境にはいくつかの街があり、要所要所に関所が設けられているのだが、ひとつだけ色々と問題があり過ぎて関所が置けずに大公自らがたまに直接赴いて視察に行く場所が、ここハテノ領には存在していた。その場所こそ、さっきの本でショート様が丁度地図を何度も確認した形跡を残していたドラゴン族の住まう山である。

気候もそんなに温暖でない所為で関所も建てられない場所にあるドラゴン族の集落は、関係が良好であるはずの隣国との国境線に置いて唯一、過去何度か腕試しと称して隣国の駐屯兵団に戦いを挑んできた歴史があり、大公も手を焼いていたのを覚えている。かく言う私も大公に仕えていた当時、ドラゴン族の族長、そしてドラゴン族と仲のいい獣人族の族長達相手に何度も和平交渉についていったことがあるので記憶に深く結びついてしまっていたのだ。

よりによって、あそこを目指しているとは。なんつー因果よ。というか、大丈夫かな…ショート様がもし万が一ドラゴン族と戦って気に入られてたら、多分屋敷に返して貰えない気がする。……いや、確実に気に入られる未来しか見えないぞ?それって確実にまずくない?

「はぁ、本当に世話の焼けるお方だわ。」

やっぱり行かなきゃ行けないんだろうな、私が。そういう星の元に生まれているのかは定かじゃないけど、どうにもショート様の為に、どうしても動きたくなってしまうのは、間違いなく性分なんだろう。

とりあえず招集命令は、ショート様を連れ戻した後でも良いだろうか。今から上手い言い訳を考えなきゃいけないな、なんて考えてしまっている私は既に大分毒されてしまっているに違いなかった。

こうなったら何がなんでも必ず連れ戻しますからね。そして連れ戻した暁には最後に一言文句を言って、唇にキスをして逃げてやるんだから。それくらいに貴方様には振り回されて、そして今後も振り回されるであろうことが目に見えている。なら、これくらいのわがままは許して欲しい。代わりにもしもいつか、貴方様のそばに戻ることを許される日が来たら、その時は病めるときも、健やかなる時も永久にお傍に居ますから。だから。

いつものローブに袖を通す。荷物を今日のうちにまとめておいて良かったなあと思いつつ、同じく愛用しているトネリコの杖を握りしめた。さあ、もう行かなくては。

「アケミ、お願い。」

目指すは遠い空の果て。あの雲の向こうに聳える山の向こうだ。あんまりいい思い出がないけど、そうも言ってられない。
さて、さっさと連れ戻して、さっさとお小言を食らわしてやらないと。

今行きますから、首洗って待ってなさいよ。


Back

- ナノ -