Departure



3年という年月は、付き合いという観点から見れば、決して長いとは言えない程度の日々なのだろう。

しかし、たかが3年傍に居ただけ……だとして私とショート様の間には確かな信頼関係……いや、それ以上の何かがあった。少なくとも主従以上の感情が両者の間には存在していたように思う。

それなのに、それなのにだ。この感情を壊したのははたしてどちらだったのかと、この数日間ずっと考えてはみたけれど。それでも今日まで一向に答えは出ない。ただ、覚えているのは何も無く過ぎたこの数日間と、主の居ない日々だけ。

そして、もうすぐお別れがやって来る。




ショート様がご自分の部屋に籠り、出てこなくなってしまってから既に数日が経過した。食事をちゃんと摂られているのかだけが心配だったものの、部屋の前に運んだ食事がきちんと空になって戻ってきているから一応心配は要らないようだ。

エンデヴァー公も今回の引きこもりには普段通り頭を悩ませているようだが、それでも「役目は終わっただろう。」と私に言いつけて、部屋から出ないショート様に解釈違いの解決策を試そうと奮戦している。もしかしたらまた気晴らし(という名のはた迷惑)でお見合いを再開するのかもしれない。

まあ、どんな方法でショート様を部屋から誘き出すのかも、それがどのような結果を導くのかすら私にとっては知る由もないことなのだが。


そして諸々を全て放棄して明日、私は帰国の為に旅立つ。隣国まではアケミを使って2日ほど掛かる空路だが、大きな障害などもなく穏やかな旅路になるだろう。
何も不自由なく屋敷でショート様のお世話をしながら生活していた時はつい忘れがちだったけど、自分のこの力は便利だとは思うが、やっぱり他の人から見れば十分異質に見えているんだろうな。





「お世話になったなぁ、本当に。」

自分に与えられた部屋を見回して、じわりと滲んだ汗を手の甲で拭う。起きてからずっと通しで作業した甲斐があったのか、ようやく荷物が随分とこじんまりしてきた。出発の為の荷詰めが何となく億劫で延ばし延ばしにしていたのが響いて、出発前日なのにろくに挨拶も出来ないまま迎えたこの日ではあったが、それでも存外普段通り、何も変わり映え無かった毎日の延長線を貫いている。

鳥は鳴いているし、空は青いし、風は柔らかい。
私が愛したエンデヴァー領は今日も至って平常運転。ショート様のお姿が見えないということを除けば、まだ自分がここにいてもいいんじゃないかと錯覚しそうになるくらいには普段通りだ。


「あれ?そういえば手紙、どこに置いたんだっけ?」

しかしあれほど愛しかった日常さえも、最早ここに戻ることは二度とない。思わないようにしていても、ふとした瞬間過ぎってしまうからタチが悪いよね。ああ、本当にもう会えないのかと、未だに鮮明に思い出してしまう主の笑顔と最後の言葉。冷たい声が離れずにリフレインして、それがまた涙腺を揺らした。

無性に泣き出してしまいそうな感情を押さえ込んで、無心になって私は手紙を探す。荷物の中にはどこにもなくて、(あれ?本当にどこいっちゃったんだろう)と眉根に皺を寄せては組まなく漁った。

いっそ無くなっちゃえば知らん振り出来たのになぁ、なんて。
まあ結局意味もなく考えたそのすぐ後にローブのポケットの中でぐしゃぐしゃになって潰れていた手紙を発見して、ため息を無意識に吐いてしまったわけなのだが。それも今だけは、許して欲しい。



部屋がすっかり空になった夕刻。カーテンすら外して何もかもをリセットし終わり、ようやく私は一息つく。残すのはお世話になったベッドと窓枠に掛けたいつものローブのみで、他には何も無い。本当にまっさらで何も無かった。

ベッドに寝そべり沈みつつある夕日を眺めていると、どうにも感傷的になってしまうのはきっと性というより状況がそうさせるのだと思いたい。

「ショートさま、」

気を抜けばすぐにでも主の名前を呼んでしまう自分が情けなくて。明日、見送りだけでも来て下さらないかな……うーん、無理かな。淡い期待を抱いたところで打ち砕かれるなら、何も期待しない方がマシかもしれない。

……あれだけ、好きだとお伝えくださってたのに、なぁ。無下にしたのは勿論私自身で、今更何を言っても主は戻らない。だから、明日最後に主のお顔を見れなかったとしてそれは自業自得であることも理解している。まあ、たとえ理解していたとはいえ、やっぱりちょっとだけ泣いてしまいたい気持ちになるのだけれど。

眦から一筋生温い涙が落ちて溢れていく。はた、と泣いてしまったことに気付いても、一度流れたものを止めることは出来なくて。「っ、う」次いで堪えきれない嗚咽が一つ二つと漏れる。情けない、自業自得なことを後悔したってしょうがないのに。

ああ、明日、本当にお別れなのか……。
時に事実は小説よりも奇で、そして残酷だ。









ーーーーーーーーーーーーー

ナマエの手を、初めて叩いた。振り払っただけのつもりが、意外と力が入っちまって想像より強く叩いてしまった。あの時の俺は、柄にもなく取り乱していて、今更言い訳する気もねぇけどとりあえず正常な判断が出来てなかったんだと思う。

ナマエの大きな瞳に自分が映っている時が好きだった。ナマエが俺を見てくれてる時だけは領主エンデヴァーの息子じゃなくただのショートで居られるから。そう思っていたのに、だ。

やっちまった、とは思っちゃいない。ただ、俺のことをいつまでも見ようとしないナマエにイラついたのも事実だ。ましてや、俺の目も見ようとせず約束だからの一点張りで離れようとしたことは、未だに許せねぇ。

でも、それ以上に俺は。
ただあいつの傍に居たかっただけ、なんだろう。あいつが俺にしてくれたことを返したい。
それだけの理由があったから、だから諦めてさっさと俺に「幸せになって」と言い切ったナマエのことが、どうしても許せなかったんだ。


「………よし、」

馬具をこっそりと持ち出して愛馬の背へと括る。荷物は一応それなりの長旅になることを予想して必要な量だけ積み込んではみたが、正直目的の場所まで同領内とはいえ実際にどのくらい掛かるのかが検討つかない。多いに越したことはねぇだろうと気持ち多めに荷積みをすると愛馬が困ったようにその場で足踏みをして身体を揺らした。

「悪い、無理させるかもしんねぇけど、頑張ってくれるか?」


答えるように嘶きを一つ零して、俺の傍へと身体を寄せる馬の背を撫でてやる。そういえばこいつとも長い付き合いになってきた。たかが親への下らない反抗心で家出をしていたあの頃の自分からは、今俺が画策していることなんてきっと想像も出来ないだろう。

ナマエの為なら家を捨てる。その覚悟に嘘偽りはないつもりだ。ナマエが俺を捨てるなら、俺はどこまでだってその背中を追ってやる。あいつは多分嫌がるだろうがそんなことはもう知ったこっちゃない。本気で俺のことが嫌いなら、本気で突き放せばいい、それだけのことなのに。
それもせずに一人で悩んで、勝手に突き放して泣くなんて俺は絶対許さねぇからな。


厩を足早に離れて、誰にも見つからないうちに部屋へと再び戻る。机の上に広げっぱなしにしていた地図を確認し、屋敷がある場所と、もう一つ。旅の目的地に丸を付けた。ナマエを呼び戻した隣国との中継地点でもあるドラゴン族とそのハーフ、竜人族の集落は、中継地点にいくつかの村を挟んで4日程あれば到達できそうな場所にあるようだ。

村があるなら補給も出来るだろうし、あとは野盗やモンスターに気をつけて進めば無事辿り着けるはずだ。辿り着きさえすれば、あとは月に一度視察にやってくると噂の大公に、直談判すればいいだけの話になる。ドラゴン族の集落付近で野宿できる場所があるのかまでは分かんねぇけど、まあ行けば何とかなるだろ。

地図を丸めて、最後に旅支度の荷物へと加えれば、あとはもう思い残すことは無い。

部屋を一通り空にし終わってから。最後にそそくさとナマエのいる部屋までやってくる。時刻は日付がちょうど変わる頃。そっと起こさねぇように扉を開けて中を覗くと、部屋の中は明後日出発だと言うのにまだほとんど荷物が手付かずの状態だった。

……明後日だよな?そろそろやっとかねぇとまずいんじゃないのか?静かに忍び寄りナマエの寝顔を伺ってやろうと近づいた瞬間、小さな違和感に気付く。

「泣い、てんのか……。」

閉じられた瞼の端から伸びる一筋。涙の軌跡がナマエの頬を真っ直ぐに横断している。眠っているその表情からは悲しげな雰囲気を読み取れなかったが、それでもコイツがこの数日間の間、何を思って何をしていたのかを理解するには十分過ぎて。

「泣くくらいなら、幸せになれなんて言うなよ。」


思ってもいないことを言われるくらいなら、聞かない方がマシだった、なんてな。もうこうなったらお前を幸せにしてやるまで、絶対に離さねぇ。

ここまで人を愛することが出来たのも、ここまで広い世界を知ることが出来たのも。全部お前のお陰なんだ。だから、俺と一緒に。涙の跡が残るそこへと、唇を寄せる。最初で最後、薄く色付いた唇へとゆっくり口付けてから、離れたその時ナマエの閉じられた瞼が僅かに開いて、

「ショート…さま?」

薄氷の瞳が俺を真っ直ぐ見据えた。


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