Loser



空は広く澄み渡っていた。

こんな日は、それこそお見合いをするに相応しい一日と呼べるのだろう。空の高いところを白鴉が一羽飛んでいく。空は清々しいほどに快晴だった。

お見合いかぁ。そういえば本当散々な結果しか招いてないよなぁ、私。エンデヴァー公の視線がそろそろ本格的に痛い。流石に二度あることは三度ある、じゃなくて三度目の正直に出来るように、次のチャンスがあったら今度こそものにしなければならないと、今日も今日とて不可視の焦燥感に苛まれている。

まあ、そのチャンスもまずは目の前で真剣な表情をしたショート様に勝たないとやって来ないんだけどね。

現在私は普段通りのローブに杖を携えてショート様の向かいに対峙していた。
護衛、という訳ではなかった。では本日は何をしているのかと問われれば。聞かれたところで答えは決して簡単なものではない。


風が吹き荒ぶ風吹き岬にて、現在私はショート様と数メートル距離を取り対峙している。ショート様の手には木製の模造剣が握られていて、その目には絶対に勝つ、という強い意志が浮かんでいた。

対する私もショート様とは異なる強い意志を持って主に対峙している。握りしめた杖を主へ向けるという、臣下に有るまじき行為をしているのには理由があるのだが、この事態へと至る理由を思い出すよりも先に、ショート様の鋭い一撃が飛んできてしまいそうなので一旦後にしよう。

「いつでも結構ですよ!」

風にかき消されないよう大きな声で叫ぶ。主は私の声に呼応するように「ああ、分かった」と同じく大きく声を上げて返事をした。
その手に握り直される木剣。一呼吸の後にふせられた瞳が真っ直ぐに私を見つめた。それはそれは、あまりにも優雅な所作。おかしい……ただの木剣な筈なのに何故か光って見える、ただの木なのに。

油断したら待つのは凄惨な未来であることは一目瞭然で、たとえ私が伝説級の大召喚士なのだと驕ったところで、あのお方の出方次第では負けてしまう可能性だってある。さて、果たしてショート様はどう出るだろう。

アケミちゃんだと大雑把になりやすいかも、そう考えた私が喚んだのは“坊”と呼んでいる人型をした侍に近い召喚獣だった。その判断が後に正しかったのだと思い知るのは、このすぐ直後のことである。



色々な事があった。思えばショート様から求婚されて早3ヶ月が経つ。それよりも前は、正直なところ少し記憶が曖昧だ。きっと今と同じような毎日が絶対に続いていたのに、何故覚えていないのか。その答えは多分、あまりにも今日までが濃密だったから、と例える以外に無いだろう。


いつの間にか脱獄し、行方不明になったという前回のお見合い候補の令嬢は、それ以降何か動きを見せることもなくぱったりと消えた。元より険しい顔をしているエンデヴァー公も、今回のことは流石に見逃せなかったらしく、私が二日目覚めなかったことと、ショート様が狙われたという事実、その二つが重なった結果、エンデヴァー公が言い放ったのは「ショートにもう一度稽古をつけろ」との一言だった。

いや、……稽古ってなに。つけた覚え無いのですが。しかし主のお父上がそう仰るのだから仕方がない。言えるはずもない言葉を飲み込み、そんなこんなで稽古なんかつけたこともない私が主にして差し上げられる最適解として導いたのが今現在の手合わせ、だったんだけど。



砂埃を舞いあげてショート様が、袈裟に剣を振る。手合わせ、という前提があるのにショート様はやけに本気で坊に斬りかかってきた。坊にも力で押し負けないように跳ね返せ、と指示を出してはいたものの、坊に比べると圧倒的に体躯の小さな主を的確に跳ね返すことは彼にとって難しいらしい。

(速い、)

力を込めようとしても受け流されてしまう。一歩のところで躱されて、先程から明らかに坊の方が振り回されている。
坊でなくてアケミちゃんを喚んでたら、とてもじゃなかったけど捌き切れなかっただろう……。それほどに私の考えを読んだ身体運び、

これはまずい、万が一にも負けることはないだろうと以前の私なら奢っていたけど。

でも今は。


「っ、とに…お強くなられましたね……!」

その強さは主にとって何ものにも変え難い宝物だ。振り返れば遠くまで来た、初めて会った時は焔の基礎魔法すらろくに出来なかったというのに。

坊の剣撃を素早くいなしながら、ショート様は坊のガードの隙間を縫って氷結魔法を這わせた。私は咄嗟に後方に飛んで逃げるけれど、逃げた先にも焔の弓が飛んでくる。

「あっ、ぶな……!」

「ーーチッ、」


うわ、着地先謀られてた、流石はショート様。文句無しの判断力です。

危うく髪の毛が焦げる寸手で避けられたものの、その様を見て主が舌打ちを飛ばす。いや、舌打ちされましても。

……正直今のは割と本気で危なかった。我が主は、こんなにも強くなられたのに、それでも手加減しようとした自分がなんだか恥ずかしい。

今は精一杯向き合うべきなのだろう。
ショート様にも、この関係性にも。


「嫌な隙突いてきますね…!」

「お前に勝つ、為だからな……、」


お前に勝つかぁ、思い出せば中々やばい状況に陥っている。なおも止まらない猛攻に坊を反応させるので精一杯だ。坊の対処に神経を使って、合間に放たれる氷結と焔に焦る、それの繰り返し。

いっそアケミを同時に喚んで空に逃げればショート様に負けるということは万が一にも無くなるが、そんな手を使ってまで勝ちたくない自分と、どうしても負けたくないと思う自分と、それから。

(負けてもいいかもって思っちゃってる…)

そんな自分がいる。


手合わせをお願いしても、最初は渋られてしまっていた。それこそ「お前がいれば何も問題ねぇ」の一言を発してそっぽを向かれた。この時は流石に甘やかしすぎたかな、とちょっと自分を恨んだけど。

そこをなんとか。頼み込めば何とかなるんじゃ、と甘い考えで今回もショート様に頭を下げて首を傾げる。一押しが大事だとかつての師匠には習った。それがこの事態を引き起こすとも知らず、私は最後の一押しを踏み込んだのだ。

俺が勝ったら結婚してくれるか?躊躇いもなく言い放った主の顔は、存外いつもと同じ雰囲気だった。結婚しませんよ、と言い切る私も私で普段と変わらない、下らない冗談を言い合うかのような雰囲気である。じゃあやらねぇ、と即座に返してきたショート様に「ちょ、ちょっとお待ちください」と焦って私が縋ってしまうのも、いつもの事。

ただの手合わせも、私達の手にかかれば互いの結婚を賭けたデスマッチに変わり得るのである。



「わっ、」

坊の巨躯を上手く流して地面へと倒したショート様が、この機を逃すまいと一直線に走ってくる。氷結を連続して放つことで、その突進は予想よりも遥かに早く私のすぐ側へと到達した。

「く、」

「やっと近付けたな。」

思いの外近い、その声。ようやく、といった素振りである。あっという間に距離を詰められ焦る私の目前で、携えた杖を狙い剣を振り下ろすショート様。対する私も負けじと身を翻すが、どうやらショート様が杖目掛けて振りかぶったその行動はフェイクだったらしい。

「うわ!」

不意打ちですぐ様しゃがんだ主から、割と容赦ない足払いをモロに食らってしまい私は地面にみっともなく尻もちをつく。地味に痛い、てか恥ずかしい。そんなことを思う余裕なんて本来は無いのだが、私は痛みに顔を歪めつつ、即座に前を杖で薙ぐ。これ以上接近されたら危ないと、そう判断しての行動だ。

しかし肝心の手応えは、どこにもなく。

「え、」

それだけにとどまらず、ショート様の姿も見失う。もしや私は一瞬の内に判断を見誤ってしまったのだろうか。あれ?どこ行った?と考えては急いで頭を回すものの、

しかしその刹那。
時間にして1秒も経たないうちに折角回した頭も大した意味を意味をなさずに、程なくして私の身体は地面へと引き倒された。




草花が辺りに舞い散る。

私が負けたら結婚、脳裏を過ぎるその約束。
これは、もしかして私負けてしまうのでは?


「まっ、て…下さい!」

「いや、俺の勝ちだ。」

現状首のすぐ横に木剣が突き立てられ、文字通り押し倒されている状態。ショート様の姿を視認してから押し倒されるまでは本当に早かった。悔しいとか、そんな感情よりもどうしようという焦燥の方が先に来ている。これを負けと呼ばずしてなんと呼ぶのか。

倒されたはずみで遠くまで蹴り飛ばされた杖が視界の隅に見えた。
咄嗟に無駄な足掻きとわかっても尚手を伸ばしてみたけれど、ショート様はそんな私の他愛ない抵抗すら許してはくれず、空ぶった手首を捕まえては更に地面に縫いつける。

「これで俺の勝ちだよな?」

動けねぇだろ?と耳元にお顔を埋めて低く囁くショート様の声に、背筋が粟立つ。ぞわりと駆け巡る痺れ。それは例え一瞬の間でも自分の立場を忘れるのには、十分すぎる時間で。

動けませんと言いかけた、危うく出かかったその言葉が喉元で引っかかる。

参った、負けました、降参、ギブ、それに似た類の言葉を発した時点でこの勝負は決着が着くという決まりだった。手合わせ開始前に主と約束したのだ。だから、誰がなんと言おうと今のところまだ私は負けた訳ではない。

それでも、どれだけ負けていないと言い張ったところで状況は何も好転なんかするはずがなく。ふと突然熱っぽい色に染まった目が私を見下ろす。ショート様の唇は薄く開いて色付いていた。多分、直前まで激しく動き回っていたからだろう、頬も男性とは思えぬほど桜色が映え、それはそれは目に毒な表情をしている。

「ナマエ、」

「ひゃ、い……!」

なんで急にそんな雰囲気になったのか。いやまあ、確かに押し倒されてはいるから、甘い雰囲気と全くの無関係ではないけれども。ぐ、と近付けられたお顔から、お互いの吐息が交換できてしまうのではと錯覚しそうになる。度々起きているお戯れに近い悪戯も、回を重ねる事により熱烈に、本気になっているような気がするのは、果たして本当に私の気の所為なだけ?


「好きだ、ナマエ。」


耳、鼻先、頬、と順番に口付けられる。流石に馬乗りになられている上に右手を押さえられていては十分な抵抗も出来ない。唇が離れては近付く度に心臓をゆるく舐られているような、どうしようもない感覚に苛まれた。

ダメだ、負けた。ううん、そんなことない。でも動けないな。じゃあ結婚しなきゃ、………誰と?どうしよう。片手は自由だけど、

あああ、纏まらない!もう頭の中はパニックだし、どうすれば抜け出せるのかも分からないよ!まさかショート様がここまでお強くなられていたとは。

……いや、分かってた。元々あのお方は才能に溢れた方だったし。何より剣技も魔法も才能も、全て一等優れた方なのだ。
一体の召喚獣じゃ、あっという間に隙間を埋められることくらい分かってたはずなんだ、私は。

そうだ、分かってた。
分かってて、やった。
なら、この敗北は紛れもなくーー、




「ーーーーっ、ダメです!!!」


最後の最後、落とされる直前だった唇が触れるより先に、自由に動かせる左手からなんとか緩く風を編んでショート様にぶつける。

こんな状況だったとしてもショート様のお顔を万が一にも傷つけてしまわないように、押し返す程度の風力でショート様の胸元目掛けてぶつけると、途端に熱の篭ったその目が驚きに変わった。

「うお、」

「それだけはダメ!」

「っ、お前ーー、」

一瞬主の力が緩んだ隙に拘束の解けた右手で強く突き飛ばす。今度はショート様が尻もちをつく番だった。風がぶわりと胸元で広がった瞬間、主が片手を置いていた木剣から手を離しバランスを崩して倒れる。

私があの状況でも牙を向いたことに、流石のショート様も驚いたらしい。珍しく焦ったような顔で、眉根にシワを寄せて私を睨んでいる。
「俺の勝ちだっただろ」とその表情のまま、言い返そうとしていることは何となく分かった。だとしても、あのまま大人しくキスされて差し上げる理由はない、私にだって退くに退けない事情があるんだから。

認めてたまるか、こんなこと。
私が、わざと負けたがっていたのかもしれないなんて、そんなことーー

「まだ、負けてなーー、っ!?」



何とかして距離を取り、杖を慌てて拾い上げる。坊を再度呼び出そうと左腕を振りかぶった刹那、手の中の違和感に気づいた。

突然のことだった。

指が、何故か燃えるように熱い。


「痛っ……!」

「ナマエ…?!」


杖を落とし、その場にしゃがみこむ。私の異変に気付いたのか、主が声を上げて私に走り寄ってきた。

一体何が起きたというのだろう。痛む左手を抑えながら、にわかに痛む指を見ると薬指が赤く発光している。どうやら結婚指輪が光っているみたいだ。なんで指輪が今になって光るのか。とりあえず指輪が熱を持って発光していることしか分からなかった。

私はただ呆然とそれを眺めるしか出来ない。

キラキラと指輪が一際強く赤く光を放って収束すると共に、指輪の石座に輝く宝石が色を無くして沈黙する。最後の発光の際にひとつの痛みを残したのち、痛みは光と同時に消えた。

「なに、突然……」

「大丈夫か?」

今までこの指輪が何か奇怪な現象を起こすことなんて無かったのに。

「大丈夫……です。もう痛くなーー、え?」

「なんだ?どうしーー、」


ショート様が私の左手を覗き込む。主が指輪を確認した時には既に、そこにあるはずの指輪がどこにも無かった。

「え」

私の指にピッタリと収まってミリとも抜けなかった指輪が地面に吸い込まれて落下していく。ゆっくりと落ちていく指輪を呆然と見つめながら、そういえばあの指輪って、あんな色だったっけ?と考えた。

トサ、乾いた音をたてて草花が揺れる。地面に転がるのは魔法の込められた結婚指輪。

私とショート様を偶然ながらも繋いでいた指輪が、外れて落ちる。縁起悪いなあ、なんて月並みなことしか考えられなかったけど、これは多分私なりの現実逃避なんだろう。

だって、指輪が外れるそれが意味していることが理解出来ないような人間ではもう居られないのだから。

何故かは良く分からないけど、どうやら私は指輪に婚約者として認めてもらえなかったらしい。こんな状況下にも関わらず。

指輪が落ちて呆気に取られ何も言えず押し黙る私と、それからショート様の間を風が吹き抜けていく。結婚指輪は嵌められた時の綺麗な赤色からは打って変わり、まるで泣いているかのように、青く濁っていた。


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