Melancholic



どんなことがあっても、私は主のためにできる限りをすると誓ったしこれからもそうするつもりだった。ショート様にもしも私以上に好きになった婚約者が現れれば、私はその方のことだって何があっても守り通す所存だし、珠のように大切にして差し上げたいとも思う。

…臣下とは自分の心は抜きにして主に徹底的に追従する生き物だった。

だから例え私に良く似たご令嬢が現れて、今までのショート様だったらなんだかんだ理由をつけて断っているであろうお見合いを、令嬢の写真を一瞥した瞬間二つ返事で「受ける」と言ったことに対しても、決して私情は挟まないつもりだった。

ましてやお見合いに向かわれるショート様が明らかにそわそわしていて落ち着かない素振りだったとしても、私は決して顔に出したりなんかしないのだ、と半ば意地に近い気持ちを抱いていた。

自分で決めたことだから。たとえどんなに大切だとしても、あの方の為にならないことは絶対にしない。どれだけプロポーズされても、迫られてもYESと口にしない。そう固く誓った、心に嘘はつきたくない。だって決めたのは紛れもなく自分自身なのだから。



晴天の冬空、祝福すべき本日は空も晴れ渡ってお見合い日和だった。まさにショート様の2度目のお見合いに相応しい天気である。

庭先に咲き誇る無数の花たちに囲まれて、ショート様とお相手のご令嬢が和やかに談笑を楽しむ様が目の前に広がっている。それはまさに、ご令嬢のお顔が私にそっくりということ以外に何の変哲もないお見合いだった。

私は今回、給仕服ではなく顔を覆えるくらいのフードを被って庭師のフリをしている。理由はもちろん女の魔道士が主人のそばで護衛をしていると、相手の令嬢も以下略……ではあるが、更に重大な理由として、顔が全く同じ奴が見合いの席に居たら怖いだろうという配慮が裏面にあった。


此度のお相手はペルナ嬢、他国のご令嬢ということだが詳しくは分からない。しかし丁寧な物腰と想像もつかないような知識量から察するにやはり彼女も只者では無いのだろう。実はショート様が秒でお見合い決めちゃった所為で、令嬢の素性調査が未だ出来てないということはここだけの秘密。


と、そんなご令嬢とショート様のお見合いであるが、前回のお見合いとは打って変わって私は酷く狼狽えていた。晴れの日であるにもかかわらず、植木に身体を半分埋めて御相手の令嬢の顔を凝視する始末である。エンデヴァー公にバレたらシバかれ以下略な行動だと自分でも分かってるし、失礼に当たることだとも理解している。でも、分かってても理解に苦しむことってあるじゃない?今が私にとってはその時なのだ。

無論、顔がほぼ同じのご令嬢相手に普段見せないレベルの微笑みを披露している主に憤っているのかと聞かれればあながち間違いでは無いのだが、しかしそれよりもよっぽど重要なことに気付いて困惑しているというのが実のところで。て言うか何で誰も何も突っ込まないの、ねぇ。

そんなことあるはずないのに、まるで何も気付いていないかのように振る舞う周りの使用人の態度と自身の態度の温度差。

「なんで、給仕長もメイドさんも掃除のおばさんも、ショート様も…ご令嬢の顔にヒビが入ってることを突っ込まないの?」

守るべき主の将来の妻になるかもしれないお方の顔にヒビが入ってるのって、貴族の間では割とありがちなこと、なのかな。




状況を整理すると、そのヒビに気がついたのはつい先程のことである。お二人の背後に植えられた樹木の一枝を剪定しようとペルナ嬢の横に回った時のこと、ふとしゃがみこんで気配を消していた私の長いコートの上に小さなガラス片のようなものが落ちているのに気づいたのはその時だった。

(ん?)

石片とも違う材質。なんだろ、これ…。と気になって欠片を手に取り拾い上げたところで、空中からまたひとつ欠けらが降り立つ。え?と思う間もなく何の気なしに欠片が降ってきた方を見上げた瞬間、それに気付いてしまった。

(…………は?)

そう、私はショート様のお見合い相手のお顔にヒビが入ってることに気付いてしまったのだ。



さてどうするべきか。うんうんと悩んだところでお見合いは並行して続いていくので一刻も早くどうにか大事にならない内に判断しないといけない。

素性がまだはっきり調べられていない以上は、令嬢の顔が割れている!と皆の前で糾弾する訳にもいかないけど、かといってぼやぼやしてたら魔法で顔を変えているらしきあの方が私の主に何かするかもしれないし。

魔法で顔を変えるというのは簡単なことじゃないけれど、やろうと思えばいくらでも方法があるものだ。せめて何の為に顔を変えているのか、素性が判明すれば対処しやすいのになぁ。

しかし悩めば悩むほど、思考の袋小路に陥っていくのが道理だった。
そうこうしている最中もショート様は変わらないふわふわ笑みでペルナ嬢のことを見つめているし、ペルナ嬢も優雅にお茶を傾けている。というかご機嫌そうだなぁ、顔が似てるご令嬢にそこまでデレられると私としてはちょっと不服なんですが。


「ショート様、御髪に枯葉が……」

「…ん、悪いな。」


ふとペルナ嬢がショート様の髪に手を伸ばす。一瞬のうちに令嬢は髪の毛を一房摘んで払った。「もう大丈夫です」そう、笑って手を下ろすのは、どこまでも私と同じ顔で。見れば見るほど混乱しそうだ。
ただ似てるだけなら何も思わなかったのに。

「お茶が空ですわ、お淹れしますね。」

凛と澄み渡った声が風に乗って消えていく。顔にひびを作ったペルナ嬢が我が主人へと語りかけた後、手馴れた手つきのままポットを手に取り、ゆっくりとショート様のカップへ向けて傾けた。

ああもう、お茶が空になってたことすら気づけないなんて。

ソーサーへと戻されていくカップをじっとりと眺めながら、漏れ出そうなため息を飲み込む。未だこの時の私は、直後ため息をついている場合ではない事態を目撃することになるなどとは、かけらも思わないままで。

私の主が広大な領地を任される国一番のやり手領主の息子であることも、頭の片隅から一瞬外れかけていたのである。


(………え、)

一見なんの変哲もない優雅なお茶会の最中。令嬢の指元に隠れていた固形の物体が、不意にカップの中へと落とされるその一瞬の光景をはっきりとこの目に捉えてしまったのは、ため息を吐いたその直後の出来事だった。

(ーーーー、え?)


何か、入れた?
急ぎカップを覗き込んだところで、何も見つけられない。…というか結構な大きさの物を入れていたはずだったけど、この位置からですら確認できないということは、つまり…そういう類のものを入れたのだろう。

時が止まり、ついでざわめき出す耳の奥の奥。嫌な音が予感と共に大きくなり心臓が震え出す。
やはり顔にひびの入った御方には、たとえそれがお見合い中のご令嬢だとして警戒を解いてはいけなかったらしい。


前回のお見合いの時から、なにも学んじゃいないなと苦虫を奥歯でかみ潰して独りごちる。
我が主のハプニング体質も大概だが、私も私だ。


ああ、私がもたもたしてた所為で。
どうしよう、何とかしないと。

今にもカップの縁へと形の良い唇が触れてしまいそうなほどに、事態は切迫している。もう間もなく、やがて主はあの得体の知れない紅茶を飲んでしまうだろう。だめだ、それはだめだ。何が、どうしてだめなのかとまでは明確な言葉として形容できないけれど。でも、絶対だめだ。

纏まらない頭がとにかく”何とかしなければ”と騒ぐ。私の意識は、あの光景に気付いた瞬間からもうとにかくショート様に気付いてもらう、というよりショート様にあのお茶を飲ませない、という方向に向いてしまっていた。



やっぱり主に恋をしてしまうというのは、酷く厄介な感情で、そして哀れなことなんだろう。無論身分違いという障壁だけじゃない。
私が忠実な臣下である以上、主の命を、幸せを最優先にしてしまうという問題もある。

だからこそ、間違っても恋になんて落ちてしまわないように……したかったのに。
本当に、理屈じゃない感情というのは厄介だ。


さて、私がとった行動は決して褒められたものではないことを、予めご承知おき願いたい。すなわち良い子は真似しないでねってことである。

得体の知れないものはきちんと安全を確保してから飲むべきだったなぁと私は喉を勢い良く鳴らしながら、ぼうっとそんなことを頭の片隅で考えた。後で方々から怒られるかもしれない。けど今の私にはこれ以外に最適解を導くことが出来なかったのもまた事実で。


「な、」

「ナマエ?」

呆気に取られる主とご令嬢。御二方の視線の先には今しがた主のティーカップを奪ってそのままなみなみと注がれた紅茶を一滴残らず飲み干した私がいる。豪快に仰った紅茶は、いつもメイドさんが淹れてくれるものと何ら変わりはなくいつも通り美味しかった。



ただひとつ、違うのは。

「う、」

「あなた、……なんてことを!!」

飲んだ瞬間に襲いくる、焼けるような喉の熱さくらいだろうか。直後ペルナ嬢が血相変えて私の胸ぐらを掴みあげる。

「くる、し、ーー!」

「ナマエ!」

締めあげられた拍子にくらりと視界が反転し、力の入らない足がふらつく。ご令嬢はフードが取れたあとの私の顔を見ても、動揺ひとつせず私の首を締め続けた。

そんな尋常ではない状況の中でも絶えず襲いかかってくる耐えられそうにない視界の激しい明滅と強烈な熱さに、自然と顔が歪んでいくのが自分でも分かる。やっぱり紅茶に何か入れていたんだろう、普通の紅茶ならこんな風にはならないはずだから。

刹那か細い首根っこを締め上げる鬼の形相をしたペルナ嬢を引き剥がし、私の顔を心配そうに覗き込む我が主が、珍しく物凄い焦ったような面持ちで何かを叫ぶ。その声がなんと言ったのかまでは、最早分からない。そんなことを聞き取れるような余裕さえも勿論無い。ただ、ひとつ言えたのは、やっぱりショート様があの紅茶を飲まずに済んで良かった、ということくらい。

ふらつく足が身体を支えることが出来なくなったその瞬間、私の無けなしの意識はそこでぷつりと途切れて消えた。


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